2009年01月21日 06時51分記載
URL http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090119/183071/
“障害者集団”、スウェーデン・サムハルの驚愕(最終回)
Author 篠原 匡
「数人の男たちが熱心にメモを取っていた。
2008年4月、サムハルが受託している民間郵便会社の配送所には、トヨタ自動車の社員がいた。2008年5月、トヨタループスという特例子会社を作ったトヨタ自動車。トヨタの社員がサムハルを訪ねたのは、2万人の障害者をマネジメントするノウハウを学ぶためだった。
障害者の専用工場を造るトヨタ自動車
トヨタループスは今春、トヨタの本社敷地内に障害者のための専用工場を造る。そこで障害者を雇用し、社内向けの郵便物の仕分けや印刷業務などを手がけていく。
事業開始は今年の5月。初年度にはサポートのための健常者50人を加えた80人体制を、5年後には、障害者70人、健常者30人の100人体制を目指すという。100人規模の特例子会社はあまり例がない。
トヨタは今年度の決算で営業赤字に転落することが濃厚になった。進行中のプロジェクトは、その多くが中止や凍結の憂き目に遭っている。だが、障害者工場プロジェクトだけは継続して進めることが決まっている。それだけ、トヨタは障害者雇用に本気なのだろう。
特例子会社の設立に当たって、トヨタループスの常務、有村秀一は他社の特例子会社や先進的な障害者施設を見て回った。バリアフリーなど優れている施設は多くあったが、どれも国の規格に則ったものばかり。ほかと全く違う、驚くような施設に出合うことはなかった。そんな折、サムハルの存在を知った有村はスウェーデンに飛んだ。
ストックホルムでは、障害者が働く現場を子細に見た。確かに、従業員は生き生きと働いていたし、障害者をまとめるマネジメントに見るべき点もあった。ただ、トヨタ流のカイゼンが骨の髄まで叩き込まれている有村である。サムハルの作業所を見ていると、もっと改善の余地があるように思えた。郵便物の配送所も、トヨタならもっと効率的に運営するかもしれない。
だが、逆立ちしてもできない――。そう感じたものがあった。それは、障害者に対する人々の意識である。
「ここでは、あなたが障害者なんですよ」
「一つひとつを見ると、日本とやっていることはそれほど変わらない。でも、『障害』に対する考え方がまるで違う」
サムハルの幹部に言われた言葉は、今も有村の耳から離れない。
「あなたはスウェーデン語が話せませんよね。ここでは、あなたが障害者なんですよ」
この幹部は冗談で言ったのだろうが、この一言は有村の心に響いた。環境が変われば、誰もが不自由な状況に置かれ、誰でも障害者になり得る。これは、裏を返せば、個人の差異は何も特別なことではないということでもある。障害を持つ。それは特別視するようなことではない。
サムハルを見てもそうだろう。サムハルの人々は障害者が働くことに、何の疑問も感じていない。当たり前のように、働きがいのある仕事を探し出そうとしている。サービス業に進出したように、「障害者だからできない」とは考えない(無論、反対した幹部がいたように、全員がそう考えていたわけではなかったが)。
これは、一般の市民でも同様だ。スウェーデン人は障害者が地下鉄に乗っていることに違和感を持つ人はいない。カフェテリアで働いていることを不思議に思う人もいない。サムハルという障害者集団に好奇の目を向ける人もいない。もちろん、必要な手は差し伸べるが、誰も障害者を特別視していない。
日本はどうだろうか。
スウェーデンから帰国した翌日。バスに乗ると、車いすの青年が乗ろうとした。運転手が手伝ったため、発車が2分ほど遅れた。すると、青年に聞こえるように、1人の老人が呟いた。
「お前のせいで遅れたんだから、一言、何か言ったらどうだ」
青年はうつむいたままだった。自分自身を含め、誰も乗車を手伝わなかったし、老人に注意もしなかった。何より、そんな光景を前にしながら、体と口が動かない自分を恥じた。と同時に、スウェーデン社会との違いを肌で感じた。この意識の差はとてつもなく大きいのではないだろうか。
それでも、サムハル的な組織は日本にもある。
東京都中野区にある東京コロニー。福祉工場や授産所などを経営する社会福祉法人である。ホームページ作成やソフト開発などの情報処理事業、印刷事業、防災安全用品の製造・販売事業などのほか、市役所での受付業務やハーブ栽培なども手がけている。ここでは、360人の障害者が働いている。
