とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

東須磨小の事件はよくわからない

2019-10-22 07:06:38 | どう思いますか
 たまたまきのう休みだったので、テレビのワイドショーを流していた。羽鳥慎一モーニングショーである。東須磨小の教師のいじめをかなり長い時間紹介していた。他のことをしながらだったので、飛び飛びに見ていた感じだったので詳しいことまで紹介されていたのかがわからない。しかし憶測で言っていることもあったので、じっと見ていてもよくわからなったのではないかと感じた。

 自分なりに整理してみる。

①映像を見る限り、加害者側の行為は悪質であり許すべからざるものである。

②この行為を加害者側がどういうつもりでやっていたのかはわからない。悪意がなくじゃれあっているつもりだったのかもしれないし、じゃれあっているふりをしているが明らかに悪意があったのかもしれない。その真相はこの映像だけではわからない。

③おそらく、ここまでひどい行為は他の学校ではない。しかし、学校の職員室の中で力関係があり、それによるひずみは明らかに存在する。例えば陰口なんかはどこでもある。とは言え、それは学校だからではない。どんな社会でも必ずある。

④この事件を生徒のいじめと結びつけるのは無理がある。こんなひどい先生だからこの学校のいじめの件数が増えたというのはこじつけである。東須磨小学校のいじめ認知件数が平成29年度に0件であったということのほうが信じがたい。「いじめ」の定義にもよるが「いじめ」のない社会なんかないのだ。

⑤加害者側は確かに悪い。しかしただこの人たちをたたくだけでは加害者側と同罪である。そういう同調圧力はあってはならない。

⑥この事件と様々な教育界の現状と結びつける意見は無理がある。この事件が特殊なのである。ただしもしあるとすれば、古い学校の常識と新しい学校の常識の乖離の問題だと思われる。古い価値観を新人教員に求めるがゆえにこのような事件となった。古い価値観がすべて悪いわけではないが、古い価値観こそが学校をブラックにしているのも事実である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新国立劇場「ことぜん」シリーズ『どん底』を見ました

2019-10-21 10:10:01 | 演劇
作 マクシム・ゴーリキー
翻訳 安達紀子
演出 五戸真理枝
キャスト 立川三貴 廣田高志 高橋紀恵 瀧内公美 泉関奈津子 堀 文明 小豆畑雅一 伊原 農 鈴木亜希子 谷山知宏 釆澤靖起 長本批呂士 クリスタル真希 今井 聡 永田 涼 福本鴻介 原金太郎 山野史人

 「ことぜん」について芸術監督・小川絵梨子さんは次のように説明しています。

 「ことぜん」とは個と全という意味合いで、個人と国家、個人と社会構造、個人と集団の持つイデオロギーなど、「一人の人間と一つの集合体」の関係をテーマとしています。  
 閉塞感ある全体主義やその圧力に取り込まれる「個人」。しかしながらその「個人」が集まり「全体」を創りだしてしまう......。そんな切っても切れない個と集合体の関係性や、相互作用、その中での軋轢や葛藤を、三人の演出家がそれぞれの作品でそれぞれの視点から描きます。
 
 個人と全体というのはわれわれ人間が生きていくのに大きなテーマです。それを切り取りシリーズのテーマとしたことがおもしろい。期待します。

 その第一弾が『どん底』です。ゴーリキーの作品ですが、その存在すら忘れていた作品です。見るのも初めてです。ロシアの貧しい人たちを描く作品です。貧しさの中で救いのない生活を強いられる人々が描かれます。そんな救いのない生活の中で諦めつつも、それでも救いの可能性に心が揺れます。微妙な心の動きが丁寧に描かれていきます。

 演出上の大きな特徴は、この舞台を日本の工事現場に置き換えて、工事現場で『どん底』を上演しようとしている人々として描いていることです。つまり、観客は劇中劇としての『どん底』を見ていることになります。現代の日本は裕福だとは言え、格差が広がり、未来の見えない人たちも多くいます。現代の管理社会になじめない人たちもたくさんいます。あきらめつつあきらめきれない人たちは、『どん底』の登場人物と重なってきます。しかし、重なりつつ重ならない。だからこそそれぞれの人間がさらに際立ってきます。おもしろい発見です。

 新国立劇場でなければやれない企画です。すばらしい仕事だと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「高校演劇」は異様だ

