がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

「やってません」13時間…菅家さん、絶望の「自白」

2009年06月10日 | Weblog
2009年06月09日 21時45分記載

URL http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090608-OYT1T00013.htm



「4歳の女児が誘拐・殺害された「足利事件」の容疑者として逮捕されて17年半。今月4日に無期懲役刑の執行が停止され、釈放された菅家(すがや)利和さん(62)が6日夜、読売新聞の単独インタビューに応じ、「自白」の経緯などを明かした。

 暴力的な取り調べを受けたのは逮捕当日だけだったが、その後も「犯行ストーリー」を作り続けてしまったという菅家さん。なぜ「虚偽の自白」に追い込まれたのか。足利事件は、取り調べのあり方について改めて問題を投げかけている。

 「今から考えると自分でも分からないが、話をしないと、調べが前に進まない。早く終わらせたかったんだと思う」

 菅家さんは「自白」の経緯をこう振り返る。

 栃木県警の捜査員が自宅を訪れたのは1991年12月1日午前7時頃。「いきなり上がり込んできて、『子供を殺したな』と迫られ、女の子の写真を示され『謝れ』と言われました」。その日は知人の結婚式だったが、求められるまま警察署に向かった。

 署では「やったんだな」「やってません」といった押し問答が夜まで続いた。体液のDNA鑑定結果などを示されてもすぐには認めなかったが、「日は暮れ、心細くなって、このまま家に帰れないかもしれないと思うようになった」という。

 気持ちが折れてしまったのは、取り調べが始まって約13時間たった午後9時ごろ。「刑事の両手を力いっぱい握りしめ、泣いてしまった」

 「刑事は私がやったから泣いたと思ったらしいが、本当は、いくらやっていないと言っても聞いてもらえなくて、悲しくて泣いた。やけになってしまった」。容疑を認めたのは、その後だ。後は「何か(話を)作らないと前に進まない」と、報道された内容に想像を交えて、犯行状況を話した。

 「小さい時から、人からものを言われると何も言えなくなってしまう。相手の機嫌を損ねることが嫌い」と自己分析する菅家さんについて、弁護人の佐藤博史弁護士は、「捜査官に納得してもらわないといけない、と迎合的に考える傾向がある」とみる。その上で2007年に富山県氷見市の男性の冤罪(えんざい)が発覚した婦女暴行・同未遂事件との類似性を指摘、心理学者などを交えての事件の検証を訴える。

(2009年6月8日03時14分 読売新聞)」

本件を機に、読売グループ全社を挙げて、取り調べ過程の全面可視化を推進してもらいたい。


無理か・・・。