時の流れの中に!

少子高齢化の中で高齢者はどう生きて行けば良いのか。

阪神タイガース

2024-03-26 13:34:03 | スポーツ
1992年東京に内部異動、イメージしていた東京センターとは大違い、こじんまりとした5階建てのビルで、ネットワークでは大阪センターと東京センターの二大拠点として表示しているが3階フロアに通信機器が置いてあるだけで特にすることはない。
メインの仕事は2階のコンピュータ室の運営で、大型プリンター機が数台設置されている。
ここで打ち出された帳票を引き渡し、地方への配送が主な業務となる。メンバーは社員が私を含めて3人、外部委託のオペレータが5人、I/Oデリバリの女性が2人となっている。4階が事務所で営業の人たちと机を並べて仕事をすることになる。
これから東京の人たちとどう付き合うか、長く付き合うには同じ趣味の人が良い。
スポーツで気になっていたのは、東京=巨人ファン、巨人ファンとは絶対に付き合えない。
男性社員とオペレータの人たちと個別に話をする時に趣味を聴いてみた、
サッカー、ZARDのファン、パソコンオタク、ここにプロ野球ファンはいないのかと思った。
ある日、オペレータの一人に「昨日は急いでいたようだが」と聞いた。
すると「東京ドームに行きました」ジャイアンツファンのようだが、普段は野球の話はしていないので気にしないことにした。
特に趣味が合う人はいないので休日は一人、一人でも東京は色々と刺激が多いので飽きることはない。
1985年、阪神タイガースの21年ぶりのセントラル・リーグ優勝に狂喜した阪神ファンが、カーネル・サンダースの像を道頓堀川に投げ入れた因果で、カーネル・サンダースの呪いと言われ、翌年以降の同球団の成績が低迷して今も続いていた。
負けた試合の愚痴を言う相手もいないが、むしろプロ野球の話をしない方が気持ち的には楽かもしれない。
そんな東京生活が24年続いたが、定年退職もしているので大阪に帰ることにした。

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阪神タイガース

2024-03-14 12:26:55 | スポーツ
情報システムセンター運用の窓口の担当で社内のシステム担当者との電話連絡で話をしているので、喫煙室で少し話をすることもあるが、仕事以外の話をすることはなかった。
始めにプロ野球の話をして盛り上がれば趣味に移り、趣味が合えば社外で続きの話をする。
付き合い始めはこのパターンで、趣味の考え方が違えば長い付き合いはない。
しかしここでは、この始まりがない。
情報システムセンターの人と社外で会うことは一度もなかった。
阪神タイガースは1990年、1991年と2年続けての最下位、プロ野球ニュースを見るのも気が進まない。
情報システムセンターで仕事を始めて5年経ったある日に課長に呼ばれ「東京センターの責任者が異動する。代わりに行ってくれ」「えっ!」私の不安を感じたのか「内部異動で所属は変わらないので、何かあればサポートする」一度、東京で働いてみるのも悪くはないか!東京への異動を了承する。

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阪神タイガース

2024-03-09 13:32:19 | スポーツ
津山に来てからプロ野球中継は見なくなった。
スポーツニュースで、今日はタイガースはどうだったかと確認するぐらいだった。
8年たったある日、人事部長に呼ばれて大阪に転勤の内示を受ける。
大阪の製造現場に戻るのかと思ったが、告げられたのは情報システムセンターへの異動だった。
情報システムセンター?コンピュータ?定時制の電気科を卒業したがコンピュータについては何も知らない。
どんな仕事なのか人事部長に聞いたが「詳しく知らないがコンピュータ運用の責任者を要請された、行けば詳しく説明を受けられる」
「はぁ-」となったが、社命には逆らえられないので受け入れる。
1987年11月に大阪に異動、情報システムセンターは全社の人事、経理データのコンピュータ処理、全国に張り巡らされたネットワークの監視をしている。
ここでの仕事はヘルプデスク、コンピュータが止まるとシステム部に対応を依頼、支店のネットワーク障害で時間が掛かり過ぎるとお詫びの連絡が主な業務となる。
休憩時間の喫煙室、「昨日の夜間バッチのアベンドの原因は何だった」「新しいシステムはバグが多いので大変だ」などと仕事の話ばかりで阪神タイガースは出てこない。
職種が変わると休憩時間の過ごし方も変わるんだと思った。
ただ、情報システムセンターではコンピュータ処理のアベンド(異常終了)ネットワークの端末障害は毎日起きている。
SEの人たちも緊迫緊張で仕事をしている。のんびりとプロ野球の話をする気持ちにはなれないのかも知れない。
プロ野球が好きで応援しているのは阪神タイガース、大阪に戻ればファン熱も上がるかと思ったが、仕事が忙しくてスポーツ中継は見ることはなく、スポーツニュースを見るだけの生活が続いた。

