本の読み方の設計図。

本の構造を明らかにしていく。
論拠・主張

論証=事例、引用。

メディアを認識する観点

2019-02-24 22:03:54 | 2019年始動。革命のスタート。
他者の苦痛へのまなざし
クリエーター情報なし
みすず書房

写真の可能性
写真=映像の有効性
写真の持つ可能性と限界

美は痙攣である。さもなくば美ではない。〜アンドレア•ブルトン
苦痛を犠牲に,犠牲を高揚へと結びつける。98

前提:0★★★★★
★ ★★写真の話になると,誰もがありのままであることに固執する。45
⇒情報を丸ごと理解するという姿勢。148
サルトル哲学の即自存在。

事実の向こう側にあるもの。語られないものを見る。
その情報の意味は?意図は?
見るべきものを見る。①人間の本性に気づくこと★★★★★
「われわれは他人の現実の不幸や苦痛に,ある程度の,それも決してわずかではない程度の,喜びを感じる」96〜エドマンド•バーグ

写真は,瞬間を捉え,記憶にとどまらせるという唯一無二の特徴がある。

どうしたら戦争を避けることができるとお考えですか?1
私とあなたは、同じ写真を見て同じことを感じるのでしょうか?2
⇒内容自体は戦争写真に対する多面的な考察。147 ①本書★★★★★

②★★★★★
【現代のメディアを取り巻く環境】
警鐘:↑↑
★ ★★★★映画、テレビ,マンガ、コンピューターゲームのような大衆文化が許容しうる暴力とサディズムのレベルが上がっている。100

写真•情報のインパクト:②★★★★★
① 人々の注意はメディアがとりあげるものによって、中でも決定的に映像によって、操作される。
② 映像が充満した,充満しすぎた世界において、われわれにとって重要であるべき映像にインパクトは弱まりがちである。つまりわれわれは冷淡になる、ということである.過剰な映像はついにはわれわれの感じる能力を減じ,我々の良心を刺激することが少なくなる。104
⇒写真をとおして、知られる出来事は確かに,写真を見なかった場合よりもずっと現実的となる反面,繰り返し写真に触れるうちにその出来事は次第に現実生を失ってゆく。104『写真論』より
⇒★★★★★新鮮な感情と適切な倫理によって,経験に反応するわれわれの能力が、低劣で忌まわしい映像の容赦ない拡散によって,失われつつある。108

【写真】
写真は繰り返し立ち現れる。写真は単純化する。写真は煽動する。写真はコンセンサスという幻覚を創りだす。4

写真は特権的立場の人々と,安全な場所にいる人々が,できれば知りたくないと思うような事柄を現実のものとする一つの手段である。6

③写真/メディアというもの★★★★★
写真は2つの矛盾する特質を結びつけるという利点がある。写真には客観性についての保証が内蔵されている。だが写真は必然的に、常に視点を持っている。24
⇒★★★写真は客観的記録であると同時に個人的証言であり,現実の一瞬を忠実に写したコピーであるとお同時に,その現実についての解釈である。25
⇒プロの写真に劣らぬアマチュアの写真27
⇒★★★★写真は主要な芸術の中でただ一つ、専門的訓練や長年の経験を持つものが,訓練も経験もないものに対して絶対的な優位に立つことのない芸術である。27

<解釈>
究極的に我々は,写真の中にそれが語っているはずのことを読み込む。28
⇒写真家の意図が写真の意味を決定するのではなく,写真にはそれ自体のキャリアがあって,その写真を利用する多様な共同体の気まぐれや忠誠心に翻弄されるのである、37

★★★人々に何を見せ,何を見せるべきでないか?66

<キャプション>④★★★★★
すべての写真にはキャプションによる説明,あるいはキャプションによる偽装工作が求められる。9
⇒勘定を込めたキャプションがつけられていて、どのページでも軍国主義のイデオロギーが嘲笑されている。14

画像が,画像の常としみられるように誘うのに対して,キャプションは往々にして,静視できぬことを強調する。
⇒写真のキャプションは伝統的に中立的で,日付、場所,名前など客観的情報を提供する。43

<写真と事実と真実>
★ ★★★写真は被写体が何で荒れ,それを変貌させる傾向がある。74

◇ 写真の二重の力
記録を作ることと視覚芸術の作品を生み出すということ。74★★★★

◇ 写真の結論★★★★
①写真は客観化する。写真は出来事なり人間なりを,所有しうるものに変える。そのうえ写真は、現実の透明な記述であると賞賛されるにも関わらず,一種の錬金術である。
写真の方が「よく」見る、ないしそう感じられるということがしばしば起こる。79
②感情はことばによるスローガンよりも、写真の周りに結晶しやすい。83
③心
心は古代の人々は創造したように,劇場に似た一つの内なる空間だと感じられる。そこでわれわれはイメージを描き,そのイメージがわれわれに記憶させる。問題は人々が写真を通して記憶することではなく,写真のみを記憶することである。87
⇒★★★★記憶することは以前にも増して,物語を呼び起こすことではなく,ある映像を呼び出すことになっている。87

⑤認識★★★★★
★ ★★盤石の信念と矛盾する証拠を提供する映像は,カメラがねつ造したものだとして常に却下される。10
⇒どのような写真が、誰の残虐行為が,誰の死が、示されていないのかを問うのやめさせては行けないのである。
⇒写真の背景にある切り取られなかった事実。
⇒他の場所にいてニュースとしてなにかを知るものにとっては、対象が写真に撮られることによって現実となる。20

現代の生活は,写真等メディアを通して,距離を置いた地点から他の人々の苦痛を眺める起秋をふんだんに与え,そうした機会は様々仕方で活用される。12

過剰な情報の時代に,写真は対象を素早く把握する手段であり,それを記憶する簡単な形式である。21
写真は引用句,格言、ことわざに似ている。われわれ一人ひとりは,すぐさま呼び出すことができるような何百枚もの写真を頭の中に蓄えている。21

【戦争】
戦争はこういうことをするのですよ。それにあの写真の、ああいうこともあれも戦争がするのです。戦争は引き裂き,引ちぎる。戦争は抉りとる。戦争は焼き、解体し,滅ぼし尽くす6
⇒戦争を経験したことのない人々が戦争を理解するのは,今では主としてそれらの映像が与える衝撃によっている。

★ ★★★戦争をメイクするのと,写真をメイクするのとは同じ行為である。65〜写真家 エルストン•ユンガー

<写真を撮るということ>
写真を撮ることは枠をつけること,枠をつけることは排除することである。44

<ジャーナリズム>
ヴェトナム戦争以後、演出した写真がほとんどないという事実は,写真家たちが高いレベルのジャーナリスト的誠実を持つ存在と見なされつつあることを示している。55


#ジャーナリズム #ニュース
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 広告。伝えるということ。 | トップ | 2月24日(日)のつぶやき »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

2019年始動。革命のスタート。」カテゴリの最新記事