中日新聞の読者投稿欄に「父を尊敬 言えずごめん」というタイトルで68歳の男性が投稿されていました。
その昔、就職活動で会社に提出する身上書に「尊敬する人は」という項目があった。
それを見た父から「父親と書くのが一番良い」と言われました。
その通りにしましたが、内心は「とんでもない」と思いました。
無口で気が弱く農家として年中汗を流して働く姿を見ても尊敬する気になりませんでした。
友人の父と比べ、農業という職業に気恥ずかしさを覚えましたから。
長年、父の職業を差別してきた気がします。
父は十年前に亡くなり、喪主として通夜であいさつする際、情けなさと申し訳なさで涙がこぼれ落ちました。
愚痴も弱音も発せず家族のために働いて八十六歳で逝った父に、私は優しい言葉一つ、かけてあげられませんでした。
この先尊敬する人を聞かれたら、胸を張って「父です」と答えます。
「父ちゃん、ごめんね。長い間本当にありがとう!」
以上です。
私も会社に提出する身上書に「尊敬する人は、父親」と書いた気がします。
父は私を大事にし、見守ってくれました。
戦争では落下傘部隊に入り、死ぬ思いをしたようです。
落下傘で飛び降りるのはいいですが、落下傘が開かなくて死ぬ方もけっこういらしたようです。
飛行機から飛び降りるなんて私は出来そうもないので、これだけで尊敬しました。
ギターは弾けるし、ハーモニカ、口笛も得意でした。
ギターやハーモニカはよく教えてくれました。
小さい頃、5円玉を飲んでしまい、父は私を逆さにして病院まで走って連れて行ってくれました。
幸いなことに5円玉でしたので穴が空いていて、空気を吸う事ができましたので助かりました。
私は逆上がりが出来なかったので、小学校まで連れて行ってくれて、逆上がりの練習をしました。
おかげさまで、何とか逆上がりが出来るようになりました。
小学校の入学の為に、茶色の皮かばんを買ってくれたので目立って仕方がなかったです。
当時の男の子はみんな黒のかばんだったので。
鉛筆には私の名前が印刷されていました。
父は長男の私に期待していたんですね。
期待に沿わずに申し訳なく思います。
でも無事に父の歳を越えて生きています。
父親のおかげでしょうね。
<コメント欄は閉じています>
back number - 水平線