2019-10-19 08:02:46 | 演劇
 今年何年かぶりで高校の演劇部の顧問になった。疑問に感じることだらけだ。その根本原因は「高校演劇」というジャンルは「演劇」とは別のジャンルになってしまったことだ。

 例えば大会に出るとほとんどの学校が創作劇なのだ。本来、演劇とは台本を読み込み、そこから演出プランを立て、その演出プランによって、演出家と役者が演技を考えていくものだ。だから台本の解釈こそが演劇の一番おもしろいところなのだ。しかしほとんどの学校が創作劇で出てくるのである。もちろんその創作劇がそれなりのレベルならば納得もいく。しかし残念ながらそこまでいっていない。ほとんどが演劇のレベルに達しない台本なのだ。自己主張をしているだけで描写なんかない。「うすっぺらい」会話が続くだけなのだ。演出家なんか必要ない。これは演劇ではない。

 極端な例をあげればこういう台本である。

A「ああ・・・(うなだれる)」
B「どうしたの?」
A「実はいじめられてるんだ。」
B「え?」
A「ぼく暗いし勉強できないし・・・。 みんなぼくのことをばかにするんだ。」
B「そんなことはないわ。先生に相談しようよ。」
A「先生も一緒になっていじめるんだ。」
B「だったら戦わなきゃだめよ。」
A「そんなことできないよ。」
B「あたしも手伝うから。」
A「うん・・・」

 ありえない会話である。これは極端な例だがこのような実際にはありえないようなセリフばかりなのだ。リアルな人間がまるで描かれない。これは演劇とは呼べない。もちろん大会で評価されるのはそれなりのレベルには達しているのだが、それでもプロの台本に比べれば薄っぺらい。

 高校演劇はほとんどプロの演劇人とからんでいない。高校演劇の顧問によって独自の世界を築き上げてきた。その結果、高校演劇の顧問のためのものとなってしまった。閉じた世界である。その世界にはまった人にはいいが、ほとんどの人は近づきたくない場所になってしまったのである。
 
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アスリートファースト」

2019-10-18 06:47:19 | 社会
 東京オリンピックのマラソンと競歩が札幌で行われることになりそうだ。IOCが日本と事前に打ち合わせをほとんどせずに決定したようである。この決め方に問題はあるが東京の真夏の暑さを考えたら賢明な策である。

 それにしても小池知事は情けない。困惑を口にし、されには「だったら北方領土で実施すれば」と開き直りともとれる発言までしている。このような緊急な事態に感情的な発言をする人に都政をまかせていいのか心配になる。準備をしていた東京都にとっては寝耳に水であり、取り乱しているのはわかるが、「アスリートファースト」という言葉を好んで使っていたのは小池都知事だ。もっと冷静な対応をすべきだった。こういうときに人間の器がでる。

 それにしてもこうなってきたら、オリンピックのあり方ももっと柔軟であってもいいのではないだろうか。競技によっては秋の開催も可能にし、開催地も1都市にする必要もない。インターネット時代のスポーツの祭典のありかたを見直してもらいたい。「アスリートファースト」のオリンピックにしてほしい。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今回の台風を「まずまず」と言うような人が政治家であることがこの国の現実なのだ

2019-10-16 06:42:56 | どう思いますか
 今年は台風の被害が多い年だ。中国四国を直撃した台風10号、千葉県を直撃した台風15号、そして今回の台風19号、どれも大きな被害を残した。気象庁も政府もマスコミも、そして住民も事前に十分な対応をして被害はかなり抑えられたと思うが、それでも大きな被害である。特に今回、福島や宮城での被害が大きかったことに大きな問題を感じる。

 今回の被害の原因は主に雨である。大量の雨のために河川が氾濫したことが大きな被害につながった。河川の氾濫は河川の整備によって左右される。しかし地方ではなかなか整備がすすまない。それはコストがかかるからである。東京や関東は経済力があり、インフラが比較的に整備されている。それに対し、地方は経済力がない。たとえ危険性があっても、お金がないから整備が遅れるのだ。そしてその背景にはたとえ災害が起きたとしても、都会よりも地方のほうが死者が少ないという、口に出せない意識が働いている。

 今回の二階幹事長の「まずまずには収まった」発言も、東京の被害が比較的少なかったことに由来しているように思われる。以前東日本大震災に関して「東北でよかった」という発言もあった。自分さえよければそれでいいという意識がはっきりと見える。そもそも政治家なんて自分が偉くなりたいだけの人種だ。想像力の欠如した人間が政治家になっている。これでは国はよくならない。
 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする