がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

オバマ米大統領、就任演説全文(和文)

2009年01月22日 | Weblog
2009年01月21日 07時20分記載

YOMIURI ONLINE配信記事 URL http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090121-OYT1T00132.htm?from=main1



「【ワシントン支局】オバマ新大統領の就任演説全文は次の通り。

 ◆危機への決意◆

 市民の皆さん。私は今日、我々の前にある職務に対して厳粛な気持ちを抱き、あなた方から与えられた信頼に感謝し、我々の祖先が支払った犠牲を心に留めながら、ここに立っている。私は、ブッシュ大統領の我が国への奉仕、並びに大統領がこの政権移行期間に示した寛容さと協力に感謝する。

 これで44人の米国人が大統領就任宣誓を行った。宣誓は、繁栄の高まりのときや、平和で静かなときに行われたこともあった。しかし、しばしば、宣誓は、暗雲が垂れこめるときや荒れ狂う嵐のときに行われた。こうした時、米国は、指導者たちの技量や理念だけに頼ることなく、我々人民が祖先の理想に忠実で、建国の文言に正直であることによって、乗り切ってきた。

 ずっとそうやってきた。この世代の米国人も同様にしなければならない。

 我々が危機の最中にいることは、現在では明白だ。我々の国家は、暴力と憎悪の広範なネットワークを相手に戦争を行っている。我々の経済は、ひどく弱体化している。一部の者の強欲と無責任の結果であるだけでなく、厳しい決断をすることなく、国家を新しい時代に適合させそこなった我々全員の失敗の結果である。家は失われ、職はなくなり、ビジネスは台無しになった。我々の健康保険制度は金がかかり過ぎる。荒廃している我々の学校はあまりにも多い。さらに、我々のエネルギーの消費のしかたが、我々の敵を強化し、我々の惑星を脅かしているという証拠が、日増しに増え続けている。

 これらは、データと統計に基づく危機の指標だ。予測は困難だが、間違いなく深刻なのは、我々の国土に広がる自信の喪失や、米国の凋落(ちょうらく)は避けがたく、次の世代はうなだれて過ごさなければならないというぬぐいがたい恐怖だ。

 今日、私はあなた方に告げる。我々が直面している試練は本物だ。試練は深刻で数多い。試練は容易に、または、短い時間で対処できるものではない。しかし、米国よ、わかってほしい。これらの試練は対処されるだろう。

 この日、我々は、恐怖ではなく希望を、紛争と不一致ではなく目標の共有を選んだため、ここに集った。

 この日、我々は、我々の政治をあまりにも長い間阻害してきた、ささいな不満や偽りの約束、非難や言い古された定説を終わらせることを宣言する。

 ◆国家の偉大さ◆

 我々の国はまだ若いが、聖書の言葉には、子どもじみたことをやめるときが来たとある。我々の忍耐に富んだ精神を再確認し、より良い歴史を選び、貴重な才能と、世代から世代へと引き継がれてきた尊い考えを発展させるときが来た。尊い考えというのは、すべての人は平等で、自由で、あらゆる手段により幸福を追求する機会を与えられるという、神からの約束のことである。

 我々の国の偉大さを再確認するとき、我々は、偉大さが決して与えられたものではないことに気づく。それは勝ち取らなければならないのだ。我々の旅は、近道でも安易なものでもなかった。我々の旅には、仕事より娯楽を好み、富と名声の喜びだけを望むような、臆病者のための道筋はなかった。むしろ、我々の旅は、危機に立ち向かう者、仕事をする者、創造をしようとする者のためのものだ。それらの人々は、著名な人たちというより、しばしば、無名の働く男女で、長い、でこぼこした道を繁栄と自由を目指し、我々を導いてきた人々だ。

 我々のために、彼らは、わずかな財産をまとめ、新たな生活を求めて大洋を旅した。

 我々のために、彼らは、劣悪な条件でせっせと働き、西部に移住し、むち打ちに耐えながら、硬い大地を耕した。

 我々のために、彼らは、(独立戦争の戦場)コンコードや(南北戦争の)ゲティスバーグ、(第2次大戦の)ノルマンディーや(ベトナム戦争の)ケサンのような場所で戦い、死んだ。

 しばしば、これらの男女は、我々がより良い生活を送れるように、手の皮がすりむけるまで、もがき、犠牲になり、働いた。彼らは米国を、個人の野望を合わせたものより大きく、生まれや富や党派のすべての違いを超えるほど、偉大であると考えていた。

 ◆米国を作り直そう◆

 これが今日、我々が続けている旅なのだ。米国は依然として地球上で最も繁栄し、力強い国だ。我々の労働者は今回危機が始まった時と同様、生産性は高い。我々は相変わらず創意に富み、我々が生み出す財やサービスは先週や先月、昨年と同様、必要とされている。能力も衰えていない。しかし、同じ手を用いるだけで、狭い利益にこだわり、面倒な決定を先送りする、そんな時代は確実に終わった。今日から我々は立ち上がり、ほこりを払って、米国を作り直す仕事に取りかかろう。

 なすべき仕事は至る所にある。米国経済は、大胆かつ迅速な行動を求めている。そして我々は新規の雇用創出のみならず、新たな成長の礎を整えることができる。道路や橋を造り、電線やデジタル通信網を敷き、商業を支え、我々を一つに結び付ける。科学を本来あるべき地位に戻し、医療の質を引き上げながら、そのコストは減らす。太陽、風や土壌を利用して自動車を動かし、工場を動かす。新時代の要請に合うよう学校や単科大、大学を変えていく。我々はすべてのことを成し遂げられるし、行っていく。

 我々の野望の大きさについて疑念を抱く人がいる。我々のシステムは多くの大きな計画に耐えられないと指摘する人もいる。だが、彼らは忘れている。彼らはこの国が何を成し遂げたかを忘れている。想像力が共通の目的と出合った時、必要が勇気と結びついた時、自由な男女が何を達成できるかを忘れているのだ。

 皮肉屋が理解できないのは、彼らがよって立つ地面が動いたということだ。長い間、我々を疲れさせてきた陳腐な政治議論はもはや通用しない。我々が今日問うべきなのは、政府の大小ではなく、政府が機能するか否かだ。家族が人並みの給与の仕事を見つけたり、負担できる(医療)保険や、立派な退職資金を手に入れることの助けに、政府がなるかどうかだ。答えがイエスの場合は、その施策を前進させる。ノーならば終わりとなる。公的資金を管理する者は適切に支出し、悪弊を改め、誰からも見えるように業務を行う。それによって初めて、国民と政府の間に不可欠な信頼を回復できる。

 問うべきなのは、市場の良しあしでもない。富を作り自由を広げる市場の力に比肩するものはない。だが、今回の(経済)危機は、監視がなければ、市場は統制を失い、豊かな者ばかりを優遇する国の繁栄が長続きしないことを我々に気づかせた。我々の経済の成功はいつも、単に国内総生産(GDP)の大きさだけでなく、我々の繁栄が広がる範囲や、機会を求めるすべての人に広げる能力によるものだった。慈善としてではなく、公共の利益に通じる最も確実な道としてだ。

 ◆我々の安全とは◆

 我々の共通の防衛については、安全と理想とを天秤(てんびん)にかけるという誤った選択を拒否する。我々の想像を超える危機に直面した建国の父たちは、法の支配と国民の権利を保障する憲章を起案した。憲章は、何世代もの犠牲によって拡充された。これらの理想は、今日でも世界を照らしており、我々は都合次第で手放したりはしない。今日(の就任式を)見ている他国の国民や政府ら。巨大都市から私の父が生まれた小さな村まで。米国が平和と尊厳の未来を求めるすべての国々、すべての男女と子供の友人であり、我々がもう一度、指導力を発揮していく用意があると、知ってほしい。

 前の世代は、ファシズムや共産主義と、ミサイルや戦車だけではなく、強固な同盟と強い信念を持って対峙(たいじ)したことを思い出してほしい。彼らは、我々の力だけでは我々を守れず、好きに振る舞う資格を得たのではないことも理解していた。代わりに、慎重に使うことで力が増すことを理解していた。我々の安全は、大義の正当性や模範を示す力、謙虚さ、自制心からいずるものだ。

 我々は、この遺産の番人だ。こうした原則にもう一度導かれることで、我々は、一層の努力や、国家間の一層の協力や理解が求められる新たな脅威に立ち向かうことができる。我々は、責任ある形で、イラクをイラク国民に委ね、苦労しながらもアフガニスタンに平和を築き始めるだろう。古くからの友やかつての敵とともに、核の脅威を減らし、地球温暖化を食い止めるためたゆまず努力するだろう。

 ◆変わる世界◆

 我々は、我々の生き方について謝らないし、それを守ることを躊躇(ちゅうちょ)しない。テロを引き起こし、罪のない人を殺すことで目的の推進を図る人々よ、我々は言う。我々の精神は今、より強固であり、壊すことはできないと。あなたたちは、我々より長く生きることはできない。我々は、あなたたちを打ち破るだろう。

 我々のつぎはぎ細工の遺産は強みであって、弱みではない。我々は、キリスト教徒やイスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒、それに神を信じない人による国家だ。我々は、あらゆる言語や文化で形作られ、地球上のあらゆる場所から集まっている。

 我々には、南北戦争や人種隔離の苦い経験があり、その暗い時代から出てきて、より強く、より団結するようになった。我々は信じている。古くからある憎しみはいつかなくなり、民族を隔てる線も消えると。世界が小さくなる中で、我々に共通の人間愛が現れることになると。米国が、平和な新しい時代の先駆けの役割を果たさねばならないと。

 イスラム世界よ、我々は、相互理解と尊敬に基づき、新しく進む道を模索する。紛争の種をまいたり、自分たちの社会の問題を西洋のせいにしたりする世界各地の指導者よ、国民は、あなた方が何を築けるかで判断するのであって、何を破壊するかで判断するのではないことを知るべきだ。腐敗や欺き、さらには異議を唱える人を黙らせることで、権力にしがみつく者よ、あなたたちは、歴史の誤った側にいる。握ったこぶしを開くなら、我々は手をさしのべよう。

 貧しい国の人々よ、我々は誓う。農場に作物が実り、きれいな水が流れ、飢えた体に栄養を与え、乾いた心を満たすため、ともに取り組むことを。我々と同じように比較的満たされた国々よ、我々が国境の向こう側の苦悩にもはや無関心でなく、影響を考慮せず世界の資源を消費することもないと言おう。世界は変わった。だから、我々も世界と共に変わらなければならない。

 我々の前に広がる道について考える時、今この瞬間にもはるかかなたの砂漠や遠くの山々をパトロールしている勇敢な米国人たちに、心からの感謝をもって思いをはせる。彼らは、アーリントン(国立墓地)に横たわる亡くなった英雄たちが、時代を超えてささやくように、我々に語りかけてくる。我々は彼らを誇りに思う。それは、彼らが我々の自由を守ってくれているからだけではなく、奉仕の精神、つまり、自分自身よりも大きい何かの中に進んで意味を見いだす意思を体現しているからだ。これこそが時代を決するこの時に、我々すべてが持たねばならない精神だ。

 ◆新しい責任の時代◆

 政府はやれること、やらなければならないことをやるが、詰まるところ、わが国がよって立つのは国民の信念と決意である。堤防が決壊した時、見知らぬ人をも助ける親切心であり、暗黒の時に友人が職を失うのを傍観するより、自らの労働時間を削る無私の心である。我々の運命を最終的に決めるのは、煙に覆われた階段を突進する消防士の勇気であり、子どもを育てる親の意思である。

 我々の挑戦は新しいものかもしれない。我々がそれに立ち向かう手段も新しいものかもしれない。しかし、我々の成功は、誠実や勤勉、勇気、公正、寛容、好奇心、忠実、愛国心といった価値観にかかっている。これらは、昔から変わらぬ真実である。これらは、歴史を通じて進歩を遂げるため静かな力となってきた。必要とされるのは、そうした真実に立ち返ることだ。

 我々に求められているのは、新しい責任の時代に入ることだ。米国人一人ひとりが自分自身と自国、世界に義務を負うことを認識し、その義務をいやいや引き受けるのではなく喜んで機会をとらえることだ。困難な任務に我々のすべてを与えることこそ、心を満たし、我々の個性を示すのだ。

 これが市民の代償であり約束なのだ。これが我々の自信の源なのだ。神が、我々に定かではない運命を形作るよう命じているのだ。

 これが我々の自由と信条の意味なのだ。なぜ、あらゆる人種や信条の男女、子どもたちが、この立派なモールの至る所で祝典のため集えるのか。そして、なぜ60年足らず前に地元の食堂で食事することを許されなかったかもしれない父親を持つ男が今、最も神聖な宣誓を行うためにあなたの前に立つことができるのか。

 ◆自由を未来へ◆

 だから、我々が誰なのか、どれほど長い旅をしてきたのか、その記憶とともにこの日を祝おう。米国誕生の年、酷寒の中で、愛国者の小さな一団は、氷が覆う川の岸辺で、消えそうなたき火の傍らに身を寄せ合った。首都は見捨てられた。敵は進軍してきた。雪は血で染まった。我々の革命の結末が最も疑わしくなった時、我が国の祖は、この言葉を人々に読むよう命じた。

 「酷寒の中、希望と美徳しか生き残ることができない時、共通の脅威に気づいた町も田舎もそれに立ち向かうために進み出た、と未来の世界で語られるようにしよう」

 アメリカよ。我々自身の苦難の冬に、時を超えたこれらの言葉を思い出そう。希望と美徳を抱き、このいてつく流れに立ち向かい、どんな嵐が訪れようとも耐えよう。

 そして、我々の子孫に言い伝えられるようにしようではないか。我々が試された時、旅を終わらせることを拒み、後戻りすることも、くじけることもなかった、と。そして、地平線と、神の慈しみをしっかりと見つめ、自由という偉大な贈り物を運び、未来の世代に無事に届けた、と。

 ありがとう。神の祝福が皆さんにあらんことを。そして、神の祝福がアメリカ合衆国にあらんことを。

(2009年1月21日02時50分 読売新聞)」


REMARKS OF PRESIDENT BARACK OBAMA〈英語全文〉2

2009年01月22日 | Weblog
Now, there are some who question the scale of our ambitions - who suggest that our system cannot tolerate too many big plans. Their memories are short. For they have forgotten what this country has already done; what free men and women can achieve when imagination is joined to common purpose, and necessity to courage.

What the cynics fail to understand is that the ground has shifted beneath them - that the stale political arguments that have consumed us for so long no longer apply. The question we ask today is not whether our government is too big or too small, but whether it works - whether it helps families find jobs at a decent wage, care they can afford, a retirement that is dignified. Where the answer is yes, we intend to move forward. Where the answer is no, programs will end. And those of us who manage the public's dollars will be held to account - to spend wisely, reform bad habits, and do our business in the light of day - because only then can we restore the vital trust between a people and their government.

Nor is the question before us whether the market is a force for good or ill. Its power to generate wealth and expand freedom is unmatched, but this crisis has reminded us that without a watchful eye, the market can spin out of control - and that a nation cannot prosper long when it favors only the prosperous. The success of our economy has always depended not just on the size of our Gross Domestic Product, but on the reach of our prosperity; on our ability to extend opportunity to every willing heart - not out of charity, but because it is the surest route to our common good.

As for our common defense, we reject as false the choice between our safety and our ideals. Our Founding Fathers, faced with perils we can scarcely imagine, drafted a charter to assure the rule of law and the rights of man, a charter expanded by the blood of generations. Those ideals still light the world, and we will not give them up for expedience's sake. And so to all other peoples and governments who are watching today, from the grandest capitals to the small village where my father was born: know that America is a friend of each nation and every man, woman, and child who seeks a future of peace and dignity, and that we are ready to lead once more.

Recall that earlier generations faced down fascism and communism not just with missiles and tanks, but with sturdy alliances and enduring convictions. They understood that our power alone cannot protect us, nor does it entitle us to do as we please. Instead, they knew that our power grows through its prudent use; our security emanates from the justness of our cause, the force of our example, the tempering qualities of humility and restraint.

