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まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

ガンディーの日本人へのメッセージ

2015-12-03 17:23:14 | グローバル・エシックス
本日は 「戦争と平和の倫理学」 でガンディーの非暴力抵抗思想/運動について講義してきました。
授業ではA4×4枚分のプリントを配付して、ガンディーの生涯や彼の言葉を紹介しています。
ガンディーは自分で創刊した 『ハリジャン』 という雑誌に、
わりと短めの文章をものすごくたくさん投稿しているのですが、
その大量の文書からどれをセレクトしてくるのか、自分のセンスが試されるところです。
このプリントを初めて作成したのは2003年ともう12年も前のことで、
それ以来、誤植の訂正をしただけでずっと同じセレクトで今日に至っているようです。
教師の怠慢という評価も可能かもしれませんが、私としては相当気に入っているんでしょうね。
今日も自分で音読しながら、何度か泣きそうになるのをグッとこらえなければいけませんでした。
プリントに載せているのはたった4つだけですが、そのうちの一番長い記事を転載しておきます。
1942年、太平洋戦争のまっただ中、日本がインドに侵攻してくるかもしれないという時期に、
ガンディーがすべての日本人に向けて書いたメッセージです。
当時のインドはイギリスの植民地支配下にあり、
ガンディーは対英独立運動を非暴力の形で繰り広げていました。
日本はあの時も、そして現在においても、
あの戦争はアジア諸国を植民地支配から解放するための戦争だったのだと、
正当化し美化しようとしていますが、
アジアの側から見て日本がどう見えていたのかをとても端的に表現した文章だと思います。
そして、この文章そのものが非暴力コミュニケーションのお手本ともなっています。
ぜひすべての日本人にとくと味わっていただきたいと思います。


「すべての日本人に」(『ハリジャン』1942.7.18.)

