とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

夏目漱石の「思い出す事など」を読んだ。

2022-11-08 07:27:30 | 夏目漱石
 夏目漱石のエッセイ「思い出す事など」を読んだ。新潮文庫の『文鳥・夢十夜』に収録された作品である。主に修善寺の大患のことが記されている。読むのに時間がかかったが、漱石の人生観の変化を理解するためには必読の作品であった。

 この作品は、1910年(明治43年)の修善寺の大患を描いている。漱石の前期3部作と後期3部作の中間の時期に書かれた。朝日新聞に掲載された。

 漱石は1910年(明治43年)6月18日から7月31日まで胃潰瘍で入院していた。退院後、門下の松根東洋城が北白川宮の避暑に随行して修善寺に行くことになり、漱石は養生のつもりで修善寺へ同行した。養生のために行ったはずの漱石の胃はむしろ悪化し、8月17日に吐血する。東洋城が東京へ連絡し、翌18日に医師が、19日に妻の鏡子が修善寺に到着。彼らの見守る中で8月24日に漱石は3たびの吐血をし危篤となった。その時漱石は30分の間「死んでいた」と書いている。幸いにその後回復に向かった。10月11日に東京の病院に移送され、翌年の2月26日に退院した。

 メモしておきたいことはたくさんある。しかし今回すべてここに書く余裕はない。一つだけ書き残す。

 七章にウォードの力学的社会学を紹介している。長いが引用する。

 「魯国の当局者ではないが、余もこの力学的という言葉には少なくからぬ注意を払った一人である。平成から一般の学者がこの一字に着眼しないで、あたかも動きの取れぬ死物の様に、研究の材料を取り扱いながら却って平気でいるのを、常に飽き足らず眺めていたのみならず、自分と親密の関係を有する文芸上の議論が、ことにこの弊に陥りやすく、又陥りつつある様に見えるのを遺憾と批判していたから、(略)」

 文学は生きている。動き続けたものを便宜上切り取ったものである。その文学を固定したものと考えて研究しても意味がない。そう漱石は指摘しているのだ、そしてそのテーマが生と死を間近にして、より前面に押し出されてきている。生きることの意味を考えずにはいられない部分である。
コメント
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