「思想を持ってくることはできない」
この東京コロニー、中野区や複数の地元企業などとともに、4月から新しい取り組みを始める。障害者が働く作業所を中野区が造り、地元企業が作った特例子会社が安く借りる。そして、東京コロニーなど中野区内の障害者施設で働く従業員のうち、一定の作業レベルがある人材を特例子会社に転職させていく――という仕組みである。2007年度には、31人が一般企業に転職していった。その数をさらに増やそうということだ。
「コストだったものが納税者に変わる。障害者雇用を進めたい企業も一定レベルの人材を採用できる。そして、地元の障害者の雇用の場も生まれる。行政、企業、地域。皆がプラスになるのではないでしょうか」
東京コロニーの理事長、勝又和夫は狙いを語る。車いすに乗る勝又は東京コロニーの訓練生から5代目理事長になった苦労人。それだけに、障害者雇用にかける思いは強い。
厚生労働省は就労支援に障害者福祉政策の軸を移し始めた。東京コロニーのように、創意工夫で障害者の社会化を進める組織も存在する。だが、全土で障害者雇用を進めるスウェーデンと比べると、その動きは限定的である。それに、障害者に対する国民の意識に彼我の差がある。
「思想を持ってくることはできませんからね」
トヨタループスの有村は取材の最後にこう言った。サムハルのノウハウや仕組みを真似することはできるかもしれない。福祉国家、スウェーデンの制度を導入することもできるかもしれない。だが、その仕組みを動かす思想が今の日本人にあるだろうか。
スウェーデンは「人を切らない国」
なぜサムハルが存在しているのか――。これまで、この疑問を何度も繰り返してきた。社会的使命、社会的コストの低減、企業としての努力、時代に対応するマネジメント。答えはいくつも挙げられる。だが、最大の要因は国民の意識。サムハルに500億円の税金投入を許す国民の存在だろう。
スウェーデン人の多くはサムハルを必要なものと考えている。民業圧迫批判は常に起きるが、「解体せよ」という議論にはならない。国民負担率で70%を超える高負担の国だが、「障害者に働く機会を与える」という政策を実現するために、自分たちの税金を使ってもよいとスウェーデン人は考えている。
福祉国家、スウェーデンの底流にある思想。それは、「誰何人も見捨てない」という哲学ではないか。
「一言で表せば、スウェーデンは人を切らない国」
サムハルの日本代表を務めていたプロシードの代表、西野弘はこう指摘する。1975年にスウェーデンの大学に留学した西野。その後もビジネスなどを通して、スウェーデン社会を見つめてきた。確かに、西野が言うように、スウェーデンという国を見つめると、「人を切らない」という哲学で溢れている。
「障害者であっても雇用の機会を等しく与える」。サムハルが作られたのはこの崇高な理想を実現するため。障害者を社会から切り離さないためである。
社会から切り離さないのは、障害者だけではない。高齢者もそうだ。ホームヘルプサービスの自己負担額は収入に応じて市町村が独自に設定しているが、国が定めた限度額を見ると、月1640SEK(スウェーデンクローナ)。施設系サービスでも1708SEKである。直近の為替レート(1SEK=11.05円)で言えば「2万円弱」。実際には収入に応じてさらに低い額になる。
ヒューマニズムを支える合理性
子供も同じだ。スウェーデンでは教育費がかからない。鉛筆1本、ノート1冊に至るまで無料。小中学校や高等学校だけでなく、大学の学費も無料である。養育者の所得によって教育の機会に差をつけないためだろう。
そして女性を社会にしっかり組み込む仕組みがある。この国では女性がキャリアを中断することなく出産、育児に専念することができる。育児休業中の所得保障はそれまでの所得の80%。市町村の保育所も低い利用料に抑えられている。だからだろう。5歳児の保育所の利用率は2006年で97.6%に上っている。
医療費負担も限りなく低い。ストックホルム県の場合、診療所の外来を受診した際の自己負担額は140SEK(約1550円)。ただ、自己負担額の上限が決められており、2008年では900SEK(約1万円)だった。失業しても、通常の失業保険だけでなく、無料の職業訓練も受けられる。
この国はあらゆる人を社会から切り離さない。言い換えれば、社会的弱者という存在を作らない国である。その哲学の根本に、スウェーデン人のヒューマニズムがあるのは間違いない。だが、サムハルを見てもわかるように「社会的弱者を弱者のままに置くことは国家的なマイナス」という冷徹な合理性もそこにはある。
