まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

福島に暮らし続けるということ

2011-10-14 12:58:38 | 生老病死の倫理学
福島大学を卒業して、今は関東の大学院で研究している方からメールを頂きました。
今度福島で、10月22日 (土) に原発問題で哲学カフェをやると知って、
自分は参加したいけれども参加できないのでと言って、
自分の身近で聞いた話を知らせてきてくださったのです。
ご本人の了承を得て、一部を引用してみたいと思います。


(以下、引用)

福大時代の友人が、そしてその多くが乳幼児を抱えて
福島で日々暮らし息をしております。
疎開した人もいれば、福島に留まり続ける人もいて
そしてそれぞれいろんな思いがあって。
疎開した友人にかける、あるいは求められる言葉と
福島に残る友人へのそれは正反対で。
二枚舌である自分がいます。

幼子を抱えて疎開した人は、自身が郷里を捨てた裏切り者ではないかと悩み
私のような福島の 〈ソト〉 にいる人間にその心境を吐露し
「子どものためにも、避難するってのはいい選択だったんじゃない?」
と、私がいうことを期待しているのがありありと伝わってきます。
そして、私がそういうと 「ほっとする」 「そうだよね」 と繰り返します。

避難をめぐって、家族 (特に舅・姑) やパートナーとの意見の相違に
苦しむ人もいます。
そういう福島に残っている人には
「むずかしいよね…」 とひたすら相槌を打っていたり。

放射線の健康への被害がどれくらいになるのか、
いろんなデータを見てみてもどれが妥当なのかよくわかりません。

いったいどうすればいいのか。何もできません。
アメニモマケズのでくのぼうのように、ただおろおろするばかり。
せめて、人の苦にならなければよいのですが。

けれども、忘れないこと、風化させないこと、水俣に学び
保障をどうしていくか水俣関係の仲間たちと虎視眈々と作戦を練ること。
それぐらいが、関の山。
考えること、福島を想うことはやめられないしやめるべきではない。
それが、今の自分の精一杯です。

ほんと、どうしたらよいのやら。
答えは出ませんが。

(引用終わり)


うーん、みんな悩んでいるんですね。
ぼくにも答えはありませんが、みんなで一緒にこの問題について考えられたらと思います。

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4 コメント

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Unknown (心配性なママ)
2011-10-17 21:40:17
本当に答えの出ない問題ですね。小さい子を抱える立場としては、福島に残る選択をしたことが果たして正しかったのか考え続けていくことになると思います。考えるととても苦しい問題です。最近は、ニュースで都会の放射線ホットスポットの話が出ており、除染が必要だと言っていましたが、福島県の値と比較するとまだまだ低いのですが…。福島県に住んでいる私たちはどうすればいいのでしょうか?本当の情報と正しい選択をするためのアドバイスが欲しいです。何を信じて、どんな行動をとればいいのでしょう…。
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考え続ける力 (まさおさま)
2011-10-19 05:43:26
心配性なママさん、コメントありがとうございました。
避難すべきか留まるべきかというのは、まったく望んでいなかったにもかかわらず、
福島県民に突然外から突きつけられた、究極の難問だと言ってよいでしょう。
特に小さなお子さんを抱えるご家庭にとっては、死活問題だろうと思います。
予防原則からするならば、少しでもリスクを回避して避難するというのが正しいのでしょうが、
東電や国が避難先での仕事や生活を保障してくれるあてはまったくありませんので、
とりあえず生きていくということを優先させると留まらざるをえないかもしれません。
しかし、その選択をしてもしも将来子どもの身になにか起きてしまったら、
悔やんでも悔やみきれないことになってしまいます。
そうなったとき東電や国に対して賠償請求するのは当たり前としても、
Mr.100ミリシーベルトの山下さんはきっとなんにもしてくれないでしょうし、
たとえ長い裁判の末にいくばくかの賠償金を得ることができたとしても、
失われてしまった健康は取り返しがつきません。
とはいえ、では現在の生活の基盤を捨てることはできるのか?
本当に難しい問題です。
私はよく学生たちに、現代においては正解のない問題を考え続ける力が必要なのだと言いますが、
今回は、まさに自分にもそうした力が本当に必要だということをいやというほど思い知らされました。
山下さんの罪は、専門家であるにもかかわらず、
あまりにも杜撰な安全論を展開してしまったために、
原子力専門家の言うことが何も信じられなくしてしまったことにあると言っていいでしょう。
もはやどれが正しい情報なのかまったくわからなくなってしまいました。
素人であるにもかかわらず、私たちが自分で考え続けるしかないのです。
ぜひ哲学カフェで素人どうし、みんなで額を寄せ合って考えてみましょう。
返信する
Unknown (ny)
2011-10-19 21:32:16
私は子どもの健康を最優先にして
避難しています。
しかし、避難後も子どもが他の家族と離れて寂しい思いをしているのを見ると、本当にこれでいいんだろうかと辛くなります。
数年後に何もなかったら「ちょっと大袈裟だったかな」で笑えるでしょうか。
もし逆に健康被害が出始めたら「避難しておいて良かった」と自分の子どもの事だけで喜べるでしょうか。
どちらを考えても、暫く辛いことが続いていくと考えてしまいます。
どうしたらこの後ろ向きな考えから脱却できるでしょうか。
お手紙の内容、全くそのとおりだと思いました。
返信する
ベスト選択不可知の法則 (まさおさま)
2011-10-20 22:57:23
nyさん、コメントありがとうございました。
お子さんの健康のことを考えると避難できるならば避難するに越したことはないと思いますが、
避難したからといってそれで万々歳というわけにはいかないんですよね。
家族が離ればなれになったり、住み慣れた家や土地から離れてしまうことになりますし、
福島に残っている知り合いのみんなのことを考えるとどうしても憂鬱になってしまいます。
離れたとしても残ったとしてもどっちにしても悔いが生じてしまうのですね。
私は以前に 「ベスト選択不可知の法則」 という文を書いたことがあります。
http://blog.goo.ne.jp/masaoonohara/e/d26dd3883d46f7526c131d328ec7493e
なにがベストの選択かはけっきょく誰にもわからないので、
あとは自分の選択を信じるしかないのだろうと思います。
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