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団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

夫の介護のため、自分を無にしてきたような晩年だった気がする。

2019-03-08 03:39:28 | 日記
 中日新聞の去年の「くらしの作文」から、「来年は・・・」は、というタイトルで84歳の女性が投稿されていました。


 65年連れ添った夫が老老介護の末、90歳でなくなった。
夫の介護のため、自分を無にしてきたような晩年だった気がする。

 人に泣き言を言うのが嫌いな私。
苦労話を聞いてもらい一粒の涙でも流せば、気持ちも楽になったかもしれない。
それができない性格だ。
泣くのは一人の時でいい。

 夫が逝けば、悲しく寂しいのは当然だが、自分なりにきちんと暮らしてきたと
思っていた。
今振りかえってみると、ものは忘れる、物をなくす、やることが中途半端。
やはり普通ではなかったようだ。
それに気づいたのは、半年近く立ってからだ。

 知人に「これからは何か楽しむことを探さなくては」と言われた。
楽しむ?昔人間の私には後ろめたい言葉だ。
でも今まで夫のため頑張ったのだから、もうこの辺で卒業させてもらっても。

 一人住まいの私が病気をしたら、皆に迷惑をかけてしまう。
夫のところへ行くまで、元気でいられるように努力しなくては、と自分に言い聞かせ、
遺影の夫に「見守ってね」とお願いしている。

 来年は元号も新しくなる。
どんな年になるか。
世の中も私も、ぜひ安穏な年になってくれることを祈るばかりだ。

 以上です。


>人に泣き言を言うのが嫌いな私。
苦労話を聞いてもらい一粒の涙でも流せば、気持ちも楽になったかもしれない。
それができない性格だ。

 損な性格の方ですね。
ご主人が亡くなって、羽を伸ばす奥様が多いと聞きますが。


>夫のところへ行くまで、元気でいられるように努力しなくては、と自分に言い聞かせ、
遺影の夫に「見守ってね」とお願いしている。


 65年の長き間連れ添われたのに、ご主人の元へいかれるつもりなんですね。
本当にご主人のことが大好きだったようですね。
ご主人といつか天国で逢っていただきたいです。
それまでは、こちらの世界でおおいに楽しんでいただきたいです。





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