まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

NHK文化センター 「哲学ってなんだろう?」 第2回講座

2010-05-25 07:45:01 | 哲学・倫理学ファック
高校の同期会の興奮で危うく忘れてしまうところでしたが、
先週の土曜日の昼間には、NHKカルチャースクールの2回目の講座をやってきたのでした。
13時から15時まで講座をやり、
15時18分の新幹線に飛び乗って横浜の崎陽軒本店に向かうというハードスケジュールでした。
15時ピッタリには会場を後にしたいので、終了後に質問等を受け付ける時間がありませんと、
受講の皆さんには最初にお断りしての講座でした。
本当にあわただしくて申しわけありませんでした。

しかも今回は、古代ギリシアから19世紀までの哲学の歴史を一気にたどるという、
かなりムリな計画でした。
哲学史をたどるといっても、さまざまな哲学者の思想を概観するというわけではありません。
先に、「Q.哲学って何ですか?」 という質問に対して、
「A.哲学とはすべての学問のことでした」 とお答えしましたが、
その意味合いをじっくり2時間かけて話させていただいたわけです。

実を言うと、辞書の類を引いてみると、ちゃんとそのことが書いてあったりします。
例えば、ネット上でも閲覧することのできる 『大辞泉』 には次のように書いてあります。

哲学
《philosophyの訳語。ギリシア語のphilosophiaに由来し、「sophia(智)をphilein(愛する)」 という意。西周(にしあまね)が賢哲を愛し希求する意味で 「希哲学」 の訳語を造語したが、のち 「哲学」 に改めた》
1 世界・人生などの根本原理を追求する学問。古代ギリシアでは学問一般として自然を含む多くの対象を包括していたが、のち諸学が分化・独立することによって、その対象領域が限定されていった。しかし、知識の体系としての諸学の根底をなすという性格は常に失われない。認識論・論理学・存在論・倫理学・美学などの領域を含む。
2 各人の経験に基づく人生観や世界観。また、物事を統一的に把握する理念。「仕事に対しての―をもつ」 「人生―」

2番のほうの説明はとりあえず今回は関係ないのですが、
1番の説明の中に、「古代ギリシアでは学問一般として自然を含む多くの対象を包括していた」
とはっきりと書かれています。
さらにウィキペディアの 「哲学」 の項の冒頭部分には次のような概要が書いてあります。

哲学 (てつがく、古希:φιλοσοφία、英:philosophy、独:Philosophie) は、古代ギリシャでは学問一般を意味した [1]。近代における諸科学の分化独立によって、現代では専ら、特定の学問分野を指す。
1.学問一般 [注 1]。 (注1 ただし、古代ギリシャから19世紀ごろにかけて)
2.問題の発見や明確化、諸概念の明晰化、命題の関係の整理といった、概念的思考を通じて多様な主題について検討し研究する、学問の一分野。なお、この意味の哲学に従事する学者を哲学者と呼ぶ。
3.哲学者がそのような研究から形成したものも 「ソクラテスの哲学」 などというように、哲学と呼ばれる。「ウィトゲンシュタインを専攻している」 など言うように、哲学者の名がその哲学者の哲学を指す場合もある。

こちらでははっきりと、2番の意味と区別してまず1番目の意味として、
哲学が 「学問一般」 を意味するということが明記されています。
しかも、『大辞泉』 の説明よりも 「ウィキペディア」 のほうが正しいと思うのですが、
「古代ギリシャから19世紀ごろにかけて」 という注釈が加えられているのです。
そうです。
古代ギリシャの頃だけではなく、ほんの200年くらい前まで、
哲学とはすべての学問のことを指す言葉だったのです。

そのことを示す資料として3つを挙げました。
まずは、『アリストテレス全集』 (山本光雄編、岩波書店) の全巻の構成です。
アリストテレスというのは B.C.384年から322年にかけて生きていた、古代ギリシアの哲学者です。
彼は 「万学の祖」 という異名を取っているほどで、
2300年以上前に、すでに今ある多くの学問の礎を築いていました。
 
1 カテゴリー論 命題論 分析論前書 分析論後書
2 トピカ 詭弁論駁論
3 自然学
4 天体論 生成消滅論
5 気象論 宇宙論
6 霊魂論 自然学小論集 気息について
7 動物誌(上)
8 動物誌(下)
9 動物運動論 動物進行論 動物発生論
10 小品集
11 問題集
12 形而上学
13 ニコマコス倫理学
14 大道徳学 エウデモス倫理学 徳と悪徳について
15 政治学 経済学
16 弁論術 アレクサンドロスに贈る弁論術
17 詩学 アテナイ人の国制 断片集

1巻、2巻、12巻、16巻などは、どうやって言葉を正しく用いて真理を認識していったらいいか、
どう議論を組み立てていったらいいかといったことを論じる学問。
3巻から9巻までは、自然に関する諸学問。
13巻から15巻までは、自然に存在するのではなく人間が生み出したものに関する諸学問。
こういう多岐にわたる諸学問をアリストテレスは1人で論じていたのです。

