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とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

「高校演劇」は異様だ

2019-10-19 08:02:46 | 演劇
 今年何年かぶりで高校の演劇部の顧問になった。疑問に感じることだらけだ。その根本原因は「高校演劇」というジャンルは「演劇」とは別のジャンルになってしまったことだ。

 例えば大会に出るとほとんどの学校が創作劇なのだ。本来、演劇とは台本を読み込み、そこから演出プランを立て、その演出プランによって、演出家と役者が演技を考えていくものだ。だから台本の解釈こそが演劇の一番おもしろいところなのだ。しかしほとんどの学校が創作劇で出てくるのである。もちろんその創作劇がそれなりのレベルならば納得もいく。しかし残念ながらそこまでいっていない。ほとんどが演劇のレベルに達しない台本なのだ。自己主張をしているだけで描写なんかない。「うすっぺらい」会話が続くだけなのだ。演出家なんか必要ない。これは演劇ではない。

 極端な例をあげればこういう台本である。

A「ああ・・・(うなだれる)」
B「どうしたの?」
A「実はいじめられてるんだ。」
B「え?」
A「ぼく暗いし勉強できないし・・・。 みんなぼくのことをばかにするんだ。」
B「そんなことはないわ。先生に相談しようよ。」
A「先生も一緒になっていじめるんだ。」
B「だったら戦わなきゃだめよ。」
A「そんなことできないよ。」
B「あたしも手伝うから。」
A「うん・・・」

 ありえない会話である。これは極端な例だがこのような実際にはありえないようなセリフばかりなのだ。リアルな人間がまるで描かれない。これは演劇とは呼べない。もちろん大会で評価されるのはそれなりのレベルには達しているのだが、それでもプロの台本に比べれば薄っぺらい。

 高校演劇はほとんどプロの演劇人とからんでいない。高校演劇の顧問によって独自の世界を築き上げてきた。その結果、高校演劇の顧問のためのものとなってしまった。閉じた世界である。その世界にはまった人にはいいが、ほとんどの人は近づきたくない場所になってしまったのである。
 
コメント (3)
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