We are the keepers of this legacy. Guided by these principles once more, we can meet those new threats that demand even greater effort - even greater cooperation and understanding between nations. We will begin to responsibly leave Iraq to its people, and forge a hard-earned peace in Afghanistan. With old friends and former foes, we will work tirelessly to lessen the nuclear threat, and roll back the specter of a warming planet. We will not apologize for our way of life, nor will we waver in its defense, and for those who seek to advance their aims by inducing terror and slaughtering innocents, we say to you now that our spirit is stronger and cannot be broken; you cannot outlast us, and we will defeat you.



For we know that our patchwork heritage is a strength, not a weakness. We are a nation of Christians and Muslims, Jews and Hindus - and non-believers. We are shaped by every language and culture, drawn from every end of this Earth; and because we have tasted the bitter swill of civil war and segregation, and emerged from that dark chapter stronger and more united, we cannot help but believe that the old hatreds shall someday pass; that the lines of tribe shall soon dissolve; that as the world grows smaller, our common humanity shall reveal itself; and that America must play its role in ushering in a new era of peace.

To the Muslim world, we seek a new way forward, based on mutual interest and mutual respect. To those leaders around the globe who seek to sow conflict, or blame their society's ills on the West - know that your people will judge you on what you can build, not what you destroy. To those who cling to power through corruption and deceit and the silencing of dissent, know that you are on the wrong side of history; but that we will extend a hand if you are willing to unclench your fist.

To the people of poor nations, we pledge to work alongside you to make your farms flourish and let clean waters flow; to nourish starved bodies and feed hungry minds. And to those nations like ours that enjoy relative plenty, we say we can no longer afford indifference to suffering outside our borders; nor can we consume the world's resources without regard to effect. For the world has changed, and we must change with it.

As we consider the road that unfolds before us, we remember with humble gratitude those brave Americans who, at this very hour, patrol far-off deserts and distant mountains. They have something to tell us today, just as the fallen heroes who lie in Arlington whisper through the ages. We honor them not only because they are guardians of our liberty, but because they embody the spirit of service; a willingness to find meaning in something greater than themselves. And yet, at this moment - a moment that will define a generation - it is precisely this spirit that must inhabit us all.

For as much as government can do and must do, it is ultimately the faith and determination of the American people upon which this nation relies. It is the kindness to take in a stranger when the levees break, the selflessness of workers who would rather cut their hours than see a friend lose their job which sees us through our darkest hours. It is the firefighter's courage to storm a stairway filled with smoke, but also a parent's willingness to nurture a child, that finally decides our fate.

Our challenges may be new. The instruments with which we meet them may be new. But those values upon which our success depends - hard work and honesty, courage and fair play, tolerance and curiosity, loyalty and patriotism - these things are old. These things are true. They have been the quiet force of progress throughout our history. What is demanded then is a return to these truths. What is required of us now is a new era of responsibility - a recognition, on the part of every American, that we have duties to ourselves, our nation, and the world, duties that we do not grudgingly accept but rather seize gladly, firm in the knowledge that there is nothing so satisfying to the spirit, so defining of our character, than giving our all to a difficult task.



This is the price and the promise of citizenship.

This is the source of our confidence - the knowledge that God calls on us to shape an uncertain destiny.

This is the meaning of our liberty and our creed - why men and women and children of every race and every faith can join in celebration across this magnificent mall, and why a man whose father less than sixty years ago might not have been served at a local restaurant can now stand before you to take a most sacred oath.

So let us mark this day with remembrance, of who we are and how far we have traveled. In the year of America's birth, in the coldest of months, a small band of patriots huddled by dying campfires on the shores of an icy river. The capital was abandoned. The enemy was advancing. The snow was stained with blood. At a moment when the outcome of our revolution was most in doubt, the father of our nation ordered these words be read to the people:

"Let it be told to the future world...that in the depth of winter, when nothing but hope and virtue could survive...that the city and the country, alarmed at one common danger, came forth to meet [it]."

America. In the face of our common dangers, in this winter of our hardship, let us remember these timeless words. With hope and virtue, let us brave once more the icy currents, and endure what storms may come. Let it be said by our children's children that when we were tested we refused to let this journey end, that we did not turn back nor did we falter; and with eyes fixed on the horizon and God's grace upon us, we carried forth that great gift of freedom and delivered it safely to future generations.

(Provided by Presidential Inaugural Committee 2009)


REMARKS OF PRESIDENT BARACK OBAMA〈英語全文〉1

2009年01月22日 | Weblog
2009年01月21日 07時12分記載

asahi.com配信記事 URL http://www.asahi.com/international/update/0121/TKY200901200391.html  



「REMARKS OF PRESIDENT BARACK OBAMA

Inaugural Address

Tuesday, January 20, 2009

Washington, D.C.

My fellow citizens:

I stand here today humbled by the task before us, grateful for the trust you have bestowed, mindful of the sacrifices borne by our ancestors. I thank President Bush for his service to our nation, as well as the generosity and cooperation he has shown throughout this transition.

Forty-four Americans have now taken the presidential oath. The words have been spoken during rising tides of prosperity and the still waters of peace. Yet, every so often the oath is taken amidst gathering clouds and raging storms. At these moments, America has carried on not simply because of the skill or vision of those in high office, but because We the People have remained faithful to the ideals of our forbearers, and true to our founding documents.

So it has been. So it must be with this generation of Americans.

That we are in the midst of crisis is now well understood. Our nation is at war, against a far-reaching network of violence and hatred. Our economy is badly weakened, a consequence of greed and irresponsibility on the part of some, but also our collective failure to make hard choices and prepare the nation for a new age. Homes have been lost; jobs shed; businesses shuttered. Our health care is too costly; our schools fail too many; and each day brings further evidence that the ways we use energy strengthen our adversaries and threaten our planet.



These are the indicators of crisis, subject to data and statistics. Less measurable but no less profound is a sapping of confidence across our land - a nagging fear that America's decline is inevitable, and that the next generation must lower its sights.

Today I say to you that the challenges we face are real. They are serious and they are many. They will not be met easily or in a short span of time. But know this, America - they will be met.

On this day, we gather because we have chosen hope over fear, unity of purpose over conflict and discord.

On this day, we come to proclaim an end to the petty grievances and false promises, the recriminations and worn out dogmas, that for far too long have strangled our politics.

We remain a young nation, but in the words of Scripture, the time has come to set aside childish things. The time has come to reaffirm our enduring spirit; to choose our better history; to carry forward that precious gift, that noble idea, passed on from generation to

generation: the God-given promise that all are equal, all are free, and all deserve a chance to pursue their full measure of happiness.

In reaffirming the greatness of our nation, we understand that greatness is never a given. It must be earned. Our journey has never been one of short-cuts or settling for less. It has not been the path for the faint-hearted - for those who prefer leisure over work, or seek only the pleasures of riches and fame. Rather, it has been the risk-takers, the doers, the makers of things - some celebrated but more often men and women obscure in their labor, who have carried us up the long, rugged path towards prosperity and freedom.



For us, they packed up their few worldly possessions and traveled across oceans in search of a new life.

For us, they toiled in sweatshops and settled the West; endured the lash of the whip and plowed the hard earth.

For us, they fought and died, in places like Concord and Gettysburg; Normandy and Khe Sahn.

Time and again these men and women struggled and sacrificed and worked till their hands were raw so that we might live a better life. They saw America as bigger than the sum of our individual ambitions; greater than all the differences of birth or wealth or faction.

This is the journey we continue today. We remain the most prosperous, powerful nation on Earth. Our workers are no less productive than when this crisis began. Our minds are no less inventive, our goods and services no less needed than they were last week or last month or last year. Our capacity remains undiminished. But our time of standing pat, of protecting narrow interests and putting off unpleasant decisions - that time has surely passed. Starting today, we must pick ourselves up, dust ourselves off, and begin again the work of remaking America.

For everywhere we look, there is work to be done. The state of the economy calls for action, bold and swift, and we will act - not only to create new jobs, but to lay a new foundation for growth. We will build the roads and bridges, the electric grids and digital lines that feed our commerce and bind us together. We will restore science to its rightful place, and wield technology's wonders to raise health care's quality and lower its cost. We will harness the sun and the winds and the soil to fuel our cars and run our factories. And we will transform our schools and colleges and universities to meet the demands of a new age. All this we can do. And all this we will do.

強い国を作った「人を切らない」思想

2009年01月22日 | Weblog
2009年01月21日 06時51分記載

URL http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090119/183071/



“障害者集団”、スウェーデン・サムハルの驚愕(最終回)

Author 篠原 匡



「数人の男たちが熱心にメモを取っていた。

 2008年4月、サムハルが受託している民間郵便会社の配送所には、トヨタ自動車の社員がいた。2008年5月、トヨタループスという特例子会社を作ったトヨタ自動車。トヨタの社員がサムハルを訪ねたのは、2万人の障害者をマネジメントするノウハウを学ぶためだった。



障害者の専用工場を造るトヨタ自動車




 トヨタループスは今春、トヨタの本社敷地内に障害者のための専用工場を造る。そこで障害者を雇用し、社内向けの郵便物の仕分けや印刷業務などを手がけていく。

 事業開始は今年の5月。初年度にはサポートのための健常者50人を加えた80人体制を、5年後には、障害者70人、健常者30人の100人体制を目指すという。100人規模の特例子会社はあまり例がない。

 トヨタは今年度の決算で営業赤字に転落することが濃厚になった。進行中のプロジェクトは、その多くが中止や凍結の憂き目に遭っている。だが、障害者工場プロジェクトだけは継続して進めることが決まっている。それだけ、トヨタは障害者雇用に本気なのだろう。



特例子会社の設立に当たって、トヨタループスの常務、有村秀一は他社の特例子会社や先進的な障害者施設を見て回った。バリアフリーなど優れている施設は多くあったが、どれも国の規格に則ったものばかり。ほかと全く違う、驚くような施設に出合うことはなかった。そんな折、サムハルの存在を知った有村はスウェーデンに飛んだ。

 ストックホルムでは、障害者が働く現場を子細に見た。確かに、従業員は生き生きと働いていたし、障害者をまとめるマネジメントに見るべき点もあった。ただ、トヨタ流のカイゼンが骨の髄まで叩き込まれている有村である。サムハルの作業所を見ていると、もっと改善の余地があるように思えた。郵便物の配送所も、トヨタならもっと効率的に運営するかもしれない。



だが、逆立ちしてもできない――。そう感じたものがあった。それは、障害者に対する人々の意識である。



「ここでは、あなたが障害者なんですよ」




 「一つひとつを見ると、日本とやっていることはそれほど変わらない。でも、『障害』に対する考え方がまるで違う」

 サムハルの幹部に言われた言葉は、今も有村の耳から離れない。

 「あなたはスウェーデン語が話せませんよね。ここでは、あなたが障害者なんですよ」

 この幹部は冗談で言ったのだろうが、この一言は有村の心に響いた。環境が変われば、誰もが不自由な状況に置かれ、誰でも障害者になり得る。これは、裏を返せば、個人の差異は何も特別なことではないということでもある。障害を持つ。それは特別視するようなことではない。

 サムハルを見てもそうだろう。サムハルの人々は障害者が働くことに、何の疑問も感じていない。当たり前のように、働きがいのある仕事を探し出そうとしている。サービス業に進出したように、「障害者だからできない」とは考えない(無論、反対した幹部がいたように、全員がそう考えていたわけではなかったが)。

 これは、一般の市民でも同様だ。スウェーデン人は障害者が地下鉄に乗っていることに違和感を持つ人はいない。カフェテリアで働いていることを不思議に思う人もいない。サムハルという障害者集団に好奇の目を向ける人もいない。もちろん、必要な手は差し伸べるが、誰も障害者を特別視していない。



日本はどうだろうか。

 スウェーデンから帰国した翌日。バスに乗ると、車いすの青年が乗ろうとした。運転手が手伝ったため、発車が2分ほど遅れた。すると、青年に聞こえるように、1人の老人が呟いた。

 「お前のせいで遅れたんだから、一言、何か言ったらどうだ」

 青年はうつむいたままだった。自分自身を含め、誰も乗車を手伝わなかったし、老人に注意もしなかった。何より、そんな光景を前にしながら、体と口が動かない自分を恥じた。と同時に、スウェーデン社会との違いを肌で感じた。この意識の差はとてつもなく大きいのではないだろうか。

 それでも、サムハル的な組織は日本にもある。



東京都中野区にある東京コロニー。福祉工場や授産所などを経営する社会福祉法人である。ホームページ作成やソフト開発などの情報処理事業、印刷事業、防災安全用品の製造・販売事業などのほか、市役所での受付業務やハーブ栽培なども手がけている。ここでは、360人の障害者が働いている。



「思想を持ってくることはできない」




 この東京コロニー、中野区や複数の地元企業などとともに、4月から新しい取り組みを始める。障害者が働く作業所を中野区が造り、地元企業が作った特例子会社が安く借りる。そして、東京コロニーなど中野区内の障害者施設で働く従業員のうち、一定の作業レベルがある人材を特例子会社に転職させていく――という仕組みである。2007年度には、31人が一般企業に転職していった。その数をさらに増やそうということだ。

 「コストだったものが納税者に変わる。障害者雇用を進めたい企業も一定レベルの人材を採用できる。そして、地元の障害者の雇用の場も生まれる。行政、企業、地域。皆がプラスになるのではないでしょうか」

 東京コロニーの理事長、勝又和夫は狙いを語る。車いすに乗る勝又は東京コロニーの訓練生から5代目理事長になった苦労人。それだけに、障害者雇用にかける思いは強い。

 厚生労働省は就労支援に障害者福祉政策の軸を移し始めた。東京コロニーのように、創意工夫で障害者の社会化を進める組織も存在する。だが、全土で障害者雇用を進めるスウェーデンと比べると、その動きは限定的である。それに、障害者に対する国民の意識に彼我の差がある。

 「思想を持ってくることはできませんからね」

 トヨタループスの有村は取材の最後にこう言った。サムハルのノウハウや仕組みを真似することはできるかもしれない。福祉国家、スウェーデンの制度を導入することもできるかもしれない。だが、その仕組みを動かす思想が今の日本人にあるだろうか。



スウェーデンは「人を切らない国」




 なぜサムハルが存在しているのか――。これまで、この疑問を何度も繰り返してきた。社会的使命、社会的コストの低減、企業としての努力、時代に対応するマネジメント。答えはいくつも挙げられる。だが、最大の要因は国民の意識。サムハルに500億円の税金投入を許す国民の存在だろう。

 スウェーデン人の多くはサムハルを必要なものと考えている。民業圧迫批判は常に起きるが、「解体せよ」という議論にはならない。国民負担率で70%を超える高負担の国だが、「障害者に働く機会を与える」という政策を実現するために、自分たちの税金を使ってもよいとスウェーデン人は考えている。

 福祉国家、スウェーデンの底流にある思想。それは、「誰何人も見捨てない」という哲学ではないか。

 「一言で表せば、スウェーデンは人を切らない国」

 サムハルの日本代表を務めていたプロシードの代表、西野弘はこう指摘する。1975年にスウェーデンの大学に留学した西野。その後もビジネスなどを通して、スウェーデン社会を見つめてきた。確かに、西野が言うように、スウェーデンという国を見つめると、「人を切らない」という哲学で溢れている。

 「障害者であっても雇用の機会を等しく与える」。サムハルが作られたのはこの崇高な理想を実現するため。障害者を社会から切り離さないためである。



社会から切り離さないのは、障害者だけではない。高齢者もそうだ。ホームヘルプサービスの自己負担額は収入に応じて市町村が独自に設定しているが、国が定めた限度額を見ると、月1640SEK(スウェーデンクローナ)。施設系サービスでも1708SEKである。直近の為替レート(1SEK=11.05円)で言えば「2万円弱」。実際には収入に応じてさらに低い額になる。



