まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.安楽死について先生はどう思いますか?

2014-10-03 17:42:26 | 生老病死の倫理学
今日、看護学校では 「死なせてあげるべきか?」 というテーマで安楽死について考えてもらいました。
特に郡山ではあまりじっくり私の考えを話す時間がなかったので以下のような質問を頂戴しました。

「Q.安楽死は医療行為によって死をもたらすものと考えたらなんだかジレンマを感じました。
   医療を行う人は、人を助けなくてはいけないのに、殺してもいいのかと思ってしまったからです。
   先生はどう考えますか、教えてください。」

たいへん難しい問題です。
私自身まだ答えを出せていません。
医療者が安易に人を死なせていいはずがありません。
そういう意味では消極的安楽死 (=尊厳死) も積極的安楽死も推奨される事柄ではないでしょう。
しかしながら、高度医療が発達してしまった現代において、
昔のように簡単に死ねなくなっているということも事実ですので、
そういう状況のなかで一律に禁止してしまえばいいというものでもないような気がします。
本当に難しい問題だと思います。
当面は1995年の東海大学安楽死事件の判決に見られるように、
厳しい条件をクリアした場合にのみ違法性を阻却する (法的に認める) というあたりが、
妥当な線なのではないかと思っています。

みんなには2つの安楽死と自殺との関係を考えて図に表すというワークをしてもらいました。
そのときにちらっと私の意見を言いましたが、
私は安楽死と自殺はそれぞれ別個のカテゴリーとして分けて考えるべきだと思っています。
安楽死というのは、重篤な病気にかかって死を免れず死期も迫っている人が、
現代の医療によって生や苦痛を引き延ばされるのを拒み、
医療者によって自然な死や安楽な死をもたらしてもらうことを選ぶ、
「死に方の選択」 の問題であると考えています。
それに対して自殺というのは、まだ生きることのできる人が自らの手で死を選んでしまう、
「死の選択」 であり、安楽死とはまったく意味が違ってくるだろうと思うのです。

もちろん以上はあくまでも私の考えにすぎず、
倫理学者・哲学者のなかにも私とは異なる考え方をする人もいます。
自殺というのは 「死ぬ権利」 の行使であり、消極的安楽死も積極的安楽死も同様に、
「死ぬ権利」 の行使としての自殺の一種であって、
自らの手によって自殺できない状況にある者が医療者の手を借りて自殺を行う自殺幇助である、
と考える人たちがいるのです (ウィキペディアでも自殺幇助であると説明されています)。
私としてもそういう考え方もありうるなあとは思いますが、
しかし、そもそも 「死ぬ権利」 というものを認めたくないと私は思うのです。
人間には 「死ぬ権利」 があるのではなく、自殺というのは 「生きる権利」 の放棄だと思うのです。
消極的安楽死や積極的安楽死は 「死ぬ権利」 の行使や 「生きる権利」 の放棄ではなく、
死を免れえない者がどうやって死ぬかを選び取る 「死に方の選択」 にすぎないと思うのです。
そう解釈する場合にのみ医療者が安楽死に関与することが許されるのではないかと思うのです。

ただし、このような私の考え方はもう古いのかもしれません。
世界の安楽死先進国はもうずっと先に行ってしまっています。
私は死なせるための処置 (致死量の薬物投与) をする積極的安楽死に関しては、
ペインコントロールによっても除去しえない肉体的苦痛が現にある場合にのみ認められるべきだと思っていますが、
スイスやベルギーなどは肉体的苦痛がなくとも精神的苦痛による積極的安楽死を認めています。
最近ではこんなニュースが飛び込んできました。

「受刑者の安楽死認める ベルギー、強姦致死などで収監」 (朝日新聞デジタル 2014.9.22 → 保存用

強姦致死罪などで終身刑に服している受刑者が耐えがたい精神的苦痛による安楽死を求め、
これが控訴審で認められ、近いうちに病院に移送されて安楽死を受けることになったというのです。
うーん。
こんなことでいいのでしょうか?
これはもう完全に自殺幇助ですよね。
医療者がこんなことに手を染めていいのでしょうか?
彼はたぶん病院に入院すらしていませんでした (病気ではないので)。
そんな人をわざわざ病院に移送して医療者が手を下すのですか?
医療ってそういうことでいいのでしょうか?
この人は元気なんだろうから、そこまで望むのなら自分で自殺すればいいのに…。
いや、自殺もいけないんですが、
こんなことのために他人を (しかもお医者さんを) 巻き込まなくてもいいのにと思ってしまいます。
こんな記事もありました。

「自殺ツーリズム 安楽死を求めてスイスへ渡航する人が急増」

こちらは最近のニュースというよりも研究論文の紹介で、
2008年から2012年のあいだに、
安楽死を求めてスイスへ渡航した人が600人以上いたという話題です。
研究論文のタイトルが 「自殺ツーリズム」 ですから、
完全に安楽死は自殺の一種ということになってしまっています。
まだまだ世界的に見ると積極的安楽死が大っぴらに認められている国は少数派ですが、
今後増えていきそうな気配は感じられます。
はたしてこの問題、今後どうなっていくのか注意深くウォッチしておきたいと思います。
それとともに自分としても、最期は安楽に死にたいという願望は理解できるものの、
そのために医療者を巻き込んでしまっていいのかについてさらに考え続けていきたいと思います。
というわけで今回は解答は保留ということにさせていただきます。

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