「まずはじめに言わせてもらえば、わたしはあなたがたにいささかの悪意も持っていません。けれどもわたしは、あなたがたが中国に加えている攻撃を非常にきらっています。あなたがたは崇高な高みから帝国主義的野心にまで降りてきてしまいました。あなたがたは、野心の達成には失敗してアジア解体の張本人となり、知らず知らずのうちに世界連邦と、同胞関係をさまたげることになりましょう。同胞関係なしの人間は、いっさいの希望をもてなくなってしまうのです。
 今から五十年前、わたしは十八歳の青年で、ロンドンに行って勉強していました。そのときからのことですが、わたしは、今は故人になったサー・エドウィン・アーノルドの著作を通じ、あなたがたの民族のたくさんのすぐれた資質を知って、尊敬を払うようになりました。わたしは南アフリカで、あなたがたがロシアの武器に対して輝かしい勝利をおさめたことを知って感動しました。
 1915年に、南アフリカからインドに帰ってきたわたしは、日本人の仏教僧侶と非常に親しくなりました。彼らはときおり、わたしたちの道場の一員として生活をともにしました。彼らの一人は、セワグラムにある道場の貴重な一員になりました。彼の、義務に対する勉励ぶり、堂々とした振る舞い、欠かしたことのない日ごとの礼拝、ていねいな物腰、状況の変化に少しも動じないりっぱな態度、そして内心の平和の証である自然の笑顔、これらのことでわたしたちみんなが彼を愛しました。そして今日、あなたがたがイギリスに宣戦をしたおかげで、彼はわたしたちのところから連れ去られました。わたしたちは一人の親愛な協働者をなくしてしまったのです。彼は記念として、自分が毎日唱えていた経文と小さい太鼓を残してくれました。この太鼓の音とともにわたしたちの毎朝毎晩の祈りが始まったものでした。
 こうした楽しい回想を背景にもっていたので、あなたがたが、わたしには理由のないものに思われる攻撃を中国に加えたこと、そして報道が正確だとすれば、あの偉大な、そして古くからの国を無慈悲に荒らしてしまったことを思い出すたびに、わたしは非常に悲しく思います。
 あなたがたが、世界の強国と肩を伍したいということは、あなたがたのりっぱな野心でした。けれども、あなたがたの中国に対する侵略と、枢軸国との同盟は、正当とはいえない、度を越した野心でした。
 あの古い国の人々は、あなたがたが、自分のものとしている古典の文芸の所有者であり、あなたがたの隣人です。この事実にあなたがたは誇りを感じているのではないか、とわたしは思っていました。お互いの歴史、伝統、文芸の理解は、あなたがたを友人として結びつけこそすれ、今日のように敵方に回すことはないはずでした。
 もしわたしが自由の身であったならば、そしてわたしは弱ってはいるけれども、もしあなたがたの国に行くことが許されるならば、あなたがたの国へ行って、中国に対し、世界に対し、したがってまたあなたがた自身に対して行っている暴行をやめるように懇願しましょう。そのためにわたしの健康が、いや生命がそこなわれても意に介しません。だが、わたしはそのような自由をもっていません。
 さらにわたしたちは、あなたがたやナチズムに劣らずわたしたちがきらっている帝国主義国に反抗しなくてはならないという、特殊な立場にあります。帝国主義に対するわたしたちの反抗は、イギリスの人々に危害を加えるという意味ではないのです。わたしたちは彼らを改心させようとしています。イギリスの支配に対する非武装の反乱です。今、この国の有力な政党が、外国人の支配者と決定的な、しかし友好的な闘いを交えています。しかし、このことで、外国からの援助を必要としてはいません。あなたがたのインド攻撃がさし迫っているという特定の瞬間をねらってわたしたちが連合国を困らせているのだというように、あなたがたは聞かされているということですが、それはたいへんまちがった情報です。もしもわたしたちが、イギリスの苦境を乗ずべき好機にしようと欲しているのならば、三年前、この大戦が始まったときに、すでにわたしたちは行動していたはずです。イギリス勢力の撤退を要求する運動を、けっして誤解してはいけません。事実、報道されるように、あなたがたがインドの独立を熱望しているならば、イギリスによってインドの独立が承認されることは、あなたがたにインドを攻撃させるいかなる口実もいっさいなくしてしまうはずです。さらに、あなたがたの言うことは、中国に対する無慈悲な侵略と一致していません。
 わたしは要請したい。もしも、インドから積極的な歓迎を受けるだろうと信じようものなら、あなたがたはひどい幻滅を感ずるという事実について、けっしてまちがえないようにしてください。イギリス勢力の撤退を要求する運動の目標とねらいは、インドを自由にして、イギリス帝国主義であろうと、ドイツのナチズムであろうと、あるいはあなたがたの型のものであろうと、すべての軍国主義的、帝国主義的野心に反抗する準備をインドに整えさせるためです。
 もしわたしたちがそういう行為に出なければ、わたしたちは世界の帝国主義化をただ傍観している見下げた奴に堕落してしまうでしょうし、また、非暴力こそ軍国主義的精神と野心とに対するただ一つの解毒剤であるとする、わたしたちの信念を無視することになってしまうでしょう。
 イギリスやアメリカに対しては、わたしたちは正義の名において、彼らの公言したことの証拠として、また彼ら自身の利益のために訴えを行いました。あなたがたに対しては、わたしは人間性の名において訴えます。情け容赦をしない戦争というものがだれの独占物でもないことを、あなたがたが知らないとは思われません。たとえ連合国でなくとも、どこかほかの強国があなたがたの使った方法を改善し、そしてあなたがた自身の武器であなたがたに打ってかかってくることは確かなことです。かりにあなたがたが勝利するにしても、あなたがたの民衆には、誇りとするような遺産は残されはしないでしょう。手際よく達成されはしても、残虐な行為の演奏に誇りを感じることはできないでしょう。
 かりにあなたがたが勝つにしても、それは、あなたがたが正しかったということの証明にはならないでしょう。それは、あなたがたの破壊力が強かったことを証明するばかりです。このことはまた、連合国がインドを自由にし、このインドの解放を、アジアおよびアフリカにおけるすべての従属民族を同じように解放する前ぶれや約束にする、というような、公正で正当な行為をしないかぎり、連合国にもあてはまることです。
 イギリスに対するわたしたちの訴えといっしょに、連合国に対して、彼らの軍隊をインドに駐屯させてよい、とする自由インドの意向が表明されています。この表明が行われたのは、わたしたちに連合国の大義を傷つける意志の毛頭ないことを明らかにするためと、イギリスが撤退したあとの国土に入り込みたくなる誘惑を、誤ってあなたがたが持たないようにするためでした。もしもあなたがたが、なにかそのような考えをいだいて実行に出るならば、わたしたちは、全力をあげて、必ずあなたがたに抵抗するでしょう。
 わたしがあなたがたに対して訴えを行ったのは、わたしたちの運動が、あなたがたやあなたがたの仲間に正しい方向に進むように影響を及ぼすかもしれない、また、あなたがたの道徳的崩壊と人間のロボット化に終わるにちがいない進路から、あなたがたや仲間をはずさせてやりたいという一念からでした。わたしの訴えに対して、あなたがたに答えてもらえる期待は、イギリスから答えをもらうよりもずっとかすかです。イギリスは正義の感覚に欠けていないし、また彼らはわたしを知っていると思われます。わたしは、あなたがたを判断できるほど十分に知ってはいません。わたしがこれまでに読んだすべてのものは、あなたがたが訴えに傾ける耳をいっさいもっていない、そして剣にしか耳を傾けないと教えています。そのようにあなたがたを思うことがひどい見当違いであること、そしてわたしの言ったことが、あなたがたの心にある正常な琴線にふれるだろうことを、どんなに望んでいることでしょう。
 いずれにせよ、わたしは人間の共感性に不滅の信念をもっています。その信念の強さにたよって、わたしは、インドで今やりかけている運動を始めたのでした。そして、あなたがたにこの訴えをするようにうながしたのも、その信念なのです。
                   あなたがたの友であり、その幸いを祈る者である M.K.ガンディー」
               (マハトマ・ガンディー 『わたしの非暴力2』 みすず書房、1997年、pp.33-39)


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