まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

〈ともだち〉 は100人もできない

2011-06-27 07:24:38 | 教育のエチカ
土曜日に第2回 「てつがくカフェ@ふくしま」 が開催されました。
今回のテーマは 「〈ともだち〉 とは誰か?」。
第1回と同じく14名の参加者を得て、熱い議論が交わされました。
とても楽しかったし、とても多くの気づきを得ることができました。
議論の内容は 「てつがくカフェ@ふくしま」 のブログにアップされていますので、
そちらをご覧ください。
私もいろいろと 〈ともだち〉 に関して考えさせられましたが、
今日はそのなかでも一番考えの深まった点について。

昨年度、仙台での書評カフェで雨宮処凜 『ともだち刑』 を読んで語り合って以来、
女の子たちの 〈ともだち〉 関係って想像を絶して過酷なものだなあと思っていましたが、
今回の女性参加者の皆さんからも、
やはりリアルに厳しい 〈ともだち〉 付き合いの実態が語られました。
最初に自己紹介も兼ねて簡単に 〈ともだち〉 に関するイメージや問題意識を話してもらいましたが、
女子校出身の方々からはどちらかというとネガティブな言葉しか出てきません。
それはどうも男子の一般的な捉え方とはちょっと違っているようです。
そのあたりを語り合うなかで、年長の女性参加者からは、
やはり自分も学校時代は 〈ともだち〉 付き合いで悩むことが多かったけれど、
社会人になってからその呪縛がだんだん薄れてきたようだという経験談が語られました。
これには関連する意見がいくつか出され、私もなるほどなあと思いました。

子どもから大人になるにつれて 〈ともだち〉 関係は変化していくのだ、
というのが今回一番学びが深まった点でした。
あるいは、これも今回の議論のなかで明らかになってきた概念の区別を用いて言うと、
子どもにとっては何でもかんでも 〈ともだち〉 ですが、
大人になると、〈仲間〉 と 〈ともだち〉 と 〈親友〉 を区別するようになると言えるかもしれません。
〈仲間〉 とは同じ目的を共有している人たちのことです。
〈仲間〉 というとプラスの価値を含んでいるかもしれないので、
〈同僚〉 くらいのほうが価値中立的でいいかもしれませんが、
学校時代の同じクラスや同じ部活の人たちなんかをイメージしていますので、
ここでは 〈仲間〉 と名づけておくことにします。
人はまったく無関係な人と知り合うことはできませんから、
最初はまず 〈仲間〉 としての人間関係が作られていきます。
〈仲間〉 というのは目的が共有されているあいだだけ存続します。
学校や部活を卒業してしまうとそれっきりになってしまう人たちというのは、
実は 〈ともだち〉 ではなくただの 〈仲間〉 だったということになります。
部活の 〈仲間〉(特に体育会系の部活仲間) とは相当濃厚な付き合いになりますので、
〈仲間〉 と 〈ともだち〉 の違いはわかりにくいかもしれませんが、
クラスメイトであれば、授業を一緒に受けているからといって、
ただちに 〈ともだち〉 であるわけではないというのはわかりやすいかもしれません。

〈仲間〉 との対比で言うと、その共有している目的とは離れて、
あるいは、目的が解消してしまった後でも付き合えるのが 〈ともだち〉 です。
社会に出て働き始めると、〈仲間〉(=同僚) と 〈ともだち〉 の区別はクリアになります。
しかし、学校時代というのは閉鎖的な空間ですので、
〈仲間〉 と 〈ともだち〉 の区別がはっきりしていません。
特に小学校の低学年において、教師の指導の下にクラスメイトはみな 〈ともだち〉 である、
〈ともだち〉 でなければならないみたいな価値観が押しつけられますので、
子どものなかになかなか 〈仲間〉 と 〈ともだち〉 の区別が育っていきません。
「♪1年生になったらともだち100人できるかな♪」 という歌も罪作りだと思いますが、
よく考えてみると、普通の人であれば 〈ともだち〉 が100人もできるわけないのです。
人間関係には濃淡があるはずで、〈仲間〉 や 〈知り合い〉 なら100人いてもいいですが、
〈ともだち〉 がそんなにいたら身がもたないでしょう。

