がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

生命は 詩人・吉野弘

2009年06月06日 | Weblog
2009年06月06日 12時14分記載

生命は自分自身で完結できないようにつくられているらしい


花もめしべとおしべが揃っているだけでは不充分で


虫や風が訪れてめしべとおしべを仲立ちする

生命はすべてそのなかに欠如を抱きそれを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分他者の総和


しかし互いに欠如を満たすなどとは知りもせず知らされもせず



ばらまかれている者同士無関心でいられる間柄


ときにうとましく思えることさも許されている間柄


そのように世界がゆるやかに構成されているのはなぜ?

花が咲いている


すぐ近くまで虻の姿をした他者が光りをまとって飛んできている

私も あるとき誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき私のための風だったかもしれない


足利事件 決め手となったDNA再鑑定(6月5日付・読売社説)

2009年06月06日 | Weblog
2009年06月05日 20時43分記載

URL http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090604-OYT1T01233.htm



「検察が再審の開始を認め、受刑者を釈放した。無期懲役となった根拠が崩れた以上、当然の対応である。

 東京高検が、「足利事件」の再審開始を容認する異例の意見書を東京高裁に提出した。

 高裁がDNAの再鑑定を行ったところ、無期懲役が確定した男性の型と、殺害された女児のシャツから検出された型が一致しなかったためだ。男性は犯人ではない可能性が極めて高くなった。

 検察は、男性の刑の執行を停止し、釈放した。前例のない事態である。検察が事実上、無罪を認めたものといえよう。

 裁判所は速やかに男性の再審開始を決定すべきである。

 事件は1990年に栃木県足利市で起きた。警察は翌年、捜査線上に浮かんだ男性のDNA鑑定を実施した。結論は、女児のシャツから検出されたDNA型と一致するというものだった。結果を聞き、男性は犯行を自供していた。

 最高裁は2000年、男性の上告を棄却した。DNA鑑定に証拠能力があると認めた初めてのケースだった。

 捜査当局や裁判所に、DNA鑑定への過信があったことは間違いあるまい。取り調べにも疑問が残る。徹底した検証が必要だ。

 事件当時は、DNA鑑定が導入されて間もないころだった。精度は今より格段に低かった。精度が飛躍的に向上したのは、新たな分析装置が導入された03年以降だ。それ以前に実施されたDNA鑑定は4000件を超えるという。

 今回の問題により、他の事件でも、鑑定の信ぴょう性に疑念が生じることもあるだろう。裁判所や検察は、再鑑定の実施などについて柔軟に対応していくべきだ。

 精度が向上したDNA鑑定が、捜査の有力な武器であることに変わりはない。犯人の割り出しとともに、冤罪(えんざい)を防ぐ防波堤の役割を持つことも忘れてはならない。

 警察が、決定的な証拠を得るために、進歩する科学技術を捜査に取り入れるのは欠かせない。

 だが、科学捜査の結果に過度に依存するのは危うい。特に、導入間もない技術については、信用性を慎重に判断する必要がある。今回の問題の教訓といえよう。

 科学捜査による鑑定結果が、公判の争点となることもある。裁判員制度が始まり、裁判員も鑑定結果が信用できるかどうか、判断を迫られる局面があるだろう。

 一つの証拠にとらわれず、すべての証拠を総合判断する。裁判員にはそれが求められている。

(2009年6月5日02時09分 読売新聞)」

しれっとよく言うよな。


「取り調べにも疑問が残る。徹底した検証が必要だ。」


だから、後から検証できるように、取り調べ過程の全部録音・全部録画をしようって言ってるんじゃない。


反対しておきながら「徹底した検証が必要だ」なんて、どの口が言うかね。


今回はDNA鑑定がメインで取り上げられてるけど、我が国刑事司法の一番の問題は、代用監獄での密室での取り調べで、そこで行われた強要・脅迫・拷問・違法な司法取引によって無理矢理こさえられた員面調書・検面調書が証拠とされて、冤罪が生み出されてるってことでしょ。


そこを問題にせずに素通りしておいて、「取り調べにも疑問が残る。徹底した検証が必要だ。」なんて、へそが茶を沸かすよ。


釈放の菅家さんが会見「警察と検察、絶対に許せない」

2009年06月06日 | Weblog
2009年06月04日 20時38分記載

URL http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090604-OYT1T00737.htm?from=top



「栃木県足利市で1990年、当時4歳の女児が誘拐・殺害された「足利事件」で無期懲役が確定し服役中だった菅家(すがや)利和受刑者(62)が4日、千葉刑務所から釈放され、同日夕、千葉市内で弁護団と共に記者会見を開いた。

 菅家さんは、「当時、急に犯人にされました。自分としては全く身に覚えがありません。無実で、犯人ではありません。これだけははっきりと言います」と語り、改めて無実を主張した。

 また、警察、検察に対しても、「間違ったでは済まない。この17年間ずっと思っていた。当時の刑事、検察官には謝ってもらう。絶対に許すことはできない。自分の人生を返してもらいたい。父も母もつらかったと思う」と怒りをあらわにした。

(2009年6月4日17時06分 読売新聞)」


こういう事実を知ってもなお取り調べ過程の全面可視化に反対する理由ってなんなんだろうね。


国民の8割が賛成だから死刑は維持するんでしょ?国民の7割が賛成する取り調べ過程の全面可視化を導入しない理由は何?


自己矛盾を誤魔化して訳知り顔をするのが、上手にお金儲けをする手段かね。