ヒューマニズムを支える合理性




 子供も同じだ。スウェーデンでは教育費がかからない。鉛筆1本、ノート1冊に至るまで無料。小中学校や高等学校だけでなく、大学の学費も無料である。養育者の所得によって教育の機会に差をつけないためだろう。



そして女性を社会にしっかり組み込む仕組みがある。この国では女性がキャリアを中断することなく出産、育児に専念することができる。育児休業中の所得保障はそれまでの所得の80%。市町村の保育所も低い利用料に抑えられている。だからだろう。5歳児の保育所の利用率は2006年で97.6%に上っている。



医療費負担も限りなく低い。ストックホルム県の場合、診療所の外来を受診した際の自己負担額は140SEK(約1550円)。ただ、自己負担額の上限が決められており、2008年では900SEK(約1万円)だった。失業しても、通常の失業保険だけでなく、無料の職業訓練も受けられる。

 この国はあらゆる人を社会から切り離さない。言い換えれば、社会的弱者という存在を作らない国である。その哲学の根本に、スウェーデン人のヒューマニズムがあるのは間違いない。だが、サムハルを見てもわかるように「社会的弱者を弱者のままに置くことは国家的なマイナス」という冷徹な合理性もそこにはある。



「障害者も労働者という意識はとても新鮮だった。日本でも、高齢者や女性、チャレンジド(障害者)のような、これまで労働者と見なされていなかった人々を組み込む発想を持つべき」

 4年前にサムハルを視察した内閣府特命担当大臣(科学技術政策、食品安全)の野田聖子は言う。現実に、社会的弱者を生まないために張り巡らされたセーフティーネットがスウェーデンに強さをもたらしている。スウェーデン経済に詳しい東京大学教授、神野直彦はこう指摘する。

 「セーフティーネットが幾重にも張られていれば、人々は安心して冒険できる。でも、最低限の安心がなければ、人は何かに挑戦し、知的能力を高めようとはしない。スカンジナビア諸国は1990年代後半に高成長を実現した。これは、セーフティーネットが経済成長を阻害するものではないということを示している」(インタビュー参照)

 90年代前半、スウェーデンは経済破綻という危機に見舞われたが、政府の適切な舵取りの結果、2000年以降は強さを取り戻した。1999年には10%近かった失業率も今は5%台に低下。多くの欧州連合(EU)諸国が低成長にとどまる中、2005~07年は3%前後のGDP(国内総生産)成長率を実現していた。

 介護、教育、医療、雇用――。これらの各分野に張り巡らされた分厚いセーフティーネットは、すべて「人を切らない」という哲学から生まれている。「人を切らない」という安心感が、スウェーデンという国に厚みをもたらしている。サムハルというレンズを通して見えたもの。それは、国と国民との間の安心感そのものだった。



スウェーデンの本質は地方自治と民主主義




 この安心感を求めているのは国民である、ということを忘れてはならない。スウェーデンの投票率は常に80~90%。過去には「高福祉の見直し」を掲げて政権を取った政党もあったが、いつも次の選挙で負ける。それだけ、国民が高福祉を求めているということだ。



この国では地方議会選挙の投票率も90%前後に達する。介護や教育などの行政サービスを提供しているのは市町村に当たる基礎自治体。日本とは違って住民税が自治体にそのまま入る。この税金の使い道を決めるのは地方議会。だからこそ、住民は選挙に行き、使い道を監視する。

 サムハルが効率的に運営されているのもこの投票率によるところが大きい。「障害者の就労支援」。そんな大義名分を持つ国営企業は、ややもすると、肥大化し、非効率な経営になりがちだ。その国営企業に経営目標を課し、結果に対する説明責任を負わせているのは政治。言い換えれば、国民である。

 選挙に行くのはなぜ――。ある晩、ストックホルムで知り合ったマジシャン、マーティン・ハンソンに尋ねた。すると、日本の低い投票率のことなど知らないマーティンは「何を聞いているんだ」と質問そのものの意味が理解できないという表情で答えた。

 「当たり前のことだろう。すべての政党の主張に同意できず、白票を投じたことが1回あるだけだ。もちろん、国政選挙、地方選挙のどちらにも行く」

 スウェーデンは子供の頃から有権者教育に力を入れている。選挙に行き、一票を投じる。それが、当たり前のこととして国民全体に根づいている。

 高い税金に不満はないのか――。今回、取材に同行し、写真撮影を担当したニクラス・ラーソンに聞くと、彼は恥ずかしそうにこう言った。

 「税金が高くても気にならないよ。サムハルのように、いい使い方をしているのを知っているしね」

 ニクラスだけでなく、スウェーデンの若者と話していると、日本人が思うほど負担に対する怒りがない。それは、自分のカネがどう使われるかよく知っているため。その使われ方に納得しているからだろう。スウェーデンの高福祉路線を支えているのは地方自治と民主主義でもある。

 そして、この投票率が政治と行政に規律を与えている。



手厚い福祉は強い経済の下に成り立つ




 もちろん、スウェーデン社会も様々な問題を抱えている。

 女性の社会進出が進んだ半面、ほとんどの家庭が共稼ぎになった。離婚率も高く、家庭崩壊が加速している。高齢者介護や子育て支援などの様々なセーフティーネットは、見方を変えれば、親に代わって社会が高齢者や子供の面倒を見ているということ。家庭崩壊の結果でもある。

 最近では凶悪犯罪の増加、アルコールや薬物乱用も深刻な社会問題となっている。これも社会の歪みがもたらしたものだろう。

 手厚い福祉政策もバラ色ではない。確かに、医療費は安いが、病院や医師が足りず、必要な医療が受けられない患者が増えている。財源不足が原因である。既に、スウェーデンの国民負担率は70%にまで達している。増税余地のある日本と違って、その余地はない。

 今回の金融危機によって、スウェーデン経済も減速を余儀なくされる。手厚い福祉は強い経済の下でしか成り立たない。経済成長が鈍化した時、現状の路線が続く保証はどこにもない。福祉国家スウェーデンも他の先進国と同様の課題を抱えている。

 人口900万人の国と1億3000万人の国を比較することに異論もある。だが、介護や教育などの行政サービスを提供しているのは基礎自治体。日本の市町村と規模はそう変わらない。スウェーデンの高福祉路線を支える地方分権と住民自治は日本でも見習うべきものだ。

 何より、「人を切らない」というこの国の思想は普遍性を持つ。「人を切らない」という考え方が弱者を減らし、結果として強い国を作っている。国と国民の信頼、社会の安心感が損なわれている今の日本。この思想こそ、必要なものではないだろうか。

 (文中敬称略。スウェーデンモデルの本質について、今後もこのシリーズで詳しくお伝えする予定です。ご期待ください) 」



弱者を変えた冷徹な合理性

2009年01月22日 | Weblog
2009年01月21日 06時48分記載

URL http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090116/182922/?P=1



“障害者集団”、スウェーデン・サムハルの驚愕(3)

Author 篠原 匡



「顔に刻まれた深い皺が、その人生がいかに濃密であったかを物語っていた。



彼の名前はゲハルト・ラーソン。前回、前々回とリポートした“障害者団体”、サムハルの生みの親である。

 1980年の設立以降、19年間にわたってサムハルの経営トップの座にあった。99年に退任した後は、昨年までスウェーデン中部のヴェステルノールランド県の知事を務めた。63歳になった今も「食品安全対策委員会」や「薬物乱用対策委員会」の議長など政府の要職を占める。
 
 ゲハルトの経歴は日本の常識では測れない。


28歳の事務次官




 69年に大学を卒業したゲハルトはスウェーデン南部の都市、ベクショーの市役所で働き始めた。ここで医療や福祉を担当したゲハルトはベクショーの障害者福祉政策を大きく転換した。それまで精神的な障害を持つ人々に対しては大規模病院でまとめてケアしていたが、ゲハルトは地域にコミュニティークリニックを作り、個別対応のケアを実行したのだ。それまでの政策を大きく転換する決断だった。

 その取り組みが評価されたのだろう。76年、28歳の若さでスウェーデンの保健社会省の事務次官に就任している。歴代で最年少の事務次官だった。

 この年、44年も続いた社会民主労働党政権が終焉し、三党連立政権に移行した。この時、ゲハルトと同郷の人物が大臣に就任するという幸運に恵まれた。もっとも、スウェーデン人は強烈な合理主義と現実主義で知られる。「大臣以上に省を掌握していたよ」。保健社会省でゲハルトの下にいたサムハルのディレクター、リーフ・エイムが振り返るように、ゲハルトには次官に相応しい力があった。

 そして、次官に就任したゲハルトは温めていた1つのアイデアを実行に移した。それは、障害者を雇用し、労働市場に組み込むための企業、サムハルを作るというアイデアである。



ヒューマニズムだけが理由ではない




 なぜサムハルを作ろうと考えたのか――。漆黒の闇に包まれた夕刻。ゲハルトに尋ねると、彼は口を開いた。

 「1つは人間的な理由だ。障害者が他の人と同じように働く。そういう社会を実現することは、人間として大切なことだと思った」



その当時、スウェーデンでは障害者を施設に隔離し、障害年金を支給していた。障害者は社会の外側にいるアウトサイダーだった。だが、障害者を社会の外に隔離する社会が健全であるはずがない。そう考えたゲハルトは、彼らを社会の一員とする仕組みを作ろうとした。

 社会に組み込むにはどうすればいいか。そのためには何より、健常者と同様に就労の機会を提供し、自立した生活を送ってもらう必要がある。では、仕事はどうやって作り出せばいいか。障害者の仕事を生み出す組織を作ればいい――。こうした一連の思考を経て、国が雇用の場を作り出すというサムハルの原型が生まれた。



ただ、背景にある思想は、単純なヒューマニズムだけではなかった。早熟の天才はもう1つ別の視点を持っていた。それは、福祉コストの削減である。

 「障害年金モデルに疑問を感じていた」

 当時は障害者に現金を給付する障害年金が障害者福祉の中心だった。だが、障害年金をただ支給するよりも、障害者が働き、納税する方が全体のコストは下がるのではないか。彼らが働けば、その生産の分だけコストは減るのではないか――。ゲハルトはそう考えていた。



人口900万人のスウェーデンは常に、労働力の確保に苦労してきた。19世紀後半には、貧しさのために国民の4分の1が移民するという辛い出来事も経験している。そういった過去があるため、スウェーデンには「働ける者は可能な限り働く」という意識が国民の間に強く浸透している。

 さらに、70年代に入ると、30年代から続く高福祉路線は曲がり角に差し掛かりつつあった。高い経済成長を背景に手厚い福祉を実践したが、オイルショック後の世界的な不況によって経済成長は鈍化。公的部門の肥大化が国家財政を圧迫していた。

 サムハルを作ろうとした背景にあるのは徹底した合理性。「労働人口を少しでも増やし、少しでも多く税金を徴収する」という冷徹な計算もあった。



90の補助金で100の人件費をカバー




 ゲハルトはサムハルの計画をまとめると、スウェーデン議会に提出。さしたる反対もなく設立が決まった。計画には与野党の大半が賛成、労働組合や一般の市民も同意した。「いいことはやるべき」。ここでも、スウェーデン人の合理性が発揮されたといえるだろう。

 サムハル設立を任されたゲハルトは次官を辞任すると、全国の自治体が独自に抱えていた作業所を統合、全土をカバーする障害者組織を作り上げた。1980年のことだった。

 「雇用と労働を通して障害者福祉コストを低減させる」というゲハルトの社会的な実験。現状を見れば、成功している。

 「政府からの補助金」と「障害者の賃金コスト」を比較したグラフを見てみよう。設立当初の1981年。賃金100に対する補助金の割合は170%だった。これは、障害者の人件費に対して1.7倍の補助金が必要だったということを示している。

 この比率は一貫して下がっている。

 81年に170%だった数値は91年には120%まで縮小した。その後、金融危機の影響で数値は上昇したものの、97年には100%を切るまでに。今では、90%近辺で推移している。これは90の補助金で100の人件費が賄えるようになったということ。同じ金額をばらまくよりも、10のコストが下がったということだ。障害者雇用や一般企業への転職という役割も考慮に入れれば、十分すぎる結果だろう。



設立当初は従業員の20%を、障害者をサポートする健常者が占めていた。だが、現在ではその割合も10%程度まで減少している。障害者だけでうまく仕事が回せるようになったことが大きな要因だ。「働く意志のある人に機会を提供する」という崇高な理想。障害者を労働市場に組み込み、社会的なコストを下げるという実利的な狙い。その両方を実現したのだ。



ベルリンの壁とともに崩壊した拡大路線




 もっとも、この30年を振り返れば、サムハルの航海は決して順風満帆ではなかった。荒波に翻弄され続けた30年と言っていいだろう。

 設立当初、サムハルの業務は製造業の下請けが中心だった。
 
 例えばイケア。一時期、国内45カ所にあるイケアの工場では約3000人の従業員が家具の組み立て作業に従事していた。イケアの創業者、イングヴァル・カンプラードをゲハルト自身が訪問し、トップ営業をかけた成果だった。同国を代表するITメーカー、エリクソンでも1200人が働いていた。

 下請け業務が多かったのは、国内に製造業が多く存在していたためだ。スウェーデンは日本と同様の産業国家。イケアやエリクソンのほかに、大手自動車メーカーのボルボやサーブ(Saab、Svenska Aeroplan Aktiebolagetの略)、エリクソン、ベアリング大手のSKFなど、世界に名の知られた製造業が国内にある。こうした製造業の厚みもサムハルを成立させた要因だ。

 その後、サムハルは下請けだけに飽きたらず、自社工場を作り、自社製品の製造も始めた。歩行器やバス用品、家具など障害者向けの製品が中心だった。トナカイの置物のようなお土産品も含めると、100種類以上の商品を作っていた。

 ゲハルトの指揮の下、拡大路線をひた走ったサムハル。ピークの89年には3万人の従業員を抱えていた。だが、その拡大路線もベルリンの壁とともに崩壊してしまう。



89年に起きたベルリンの壁崩壊。冷戦体制の終焉とともに、東欧が西側経済に組み込まれた。その結果、スウェーデン国内の製造業は、徐々に労働力の安価な東欧諸国にシフトし始めた。大口顧客だったイケアも東欧に進出。90年代初頭には400カ所あった作業所も90年代後半には150カ所まで減少してしまった。サムハルはその競争力を急速に失った。

 そして、スウェーデンを襲った経済危機がさらなる打撃を与えた。



民業圧迫批判で事業を次々と売却


 80年代に段階的に進められた金融緩和の結果、80年代後半にはバブル経済に突入していた。そのバブルが91年に崩壊。その後、大胆な公的資金の注入などによって3年でスウェーデン経済は回復基調に乗ったが、マイナス成長や高失業率、財政赤字などに苦しむことになった。

 国の機関だったサムハルも影響を受けた。設立当初は財団だったサムハルだが、財団では危機に対応できないと考えた政府は、経営の自由度を高めるために株式会社に組織を変えた。転職数やROE(自己資本利益率)などの数値目標を課したのもこの頃のこと。サムハルは効率的な経営を模索し始めた。

 民業圧迫批判も大きくなっていた。

 補助金を得ているサムハルが自社製品を作るのは公正な競争に反する――。こういった批判は設立当初からあった。ただ、規模の拡大とともに批判の声も大きくなっていた。その後、いくつかの裁判を経て、サムハルは子会社や事業を次々と手放していった。前回触れたデータ管理事業もその1つだった。

 大きな壁に突き当たったサムハル。生き残りのために、ビジネスモデルの転換を図った。サービス業への進出である。

 前述した通り、業務の中核は下請けや自社製品などのモノ作りだった。だが、東欧が欧州経済に組み込まれた結果、国内の製造業は急速に縮小している。新しい仕事を作る必要に迫られたサムハルは、「サービス業」へ転換しようと考えた。

