「山月記」と並んで中島敦の有名な短編小説に「名人伝」がある。この二つの小説の共通性を3つあげる。
① 漢文訓読調を使っている。
② 主人公が2人とも名誉欲の強い、向上心のある人である。
③ 現実にもありそうな舞台を描きながら、非現実的な状況に陥る様が描かれている。
1点目は中島敦という作家の大きな特徴である。彼の作品の中には漢文訓読調でないものもあるが、「李徴」や「弟子」など有名な作品が漢文訓読調であり、それが文体としての大きな魅力となっている。格調がありかっこいい。また、中国古典古典文学にはもともと怪異性が特色のものが多く、自然に不思議な世界に誘う効果ともなっている。
2点目は二人とも才能があり、努力をおしまない人間である。向上心は人一倍強い。違いは名人伝の主人公、紀昌は自分から師を求めたが、李徴はそれを求めなかった点である。それが物語の展開を大きく変えている。
3点目は李徴は虎になり、紀昌は弓も矢もなしに射る、つまり不射之射までできるようになる。このようなファンタジーは特に若い読者にとって大きな魅力であり、そこに自我を描くことによって魅力的な近代小説となっている。
自分にこだわり続けて李徴は虎になり、射にこだわり続けた紀昌はすべてのこだわりをなくし、自分に対するこだわりももはやなくなっている。ふたりはちょうど対照的な存在である。
① 漢文訓読調を使っている。
② 主人公が2人とも名誉欲の強い、向上心のある人である。
③ 現実にもありそうな舞台を描きながら、非現実的な状況に陥る様が描かれている。
1点目は中島敦という作家の大きな特徴である。彼の作品の中には漢文訓読調でないものもあるが、「李徴」や「弟子」など有名な作品が漢文訓読調であり、それが文体としての大きな魅力となっている。格調がありかっこいい。また、中国古典古典文学にはもともと怪異性が特色のものが多く、自然に不思議な世界に誘う効果ともなっている。
2点目は二人とも才能があり、努力をおしまない人間である。向上心は人一倍強い。違いは名人伝の主人公、紀昌は自分から師を求めたが、李徴はそれを求めなかった点である。それが物語の展開を大きく変えている。
3点目は李徴は虎になり、紀昌は弓も矢もなしに射る、つまり不射之射までできるようになる。このようなファンタジーは特に若い読者にとって大きな魅力であり、そこに自我を描くことによって魅力的な近代小説となっている。
自分にこだわり続けて李徴は虎になり、射にこだわり続けた紀昌はすべてのこだわりをなくし、自分に対するこだわりももはやなくなっている。ふたりはちょうど対照的な存在である。
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