「障害者も労働者という意識はとても新鮮だった。日本でも、高齢者や女性、チャレンジド(障害者)のような、これまで労働者と見なされていなかった人々を組み込む発想を持つべき」
4年前にサムハルを視察した内閣府特命担当大臣(科学技術政策、食品安全)の野田聖子は言う。現実に、社会的弱者を生まないために張り巡らされたセーフティーネットがスウェーデンに強さをもたらしている。スウェーデン経済に詳しい東京大学教授、神野直彦はこう指摘する。
「セーフティーネットが幾重にも張られていれば、人々は安心して冒険できる。でも、最低限の安心がなければ、人は何かに挑戦し、知的能力を高めようとはしない。スカンジナビア諸国は1990年代後半に高成長を実現した。これは、セーフティーネットが経済成長を阻害するものではないということを示している」(インタビュー参照)
90年代前半、スウェーデンは経済破綻という危機に見舞われたが、政府の適切な舵取りの結果、2000年以降は強さを取り戻した。1999年には10%近かった失業率も今は5%台に低下。多くの欧州連合(EU)諸国が低成長にとどまる中、2005~07年は3%前後のGDP(国内総生産)成長率を実現していた。
介護、教育、医療、雇用――。これらの各分野に張り巡らされた分厚いセーフティーネットは、すべて「人を切らない」という哲学から生まれている。「人を切らない」という安心感が、スウェーデンという国に厚みをもたらしている。サムハルというレンズを通して見えたもの。それは、国と国民との間の安心感そのものだった。
スウェーデンの本質は地方自治と民主主義
この安心感を求めているのは国民である、ということを忘れてはならない。スウェーデンの投票率は常に80~90%。過去には「高福祉の見直し」を掲げて政権を取った政党もあったが、いつも次の選挙で負ける。それだけ、国民が高福祉を求めているということだ。
この国では地方議会選挙の投票率も90%前後に達する。介護や教育などの行政サービスを提供しているのは市町村に当たる基礎自治体。日本とは違って住民税が自治体にそのまま入る。この税金の使い道を決めるのは地方議会。だからこそ、住民は選挙に行き、使い道を監視する。
サムハルが効率的に運営されているのもこの投票率によるところが大きい。「障害者の就労支援」。そんな大義名分を持つ国営企業は、ややもすると、肥大化し、非効率な経営になりがちだ。その国営企業に経営目標を課し、結果に対する説明責任を負わせているのは政治。言い換えれば、国民である。
選挙に行くのはなぜ――。ある晩、ストックホルムで知り合ったマジシャン、マーティン・ハンソンに尋ねた。すると、日本の低い投票率のことなど知らないマーティンは「何を聞いているんだ」と質問そのものの意味が理解できないという表情で答えた。
「当たり前のことだろう。すべての政党の主張に同意できず、白票を投じたことが1回あるだけだ。もちろん、国政選挙、地方選挙のどちらにも行く」
スウェーデンは子供の頃から有権者教育に力を入れている。選挙に行き、一票を投じる。それが、当たり前のこととして国民全体に根づいている。
高い税金に不満はないのか――。今回、取材に同行し、写真撮影を担当したニクラス・ラーソンに聞くと、彼は恥ずかしそうにこう言った。
「税金が高くても気にならないよ。サムハルのように、いい使い方をしているのを知っているしね」
ニクラスだけでなく、スウェーデンの若者と話していると、日本人が思うほど負担に対する怒りがない。それは、自分のカネがどう使われるかよく知っているため。その使われ方に納得しているからだろう。スウェーデンの高福祉路線を支えているのは地方自治と民主主義でもある。
そして、この投票率が政治と行政に規律を与えている。
手厚い福祉は強い経済の下に成り立つ
もちろん、スウェーデン社会も様々な問題を抱えている。
女性の社会進出が進んだ半面、ほとんどの家庭が共稼ぎになった。離婚率も高く、家庭崩壊が加速している。高齢者介護や子育て支援などの様々なセーフティーネットは、見方を変えれば、親に代わって社会が高齢者や子供の面倒を見ているということ。家庭崩壊の結果でもある。
最近では凶悪犯罪の増加、アルコールや薬物乱用も深刻な社会問題となっている。これも社会の歪みがもたらしたものだろう。
手厚い福祉政策もバラ色ではない。確かに、医療費は安いが、病院や医師が足りず、必要な医療が受けられない患者が増えている。財源不足が原因である。既に、スウェーデンの国民負担率は70%にまで達している。増税余地のある日本と違って、その余地はない。