 その後は試行錯誤の連続だった。



優れた経営感覚で時代の荒波を越えていった




 障害者でもできるサービス業を作り出すために、ホテルを買収し、ホテル経営を始めた。だが、サムハルにホテル経営のノウハウはない。それに、この場合、雇用を増やすためにはホテルというハードへの投資が必要になる。最終的にホテル経営からは撤退。他者が提供しているサービスを受託するという方向に舵を切った。その典型が、前々回で紹介したイケアの清掃サービスであり、前回紹介したカフェテリアの配食サービスである。



「サービス業は人とのコミュニケーションが必要。施設の外に出る必要もある。障害者には無理ではないか」

 サムハルの幹部からも異論が出たが、ゲハルトはサービス化を断行した。その決断がサムハルの今を支えている。2000年以降、製造業の空洞化はさらに加速したが、その穴を埋めるように、業務に占めるサービス業の比率は増大した。「できない」と言われたサービス業に対応した障害者や現場のマネジャーの努力も大きかった。

 そして、サービス業への転換と同時に、手紙の仕分けや配送センターのパッキング業務など、モノ作り以外の業務を一括して請け負う業務も増え始めた。相手の企業にチームを派遣して業務を請け負うことは、「障害者のマネジメント」という新たなサービスの発見にもつながった。



業務内容の転換に成功し、障害者でもサービス業ができることを証明したサムハル。彼らがやってきたのは、経済の荒波に対応し、臨機応変に戦略を変えていくという経営そのもの。国営企業だが、民間企業を超える経営感覚で、自らが進むべき方向を見極め、危機を乗り切ってきた。

 最近では、サムハルは新たな役割も担うようになっている。それは移民対策である。サムハルの職場には、中東系や東欧系の従業員が目立つ。



ストックホルムの野菜加工場で働いていたアブドゥル・ハッサンはイラクからの難民だった。イラクで大学に通っていたが、政治活動をしていた兄が警察に捕まり、銃殺されてしまった。それをきっかけに、スウェーデンに移り住んだ。兄の処刑のショックが大きかったのだろう。その後、精神的に不安定になったという。

 スウェーデンにはアブドゥルのような難民が少なくない。最近では、こうした外国人の就労、転職支援の場として、サムハルが活用されるようになった。さらに、メンタル面に問題を抱えている人のリハビリ機関としての役割も求められている。



メンタル面に問題を抱えた人のリハビリ機関に




 学校の先生や病院の看護師などの中には、様々なプレッシャーを抱えて鬱状態になっている人が増えている。こうした人々をサムハルが雇用し、1年などと期限を区切って別の学校や病院に派遣する――。そんな社会復帰プログラムを進めている。



「メンタルに問題を抱えた人々の仕事を作ることが中長期の課題でしょう」。CEOのブリギッタ・ボーリンは言う。

 スウェーデンは社会との接点として勤労を重視している。「障害者も同じだけど、働かなければ対等な関係にはならないし、スウェーデン人の友人もできない。社会的な弱者になってしまう」(スウェーデン社会福祉研究所所長、グスタフ・ストランデル)。これは多くのスウェーデン人が持つ考え方である。労働を通して社会参加を促すサムハルは、弱者を対等な市民に変えている。

 100年に1度と言われる金融危機が世界を襲っている。1人当たりGDP(国内総生産)の高さを誇ってきたスウェーデンも例外ではない。昨年12月には、サーブとボルボが政府に金融支援を要請すると報道された。SKFも人員削減に踏み切っている。米国発端の経済危機は、スウェーデンの実体経済にも深刻なダメージを与えている。

 それでもサムハルは、目の前の危機に身をすくませているだけではない。しっかりと次の時代を見据えている。

 経営陣は昨秋、2011年までの中期経営計画を策定した。この計画では、サービス事業の拡大とともに、製造業の国内回帰をうたっている。

 「サービス事業がさらに伸びることは間違いない。まずはこの分野に注力していく。あとは、製造業の国内回帰。もう一度、組み立てなどの仕事が増えると考えている」

 CEOのブリギッタによれば、東欧やアジアに進出した多くの製造業は、品質や物流などに悩みを抱えており、国内に回帰しつつあるという。こういった企業の下請け先として、もう一度、サムハルの価値が高まる、と見ている。さらには、環境や介護、ツーリズムなど、新しい分野でのサムハルの仕事も探していく。



障害者の能力を可視化するシステム作り




 そして、今後は従業員の一人ひとりの「貸借対照表」を作る。障害者Aは「○○」と「××」ができる。障害者Bは「△△」しかできない――。このように、従業員一人ひとりの能力を可視化していく。そして、従業員全体で「○○」ができる人が30%、「××」できる人は50%という具合にまとめていく。

 個人の能力を可視化すれば、障害者が転職する際の目安になる。従業員全体の能力をまとめることで、どの能力をどの程度高めればいいか、という人材育成の目標を明確にできる。この従業員の貸借対照表。今年から進めていくという。

 グローバル資本主義が隅々にまで浸透した今、企業の競争は激しさを増している。そんな状況でなぜ、非効率にも見える“障害者企業”が存在しているのだろうか。この答えを、何度も考えてきた。

 1つは、障害者に就労の場を与えるという社会的使命と社会的コストを低減するという理由である。そして、障害者それぞれの能力に合わせた仕事の開拓や障害者のマネジメントに象徴されるように、サムハルが一企業として独自のノウハウを築き、経済の状況に応じて適切に経営戦略を変えてきたからである。

 だが、サムハルが存続しているのには、独自の経営努力だけでは語りきれない背景がある。それはサムハルを生んだ国、スウェーデンという国のあり方そのものだ。

(文中敬称略、最終回につづく。掲載は明日、1月20日火曜日の予定です)



厳しい数値目標が国営企業を鍛えた

2009年01月22日 | Weblog
2009年01月21日 06時47分記載

URL http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090115/182792/



“障害者集団”、スウェーデン・サムハルの驚愕(2)

Author 篠原 匡



「ストックホルム中央駅――。「サムハル(Samhall)本社へ」と行き先を告げると、アクセルを踏んだタクシーの運転手は、寒そうに首をすくめる日本人に同情したのか、ため息をつくように、こう言った。「あなたも最低な時期に来たわね」。

 11月のストックホルムは雨が多い。この日も、今にも落ちてきそうな鉛色の雲が空を覆っていた。人を陰鬱な気分にさせる暗い朝。だが、ごく稀に雲の切れ目から光が差すことがある。鉛色の空から差す一条の光は、心を覆う陰鬱さを吹き飛ばす力を持つ。サムハルも、不透明な時代に差す一筋の光なのかもしれない――。


グローバル資本主義が加速したこの時代に、従業員のほとんどが障害者という企業が存続しているのはなぜか。その1つの要因は、障害者の就労を支援するという社会的な意義である。しかし、それだけではない。サムハルに企業としての強さがあるため、サムハルにしかできないことがあるからだ。与えられた数々の制約。それが、サムハルを鍛えている。



サムハル本社は中央駅から目と鼻の先だった。挨拶を済ませると、サムハルのCEO(最高経営責任者)、ビルギッタ・ボーリンは穏やかな笑みを浮かべて話し始めた。

 「普通の会社は優秀な人材を集めて利益を上げていますよね。でも、私たちは優秀な人材から転職させていく。それでも企業として結果を出していかなければならない。これがどれだけすごいことか、あなたも分かってくれるでしょう?」

 2004年にサムハルのCEOになったビルギッタ。前職は軍需品の調達などを担当する国防省軍需品管理局の局長を務めていた。だからだろう。彼女の部屋にはスウェーデンの民芸品、「ダーラナホース」とともに、戦闘機や戦車の模型が飾られていた。



1000人の障害者が普通の企業に転職していく




 2万人近い障害者が働くサムハルは、雇用の機会均等を実現するために設立された国策会社である。収入は868億円(2007年度、1スウェーデンクローナ=11.89円)だが、そのうち500億円強は政府が補助金として出しているものだ。障害者を労働市場に組み込む――。国がサムハルを支援しているのは、その高い理想を実現するためだ。



だが、日本の特殊法人の感覚とはまるで違う。多額の補助金を投入しているがゆえに、“株主”たる政府の要求は厳しく、多岐にわたる。「分かってくれるでしょう?」。そう語るビルギッタの気持ちもなるほど理解できる。

 株主の要求。その1つは転職目標である。

 サムハルは年間、1000人を一般労働市場に転職させている。これは、従業員の5%以上を毎年、転職させるよう株主から要求されているためだ。政府がサムハルに求めているのは、障害者に雇用の機会を与え、一般の労働市場に送り込むという役割。そのため、転職者数の目標は何よりも重要視されている。

 次に、優先カテゴリーからの採用だ。

 日本企業では、健常者と変わらずに仕事ができる身体障害者や聾唖(ろうあ)者を採用するケースが目立つ。だが、スウェーデン政府は知的障害や複合的な障害を持つ人を優先カテゴリーと位置づけ、新規採用の40%以上をこのカテゴリーから採用するようサムハルに義務づけている。自力で就労することが難しい人を支援するためだが、経営という面だけを見ればかなりのハードルなのは間違いない。

 そして、障害者の総労働時間である。

 政府はサムハルに従業員全体で2400万時間以上の労働時間を確保するよう求めている。1人当たりにすれば年間約1200時間。従業員数の数合わせではなく、障害者に十分な労働の機会を提供させるという狙いがあるのだろう。

 もちろん、国営会社だからといって、赤字の垂れ流しは許されない。株主としての最低限の収益目標を定めている。



その目標とは「ROE(自己資本利益率)7%以上」かつ「自己資本比率30%以上」。収入の60%近くを補助金が占めているとは言うものの、転職者数の縛りや採用時の優先カテゴリーの存在を考えれば、容易な収益目標ではない。未達で経営陣がすぐに更迭されることはないようだが、国営企業に規律を与えていることは確かだ。

 このほかにも、2008年度には欠勤率の削減、年間1200人以上の雇用などの経営目標を課されている。こういった経営目標や補助金の額は直接の監督官庁である雇用省とサムハルで決める。その目標が妥当かどうかは、産業分野を司る企業エネルギー通信省の担当者がチェックするという仕組みになっている。

 「今の経営目標はリーズナブル。当然のことだと考えている。強いて言えば、転職率を上げてほしいですね」

 企業エネルギー通信省でサムハルの経営を監視しているトビアス・ヘンマークはこう注文をつけると、さらに付け加えた。

 「サムハルに対する補助金は2万人の雇用を維持するためではありません。労働市場に流動性を持たせるためのもの。労働政策上、必要な機能と考えていますよ」



2009年度はROE目標を10%に引き上げる




 サムハルが存在していなければ、企業に雇用される障害者は今ほど多くはない。サムハルがなければ、障害を持つ人が一般労働市場に移ることもない。働く意志のある人を労働市場に移転させる仕組みは何よりも重要なこと。その機能をサムハルは十分に果たしている――。トビアスはそう力説していた。



「(私が就任した)2004年以降、政府に課された目標はすべてクリアしてきましたよ」

 こう語るビルギッタは少し誇らしげだった。確かに、2007年度の転職率は5.3%と5.0%の目標をクリアした。優先カテゴリーの採用は全体の51%(≧40%)、労働時間も2440万時間(≧2400万時間)、ROEは9%(≧7%)、自己資本比率も38%(≧30%)を実現している。障害者雇用を実践するサムハルは簡単にレイオフ(一時解雇)ができない。金融危機に伴う不況に備えるため、2009年度はROE目標を10%に引き上げる。

 誤解のないように述べておくが、サムハルが障害者雇用対策のすべてではない。国からの補助金で障害者を雇用する企業は数多い。サムハルとは別の障害者施設も存在する。それに、働く意志があっても、様々な理由で働くことができない障害者はたくさんいる。サムハルは、スウェーデンに数ある障害者福祉プログラムの1つである。



障害者のために仕事を作り出すことも日常茶飯事




 外部に通用する人材をどんどん転職させる一方で、株主の厳しい経営要求に応えていく――。この相反する課題を、この国営企業はどのようにして克服しているのだろうか。この質問に、サムハルのディレクター、リーフ・エイムはこう答えた。

 「私たちの役割は障害者と仕事のマッチング。だから、最も重要なことは仕事探しだよ。まあ、これが一番難しいんだけどね」

 リーフの言葉通り、サムハルはこれまでに様々な仕事を作り出し、障害者の可能性を広げてきた。全国9カ所の営業拠点では、担当者が日々仕事探しを続けている。

 例えば、前回書いた「買い物サービス」。これは、サムハルの営業担当者が各自治体と何年も前から協議して始めたサービスだった。イケアの店内清掃や郵便物の仕分け作業、工場の下請けも同様だ。サムハルの従業員でできる作業かを検証し、できそうな業務であれば、積極的に入札に参加していく。

 カフェテリアの配膳サービスもそうだ。

 サムハルは配膳や調理、皿洗いなどカフェテリアに付随するあらゆる業務を受託している。実際、サムハルが従業員を派遣しているカフェテリアを訪れると、障害を持つ人々が客の注文を聞き、皿に料理を盛りつけていた。リーフによれば、知的障害の従業員が比較的多いという。



「障害者にサービス業は無理」。始めたばかりの頃は社内からも批判が上がった。だが、外部のレストランサービス会社と協力し、障害者でもレストラン業務ができることを証明して見せた。従業員の37%が従事するまでに拡大したサービス業。それも、担当者とパートナー企業の連携があってこそだろう。

 さらに、サムハルでは仕事を探すだけでなく、作り出してもいる。従業員ごと外部の競合他社に売却した「請求書のデータ管理業務」はその典型だ。



企業が実施したアンケートの打ち込みなど、コンピューターを使った簡単な入力作業を手がけていたサムハル。1990年代前半に、日本企業と共同でスキャン技術を活用した機械を開発した。紙の資料をスキャンして文字を読み取り、デジタルデータに変換する装置である。この機械を開発したことで、キーボードを使えない従業員でも文書の入力作業ができるようになっただけでなく、作業効率も飛躍的に向上した。

 このスキャン装置。その後、改良が加えられ、決まったフォーマットでない文書でも読み込めるようになった。その結果、様々な書式の請求書をデータ化し、管理するという新サービスが生まれた。

 A社がB社に請求書を発行したとしよう。通常はA社がB社に紙の伝票を送るが、その伝票をいったんサムハルに送ってもらう。サムハルではスキャン装置で請求書の内容をデジタルデータに変換。元の紙データはサムハルが保管し、データだけをB社に送る――というサービスである。

 企業が伝票を保管する必要がなくなるため、このサービスは多くの企業に支持された。最盛期には400人の従業員がこの仕事に従事していた。ただ、このスキャン技術は同業他社に売却した。データ管理に従事していた従業員もこの会社に転職していったという。



「私たちの仕事はセラピーではない」




 「せっかく育てた事業を売却するのはもったいないと思ったよ。でも、サムハルには事業を拡大するほどの資金力がない。それに、私たちの存在理由は障害者を転職させること。市場と競争してビジネスを拡大させることが目的ではない。障害者でもいろいろなことができるということを見せられて満足だったよ」

 データ管理事業を担当していたハンス・メランデルは振り返る(前回でも述べたが、ハンスは幼い頃の事故で左腕が曲がらない)。このように、独自に作り上げた事業を手放したことは少なくない。



「私たちの仕事は(障害者を癒やす)セラピーではない」

 ブリギッタの言葉通り、サムハルは企業であって慈善団体ではない。実は、就職を希望してサムハルにやってくる障害者をすべて雇うわけではない。採用の判断や人数はサムハルに委ねられている。「経営をしている」と言えばそれまでだが、現状の仕事の範囲で利益を出せる適正人員を常に維持している。

 裏を返せば、障害者の仕事を広げなければ、組織が縮小するということでもある。サムハルの役割は仕事を通して障害者を社会に組み込むこと。仕事が減れば、従業員が減少し、その役割を果たせない。だからこそ、サムハルは仕事作りに力を入れている。



