まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

ダンクシュートっておかしくない?

2010-12-26 23:13:27 | 人間文化論
各スポーツの根幹 (構成的ルール) について最近よく考えていますが、
今日はバスケットボールの構成的ルールについて考えてみたいと思います。
そのうちのひとつはドリブルでしょう。
つまり、ボールを持って走ってしまってはいけなくて、
バウンドさせながら運んでいかなくてはいけないというルールです。
しかし、それよりも重要なのは、バスケットボールというネーミングに表されているように、
駕籠に向かってボールを投げ入れるという点だろうと思います。
小学校や中学校の頃、バスケットボールを練習するときに一番がんばったのは、
シュート練習でしたよね。
あの高いところにある駕籠に上手くボールを投げ入れられるようにと、
何度も何度も練習したじゃないですか。
桜木花道も2万本のシュート練習をしていましたね。
あれこそバスケットボールの神髄だと思うのです。

それに比べてダンクシュートですが、
私が幼かった頃にはそもそもそんなワザはなかったように思います。
初めて見たときはたしかにカッコイイなあと思いましたが、よく考えてみると、
ジャンプするとはいえ、ボールを手に持って駕籠の上から叩き込むというのは、
どうもバスケットボールの根幹に反しているように思えてならないのです。
バスケットボールの駕籠は、どんなに背が高い人が大ジャンプをしても、
ゼッタイに届かないぐらいの高さにあるべきではないでしょうか?
バレーボールのネットが、背の高い人ならジャンプしなくても、
手のひらが上に出てしまうくらいの高さだったとしたら、
バレーボールのバレーボールらしさは失われてしまわないでしょうか。
もしもそうならただひたすら背が高くて腕が長い人だけを集めてきて、
ナショナルチームを作ることになってしまうでしょう。
もっとわかりやすい例で言うと、昔のツービートの漫才にありましたが、
野球でべらぼうに背が高くて腕の長い人がピッチャーをやって (漫才ではジャイアント馬場)、
ふりかぶって第一球を投げたら、ピッチャーマウンドからキャッチャーまで手が届いて、
ボールを直接キャッチャーに手渡すことができてしまうなんていうことになったら、
もうどんなバッターでも手も足も出なくなってしまいます。
投げられたボールを打つという野球の醍醐味がまったく失われて、
ただひたすらその手渡しピッチャーの完全試合を見せられるなんて、
打つほうも見るほうも何も面白くなくなってしまうでしょう。
ダンクシュートってなんかそれぐらいおかしなワザのような気がするのです。

今では、ほとんどジャンプせずにダンクシュートを決められる人がいるみたいです。
身長2m31cmだそうです。
こうなったらもうお手上げじゃないですか。
彼はたぶん2万本のシュート練習なんてしなかったでしょう。
(実際、バスケットに向かって投げ入れるのは下手っぽいです。)
彼はバスケットボールをやっていて楽しいのでしょうか?
彼と対戦する人たちは、
ジャイアント馬場相手のバッターが感じるような空しさに襲われたりはしないのでしょうか?
バスケットボールの神髄を楽しむためには、やはりどんなに背が高い人でも
ボールを投げ上げなきゃいけないくらいバスケットを十分高くするか、
あまりにも身長の高い人は排除するか、
それではかわいそうなので、身長による階級を設けるか、
(チェ・ホンマン級とかトム・クルーズ級など、それぞれの級によってゴールの高さを変える)
なんらかの対策を講じる必要があるように思うのです。
バスケットボールの構成的ルールは、
高いところにある駕籠にボールを投げ入れて点を競うというところにあり、
したがって、投げずに点を入れることはできないようにするべきだ、
というのが今日の私の主張でした。
バスケットボールをやっている人や、
バスケットボールをこよなく愛しているファンの皆さまのご意見をお待ちいたします。


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