「人間は本能の壊れた動物である」という私の大好きなネタがあるわけですが、
その元には「人間早産仮説(生理的早産説)」という理論があります。
あくまでも仮説であって真偽のほどは定かではないのですが、
この話けっこう好きで、講演やら授業やらあちこちで話しまくっています。
今回、新型コロナウィルスの影響ですべての授業を遠隔でやらなきゃいけなくなって、
ブログのどこかに書いてなかったかなあと思って探してみたんですが、
どこにも見当たらなかったのでここに書き下ろしておきます。
人間早産仮説の前にサルから人間への進化の話を書いておかなくてはなりません。
サルは森の中、樹の上で生活するのに適したように進化を遂げてきました。
森の中、樹の上はサルにとってパラダイスです。
木の実や木の芽など食料はいくらでもありますし、
天敵は樹の上までやってきません。
森の中、樹の上で生活している限り、サルはずっとサルのままでいたことでしょう。
しかし氷河期がやってきて、森がどんどん失われていくと、
サルは森から出て狩りをしなくてはいけなくなりました。
それはまさにサルにとって存続の危機でした。
サルは狩りに適した進化を遂げていなかったので、
遺伝により生まれ持って与えられた身体能力だけでは狩りがうまくできないのです。
普通はそうした場合絶滅してしまうわけですが、
彼らは身体能力を補うために道具を使い、集団行動するために言語を発達させました。
それによって絶滅の危機を逃れたわけで、
しかも道具や言語を用いることによって脳が異様に発達していきました。
こうして森から出たサルは脳の発達によって人間へと進化を遂げ(サルから枝分かれし)、
高度な知能を手に入れ、地球上で最も優れた動物として君臨することになります。
ここまでは何となく皆さん聞いたことがあるでしょう。
本当はここに二足歩行の話とかも絡んでいるし、
ニワトリが先か卵が先か(道具・言語の使用が先か脳の発達が先か)の問題もあって、
もうちょっと詳しい説明が必要なんですが、それは置いておきましょう。
ここまでは人間にとって万々歳のバラ色のお話に聞こえるかもしれませんが、
実は脳が発達するというのはいいことばかりでなくて、困った問題をもたらします。
脳は頭蓋骨によって守られています。
脳が大きくなるということは頭が大きくなるということです。
頭が大きくなって困るのは出産のときです。
他の身体の部分は柔らかいので何とかなるのですが、
頭は頭蓋骨があるのでそのままの大きさで産道を通らなければなりません。
頭が大きくなりすぎると出産のときに母親の産道が破裂してしまうのです。
実は人間の出産をめぐっては大きな謎がありました。
人間の赤ちゃんは他の動物の赤ちゃんに比べて、
産まれてきたときなんであんなに何もできないのだろうという謎です。
他の動物は、例えば魚やイカ等だったら産まれた瞬間に泳ぎ回りますし、
哺乳類だって産まれた瞬間に4本脚で立ち上がります。
それに対して人間の赤ちゃんは立ち上がるどころか這うことすらできません。
その状態が何ヶ月も続きますし、立ち上がって歩くには1年以上の時間が必要です。
オギャーオギャー泣くだけでまったく動くことのできない動物なんて、
他の動物のいい餌食です。
なぜ人間の赤ちゃんは動物としてあんなにも無能な状態で産まれてくるのでしょうか?
これを説明するために考え出されたのが「人間早産仮説」です。
頭(=脳)は大きく育ってもらいたいけれど、
大きくなりすぎて母親が1人めを出産すると同時に亡くなってしまっては困る。
それを回避するために人間は他の動物に比べて早く産まれてきているのではないか。
他の動物のように産まれた瞬間に動き回れるようになるためには、
本当はあと1年くらい母親のお腹の中で成長していなければならないのだが、
そんなにいたら確実に産道が破裂してしまう。
だから人間は赤ちゃんが完全に成長しきらないうちに産むようになり(=生理的早産)、
そのために人間の赤ちゃんはあんなにも無能のまま産まれてきているのではないか。
それが人間早産仮説です。
この人間早産仮説に基づいて20世紀の半ばくらいから唱えられるようになったのが、
「人間は本能の壊れた動物である」という理論です。
人間の赤ちゃんはみな早産で、
本能がきちんと出来上がる前に産まれてきてしまっているために、
人間はみな本能が壊れているのだ、というのです。
私は大学生のときにこの理論を知ったのですが、
初めて読んだときはものすごくショックを受けました。
私も当時は人間は地球上で最も高等な動物だと信じていましたから。
しかし、読めば読むほど、考えれば考えるほど、
たしかにその通りだなと納得せざるをえませんでした。
本能が壊れているというのは、本能がないということではありません。
本能はいちおうあるのだけれど、それがきちんと自然の目的と結びついていない、
というのが「本能が壊れている」ということの意味です。
それについては次のブログをお読みください。
とりあえず「森から出たサル」から「本能の壊れた動物」までのところは以上です。