障害者と企業をつなぐ通訳の役割も



企業としての強みはほかにもある。それは、労働現場におけるマネジメントだ。「障害者を現場でまとめ上げる」という特異なノウハウがサムハルという企業を支えている。

 ストックホルム郊外の野菜加工場。ここでは、多くの障害者が野菜や果物の小分け作業に従事していた。サムハルは、この加工場の業務を受託している。中を覗くと、中東系と思しき従業員が段ボールに詰まったルッコラを取り出して秤(はかり)に載せ、輪ゴムで束ねていた。

 この職場では、加工場を経営する企業が直接雇用している障害者も働いている。スウェーデンの企業も障害者雇用を進めているが、現場でのマネジメントではノウハウの不足から苦労が伴う。サムハルは、実際の加工作業だけでなく、企業に対する障害者のマネジメントサービスも一緒に提供しているわけだ。障害者と企業をつなぐ通訳の役割を担っていると言えばいいだろう。



「ここで働く人は一人ひとり障害の程度が違う。それぞれに対応することは本当に難しい。まあ、最も大切なことはコミュニケーションかな」



この加工場の責任者、ステファン・エリクソンは、そう語る。それがすべてなのだろう。各現場で従業員を管理している担当者に尋ねても、話を聞いた全員が「コミュニケーション」と答えていた。

 イケアのバルカビイ店の責任者、パー・オルソンは毎日10分、15分でもいいから必ず従業員に話しかける。調子はどうだ、気分は悪くないか、仕事は楽しいか――。些細なことであっても、話しかけることで良好な関係が作れる。



障害者に細かく目配りできる管理能力が必須




 当たり前だが、障害は一人ひとり異なる。知的障害の人もいれば、身体障害の人もいる。精神障害の人もいれば、アルコール依存症の人もいる。異なる人材のマネジメントは、通常の組織以上に難しい。

 ハンスはこんな一例を示した。ある障害者はいつも15~20分遅刻する。これは、その人の障害が原因であり、遅刻そのものを咎めても意味がない。だが、同僚の障害者はそのことが分からない。注意しても遅刻を繰り返すため、最後はケンカになってしまう――。こうしたトラブルをなくすためには、現場のマネジャーがそれぞれが抱える障害の特徴を見極め、一人ひとりの従業員とこまめにコミュニケーションを取ることが必要になる。

 だからだろう。サムハルは障害者の能力把握やマネジャー教育にかなりの力を割く。

 サムハルの教育リストを見ると、障害者の能力開発やマネジャー教育など150近いメニューが並んでいる。さらに、「チーム作業」「抱える、持ち上げる」「衛生」「読み書き」「押す、引く」といった個人の能力、免許や資格など、きめ細かく把握していく。2007年にサムハルに入社したパー・オルソン。入社後の1年で受けた研修は4週間に上った。会社が研修や教育にかける労力は並大抵ではない。

 そして、一人ひとりの能力に合わせて障害者を組み合わせていく。

 例えば、クリーニングサービスには知的障害を持つ人が多く従事している。だが、彼らは車の運転ができないため、チームには必ず自動車の免許を持つ従業員を入れる。高齢者向けの買い物サービスでも、スーパーのレジでリストと品物を照合していたのは聾唖の障害者だった。



能力に適した仕事がなければ新たに作る




 仕事のアサインはお仕着せでなく、あくまでも本人の希望を重視する。もちろん、物理的、身体的理由で希望する仕事を提供できないことはある。だが、できる限り、その人の要望を叶えるために知恵を絞る。

 先ほどの野菜加工場。ブドウの枝から実を外している盲目の女性がいた。生鮮野菜の小分け作業では、秤で重さを確かめる必要がある。だが、彼女にはその秤の目盛りが見えない。彼女にできる仕事はないか――。責任者のステファンが発注先の会社に房ごとではなく、実だけのブドウパックという商品を提案。新しい仕事を作り出した。



データ入力のためにスキャン装置を開発したのも、入力作業を幅広く解放するため。過去には、身体障害者でも旋盤が使えるように、サポートする機具を開発したこともある。「働く意志を持つ者には等しく機会を与える」。サムハルはこの哲学を、文字通り体現している。

 障害を持つ人材を束ねて企業を経営しているサムハル。ある一部分においては、普通の企業よりも困難な経営を実践しているとも言える。民間企業を超えた国営企業、サムハル。この稀有な企業はどのようにして生まれたのか。その設立には、1人の天才が深く関与していた。

(文中敬称略、次回につづく。掲載は来週、1月19日月曜日の予定です)



働きたい者には等しく機会を与える

2009年01月22日 | Weblog
2009年01月21日 06時46分記載
URL http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090114/182649/



“障害者集団”、スウェーデン・サムハルの驚愕(1)

Author 篠原 匡



「未曾有の金融危機の波をかぶり、世界各国の企業で従業員の削減が始まっている。日本でも非正規雇用従業員といった弱い立場の人が「ハケン切り」や「雇い止め」といった形で職を失っている。社会問題化している彼らの救済は、政府にとっても大きな課題だ。

 だが、社会で最も弱いとされる人を正社員として雇用し、納税者として育て上げている企業がスウェーデンにある。

 この会社の従業員のほとんどは障害者である。しかし健常者と変わらない給料が支払われ、健常者と同様に高い税金を国に納めている。会社運営のコストの一部は国民が負担しているが、経営者は国民負担を減らすために不断の努力を続ける。

 働くことは人間なら誰もが持つ欲求であり、個人と社会を結びつける1つの重要な接点である。この会社は雇用の場を提供することで、障害者の社会参加の機会を生み出し、「障害者を納税者に」というその先の目標を見据えた経営を行っている。

 手厚い福祉で知られるスウェーデン。この会社が体現しているのは「働く意志を持つ者には等しく機会を与える」というスウェーデンの哲学である。福祉という視点を超えた経営哲学からは、弱者救済という視点からは見えてこない、強い国造りのあり方が見えてくる。



北緯59度20分。スウェーデン、ストックホルムの中心に驚くべき企業があった。それは、サムハル(Samhall)。従業員2万2000人、収入868億円(2007年度、1スウェーデンクローナ=11.89円)の大企業である。

 設立は1980年。ROE(自己資本利益率)は9%、自己資本比率も38%を数えるなど、収益力、健全性も申し分ない。だが、サムハルには普通の企業と違うところが1つだけある。それは従業員の構成だ。実は、この会社では従業員の90%は何らかの障害を持っている。そう、サムハルは障害者が働く障害者のための企業である。



従業員は2万人の障害者



 この会社では、多様な人たちが働いている。知的障害の従業員もいれば、精神的な障害を持つ人もいる。身体障害者もいれば、アルコール依存症や麻薬の中毒患者もいる。そんな多様な人々のために、サムハルは仕事を作り出し、健常者とそう変わらない賃金を支払う。

 その現場を見れば、障害者施設に対する印象が変わるだろう。日本では障害者施設というと、一般的に言いようのない暗さや侘びしさが漂っている。だが、サムハルで見た人々にはそういった雰囲気はない。従業員は皆、企業の一員として誇りを持って生き生きと働いている。

 ストックホルム近郊の大型家具店、イケアで出会った人々もそうだった。



モップを動かすエリザベス、その姿はまるでミュージカル




 ガムラスタン(旧市街)から北に10キロメートル余り。「北のイケア」と呼ばれるバルカビイ店を訪れると、2人の女性がモップを動かしていた。

 エリザベス・アクセルソンとリタ・ベルッティ。買い物客の邪魔をしないように、丁寧にゴミやホコリをかき集めている。バルカビイ店は平日で日に8000人、休日で1万5000人が訪れる。その人たちが気持ちよく買い物できるように、心を込めて店内を掃除している。



11月10日の昼下がり。日本から取材に来た――。そう告げると、エリザベスは作業の手を止めて話し始めた。

 「私はここが大好き。前のところに4年いたけど、今の方が断然いい。仕事も楽しいし、仲間もいる。ここにずっといたいわ」

 髪をポニーテールに結わえたエリザベス。サムハルに入社する前は牧場で働いていたという。エリザベスの話を聞いて、お揃いのトレーナーに身を包んだリタも笑顔で応じた。「そうそう。仕事ができるのは最高に幸せよね」。

 インテリア売り場でモップを動かすその姿。まるでミュージカルを踊っているかのようである。



このバルカビイ店では、エリザベスやリタを含めて45人の従業員が働いている。仕事は店内清掃やカート集め。この日はあいにくの雨だったが、黄色のレインコートを着た従業員が駐車場のカート置き場からカートを集めていた。ここで働く45人の大半が何らかの障害を持っている。

 この日の訪問は50分ほどだった。笑顔の絶えない職場だった。

 「サムハルのクオリティーには満足しているよ」

 彼女たちの仕事ぶりを尋ねると、紺地に黄色の、イケアカラーのベストに身を包んだトビアス・ラリンデールは、間髪入れずにこう述べた。彼はバルカビイ店のカスタマー・サービス・マネジャーである。



バルカビイ店がサムハルに店内清掃やカート集めを委託したのは2008年2月のこと。それ以前は、健常者が勤める清掃会社に委託していた。だが、仕事のクオリティーに不満があったため、サムハルに委託先を変更した。



「私たちが期待するサービスレベルを実現するまで6カ月はかかると考えていたけど、サムハルは3カ月で到達した。サムハルチームはよく教育されているよ」

 全土に17の店舗を持つイケア。現在はバルカビイを含めた11店で清掃業務などを委託している。

 前を見据えた障害者雇用の視線。それは、グローベンでも同様だった。



ストックホルムの南、セーデルマルム島のグローベンにある食品スーパー。店内に足を踏み入れると、白髪の大男が早足でカートを押していた。名前はロルフ・アスプルンド。チーズ、ミルク、キュウリ、レモン――。手元のメモを見ながら、野菜や果物をカートの中に放り込んでいる。



鼻歌を歌いながら店を闊歩するロルフ。ここは彼が愛してやまない職場である。

 「オレは去年(2007年)の11月21日からここで働いているんだ。その前の1週間、別の場所で清掃をしていたんだけど、階段の掃除をしなきゃいけなくってね。ほら、オレは体が大きいだろう。階段を踏み外すと危ないと思って、サムハルに言って、今の仕事に替えてもらったんだ」

 穏やかに語るロルフ。彼の仕事は高齢者に代わって買い物をする代行サービスである。サムハルは4年前にこのサービスを始めた。



混乱しないようサムハル専用のレジを設ける




 何らかの事情で外出できない高齢者がサムハルに注文を出し、スーパーに常駐する障害者が代わりに商品を買う。注文する高齢者が負担するのは商品の実費のみ。買い物代行の手間賃を負担しているのは自治体だ。高齢者に手厚い福祉を提供する、何ともスウェーデンらしい制度である。

 このスーパーでは、「10」のナンバーがついたレジをサムハル専用にしている。一般客と一緒にしてレジが混乱しないように、との配慮からだ。実際に10番レジに行くと、サムハルの従業員が集めた商品を会計しているところだった。

 注文リストと商品を照合しているのは聾唖(ろうあ)の従業員。レジの店員とは筆談で会話していた。買い間違いを起こさないように、様々な障害者を組み合わせていることが分かる。



レジを通過した商品は皆で袋に詰めていく。袋の外にはマジックで番号が書かれている。これは、利用者を示すナンバーという。その後、商品は車を運転できる障害者が依頼主の家に配送していく。1日の注文は40~45人分。多い時には60人分になるという。

 仲間と商品を詰めていたロルフ。こちらを見てチャーミングに片目を閉じた。
 「たまには間違えるよ。オレはロボットじゃあないからね」

 ここではどんな障害者が働いているのでしょう――。そう尋ねると、同行したサムハルのマネジャー、ハンス・メランデルは次のように解説してくれた。ハンス自身、幼い頃の事故で左手の肘が動かない。



「様々な障害者が働いているが、個人の障害について語ることはできない。まあ、予想外のことが起こった時に、自分で判断できる従業員でなければこの仕事はできないな」

 例えば、顧客のリストに「ミルク 1リットル」と書いてあったとしよう。でも、1リットルのミルクは売り切れで、500ミリリットルのミルクしか置いていないかもしれない。その時に、どのような対応が取れるか。500ミリリットルのミルクを2つ買うという手もあるだろうし、お客さんに電話して確認してもいい。いずれにせよ、このスーパーで働いているのはこの種の判断ができる従業員とハンスは言う。



イケアやボルボ、名だたる企業がサムハルの顧客




 サムハルが手がけている業務は大きく言って3種類に分かれる。1つは、「インダストリアル・プロダクション」。簡単に言うと、メーカーなどの下請け業務である。全国各地の作業所でパーツを作り、別のサムハルの工場で組み立てる。従業員の35%がこの下請け業務に従事している。

 次に、「インテグレーテッド・オペレーション」。工場のラインやサービスをサムハルが一括で請け負う業務請負のことだ。全体の28%を占める。

 冒頭のイケアはこの業務請負に当たる。スウェーデン第2の都市、イエーテボリにあるボルボのトラック工場では100人前後の障害者がランプの部品を組み立てている。これもサムハルがチームで請け負っている。そのほか、配送センターのパッキング業務、手紙の仕分け業務なども手がけている。

 そして、37%の人たちが働く「サービス」。高齢者の買い物代行のほか、レストランの配膳や調理、店舗の清掃、クリーニングなど、文字通りのサービス提供である。サムハルのディレクター、リーフ・エイムによれば、ボルボやイケア、DHLなど1000社を超える企業が取引をしている、という。

 サムハルの最低賃金は月1万6600万SEK(スウェーデンクローナ)。従業員は産業別組合と企業が合意している最低賃金以上の給料を受け取っている。日本円にして約20万円。後は習熟度によって賃金が上乗せされていく。この20万円を多いと見るか、少ないと見るかは評価が分かれるところだろう。その多くは、税金として徴収されていくからだ。



消費税や住民税などを合算したスウェーデンの租税負担率は約50%。社会保障負担率を合わせた国民負担率では70%を超えている(2005年度のデータ)。日本の国民負担率が40%であることを考えれば(OECD=経済協力開発機構=諸国の中では米国に次ぐ低さ)、その負担率の高さが理解できるだろう。

 だが、サムハルの人々は当たり前のように納税している。福音ルーテル派が国教のスウェーデンは日本と同様、勤労を美徳と捉える文化がある。労働と納税は自立した社会人の証し――。これは、働くことができる障害者であれば、誰もが持っている意識だろう。

 サムハルが業務を請け負っている民営郵便会社の配送所で出会ったパトリック・レアンデル。待遇について尋ねると、こう言葉をつないだ。



「もっと給料がよければいいけれど、まあ満足しているよ。だって、働いていないということはつらいことだからね」

 郵便物の仕分け作業に従事していたパトリック。サムハルに入る前は1年ほど失業状態にあった。就労は社会との接点である。「たとえ障害を持っていても、可能な限り働きたい」。そう考えるのは、人間であれば当たり前の感情だろう。

 「ここで働く人々は、ビジネスの世界で競争しているという意識をみなが持っている。企業の一員として、普通の企業と戦っていると思っている」

 パトリックが働く配送所の責任者、ロニー・ヘンリクソンはこう語る。企業の一員として競争している―--。頭ではわかっていても、なかなか実感できるなことではない。



働く意志のある人間に対しては、サムハルはできる限りの努力を払って職を与えていく。ふさわしい職業がなければ、その人に合う仕事を作り出すこともある。障害者を弱者として保護するのではなく、労働と納税を通じて社会に組み込む。そんな役割を、サムハルは担っている。

 そして、この会社は転職支援企業という側面も持つ。サムハルでは毎年、1000人以上が一般労働市場に転職している。2007年には全従業員の5.3%に相当する1017人がサムハルを巣立った。これまでの転職者数は2万5000人を数える。

 転職者数が多いのは、一般労働市場で問題なく働くことができる人材に対して、積極的に転職を働きかけているためだ。転職先が合わなければ、1回までは出戻りが可能。この制度も、障害者の背中を押す要因になっている。

