とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

「平和になる」か「平和がなる」か

2018-12-07 18:05:51 | 1年前シリーズ
 いよいよ、来年4月に「平成」が終わる。天皇制の是非はともかく、今の天皇はとてもすばらしい人であることはよくわかる。この天皇にこの「平成」という元号がよく似合っている。そのことを1年前のブログで書いているので、以下再掲する。

 「平成」という元号について「平和に成る」という意味合いがあると説明する人がいる。もちろん目くじらを立てるほどのことではないが。その意味ならば「成平」となるはずである。動詞の前に連用修飾語(英文法でいう「補語」)がくることはないからだ。だから「平和が成る」と読むほうが自然である。

 ただし、もちろんそんな単純に説明していいものでない。新元号の発表時に説明された「平成」の名前の由来は、『史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」、『書経(偽古文尚書)』大禹謨の「地平天成(地平かに天成る)」からで「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味である。しかしいずれにしても「平和が成る」という意味であることには変わりない。

 そこで2つを並べて見ていただきたい。

 平和になる。
 平和がなる。

 前者はあくまでも受動的である。自分の意志とは関係なく、勝手に平和になったように感じられる。それに対して後者は能動的な印象を受ける。自らの働きかけによって「平和」が「実現した」という感じであろう。

 今の天皇は平和の実現を目指した活動をしてきた。特に高齢になってからの活動には目を見張るものがある。憲法の精神を象徴としての自らの活動によって示そうとしたように思う。われわれは「象徴天皇」と軽々しく言っているが、天皇陛下自身には深い思慮があったのだ。すばらしい人だ。

 まだ天皇として1年以上ある。これからも象徴天皇としての「平和が成る」ためのすばらしい活動を見つめていきたい。


 あと5か月で「平成」は終わる。少しでも「平和が成る」ように努力したい。
コメント
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