今回の金融危機によって、スウェーデン経済も減速を余儀なくされる。手厚い福祉は強い経済の下でしか成り立たない。経済成長が鈍化した時、現状の路線が続く保証はどこにもない。福祉国家スウェーデンも他の先進国と同様の課題を抱えている。
人口900万人の国と1億3000万人の国を比較することに異論もある。だが、介護や教育などの行政サービスを提供しているのは基礎自治体。日本の市町村と規模はそう変わらない。スウェーデンの高福祉路線を支える地方分権と住民自治は日本でも見習うべきものだ。
何より、「人を切らない」というこの国の思想は普遍性を持つ。「人を切らない」という考え方が弱者を減らし、結果として強い国を作っている。国と国民の信頼、社会の安心感が損なわれている今の日本。この思想こそ、必要なものではないだろうか。
(文中敬称略。スウェーデンモデルの本質について、今後もこのシリーズで詳しくお伝えする予定です。ご期待ください) 」
URL http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090119/183071/
“障害者集団”、スウェーデン・サムハルの驚愕(最終回)
Author 篠原 匡
「数人の男たちが熱心にメモを取っていた。
2008年4月、サムハルが受託している民間郵便会社の配送所には、トヨタ自動車の社員がいた。2008年5月、トヨタループスという特例子会社を作ったトヨタ自動車。トヨタの社員がサムハルを訪ねたのは、2万人の障害者をマネジメントするノウハウを学ぶためだった。
障害者の専用工場を造るトヨタ自動車
トヨタループスは今春、トヨタの本社敷地内に障害者のための専用工場を造る。そこで障害者を雇用し、社内向けの郵便物の仕分けや印刷業務などを手がけていく。
事業開始は今年の5月。初年度にはサポートのための健常者50人を加えた80人体制を、5年後には、障害者70人、健常者30人の100人体制を目指すという。100人規模の特例子会社はあまり例がない。
トヨタは今年度の決算で営業赤字に転落することが濃厚になった。進行中のプロジェクトは、その多くが中止や凍結の憂き目に遭っている。だが、障害者工場プロジェクトだけは継続して進めることが決まっている。それだけ、トヨタは障害者雇用に本気なのだろう。
特例子会社の設立に当たって、トヨタループスの常務、有村秀一は他社の特例子会社や先進的な障害者施設を見て回った。バリアフリーなど優れている施設は多くあったが、どれも国の規格に則ったものばかり。ほかと全く違う、驚くような施設に出合うことはなかった。そんな折、サムハルの存在を知った有村はスウェーデンに飛んだ。
ストックホルムでは、障害者が働く現場を子細に見た。確かに、従業員は生き生きと働いていたし、障害者をまとめるマネジメントに見るべき点もあった。ただ、トヨタ流のカイゼンが骨の髄まで叩き込まれている有村である。サムハルの作業所を見ていると、もっと改善の余地があるように思えた。郵便物の配送所も、トヨタならもっと効率的に運営するかもしれない。
だが、逆立ちしてもできない――。そう感じたものがあった。それは、障害者に対する人々の意識である。
「ここでは、あなたが障害者なんですよ」
「一つひとつを見ると、日本とやっていることはそれほど変わらない。でも、『障害』に対する考え方がまるで違う」
サムハルの幹部に言われた言葉は、今も有村の耳から離れない。
「あなたはスウェーデン語が話せませんよね。ここでは、あなたが障害者なんですよ」
この幹部は冗談で言ったのだろうが、この一言は有村の心に響いた。環境が変われば、誰もが不自由な状況に置かれ、誰でも障害者になり得る。これは、裏を返せば、個人の差異は何も特別なことではないということでもある。障害を持つ。それは特別視するようなことではない。
サムハルを見てもそうだろう。サムハルの人々は障害者が働くことに、何の疑問も感じていない。当たり前のように、働きがいのある仕事を探し出そうとしている。サービス業に進出したように、「障害者だからできない」とは考えない(無論、反対した幹部がいたように、全員がそう考えていたわけではなかったが)。
これは、一般の市民でも同様だ。スウェーデン人は障害者が地下鉄に乗っていることに違和感を持つ人はいない。カフェテリアで働いていることを不思議に思う人もいない。サムハルという障害者集団に好奇の目を向ける人もいない。もちろん、必要な手は差し伸べるが、誰も障害者を特別視していない。
日本はどうだろうか。
