表題は今日の朝日新聞の「折々のことば」である。これについての鷲田清一さんの解説が次の通り。
家ではベンガル語、外では英語で話して育ったインド系米国人の作家は、祖国もなく、二つの言語のはざまで「揺れたり、歪(ゆが)んだり、隠れたり」するその不確かなありようこそが、自分の存在であったと言う。その引き裂かれを、虚(むな)しさから自由へと反転させようと、彼女はイタリアに移住し、第三の言語で表現することを選んだ。随想集『べつの言葉で』(中嶋浩郎訳)から。
生まれ育った土地のことばはその人の血となり肉となっている。これは方言でも当てはまる。大学時代とその後数年間、私は生まれ育った土地から離れ東京で暮らしていた。テレビやラジオの「おかげ」で東京弁にそれほど苦労はしなかったが、しかし、しゃべりなれていない東京弁は自分を見失うのに十分だった。今から考えれば「不完全」であったのだと思う。その後、生まれ故郷に近い場所に戻ってきた。しかし、やはり言葉は大きく違っていた。ここでも「不完全」なままだ。
日本人の多くは「不完全」なまま生活をする。本当に祖国を失っている人とは比べようもないレベルではあるが、多くの人は「祖国」を失い、そんな中で自分の場所をつくろうと必死に努力をしているのである。 それでも本当の自分を見失っているのではないかという苦しみはつきまとう。
ここにある「その引き裂かれを、虚しさから自由へと反転させ」るという発想は考えてもみなかった。私に勇気を与えることばである。
家ではベンガル語、外では英語で話して育ったインド系米国人の作家は、祖国もなく、二つの言語のはざまで「揺れたり、歪(ゆが)んだり、隠れたり」するその不確かなありようこそが、自分の存在であったと言う。その引き裂かれを、虚(むな)しさから自由へと反転させようと、彼女はイタリアに移住し、第三の言語で表現することを選んだ。随想集『べつの言葉で』(中嶋浩郎訳)から。
生まれ育った土地のことばはその人の血となり肉となっている。これは方言でも当てはまる。大学時代とその後数年間、私は生まれ育った土地から離れ東京で暮らしていた。テレビやラジオの「おかげ」で東京弁にそれほど苦労はしなかったが、しかし、しゃべりなれていない東京弁は自分を見失うのに十分だった。今から考えれば「不完全」であったのだと思う。その後、生まれ故郷に近い場所に戻ってきた。しかし、やはり言葉は大きく違っていた。ここでも「不完全」なままだ。
日本人の多くは「不完全」なまま生活をする。本当に祖国を失っている人とは比べようもないレベルではあるが、多くの人は「祖国」を失い、そんな中で自分の場所をつくろうと必死に努力をしているのである。 それでも本当の自分を見失っているのではないかという苦しみはつきまとう。
ここにある「その引き裂かれを、虚しさから自由へと反転させ」るという発想は考えてもみなかった。私に勇気を与えることばである。