関西の大手企業社員である28歳の男性が、企業が採用のためインターネット上で実施している「適性診断テスト」に、謝礼を受け取って替え玉受験していたとして逮捕された。この事件にはさまざまな論点があるのはわかる。しかし一番大きな問題は、この事件について、こういう犯罪行為も当たり前のように行われていた、というようなことを言う人が見られることである。不正があるのは知っているが、それを悪いことだと思っていないという人がかなりの数いるということだ。
こういう感覚は、相次いで辞任した大臣たちにも共通するものだ。悪いことは悪いがみんなやってることなんだからしょうがない。そんな気持ちで不正を行っていた。いざ、表沙汰になってしまうと、誰も守ってくれなく、袋叩きに会う。
オリンピックの不正問題も同じだ。この程度の不正は日本では当たり前だし、どこの国だって誘致に莫大な裏金があるんだからしょうがない、という感覚なのだ。
これだけ不正が当たり前になっている世界では、正しいことをする人間は愚かに見える。ここまで乱れた社会では、まともな人間が自分を保てなくなる。