 障害者の就労を支援する組織は日本にも存在する。だが、従業員の9割が障害者。しかも、年1000人以上が転職していく――。世界広しといえども、このような会社はほかに例がない。「働く意志を持つ者には等しく機会を与える」。これは、スウェーデンという国の底流を流れる哲学である。この哲学を実践するために、サムハルは存在していると言っていいだろう。



国民負担を削減するために不断の努力を続ける「国営企業」




 驚愕の企業、サムハル。種を明かせば、政府が100%の株式を持つ国営企業である。事実、収入の58%に当たる506億円の補助金が投入されている。スウェーデンの高い国民負担率。その一部がサムハルの運営に充てられている。

 だが、「国営企業」と侮ると見誤る。国営企業であるがゆえに、どこよりも厳しい経営の縛りをかけられている。その制約の中で企業を経営する姿は日本の特殊法人とは似て非なるもの。国民の負担を削減し、障害者を社会化するために、不断の努力を続けている。そして、その存在を国民も理解している。

 グローバル資本主義が隅々にまで浸透しているこの時代。なぜほとんどが障害者の企業が存在できるのか。その疑問を解くために、ストックホルムにあるサムハルの本社を訪ねた。そこで出会ったのは同社のCEO(最高経営責任者)、ビルギッタ・ボーリン。笑顔が可愛らしい白髪の女性だった。

(文中敬称略、次回につづく。掲載は明日、1月16日金曜日の予定です)




あ~ホントしつこい

2009年01月20日 | Weblog
2009年01月20日 19時14分記載

URL http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090119-OYT1T01033.htm



記事タイトル:参院予算審議 「消費税」を正面から論じ合え(1月20日付・読売社説)



「与野党は予算審議で、社会保障制度の改革と、そのための財源のあり方を、もっと具体的に論じ合うべきだ。

 民主党の審議拒否で空転していた国会が正常化し、参院予算委員会で2008年度第2次補正予算案の審議が始まった。

 麻生首相は、景気回復や行政改革の進展などを前提に、消費税率を11年度から引き上げる方針を改めて強調した。

 少子高齢化により、社会保障財源はますます窮迫する。当面の景気下支えも急務だ。「しかるべき財政収入がないと安心した財政出動もできない。無責任なことはできない」という首相の姿勢は、当然のことといえる。

 政府は、昨年末に閣議決定した税制の「中期プログラム」に、経済状況の好転などを前提にして、「消費税を含む税制抜本改革を11年度より実施できるよう、必要な法制上の措置をあらかじめ講じ、10年代半ばまでに段階的に行う」と明記した。

 09年度の税制改正関連法案の付則に、抜本改革の道筋を明記することも、閣議決定済みだ。

 ところが、今になって、この付則に「11年度実施」を明記するかどうかを巡り、自民党の一部から強い反対論が出ている。総選挙が近づき、「増税」を掲げることが不安になったようだ。

 自民党は、「責任政党」を標榜(ひょうぼう)している。それならば、消費税率引き上げの道筋を法律の付則で明確にすべきである。

 民主党は19日の質疑で、消費税問題に触れなかった。

 民主党は05年衆院選で、当時の岡田克也代表が年金財源として3%の税率アップを主張した。しかし、06年に小沢代表になってから引き上げ論を封印した。

 民主党税制調査会は昨年末、消費税の扱いについて、民主党が政権を獲得した後に、引き上げが必要となる場合には、引き上げ幅などを明らかにする、として判断を先送りした。

 だが、民主党が4年間で総額56・9兆円と試算している政権公約の実現のための財源を、消費税率を引き上げず、「税金の無駄遣い根絶」や行政改革だけでひねり出すのは無理だろう。

 民主党は、自民党から造反を誘うために、税制関連法案の付則部分を削除する修正案の提出を検討しているという。

 消費税率引き上げという苦い薬は避け、こうした政局優先の対応に走るとすれば、国民の信頼を損ねるだけではないか。

(2009年1月20日02時24分 読売新聞)」

お前も十分しつこいよ、と言われているかと思うが、こちらからも「文句」を付けさせてもらう。

「参院予算審議 「消費税」を正面から論じ合え」


→お宅らが決めていいことじゃないから。国会議員の責務は国民の負託に応えることであって、国民の多くは、2011年度からの消費税率引き上げを負託していないから。
社会保障財源は消費税以外にも色々あるし。勝手に決めないで。

「麻生首相は、景気回復や行政改革の進展などを前提に、消費税率を11年度から引き上げる方針を改めて強調した。」


→麻生総理が理解してるのかどうかはわからないが、読売は財務省の意図をよく理解して、この消費税増税キャンペーンを行っている。
11年度から消費税率を引き上げるとすると、10年の通常国会で消費税率引き上げに関する法案を通さなければいけない。そう考えると、今年中に引き上げ幅、軽減税率適用の有無、軽減税率を適用するなら、どのようなものに適用させるか、そういったことを決めておかなければならない。11年度からの引き上げから逆算して、読売は必死で消費税増税キャンペーンを打っている。
しかし、09年が消費税引き上げを論じられる経済状態でないことは、財務官僚以外なら誰でもわかる。さらに、消費税引き上げの前提となっている景気回復や行政改革の進展が11年3月までになされると考えている国民はそれほど多くはないだろう。
それら全てをわかったうえで、敢えて消費税率引き上げキャンペーンを打っている読売は真に罪深い。

「少子高齢化により、社会保障財源はますます窮迫する。」


→こういう煽り方もけしからん話で、少子化は政府の政策で防ぎようというか、改善させることが出来る話。少子化を絶対に進行する不可避のものとするのは誤り。フランスのような子育て支援をすれば十分少子化は改善できる。(だから消費税率引き上げだと読売は言いたいのだろうが、我が国には他の財源があることは、本ブログで再三指摘済み)

「・・・無責任なことはできない」という首相の姿勢


→麻生総理が責任を持って政権運営をしているのかどうかは、各種世論調査から明らか。麻生総理が最も無責任。

「09年度の税制改正関連法案の付則に、抜本改革の道筋を明記することも、閣議決定済みだ。」

→この辺りも官僚ぽくて、一度決めたら変えられないかのよう。閣議決定で決めたことなら、閣議決定で覆せばいい。
勿論、自公政権が総選挙で勝利して、総選挙後も政権を担当し続けるのであれば、当初の閣議決定通り、11年度から引き上げをしたらいいが、そうなる可能性は極めて低い。
読売も、それがわかっているから、閣議決定で11年度から引き上げることは決まっていると強調している。政権交代後も当初の閣議決定を守れよ、と。それは財務官僚の意見でもある。
だから私は、民主党が政権を取ったら、まず、財務省事務次官、官房長、審議官、局長、国税庁長官を全員更迭したらいいと思っている。人事権を握っているのは誰かを知らしめ、財務省を握ってしまえば、他の省庁に言うことを聞かせるのもそう難しい話ではないだろう。それでも言うことを聞かなければ、他の省庁の幹部も更迭してしまえばいい。(私が勝手に過激なことを言っていると思うかもしれないが、民主党は、政権を取ったら、事務次官会議を廃止し、予算も特別会計を表に出して、一般予算とあわせて250兆円の予算を組むと言っている。それらを行うということは、これまでの官僚内閣制を根本から覆すということであり、その意思をわかり易く官僚に知らしめるには、財務省幹部の全員更迭が一番わかり易い。)

「ところが、今になって、この付則に「11年度実施」を明記するかどうかを巡り、自民党の一部から強い反対論が出ている。総選挙が近づき、「増税」を掲げることが不安になったようだ。」


→まず、自民党の「一部」なのかどうかが怪しい。そして、増税反対は、総選挙を控えての「不安」だと言うのも、そればかりではないだろうと言いたい。

『自民党は「責任政党」』なのか否か、「消費税率引き上げという苦い薬は避け」ることが、「国民の信頼を損ねるだけ」なのか否かは、総選挙で国民が判断する。


ここで、少し読売社説からは離れるが、消費税率引き上げに道筋をつける税制の「中期プログラム」を主導している与謝野馨経済財政政策担当大臣の罪深さについて言及しておきたいと思う。

与謝野馨経済財政政策担当大臣は、従前より、「埋蔵金は存在しない」と言い募ってきたが、現政権はその埋蔵金を使って予算を組んでいる。自らの主張してきたことと矛盾する政策を遂行する内閣に平然と居座る厚かましさはどこから来るのであろうか。
こう批判した場合、与謝野馨経済財政政策担当大臣(や読売)はきっとこう言うだろう。「埋蔵金などというものは存在せず、それは正確には特別会計の剰余金を言い、本来は、国債の償還に充てるべきものだ。」と。

しかし、これまで政府は、特別会計の剰余金を使って国債の償還を行ってこなかった。なぜか。政府(財務省)にとっては、赤字国債が減少してもらっては困るのだ。膨張し続ける巨額の赤字がなければ、消費税率引き上げの錦の御旗を失ってしまう。累積赤字は、見かけ上はどんどん増えて行ってもらわなければ困るのだ。

そのことを知ってか、財務官僚に騙されてかは知らないが、難しそうな顔をして責任感のある政治家面をするのはやめてもらいたい。埋蔵金を使い予算を組んでいる以上、「私が間違っていました。埋蔵金はありました。」と言ったうえで、閣僚を辞任してもらいたい。


手厚いセーフティーネットが強い国を作る

2009年01月20日 | Weblog
2009年01月20日 08時09分記載
日経ビジネスONLINE配信記事 「この国のゆくえ 危機の今こそ考える」

URL http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090105/181859/



「「官から民へ」。この言葉が金科玉条のごとく唱えられていた小泉政権下、構造改革のバックボーンである新自由主義的経済学を批判し続けた東京大学の神野直彦教授。その著書『人間回復の経済学』では、人間を「利己心に支配された経済人」と捉える新自由主義に対して、「人間の行動基準は利己心ではなく夢と希望」と断言した。

 規制緩和による競争促進、公営企業の民営化、公共サービスの縮小――。この10年、日本は経済成長を実現するために、小さな政府を目指す数々の改革を実行してきた。だが、未曾有の金融危機に見舞われて以降、私たちの足元は急速に揺らいでいる。

 公的年金への不信は極限に達した。医療を支える医師不足も深刻の度を増している。「派遣切り」や「内定取り消し」も頻発、雇用を巡る環境の悪化は急速に進む。針路なき日本。今こそ、国家の在り方や社会のあるべき姿をわれわれ一人ひとりが考えるべき時ではないだろうか。セーフティーネットの重要性を説き続けてきた硬骨の士に聞いた。



―― 小泉政権以降、「小さな政府」を目指す構造改革が進行しました。ただ、その代償として、派遣切りや医師不足など、社会に綻びも見え始めています。世界恐慌が眼前に迫る今、日本はどんな国を目指すべきなのか、お考えをお聞かせいただけますか。

 神野 経済学には「再分配のパラドクス」という言葉があります。生活保護のように、貧しい人々に限定して現金を給付すれば、貧困や格差が少なくなるように見える。でも、現実には、病気や介護、子育てなど貧富に関係なく広く、手厚く保障する方が格差は縮小し、貧困が減少する。垂直的分配ではなく、水平的分配の方が貧困は減る――。このことを、再分配のパラドクスと言います。

 前者のように貧しい人に限定して再分配しよう、と考えている国は米国や英国です。米国や英国の生活保護費は世界で最も多い。常に、この2カ国でトップ争いをしている。それに対して、高福祉で知られるスカンジナビア諸国は生活保護をあまり出していません。



セーフティーネットが人間の知的能力を高める



スウェーデンでは医療サービスは基本的にタダ。教育サービスや介護サービスも無料です。そのため、家族が病気になった、子供が学校に通いだした、親に介護が必要になった、と言っても生活保護費を増やす必要がない。その人が口にする物と身にまとう物だけのお金を給付すれば済むわけです。

 ―― ほかのセーフティーネットが厚いため、生活保護費を増やす必要がないということですね。

 神野 そうです。いろいろなネットに引っかかるため、ラストリゾートとしての生活保護が結果として少ない。ところが、セーフティーネットが少ない日本や米国では、貧しい人が直接、ラストリゾートに落ちてきてしまう。しかも、その生活保護で国民年金保険料や医療費を払わなければならない。これでは、格差はなくなりませんよね。

 セーフティーネットの重要性は福祉に限った話ではありません。

 スカンジナビア諸国は1990年代後半に高成長を実現しました。これは、セーフティーネットが経済成長を阻害するものではないということを示しています。それに、今後、先進国は従来の重化学工業から自然資源を乱費しない知識集約型産業にシフトしていかなければならない。

 この知識集約型産業では人間の能力がすべて。セーフティーネットが幾重にも張られていれば、人々は安心して冒険することができる。逆に、最低限の安心がなければ、人は何かに挑戦し、知的能力を高めようとはしませんよね。セーフティーネットを張り巡らせる方が、逆に経済成長すると私は見ています。

 しかも、そのネットはトランポリンでなければならない。



自発的な勉強サークルが危機を救った




 ―― トランポリンですか。

 神野 セーフティーネットは落ちても死なないために整備するもの。でも、スウェーデンではそのネットを就労に結びつけている。つまり、「働くための福祉」。失業しても、再教育、再訓練して働けるような福祉を提供していく。私はこのことを「シュンペーター的ワークフェア」と呼んでいます。ワークフェアというのは、就労(ワーク)と福祉(ウェルフェア)の造語ですね。

 能力開発型の福祉になると、人間の能力を高めて生産性の向上や技術革新を実現し、国際競争力を高めよう、という発想になる。訓練によって衰退産業から成長産業へ移そう、という考え方ですね。それに対して、日本の場合は国際競争力を高めようとする場合、賃金を下げる、という発想になってしまう。人的投資を考えていないということですよね。

 ―― 1990年代初頭、金融危機によってスウェーデンは破綻寸前に陥りました。その後、銀行の国有化などを断行、1990年代後半には奇跡の復活を遂げました。この復活にも教育の力が大きな役割を果たしたそうですね。

 神野 スウェーデンは危機の1990年代を通して、重化学工業から知識集約的なIT(情報技術)産業に産業構造を替えました。その時に、大きな役割を果たしたのは国民の自発的な学習サークルと国の職業訓練支援でした。



スウェーデンは19世紀末の大不況の時に極貧を味わいました。貧しさに耐えかねて、国民の3分の1が米国に移住してしまったほどの大不況でした。この時、スウェーデンの人々はお互いに勉強し合って、人間の能力を高めて、不況を乗り切っていこう、という国民教育運動を始めました。勉強のためのクラブ活動ですね。壁塗りや織物教室など中身はいろいろなものがありますが、1990年代には情報処理などのサークルが増えた。これが、産業構造の転換を促したことは確かでしょう。



職業訓練中の生活は政府が保証する




 ―― 自発的な勉強会が職業訓練の場になっていたということですか。

 神野 そうですね。そして、もう1つ職業訓練支援があります。例えば、失業すると職業紹介所に行きますよね。自分は旋盤工だったけど、これからの時代は旋盤工よりもIT系の方が産業としては有望――。そう言われて、IT関連の会社を紹介されたとしましょう。

 その後、面接で採用されると、6カ月だけ試験的に雇用される。その際、当時は75%の賃金を政府が出していた。余談だけど、これが経済協力開発機構(OECD)とのもめ事になっている。OECDはこの人たちを失業者と捉えているが、スウェーデンは政府が賃金を払っているだけで失業者ではない、と主張している。そのため、OECDの統計を見ると、OECD基準とスウェーデン政府の言い分の両方を載せている。

 まあ、それはいいとして、6カ月後に「やはり雇用できない」と雇用を断られたとしましょう。その際、企業は「どういう能力が足りないか」「どんな能力を身につければ雇用するか」を指摘する。失業者はその指摘を受けて、職業訓練を望む人は成人高等学校で職業訓練を受ける。