私の大好きなカントは、1724年生まれ、1804年没という18世紀の人ですが、
ある本の中で、哲学の区分はアリストテレス以来変わっていないと述べ、
大きく3部門、論理学、自然学、倫理学に分けられると言っています。
(ここでいう倫理学は人間が生み出したものに関する学問という広い意味で使われています)
そして、彼もまたこの3部門すべてにわたって著書や論文を残したのです。
ウィキペディアに彼の著作一覧がありますが (ここには再掲いたしません)、
それを見ても、カントがアリストテレスと同様に、
すべての学問に執念を燃やしていたことがわかるでしょう。
つまり、哲学者というのは諸学問を1人で一手に引き受けるエキスパートだったのです。

とはいえ、カントの頃はすでに 「近代における諸科学の分化独立」 が始まり、
ものすごい勢いで進行中でした。
したがって、諸学問を1人で一手に引き受けるというのがもはや困難になりつつあったのです。
私の見るかぎり、すべての学問を全部1人でやろうとした最後の哲学者は、
ヘーゲルだったろうと思います。
ヘーゲルは1770年から1831年まで生きた19世紀前半の人です。
私がヘーゲルをキライだという話はしましたが、
しかし、ヘーゲルが知の巨人であったことは疑いようもない事実ですし、
あれだけ諸学問が発展してしまった時代において、
なおかつすべての学問を統括しようとした精神の力には圧倒されてしまいます。
思い出すたびに私は笑ってしまうのですが、
彼は自分の主著に 『哲学的諸学のエンツィクロペディー綱要』 というタイトルをつけました。
「エンツィクロペディー」 というのは英語にすると 「エンサイクロペディア」、
すなわち 「百科事典」 です。
ヘーゲルは 「百科事典」 という名の著書を1人で書いてしまったのです。
ただしその書物は、いわゆる百科事典のようなアルファベット順の項目羅列ではなく、
カントがアリストテレスから受け継いだ3部構成で作られていて、
第1篇 「論理学」、第2篇 「自然哲学」、第3篇 「精神哲学」 となっています。
ちょっとその概要を記しておきましょう。
(詳しい人はわかるかもしれませんが、有名な弁証法によって構築されているので、
 中身はすべて3、3、3という作りになっています)

第1篇『論理学』
第1部 存在論
 A 質
 B 量
 C 限度
第2部 本質論
 A 現存在の根拠としての本質
 B 現象
 C 現実性
第3部 概念
 A 主観的概念
  a 概念としての概念
  b 判断
  c 推論
 B 客観
  a 機械論
  b 化学論
  c 目的論
 C 理念
  a 生命
  b 認識
  c 絶対的理念

第2篇『自然哲学』
第1部 力学
 A 空間と時間
 B 物質と運動
 C 絶対的な力学
第2部 物理学
 A 普遍的な個体性の物理学
 B 特殊な個体性の物理学
 C 統体的な個体性の物理学
第3部 有機的な自然学
 A 地質学的な自然
 B 植物的な自然
 C 動物的な有機体

第3篇『精神哲学』
第1部 主観的精神
 A 人間学 心
 B 精神の現象学 意識
 C 心理学 精神
第2部 客観的精神
 A 法
  a 所有
  b 契約
  c 不法に対する法
 B 道徳性
  a 計画
  b 意図と福祉
  c 善と悪
 C 人倫
  a 家族
  b 市民社会
  c 国家
第3部 絶対的精神
 A 芸術
 B 啓示宗教
 C 哲学

よくぞまあこれだけすべてを取り込めたものです。
こんな物好きはヘーゲルが最後だと言っていいでしょう。
ヘーゲル以降は、「哲学」 というのは諸科学とは区別されたある特殊な学問になっていくのですが、
(『大辞泉』 の1番や 「ウィキペディア」 の2番で説明されている学問)
ぎりぎりヘーゲルまでは、すべての学問が哲学であり、
哲学者は1人ですべての学問を担う 「ザ・学者」 だったわけです。
この頃までの 「フィロソフィア」 は 「哲学」 なんていうわけのわからない新造語ではなく、
そのまんま 「学問」 と訳せばよかったんではないかと思っています。
「学問」 ということばには、「問いを学ぶ」、「問うことを学ぶ」 と、
疑問を懐くことを意味する文字 ( 「問」 ) が入っていますので、
日本人がその意味をよく知らない 「哲」 とか、
日本人が意味を誤解しがちな 「知」 の文字を使うよりもはるかに、
「フィロソフィア」 の意味をうまく表していたと思うのです。

とはいえ、すでに定着してしまった訳語について嘆いたり反対したりしても無意味でしょう。
(「権利」 についても同様)
「哲学」 というわけのわからない学問について、
講座やこういうブログなどの場で繰り返し繰り返し説明し続けていくしかないのでしょう。
最後はあわただしく立ち去る形になってしまいましたが、
ここまで理解していただけましたでしょうか。
質問は次回の講座の冒頭で受け付けますので、なんなりとお聞きいただければと思います。


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