スウェーデンから帰国した翌日。バスに乗ると、車いすの青年が乗ろうとした。運転手が手伝ったため、発車が2分ほど遅れた。すると、青年に聞こえるように、1人の老人が呟いた。
「お前のせいで遅れたんだから、一言、何か言ったらどうだ」
青年はうつむいたままだった。自分自身を含め、誰も乗車を手伝わなかったし、老人に注意もしなかった。何より、そんな光景を前にしながら、体と口が動かない自分を恥じた。と同時に、スウェーデン社会との違いを肌で感じた。この意識の差はとてつもなく大きいのではないだろうか。
それでも、サムハル的な組織は日本にもある。
東京都中野区にある東京コロニー。福祉工場や授産所などを経営する社会福祉法人である。ホームページ作成やソフト開発などの情報処理事業、印刷事業、防災安全用品の製造・販売事業などのほか、市役所での受付業務やハーブ栽培なども手がけている。ここでは、360人の障害者が働いている。
「思想を持ってくることはできない」
この東京コロニー、中野区や複数の地元企業などとともに、4月から新しい取り組みを始める。障害者が働く作業所を中野区が造り、地元企業が作った特例子会社が安く借りる。そして、東京コロニーなど中野区内の障害者施設で働く従業員のうち、一定の作業レベルがある人材を特例子会社に転職させていく――という仕組みである。2007年度には、31人が一般企業に転職していった。その数をさらに増やそうということだ。
「コストだったものが納税者に変わる。障害者雇用を進めたい企業も一定レベルの人材を採用できる。そして、地元の障害者の雇用の場も生まれる。行政、企業、地域。皆がプラスになるのではないでしょうか」
東京コロニーの理事長、勝又和夫は狙いを語る。車いすに乗る勝又は東京コロニーの訓練生から5代目理事長になった苦労人。それだけに、障害者雇用にかける思いは強い。
厚生労働省は就労支援に障害者福祉政策の軸を移し始めた。東京コロニーのように、創意工夫で障害者の社会化を進める組織も存在する。だが、全土で障害者雇用を進めるスウェーデンと比べると、その動きは限定的である。それに、障害者に対する国民の意識に彼我の差がある。
「思想を持ってくることはできませんからね」
トヨタループスの有村は取材の最後にこう言った。サムハルのノウハウや仕組みを真似することはできるかもしれない。福祉国家、スウェーデンの制度を導入することもできるかもしれない。だが、その仕組みを動かす思想が今の日本人にあるだろうか。
スウェーデンは「人を切らない国」
なぜサムハルが存在しているのか――。これまで、この疑問を何度も繰り返してきた。社会的使命、社会的コストの低減、企業としての努力、時代に対応するマネジメント。答えはいくつも挙げられる。だが、最大の要因は国民の意識。サムハルに500億円の税金投入を許す国民の存在だろう。
スウェーデン人の多くはサムハルを必要なものと考えている。民業圧迫批判は常に起きるが、「解体せよ」という議論にはならない。国民負担率で70%を超える高負担の国だが、「障害者に働く機会を与える」という政策を実現するために、自分たちの税金を使ってもよいとスウェーデン人は考えている。
福祉国家、スウェーデンの底流にある思想。それは、「誰何人も見捨てない」という哲学ではないか。
「一言で表せば、スウェーデンは人を切らない国」
サムハルの日本代表を務めていたプロシードの代表、西野弘はこう指摘する。1975年にスウェーデンの大学に留学した西野。その後もビジネスなどを通して、スウェーデン社会を見つめてきた。確かに、西野が言うように、スウェーデンという国を見つめると、「人を切らない」という哲学で溢れている。
「障害者であっても雇用の機会を等しく与える」。サムハルが作られたのはこの崇高な理想を実現するため。障害者を社会から切り離さないためである。
社会から切り離さないのは、障害者だけではない。高齢者もそうだ。ホームヘルプサービスの自己負担額は収入に応じて市町村が独自に設定しているが、国が定めた限度額を見ると、月1640SEK(スウェーデンクローナ)。施設系サービスでも1708SEKである。直近の為替レート(1SEK=11.05円)で言えば「2万円弱」。実際には収入に応じてさらに低い額になる。
ヒューマニズムを支える合理性
子供も同じだ。スウェーデンでは教育費がかからない。鉛筆1本、ノート1冊に至るまで無料。小中学校や高等学校だけでなく、大学の学費も無料である。養育者の所得によって教育の機会に差をつけないためだろう。
