本の読み方の設計図。

本の構造を明らかにしていく。
論拠・主張

論証=事例、引用。

小説050 : reProfesional#122

2008-11-10 02:50:32 | reProfesional
chapter#50 大衆

「絶望は、自分の心が作り出す虚像である」
なんとも、甘美な、ポジティブな、危険な言葉だろう、ボクはそう思う。あたかも、自分の心を客観視し、自分の心を操縦可能なものであるという風に捉えている。自分の心を客観視するということは、いわば、戦うためのひとつの姿勢であるといえるし、成功や、失敗をするためのひとつの有用な態度であるといえる。
失敗をしようとするのは、もしくは、失敗を恐れることが出来るというのは、おそらくその人物がある程度、懸命な人間であることの証明であるといえる。
「99%の人間が失敗し、大衆はいつも敗北者」そんな言葉も、ボクが以前読んだ本には、上の言葉とセットにして、書いてあった。

大衆は敗北者。大衆が上の言葉から正確に考えて、実際の自分の身の回りにいる人間と照らし合わせた場合、99%はいわゆる大衆ということにあるであろう。
エドガー・エンデの絵にしても、有名な画家の絵にしてもそうだが、たいてい、ひとつのコンセプトに支配されている。いわゆる、才能に恵まれた人物であっても、せいぜいひとつのアイデアの下の新たな価値観を想像するということくらいしか出来ない。
大衆はたいして、何も出来ない。何もする気もない。精神的挫折を挫折とも考えることも出来ないゆえに、失敗から逃げることもないし、失敗もしたことがないという時点での失敗を行っている。

大衆は、天才に対して、さめた視線で、流布する考えを流し込み、阿呆づらをして、あきらめるということにこの上ない快感を覚える。死せる生物。生きるしかばねということばは、大衆に関しては、あまりにも贅沢な言葉であるといえる。彼らの精神は完全に死んでいるのであるから。
大衆は、自ら幸福も、意味も創造しようともしない。
なによりも自分を信頼していないし、自分の首を権力者により大きく縛られ、自分で息をすることすら難しい。

存在としての失敗。それがいわゆる大衆に言いえて妙であるし、だれもが、大衆から、脱却するチャンスをふんだんに与えられているにもかかわらず、大衆から抜け出すという失敗というカタチでの成功を誰も追求しようとしないという時点での精神的腐敗を推奨している。
それでも、大衆はいつの時代も跋扈する。失敗をしないようにしようとする失敗を衆愚として意味を見出し、必死で生きる。
なんとも美しい無意味という形での意味を追求する彼ら。
落ちぶれそうな自分よ、大衆だけにはなることなかれ。
大衆と権力者の構図はいつも一緒なんだ。
絵画を見てみよ。いつの時代も大衆の目は腐っている。

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