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阪神タイガース

2024-02-23 15:28:58 | スポーツ
1980年代、プロ野球は男同志のコミュニケーションをはかる最適なツールだった。
好きな球団が勝ち、推しの選手が活躍すれば気分も爽快、仲間たちとも話も弾んだ。
阪神タイガースが勝った日の大阪の居酒屋の店内では、あちらこちらでタイガースの話で盛り上がる。
津山に移ってきて阪神タイガースファンを封印したが、野球は好きなのでスポーツニュースは見ている。
1985年に阪神タイガースが21年ぶりのセ・リーグ優勝を決める。
ファンが熱狂し、一部のファンが道頓堀川に飛び込む、ケンタッキーフライドチキン店舗のカーネル・サンダース像を道頓堀川に投げ込むなどの騒動が起きた。
これは一部のファンだけなのだが、多くの人たちに阪神タイガースファンは過激だと思われるようになった。
このニュースを見ていたがとてもこの喧騒の中には入れない、やっぱり真のタイガースファンにはなれないと思ったが、日本一の記念グッズは欲しくなり記念タオルを購入した。
ただこの光景を地方の人たちは冷ややかな目で見つめている。
その中で、津山でこれが日本一記念タオルだなんて誰にも見せられない。
記念タオルは誰にも見せることなく押し入れに入れた。

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阪神タイガース ②

2024-01-20 14:23:40 | スポーツ
働き始めて2年ほどたってテレビを購入して野球中継も見るようになった。阪神タイガースファン度は江夏豊投手の活躍で中継を見るようになり少し上がっていった。
1979年に岡山県津山市に転勤になった。津山は昔ながら城下町の風情で遊ぶところも少ない。
趣味はテレビ鑑賞がメインの生活になった。
仕事は新しくできた工場の製造現場の班長で30人ほどの若い人たちに仕事を教える立場だった。
工場には現場専用の休憩室があり休憩時間は全員がここで休憩をとる。
体を休める人、話し合っている人、話し合っているグループはプロ野球の話をしている、話題は広島カープ、岡山は広島のとなりで広島カープファンが多いのも納得できた。
大きな灰皿の周りでタバコを吸いながら話している、私もタバコを吸うので加わる。
広島カープの話題は聞き流していたが、阪神弱いと悪口を言われた時は反論しようと思ったがその時は我慢した。
実際に1978年はリーグ最下位、1979年は4位と低迷していた。
しかしカープファンもタイガースファンほどではないが熱量は高い、普段はあまり喋らないのにカープのことになると興奮気味に話すのを見ていると人は見かけで判断できないと思った。
歌手のファンであればテレビを観るだけでもファンと言えるし、熱すればコンサートに行くぐらい。
しかし、スポーツは闘い、相手チームは敵、敵チームのファンも敵と考える人もいる。
試合がヒートアップすると些細なことで小競り合いになることもある。
日常生活でも贔屓チームが違う人たちが和やかに話し合っているのを見たことがない。
地域によって贔屓チームがあり、そこに敵対するチームのファンが交友関係を築くのは難しい。
これからも岡山で暮らしていくにはタイガースファンを封印した方が交友関係もスムーズにいくと考えた。
だが1985年に阪神タイガース日本一なった時、記念グッズが欲しくなり阪神百貨店で記念タオルを購入した、しかし誰にも記念グッズを買ったことも、見せることもなく押し入れに保管した。


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