その元には「人間早産仮説(生理的早産説)」という理論があります。
あくまでも仮説であって真偽のほどは定かではないのですが、
この話けっこう好きで、講演やら授業やらあちこちで話しまくっています。
今回、新型コロナウィルスの影響ですべての授業を遠隔でやらなきゃいけなくなって、
ブログのどこかに書いてなかったかなあと思って探してみたんですが、
どこにも見当たらなかったのでここに書き下ろしておきます。
人間早産仮説の前にサルから人間への進化の話を書いておかなくてはなりません。
サルは森の中、樹の上で生活するのに適したように進化を遂げてきました。
森の中、樹の上はサルにとってパラダイスです。
木の実や木の芽など食料はいくらでもありますし、
天敵は樹の上までやってきません。
森の中、樹の上で生活している限り、サルはずっとサルのままでいたことでしょう。
しかし氷河期がやってきて、森がどんどん失われていくと、
サルは森から出て狩りをしなくてはいけなくなりました。
それはまさにサルにとって存続の危機でした。
サルは狩りに適した進化を遂げていなかったので、
遺伝により生まれ持って与えられた身体能力だけでは狩りがうまくできないのです。
普通はそうした場合絶滅してしまうわけですが、
彼らは身体能力を補うために道具を使い、集団行動するために言語を発達させました。
それによって絶滅の危機を逃れたわけで、
しかも道具や言語を用いることによって脳が異様に発達していきました。
こうして森から出たサルは脳の発達によって人間へと進化を遂げ(サルから枝分かれし)、
高度な知能を手に入れ、地球上で最も優れた動物として君臨することになります。
ここまでは何となく皆さん聞いたことがあるでしょう。
本当はここに二足歩行の話とかも絡んでいるし、
ニワトリが先か卵が先か(道具・言語の使用が先か脳の発達が先か)の問題もあって、
もうちょっと詳しい説明が必要なんですが、それは置いておきましょう。
ここまでは人間にとって万々歳のバラ色のお話に聞こえるかもしれませんが、
実は脳が発達するというのはいいことばかりでなくて、困った問題をもたらします。
脳は頭蓋骨によって守られています。
脳が大きくなるということは頭が大きくなるということです。
頭が大きくなって困るのは出産のときです。
他の身体の部分は柔らかいので何とかなるのですが、
頭は頭蓋骨があるのでそのままの大きさで産道を通らなければなりません。
頭が大きくなりすぎると出産のときに母親の産道が破裂してしまうのです。
実は人間の出産をめぐっては大きな謎がありました。
人間の赤ちゃんは他の動物の赤ちゃんに比べて、
産まれてきたときなんであんなに何もできないのだろうという謎です。
他の動物は、例えば魚やイカ等だったら産まれた瞬間に泳ぎ回りますし、
哺乳類だって産まれた瞬間に4本脚で立ち上がります。
それに対して人間の赤ちゃんは立ち上がるどころか這うことすらできません。
その状態が何ヶ月も続きますし、立ち上がって歩くには1年以上の時間が必要です。
オギャーオギャー泣くだけでまったく動くことのできない動物なんて、
他の動物のいい餌食です。
なぜ人間の赤ちゃんは動物としてあんなにも無能な状態で産まれてくるのでしょうか?
これを説明するために考え出されたのが「人間早産仮説」です。
頭(=脳)は大きく育ってもらいたいけれど、
大きくなりすぎて母親が1人めを出産すると同時に亡くなってしまっては困る。
それを回避するために人間は他の動物に比べて早く産まれてきているのではないか。
他の動物のように産まれた瞬間に動き回れるようになるためには、
本当はあと1年くらい母親のお腹の中で成長していなければならないのだが、
そんなにいたら確実に産道が破裂してしまう。
だから人間は赤ちゃんが完全に成長しきらないうちに産むようになり(=生理的早産)、
そのために人間の赤ちゃんはあんなにも無能のまま産まれてきているのではないか。
それが人間早産仮説です。
この人間早産仮説に基づいて20世紀の半ばくらいから唱えられるようになったのが、
「人間は本能の壊れた動物である」という理論です。
人間の赤ちゃんはみな早産で、
本能がきちんと出来上がる前に産まれてきてしまっているために、
人間はみな本能が壊れているのだ、というのです。
私は大学生のときにこの理論を知ったのですが、
初めて読んだときはものすごくショックを受けました。
私も当時は人間は地球上で最も高等な動物だと信じていましたから。
しかし、読めば読むほど、考えれば考えるほど、
たしかにその通りだなと納得せざるをえませんでした。
本能が壊れているというのは、本能がないということではありません。
本能はいちおうあるのだけれど、それがきちんと自然の目的と結びついていない、
というのが「本能が壊れている」ということの意味です。
それについては次のブログをお読みください。
とりあえず「森から出たサル」から「本能の壊れた動物」までのところは以上です。