 ―― 足りない能力を補うわけですね。

 神野 そうです。先ほど申し上げた通り、教育費はもともとタダ。そのうえで、職業訓練を受けている間の生活費は職業訓練手当という形で政府が保証してくれる。さらに、自分でステップアップするために学校で勉強し直す場合。この場合、訓練手当は出ませんが、出世払いで生活費を貸してくれる。こういうセーフティーネットによって、人間の能力を高めているわけですね。



雇用と社会保障の両方とも放棄する日本企業




 ―― お話を聞いていると、最低限の保障ではなく、何重にもセーフティーネットを張り巡らした社会の方が結果として優れている。そういう社会に日本も変えるべきだと…。

 神野 僕はそう思いますね。

 ―― スウェーデンに関して言うと、あの国は結構、簡単に労働者を解雇しますよね。それも、セーフティーネットがあるからこそなんでしょうか。

 神野 オランダもそうだけど、スウェーデンは労働市場が弾力的です。簡単に言ってしまえば、解雇がしやすい。もっとも、解雇はしやすいんだけど、その代わり、社会保障を企業が引き受ける。労働市場のフレキシビリティーは企業による社会保障とセットになっている。

 それに対して日本はどうか。日本企業は景気が悪くなると、雇用と社会保障の両方とも放棄してしまう。これが困るんだよね。1990年代、企業はフレキシビリティーのために非正規従業員と言われている人々を生み出してきた。でも、現実にはその人々は社会保障の蚊帳の外に置かれている。

 ―― 労働組合も非正規のためには動きませんしね。

神野 正規従業員は年功序列の生活給が基本ですよね。でも、非正規やパート従業員の待遇改善を企業別労働組合はやらない。社会保障も正規従業員だけをカバーしている。非正規の場合には、厚生年金でも通常の労働者の4分の3時間以上という条件をつけているから、実情はネットから外れてしまう。

 一方、スウェーデンは職種別組合です。職種別組合が日本経済団体連合会(経団連)に当たるところとやり合って賃金を決める。その賃金はパートだろうが何だろうが、すべてに適用される。しかも、その賃金は仕事が同じである限り、伸びません。だから、再訓練を受けて能力を高めようとする。能力を高めなければ、賃金は増えない仕組みになっているんですよ。だから、国や社会で教育に取り組んでいる。



企業頼み、家庭頼みの社会保障は崩れている




 ―― 「同一労働同一賃金」は理想ですが、日本とスウェーデンでは組合の成り立ち1つを取っても違います。すぐには変えられないのではないでしょうか。

神野 …というか、そもそも日本的な企業が崩壊しているんだからさ。これまでの重化学工業時代には、企業は熟練工を抱え込む必要があった。生活給が成立していたのはそのためでしょう。でも、これからは産業構造が変わる。変えなければならないわけですよ。

 「日本は無理ですよね」って簡単に言うけど、雇用関係や労働市場は変わっていくよ。それから家族も変わるよ。

 重化学工業の時代には筋肉労働する男性だけが働きに行って、女性が家庭内でアンペイドワークをしていた。でも、今後サービス産業が増えれば、女性も働きに出て行くようになるから家庭にいなくなる。日本のように、セーフティーネットを外してしまうと、家族が成立しなくなる。つまり、日本は企業頼み、家族頼みで生活保障をしていたけど、それが両方とも崩れるんだよ。

 今のようなクライシスの時代にはセーフティーネットがあり、そのネットをトランポリンにしているスウェーデンのような国の方が絶対に強い。この世界恐慌は1つの時代の終わり。米国を中心とした世界経済は最終的に崩壊する。これは、米国を中心とした世界経済秩序を支えていた重化学工業という産業構造が崩壊していくということでもある。1929年の世界恐慌を見ても、次の世界経済秩序が出来上がるまでに10年以上の歳月がかかるんです。



この10年、かじを切り間違えると大悲劇が




 あの時、米国はニューディール政策を採って内向きになった。当時新興国だった日独伊の3国はファシズムに走り、ロシアは社会計画経済をやっていた。世界が内向きになる中で、新しい世界経済秩序を作るのに失敗し、第2次世界大戦という悲劇につながった。そして、第2次大戦後、米国が絶対的な経済力と軍事力を手にして、米国を中心としたブレトン・ウッズ体制が出来上がっていった。

 歴史の教訓に学んでいけば、今は新しい世界経済秩序を構築するための重要な時期なんですよ。米国のオバマ次期大統領は国際均衡よりも国内均衡を重視する政策を明確に打ち出しますよね。世界を見ても、アフリカのコンゴでは惨殺をやっているわ、中近東では火花が散っているわ、反米色の強い中南米などは金融危機が起きて「万歳」と叫んでいるわ、皆内向きになっています。

 そして、今の新興国はBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)だからね。このBRICs、中国もロシアも国民国家でなくて“帝国”ですよね、言い方は悪いけど。しかも、どこも国内に紛争の種を抱えている。こういう各国の国内均衡とバランスの取れた国際均衡を実現しなければならない。それが、両立できるかどうか、歴史的な岐路に立っている。日本をはじめとした世界は10年ぐらい暗く辛い時期を過ごさなければならないでしょう。この間にかじを切り間違えれば、大悲劇が待っている。

 ―― 下手をしたら、過去の二の舞いですね。



過剰資金の行き着く先




 神野 とりもなおさず、当時私たちは産業構造を大きく変えなければならない時期にありました。第2次大戦後、重化学工業によって大量生産、大量消費を可能にした。そして、その果実を再分配しながら福祉国家を築いて、貧困を解消し、経済成長を手にしていった。

 ところが、新しい経済構造があまりにも資源浪費型だったので行き詰まった。それが、1973年の石油危機とその後のスタグフレーションでした。資源を浪費すれば資源価格は上昇しますよ。その代わり、行き詰まった経済は成長しません。ケインズ経済学では想定できなかったような、不況とインフレが同時併存する事態が起きてしまったんです。

 スタグフレーションが発生したということは、国際的な過剰資金が形成されるということです。オイルマネーを考えてみればいいでしょう。片方で資源価格が上がっているんだから過剰資金が生まれる。しかし、経済が行き詰まっているから、投資先がない。マネーがだぶつきます。これが、よせばいいのに、あちこちでバブルを起こした。

 まず、マネーは中南米に行って、1980年代に“失われた10年”が訪れた。その次にマネーは日本に来た。産業構造を変える投資をすればよかったものを、ストックを買って不動産バブルを引き起こした。そして、日本の1990年代が失われた10年になった。マネーは今度はどこに行ったか。中国とインドです。

 ここでは、ストック買いではなかったけど、あろうことか第2次大戦後に世界の国々がやった重化学工業と大量生産、大量消費の産業に走らせたわけでしょう。自然資源をなるべく使わないような産業構造を起こせばいいのに。確かに、経済は伸びるけど、行き詰まることは見えているわけですよ。

 ―― 日本はこれから何をすべきなのでしょう。

神野 まず、自然資源を浪費しないような産業構造に転換する。そして、その上にケインズ的福祉国家に代わるシュンペーター的ワークフェア国家を構築し、地域や世界と共生できるシステムを作り上げる。これからの10年は、そのシステムを作り上げる10年なんだ。これは、大変だよ。1つ間違えれば、とにかく破局よ。



「サービスを減らせば増税に応じる」という国民の不可解




 ―― シュンペーター的ワークフェア国家は様々なセーフティーネットを張り巡らし、福祉を就労に結びつけていく国家。それによって、国民一人ひとりの能力を高めていく国家ですよね。当然ですが、国民負担は増えますが、それについてはどうお考えですか。

 神野 福祉や医療、教育のことをソーシャルサービスと言いますが、スウェーデン語では「オムソーリ」と言うんですね。これは、「悲しみの分かち合い」という意味です。スウェーデン人が税を納めるのは悲しみを分かち合うため。悲しみを分かち合うことがウェルフェア(幸福)につながると考えている。

 もちろん、国民負担は上げなくちゃいけないけど、税負担が上がっても、安心できるセーフティーネットが構築できれば、全体としてはいい。好循環で回っていくリズムが生み出せれば、そんなに恐れることはありませんよ。

 ―― 国と国民の信頼関係が失われている日本は悪循環に陥っていますね。

 神野 正直なところ、今の国民が言っていることはよく分からない。メディアを含めて、「増税をするなら歳出を削減しろ」と言う。普通、公共サービスは国民の生活を支えるのに必要なものでしょう。そう考えると、多くの人は「必要な公共サービスを減らしてくれれば、負担増に応じる」と言っていることになる。

 ―― …まあ、そういうことになりますね。

 神野 それからさ、「財政再建のための増税に応じる」と言う人も多い。財政再建なんだから、サービスは増えませんよね。つまり、「サービスが減るか、同じだったら負担増に応じてもいいけど、サービスを増やすのは嫌だ」と言っていることになる。こういう考え方は普通あり得ない(笑)。どうなっているのか分からない。端的に言ってしまえば、民主主義が機能していない。

 ―― なぜ、国民は論理的に考えることができないのでしょう?

 神野 分からない。ただ、スウェーデンのケースから考えられるのは、公共サービスが中産階級の生活を支えているかどうか、それが国民が納得できるかどうかのポイントなんだと思う。



国民の多くが公共サービスを体感していない




 政府を信用していないのは何も日本だけの話ではありません。スウェーデン人も政府を信用していないし、非効率だと思っている。ただ、「あなたは医療を充実させるために、増税に応じますか」と聞くと、「イエス」と皆が答える。「保育を充実させるために増税に応じますか」という質問に対しても「イエス」。養老サービスもイエスなんです。

 ただし、「ノー」と答える場合が2つある。それは、生活保護と住宅手当。簡単に言ってしまえば、貧しい人に限定されるサービスに税金を使うのはスウェーデン人もノーなんだよ。つまり、増税に応じるか否かは、それによって行われる福祉というサービスが中産階級を支えるかどうか。日本はサービスが中産階級を支えないから増税に応じない。



―― 要するに、多くの国民が公共サービスをサービスとして感じていないということですね。

神野 この間、うちの大学が総力を挙げて納税意識調査をやったんだ。「あなたは高福祉であれば負担が高くても応じますか。それとも、税金が安ければ、低福祉でもいいと考えますか」という問いに対して、回答者の6割は「福祉がよければ負担が高くても構わない」と答えている。この率は、年々増えているんですよ。

 ただ、中身を見てみると、やっぱり訳の分からないことになっている。男女別に見ると、男性は7割が高福祉高負担に賛成。でも、女性がダメなんだよ。女性は福祉の恩恵に浴するはずなのに、低福祉低負担を望む率が半分。それで、平均すると6割になる。



危機を前にどうでもいいことばかり議論している日本



もう1つ分からないのは、1000万円以上を高額所得者と区切って分類しているんだけど、所得が高くなればなるほど高福祉高負担に賛成、逆に低くなればなるほど低福祉低負担に賛成となる。この結果を見ると、どうなっているんだ、この国は、と思わざるを得ない。もう訳が分からない。

 ―― サービスの実感を持っていない。だから、負担増ということに過剰に反応してしまう。

 神野 持ってないからだろうね。何でかな。女性も実感として、公共サービスが何も生活を支えてくれない、と思っているのかな。

 ―― そういうことですよね。とにかく、今は国がやらなければならないことが山ほどありますよね、本当に。

 神野 どこから手を着けていいのか分からないけど、全部手を着けないとダメだよ。総合的な視野に立ってやらないと、本当にクラッシュするよ。冗談抜きに。

 ―― 経済面だけでなく、治安が悪くなるなど、社会不安も増していくんでしょうか。

 神野 子供の頃の同級生にある女の子がいてね。頭もいいし、美しくてね。彼女には年子の妹がいてね。これが全く同じ顔をしているんだよ、双子みたいに。まあ、どうでもいいんだけどさ。その人がたまたま実家のそばに土地が空いたから、と言って埼玉に家を買ったんだけど、この間殺されてしまった。

 ―― 殺された?

 神野 厚生労働省の山口剛彦元次官の奥さん。もうとんでもないよ、この世の中は。すべての社会で異様な事件が起きるけど、毎日、毎日起きていれば、どこか社会が狂っていると思わないとダメだよね。こんなに異常には起こらないよ、普通。

 ―― 負担を嫌って、社会が荒廃したら本末転倒ですよね。

 神野 この大事な時期に、政治やマスコミがろくでもないことを議論していることも問題だよ。さっきも言ったように、かじを切り間違えればクラッシュしてしまうような重要な時期に、どうでもいいというか、何というかな…。

 ―― 総理がホテルのバーで飲むのは良いか悪いかの議論をしていましたね。

 神野 このまま真っすぐ行くと、タイタニック号が氷山にぶつかるから、「慎重にかじを切らなきゃいけない」「どの方向にかじを切ろうか」という議論をしなければならない時に、「誰だ、甲板の掃除をサボったのは!」ということを言い合っているようなものでしょう。もう危ないよ、これは。

 ―― ありがとうございました。 」



審理「スピードより充実」…裁判員制度で最高裁が報告書

2009年01月19日 | Weblog
2009年01月19日 22時00分記載

URL http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090116-OYT1T01067.htm



「5月に始まる裁判員制度に向けて、最高裁刑事局は、4年間にわたり全国の地裁で行われてきた模擬裁判の成果を分析した報告書を作成した。

 国民の負担を減らすため、審理期間の短縮を目指して工夫を重ねてきたが、報告書は、有罪・無罪などを判断する基礎となる真相の解明を重視し、「必要な審理は尽くされるべきだ」とした。「スピード審理」より「充実した審理」の必要性を指摘したもので、裁判員裁判のあり方を示す参考資料として、活用される。

 報告書は、裁判員裁判の基本原則として、〈1〉裁判員が審理を理解できる〈2〉合理的な期間で審理を終え、裁判員の負担をできるだけ軽くする〈3〉真相解明と被告の権利保護――を挙げた。

 その上で、「裁判員裁判でも真相の解明は審理期間の短縮以上に重要だ」と指摘。公判前整理手続きでは、「証拠の点数を減らすことのみに力を注ぐのではなく、真相解明に必要不可欠な証拠は何かという観点が重要だ」と述べ、「証拠の絞りすぎ」と言われる傾向にクギを刺した。

(2009年1月17日03時08分 読売新聞)」

裁判員裁判であろうが、参審裁判であろうが、陪審裁判であろうが、職業裁判官のみによる裁判であろうが、刑事裁判で最も大切なことは、間違っても無実の被告人を有罪とすることのないようにすることである。


真相の解明や短期間の審理は、無辜の不処罰に劣後する価値である。そのことを国民の多くが理解し、捜査過程が全面可視化され、有罪推定報道がなされないようになるまで、裁判員裁判は実施すべきではない。


また、裁判員裁判については、憲法18条違反であるとしてその実施に反対する人達もいるが、これを聞くと、「そんな大袈裟な」と思うかもしれないが、私は結構いい所を突いていると思っている。


裁判員裁判は、強盗殺人、強盗強姦致死、放火殺人等が対象となるが(他にもたくさんあるのだが)、これらの事件の被害者の姿が誠に痛ましい。

私は学生の時に法医学の授業を履修し、写真でではあるが、様々な死体の写真を見てきた。刺殺体、焼死体、轢死体、縊死体等、どれも直視するのが厳しいものであった。

当時は、将来法律家になるつもりだったため、必要なことだろうと、死体写真を見ながら勉強していたが、そういう動機のない一般国民にそのような負担をかけていいものだろうか。「その意に反する苦役」そのものと言えないか。



この点を考えても、やはり裁判員裁判は実施すべきではない。

〔奴隷的拘束及び苦役の禁止〕
第18条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。


「がん対策応援団」を募集します

2009年01月18日 | Weblog
2009年01月18日 20時45分記載

URL http://ganjoho.jp/public/news/2008/2009.html



「-平成21年度国立がんセンターがん対策情報センター「患者・市民パネル」の募集について-




がん対策情報センター「患者・市民パネル」の募集案内





 国立がんセンターがん対策情報センターでは、わが国におけるがん対策の総合的かつ計画的な推進のために、患者さんやその家族、一般市民のみなさまの視点を取り入れていくことが不可欠であるという認識から、本年度より、がん対策情報センター「患者・市民パネル」を募集して活動を行っております。このたび、平成21 年度の募集を行うこととなりました。
 仕事の内容及び応募資格等は、次のとおりです。




