本の読み方の設計図。

本の構造を明らかにしていく。
論拠・主張

論証=事例、引用。

小説049 : reProfesional#121

2008-11-09 02:00:55 | reProfesional
chapter#49 戦う理由

アンドロギュノスを求める生身の人間としてのボクたち。ボクたちは人間という存在として存在する以上、何も生存欲求、本能的欲求を満たすだけでは満足感は得られないし、また本能的欲求に永遠に欠いた部分を感じずにはいられないということにも、私たち人間が、本能的欲求の充足だけに生きないという理由がある。
完全に本能的欲求としてのアンドロギュノスの再生ということがほぼ、失敗に終わるという精神的挫折を精神的本性として備え持った、私たちは、本当に死にたいと切に願い、精神的に崩壊している状態でない限り、その第一義的欲求にのみ、身を傾けるということはしないし、とうていできない。

ボクたちが、働いたり、自己実現を望んだりするのは、なにもそれを本能的に求めているということからではなく、そうしないと、確実に完成を見ない生物的欠陥としての存在におそらく、健康的に精神を崩壊させるということが待ち受けているということをそれこそ、本能的にボク等が理解しているからだと思う。つまり、働くということ、もしくは、働くということを通して自己実現を図る、もしくは、なにかしら、空しい趣味というものを通して自己の充足を図るというのは、小さな精神の要塞としての負の依存とは対照的に、なんとか、自分はアンドロギュノスという完成系を目指せないまでも、社会という、創造主と遠くはなれた、おろかな人間により構築された箱舟の中では、幸福感を味わうことが出来るという敗者の正の依存であるというこちが出来る。

生物的に、本能的に挫折をしてしまうことを宿命付けられているという残酷な運命があるからこそ、いっけん無意味にある状態から、意味を再生しようという健気な営み。それが、ボクたち人間が意味を持ち充実のある人生を生きようということに他ならない。つまり、ただ生きようというだけでは、直ちに、実存主義という使い古された概念をそのままに拝借しているようで、それこそ、実存の恐怖が襲い掛かるが、無意味に陥るからこそ、もしくは、その無意味を避けたいからこそ、懸命な人間こそ一生懸命に生きようとする。

ボクは、そんな無意味からの逃避を図り、アンドロギュノスとしての本能的成功も同時に求めていく、そんな幸福な人間でありたいと思う。

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