〈ともだち〉 のなかでも特に親しい人が 〈親友〉 です。
〈親友〉 の定義のなかに 「排他性」 (=私たちだけ) を含めるべきかどうか、
私はまだ考えが定まっていませんが、
とにかく、相手のことをものすごく信用していて、
たんに一時的ではなく一生付き合っていけそうな人が 〈親友〉 でしょう。
〈親友〉 と呼べる相手はごくごく少数だけのはずです。
女性参加者の方々にはだいたい皆さん 〈親友〉 がいらっしゃるようでしたが、
男性参加者のなかには 「ぼくには親友はいないなあ」 と言う人が多かったです。
いずれにせよ、〈ともだち〉 と 〈親友〉 も区別されるべきだと思いますが、
女子校の人間関係のなかでは、
〈ともだち〉 という言葉は 〈親友〉 というぐらいの強い意味で用いられているようでした。
そこでは明らかに排他性が含意されており、
○○ちゃんと 〈ともだち〉 である場合、△△ちゃんとは遊んではならない、
というような拘束性が生じてくるのだそうです。
これに反した場合、嫉妬が生まれ、そこから 「ハブ」 とか 「いじめ」 に発展するのだそうです。

私などは、〈親友〉 なんて作ろうとして作るものではなく、
長い付き合いのなかでだんだん誰が自分にとって 〈親友〉 であるのかがわかってくる、
というようなものなんだろうと思うのですが、
子どもたちにとっては、〈仲間〉 と 〈ともだち〉 と 〈親友〉 が全部いっしょくたで、
「ともだち作り」 という言葉の下にそれらを 「作らなければいけない」 と思い込まされている、
というのが今の日本の子どもたちの不幸の元凶のような気がします。
子ども時代はとりあえず 〈仲間〉 と 〈ともだち〉 さえいればいいと思います。
そして 〈ともだち〉 だって 〈仲間〉 のなかから自然とできてくるのですから、
親や教師をはじめとする大人たちは、ともだちを作ることを推奨するのでなく、
むしろただの 〈仲間〉 との付き合い方を教えてあげるべきではないでしょうか。
ともだち作りの呪縛から解放してあげることが、子どもの教育にとって何よりも重要ではないか、
なんていうことを哲学カフェの本題からは外れていますが、ボーッと考え続けていました。

とりあえず今現在 「ともだち付き合い」 のことで悩んだり、苦しんだりしている
小中高校生のみんなには (大学生も含む?)、
もしも悩んだり苦しんだりしなければいけないような人間関係なら、
そもそもそれは 〈ともだち〉 ではないのかもしれないよと言ってあげたいですし、
また、今はその悩みが人生のなかでなによりも重要なことのように思えるかもしれないけれど、
大人になれば実はけっしてそんなことはなかったのだということがわかるはずで、
長い時間をかけて 〈ともだち〉 や 〈親友〉 は自然とできてくるのだから、
今の段階で、ともだちがいないとか、ともだちを失いそうなんていうことを、
あまり深刻に悩まなくてもいいんだよ、と言ってあげたいと思います。


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2 コメント

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わかりやすかったです (すずめ)
2011-07-03 10:00:03
鮮やかな、腑に落ちる説明ありがとうございます。
私も、「仲間」と「ともだち」を分けて考えることは意外としたことがなかったかもしれません。
呪縛を感じている若い皆さんには福音になる気がしますがいかがでしょうか。
現実を変えるのはなかなか難しくても、考え方を変えるとちょっと楽になることは多々ありますから。
ところで、まさおさまの足ですが、新たな展開に心配しています。
奔放な飲みができなくなるっ!?
お大事にしてください。
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仲間付き合い (まさおさま)
2011-07-03 10:49:50
すずめさん、コメントありがとうございました。
ともだちと仲間の違いについていいテキストを発見してしまったので、
簡単な続報を書くつもりです (スタックしているお仕事が片づいたら…)。

痛風というのには驚きました。
Tさんにはいいことを教えていただきました。
次回のてつがくカフェはTさんにも来ていただける日程にしたいと思います。
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