【主な活動の内容】
1) 課題やアンケート調査等に対して意見をいただいたり、調査に回答していただくこと
2) がん対策にかかわる活動(講演会等の案内など)を広報していただくこと
3) パンフレットやウェブページの情報の見やすさ、わかりやすさなどのチェック等
4) 意見交換会等の会議への出席(交通費を支給します)




【応募資格】
 『患者・市民パネル』に応募するには、がん対策への関心・熱意・見識を持った成人で、次の3つの条件をすべて満たしていることが必要です。ただし、国会議員および地方公共団体の議会の議員、常勤の国家公務員を除きます。
① がん患者、もしくはがん経験者、または現在もしくは過去においてがん患者の家族、介護者、がん患者のサポートに携わったことのある方、もしくは携わろうとしている方
②がん対策情報センターの活動を理解し、医療専門家と患者・一般市民の双方の立場を踏まえた活動ができる方
③多様な人々とうまくコミュニケーションをとれる方、調整できる方





また、患者・市民パネルの活動を遂行するため、以下の条件を満たすことが望まれます。
① 単独または、家族の支援により、インターネットを使うことができ、Eメールの受送信ができること
② がん、地域、患者の支援活動に貢献する意思があること
③ がんに関連する情報を収集、発信する能力があること
④ わかりやすい文書を作成する能力があること




【募集人員】
40 名程度




【依頼期間】
平成21 年4月1日から平成22 年3月31 日までの期間
なお、任期は2 年間で、年度ごとの更新となります。




【身分・謝礼金等】
国立がんセンター総長より依頼をおこないます。
意見交換会等への出席に伴う交通費及び諸謝金を支給します。




【応募方法】
記載事項を記入の上、下記に郵送で応募してください。
〒104-0045 東京都中央区築地5-1-1
国立がんセンターがん対策情報センター
がん対策情報センター「患者・市民パネル」事務局あて




【提出書類】
1. 応募願書
1) 氏名(ふりがな)、性別、生年月日、年齢、住所(郵便番号)、電話番号
2) 勤務先の名称、役職名、電話番号(学生は学校、学部名)、得意な分野
3) 医療・福祉関係の資格
4) がんとの関連
(例) (ア) がん当事者、(イ)がん患者の家族、(ウ)○○を通して介護の経験あり
5) 3)で(ア)(イ)の場合は、そのがん種
6) がん患者会への参加の有無
7) インターネット、電子メールの利用について
(ア)単独で利用できる (イ)家族の支援により利用できる (ウ)利用できない
8) がん、地域、患者の支援活動の有無(過去3年以内)
(例) 平成○年 ○○患者会の運営
9) がん対策情報センター「患者・市民パネル」を知ったきっかけ(具体的に)
(例) ○○ホームページ
2.応募理由書
1) がん対策情報センター「患者・市民パネル」応募の抱負(400字程度)




【選出方法】
1.応募願書、2.応募理由書について、別途定める「がん対策情報センター患者・市民パネル選考委員会」にて選考の上、選出します。
 なお、選出にあたり、性別、年齢、居住地、関連がん種、患者会への参加度、医療・福祉職に従事した経験等に偏りが生じないよう配慮しますが、個々の選考過程・選定理由については、公表をいたしません。




【募集期間・結果のお知らせ】
・ 募集期間は、平成20 年12 月19 日(金)から平成21 年2月18 日(水)(当日消印有効)まで
・ 選考結果は、平成21 年4月下旬頃までに応募者に直接お知らせします。




【お問い合わせ先】
国立がんセンターがん対策情報センター 「患者・市民パネル」事務局
(電話) 03-3542-2511 (内線)5686
(平成20 年12 月27 日~平成21 年1月4日は年末年始のため休業)」



study2007さん、こっちはどうですか?



私は、「多様な人々とうまくコミュニケーションをとれる方、調整できる方」の要件を欠きそうですが、こちらも応募しようと思っています。

しつこい、しつこいよ!!

2009年01月18日 | Weblog
2009年01月18日 11時00分記載

URL http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090118-OYT1T00010.htm



記事タイトル:着実に社会保障税の準備を、超党派で取り組む時だ(1月18日付・読売社説)



「世界を覆う経済危機が国民の生活に不安を広げている。

 経済の立て直しと景気回復に、力を注ぐべきであることは言うまでもない。だが、同時に社会保障制度を揺るぎないものにする取り組みも重要だ。

 将来の安心がなければ、消費は拡大せず、景気も力強さを取り戻せない。厳しい経済情勢にあるからこそ、なおさら社会保障改革が大事な年となるだろう。

 今年は、平成に生まれた世代が初めて成人になった。そして、戦後間もなく生まれた団塊の世代(1947~49年生まれ)も全員が還暦を越える。

 二つの世代が今、どういう状況にあるのか。それを見れば、現行の社会保障制度が直面している問題は明白だ。

 20歳になると全員が国民年金に加入して、制度の支え手となる。年金だけでなく、医療・介護など社会保障制度の担い手の中核は、年を経るごとに平成世代へ移っていく。

 団塊世代はまさに大きな塊となって、遠からず現役を離れ、社会保障を頼りとする高齢期を迎えようとしている。

 人口ピラミッドの上部は急速に膨らむ。一方で、土台に位置する平成世代は押しつぶされそうなほど少ない。超少子高齢化は年々進行する。現役世代の負担に大きく頼る現行制度のまま、社会保障給付を維持しようとすれば、支える側は耐えきれないだろう。

 老いも若きも、広く薄く、福祉財源を負担し合う必要がある。そうすれば、高齢者層が大きく、現役層が小さくとも、負担の重さは分散される。

 現行の消費税を福祉目的のみに使う「社会保障税」とし、税率を引き上げることによって、きっちりと財源を確保するべきだ。

 ◆埋蔵金はすぐ尽きる◆

 年金財源の不安、医師や看護師の不足、介護職員の低賃金、高齢者医療の混乱、健保組合財政の苦境――。消費税の引き上げを先送りしてきたツケが、社会保障のあらゆる分野で噴出している。

 社会の高齢化に伴い、社会保障費は年に約8000億円のペースで自然に膨らむ。しかし、政府は財政再建のために、自然増を毎年2200億円ずつ機械的に削減し続け、医療や福祉の現場に大きな歪(ゆが)みをもたらした。

 さらに、基礎年金の国庫負担割合を2分の1まで引き上げる措置が2009年度から実施されるというのに、いまだに恒久的な財源を欠いたままだ。

 政府は医療や福祉の歪みを応急処置し、年金財政の帳尻を合わせるために、09年度の予算編成では特別会計の積立金、いわゆる埋蔵金を取り崩すなどして財源を何とかひねり出した。だが、埋蔵金頼みはすぐに限界が来るだろう。

 政府・与党は税制抜本改革の中期プログラムで、景気の好転を前提に、11年度からの消費税率引き上げを明記した。景気回復と社会保障の安定強化に同時進行で取り組む、との公約である。

 自民党の一部から異論が出ているが、このまま実行すべきだ。

 一時しのぎの財源が尽きる前に、社会保障税の導入準備を着実に進める必要がある。

 社会保障税は何%必要になるのか。それを明確にするには、超少子高齢社会において、年金・医療・介護などの各制度がきちんと社会保障機能を果たすように改革するプランが不可欠だ。

 読売新聞は昨年、低所得高齢者向けの最低保障年金の創設や、子育て中の親の保険料無料化などを盛り込んだ年金改革を提言した。さらに、医師を計画的に配置することを主眼とする医療・介護改革案も示している。
2ケタ税率が必要 これらを実現するためには、食料品など生活必需品の税率は5%に据え置いた上で、標準税率を10%にする必要がある。また、高齢化のさらなる進行を見据えれば、次の段階として、欧州の最低水準である15%程度は検討しなければならないだろう。

 年金改革は各界から、さまざまな提案が出されている。政府の社会保障国民会議も、医療・介護を含め、社会保障の方向性について複数の選択肢を示した。いずれも、2ケタの税率が必要になるとの認識でおおむね一致している。

 改革に向けた機運は醸成しつつある。これをどのように集約し、実行するかが今年、政治に問われることになろう。

 社会保障制度は、政権が変わるたびに揺れ動くようなものでは困る。国民が不安のない将来を確信できるように、超党派で取り組まねばならない。

(2009年1月18日01時41分 読売新聞)」


財務省の出先機関のよう。


消費税率引き上げの前に、一般会計と特別会計を併せた本当のこの国の予算250兆円を組む。
そして、その中の無駄を徹底的に省く。(二重行政・独法・随意契約等の完全な廃止)
これで十分社会保障費は賄えるが、それでも足りないというなら、年金積立金を取り崩す。毎年10兆円ずつ取り崩しても20年持つ。それでも足りなければ、1500万円以上の金融資産を持つ方々にその保有する金融資産の1%分を金融資産税として負担してもらう(1%だけで10兆円の税収増となる)。


消費税率引き上げなど全く必要ないことは火を見るより明らか。

消費税率を引き上げたいと主張する新聞社・政治家・役人には、なぜ、賦課方式の年金制度を採る我が国において、積立金を200兆円も保有し続けなければならないのか説明願いたい。


余談:上記疑問を直接問い質したいと思ったので、厚生労働省のモニターに応募した。選ばれないような気がするが、選ばれたら厳しく迫りたいと思う。その経緯は本ブログで公開する。
政府のモニターに守秘義務がかかるのか否か知らないが、そんなもの関係なく公開する。政府の情報は国民の税金を使って保有されている情報であり、まさに国民が知る権利のある情報と考えるからである。
罰則を科すなら、憲法21条違反として争う。


本日(正確には明日)の楽しみにしている映画

2009年01月16日 | Weblog
2009年01月16日 18時58分記載

本日(正確には明日)の午前3:00~4:50、テレビ朝日系列で、映画「「ニューオーリンズ・トライアル」が放送される。

原作は、ジョン・グリシャム。

出演は、ジョン・キューザック   ジーン・ハックマン  ダスティン・ホフマン  レイチェル・ワイズほか。

内容は、「ニューオーリンズで起こった銃乱射事件で犯人は自殺してしまう。遺族は犯人が使用した銃の製造メーカーを相手取って民事訴訟を起こす。銃器メーカーは陪審コンサルタントのフィッチを雇い、裁判を有利に進めようとするが…。」(Yahooテレビより)というもの。



ジョン・グリシャムの作品好きなんだよな~。楽しみ。


「8年半働いた 私は正社員」 派遣男性が三菱重工提訴

2009年01月16日 | Weblog
2009年01月16日 18時51分記載

asahi.com配信記事 URL http://www.asahi.com/national/update/0113/OSK200901130120.html



「兵庫県高砂市の三菱重工業高砂製作所で約8年半働く派遣社員の圓山(まるやま)浩典さん(46)=同県加古川市=が13日、同社の正社員であることの確認を求める訴訟を神戸地裁姫路支部に起こした。圓山さんは偽装請負状態だった3年前に派遣に切り替えられたが、3月末に派遣期限が切れるために提訴に踏み切った。

 偽装請負問題を受けて派遣に切り替えられた非正規雇用の労働者をめぐっては、今春一斉に3年の派遣可能期間の満期となる「09年問題」を迎える。世界的な景気後退で多くの企業がこの節目に直接雇用せずに「派遣切り」するとみられ、圓山さんのような立場の人たちの間で同様の訴えが広がる可能性がある。

 訴状によると、圓山さんは00年5月、三菱重工と発電用ガスタービンを作る業務請負契約を結んだ鉄工会社(高砂市)の社員として高砂製作所で働き始めた。06年4月、製作所側から直接指示を受ける偽装請負状態から3年間の派遣契約に切り替えられた。今年3月末に契約期限を迎えるが、三菱重工側は「今後の雇用形態は検討中」と回答したという。

 圓山さん側は「三菱重工の指揮下で8年半にわたって働き、労働時間なども管理されていた」と指摘。働き始めた00年5月の時点で事実上の労働契約が成立しており、三菱重工は原告を正社員として直接雇用すべきだと主張している。

 同製作所は「訴状を見ていないのでコメントできない」としている。」


非常に興味深い訴訟。



私としては、下級審では三菱重工業と圓山さんとの間に直接雇用が認められるのではないかと思う。(最高裁がどう判断するかは予測できない。)

ただ、派遣切りが社会問題となっている現在の状況を考慮し、三菱重工が圓山さんを直接雇用して、訴訟を回避しようとする可能性も結構あると思う。


派遣は「自分で」「自由に」選んだのだから、自分で責任を負えと唱える輩は、偽装請負の存在も、偽装請負の何が問題なのかも、圓山さんのようなケースがあることも知らずに、どこかで聞いた「自己責任」をなんとかの1つ覚えで唱えているんだろうな。

沖縄・泡瀬干潟埋め立て開始…「暴挙」と抗議集会も

2009年01月16日 | Weblog
2009年01月16日 09時16分記載

URL http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20090115-OYT1T00560.htm



「南西諸島最大の干潟とされる沖縄県沖縄市の泡瀬(あわせ)干潟(約290ヘクタール)の埋め立て事業は15日、第1区域(約96ヘクタール)の本格的な工事が始まった。

 那覇地裁は昨年11月、泡瀬干潟公金支出差し止め訴訟で、県と沖縄市に将来の支出差し止めを命じ、県と市は控訴した。原告団メンバーは「埋め立ては地裁判決を無視した暴挙」と干潟近くの岸壁で抗議集会を開いた。

 埋め立ては国と県が担当し、事業費は約490億円。第1区域と未着工の第2区域(約91ヘクタール)があり、埋め立て地の大部分を県と市が購入し、ホテルや商業施設を誘致して地域活性化を図る計画。

 第1区域の工事は2002年に着工。希少生物の保護措置や反対住民の阻止行動で、工事は断続的に中断し、護岸整備しかできていなかった。12年度に工事完了予定で、当初計画は「第1、第2区域とも09年度完工」としていた。

 この日は午前9時前に工事が始まった。干潟の北東3キロの中城湾港新港内で採取した土砂を運搬船に載せ、埋め立て地に搬送。午後からは護岸で土砂をダンプカーに積み替え、海に投じる。今後も毎年4~7月は、埋め立て地周辺で絶滅危惧(きぐ)種・トカゲハゼが産卵するため作業を中断する。

 県港湾課の平良和雄・港湾開発監は「裁判は継続中で、埋め立て工事の進展に問題はない」と語った。沖縄市の東門美津子市長は「具体的な土地利用計画を早い時期に策定し、経済的合理性を説明していくことが市長としての責務と考えている」とのコメントを出した。

(2009年1月15日16時25分 読売新聞)」


しかし、最近の行政機関の司法判断の無視ぶりは目に余るね。

行政機関の理屈でいくと、最高裁まで争っちゃえば、その間にどんどん工事を進められちゃう。


一審判決や二審判決は判決にあらず、という姿勢だね。


こんなこと認めておいていいのかね。




参考ー平成20年11月19日 那覇地方裁判所 泡瀬干潟埋立公金支出差止等請求事件
判決全文 http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20081218160154.pdf


「現時点においては,沖縄県による本件埋立事業についての経済的合理性を認めることはできないから,被告県知事による本件埋立事業に係る将来の甲事件財務会計行為は,地方自治法2条14項及び地方財政法4条1項に違反する違法なものというべきであり,この差止めを求める甲事件原告らの請求は理由がある。」


「現時点においては,沖縄市による本件海浜開発事業についての経済的合理性を認めることはできないから,被告市長による本件海浜開発事業に係る将来の乙事件財務会計行為は,地方自治法2条14項及び地方財政法4条1項に違反する違法なものというべきであり,この差止めを求める乙事件原告らの請求は理由がある。」