時の流れの中に!

少子高齢化の中で高齢者はどう生きて行けば良いのか。

認知症を予防する 母と息子

2018-02-06 09:58:17 | 認知症
私の母との生活をふたたび!ボケ始めた母の認知症を予防したのは、私の親孝行だったと思っていた。しかし、認知症について発症要因、予防方法を調べていくなかで、何か少し違うなと考えるようになった。

末期ガンを患っている父は自宅療養を選んだ、腰痛を悩んでいる母の老老介護は想像を絶するものだったと思われるが私は知らなかった。子どもたちに知らせず母一人で精一杯介護を続けて来たのだろう。父が亡くなり看護が終わった虚脱感に陥り何をすれば良いか分からなくなった。そんな毎日が続けば認知症を発症するのを知った。「何かあった時には俺が面倒を見る」と妹たちに啖呵を切りましたが、母も一人暮らしで、次に何かあった時は、認知症が発症した時でしょう。間違いなく私は介護離職の道を進んでいたと思いました。

母が始めて観劇に行った芸術座の帰り、喜んでくれていると思い聞いた「芝居面白かった」すると母は「高かったやろ、もう良いよ」と返事が返ってきた。「気にしなくて良いよ」とだけ答えた。これまで母が田舎で暮らしていた時の一ヶ月の食費代にも相当する観劇料金は高すぎるのだろう。でもこれは煌びやかな夜の日比谷の街角でする話としては侘しい。話を打ち切って、「食事をしよう」と銀座にむかった。数寄屋橋近くの和風レストランに入った。メニューを見せて「何にする」と聞いた。母はメニューを見て「これにする」と指で指したのは親子丼、「他のにしたら」と声を掛けたが「これで良い」と言ったまま黙り込んだ。母は意外と頑固なところがあるので一度決めると覆すのは難しい。少し考えて「僕はこれにする」と松花堂弁当を指差し「一緒でいい!」と言った。母は少し考えてから「良いよ」と返事をした。親孝行のつもりで少し贅沢をさせようとやってきたが、贅沢は敵と考えている母には効果がない。それとも結婚もできない安月給と思っている私に無理をさせたくないと思っているのだろうか。母の一番の笑顔は、少し高いコートを買ってやった時ではなく、温泉旅行に行った時でもありませんでした。
夜に母が作った食事を食べている時に私が「これ!美味しい!もう少しある」と言った時に最高の笑顔を見せました。でも本当に美味しかった時にしか言わないので10日に1回ぐらいだった。母にとっては五十過ぎのおっさんでも我が子、我が子供と思っていたのではないだろうか、まだ子供と思っていた15歳で離れていった我が子、それまでもお金がなく満足に食べさせてやれなかった。そんな思いが心に残っていて、それを補うように食事を作り続けているのではないでしょうだろうか。
息子の世話をすることで、日々の生活が充実し生きがいになっていた。
母として生きていくことが認知症の予防になったのではないだろうか。

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