そして女性を社会にしっかり組み込む仕組みがある。この国では女性がキャリアを中断することなく出産、育児に専念することができる。育児休業中の所得保障はそれまでの所得の80%。市町村の保育所も低い利用料に抑えられている。だからだろう。5歳児の保育所の利用率は2006年で97.6%に上っている。
医療費負担も限りなく低い。ストックホルム県の場合、診療所の外来を受診した際の自己負担額は140SEK(約1550円)。ただ、自己負担額の上限が決められており、2008年では900SEK(約1万円)だった。失業しても、通常の失業保険だけでなく、無料の職業訓練も受けられる。
この国はあらゆる人を社会から切り離さない。言い換えれば、社会的弱者という存在を作らない国である。その哲学の根本に、スウェーデン人のヒューマニズムがあるのは間違いない。だが、サムハルを見てもわかるように「社会的弱者を弱者のままに置くことは国家的なマイナス」という冷徹な合理性もそこにはある。
「障害者も労働者という意識はとても新鮮だった。日本でも、高齢者や女性、チャレンジド(障害者)のような、これまで労働者と見なされていなかった人々を組み込む発想を持つべき」
4年前にサムハルを視察した内閣府特命担当大臣(科学技術政策、食品安全)の野田聖子は言う。現実に、社会的弱者を生まないために張り巡らされたセーフティーネットがスウェーデンに強さをもたらしている。スウェーデン経済に詳しい東京大学教授、神野直彦はこう指摘する。
「セーフティーネットが幾重にも張られていれば、人々は安心して冒険できる。でも、最低限の安心がなければ、人は何かに挑戦し、知的能力を高めようとはしない。スカンジナビア諸国は1990年代後半に高成長を実現した。これは、セーフティーネットが経済成長を阻害するものではないということを示している」(インタビュー参照)
90年代前半、スウェーデンは経済破綻という危機に見舞われたが、政府の適切な舵取りの結果、2000年以降は強さを取り戻した。1999年には10%近かった失業率も今は5%台に低下。多くの欧州連合(EU)諸国が低成長にとどまる中、2005~07年は3%前後のGDP(国内総生産)成長率を実現していた。
介護、教育、医療、雇用――。これらの各分野に張り巡らされた分厚いセーフティーネットは、すべて「人を切らない」という哲学から生まれている。「人を切らない」という安心感が、スウェーデンという国に厚みをもたらしている。サムハルというレンズを通して見えたもの。それは、国と国民との間の安心感そのものだった。
スウェーデンの本質は地方自治と民主主義
この安心感を求めているのは国民である、ということを忘れてはならない。スウェーデンの投票率は常に80~90%。過去には「高福祉の見直し」を掲げて政権を取った政党もあったが、いつも次の選挙で負ける。それだけ、国民が高福祉を求めているということだ。
この国では地方議会選挙の投票率も90%前後に達する。介護や教育などの行政サービスを提供しているのは市町村に当たる基礎自治体。日本とは違って住民税が自治体にそのまま入る。この税金の使い道を決めるのは地方議会。だからこそ、住民は選挙に行き、使い道を監視する。
サムハルが効率的に運営されているのもこの投票率によるところが大きい。「障害者の就労支援」。そんな大義名分を持つ国営企業は、ややもすると、肥大化し、非効率な経営になりがちだ。その国営企業に経営目標を課し、結果に対する説明責任を負わせているのは政治。言い換えれば、国民である。
選挙に行くのはなぜ――。ある晩、ストックホルムで知り合ったマジシャン、マーティン・ハンソンに尋ねた。すると、日本の低い投票率のことなど知らないマーティンは「何を聞いているんだ」と質問そのものの意味が理解できないという表情で答えた。
「当たり前のことだろう。すべての政党の主張に同意できず、白票を投じたことが1回あるだけだ。もちろん、国政選挙、地方選挙のどちらにも行く」
スウェーデンは子供の頃から有権者教育に力を入れている。選挙に行き、一票を投じる。それが、当たり前のこととして国民全体に根づいている。
高い税金に不満はないのか――。今回、取材に同行し、写真撮影を担当したニクラス・ラーソンに聞くと、彼は恥ずかしそうにこう言った。
「税金が高くても気にならないよ。サムハルのように、いい使い方をしているのを知っているしね」
ニクラスだけでなく、スウェーデンの若者と話していると、日本人が思うほど負担に対する怒りがない。それは、自分のカネがどう使われるかよく知っているため。その使われ方に納得しているからだろう。スウェーデンの高福祉路線を支えているのは地方自治と民主主義でもある。
そして、この投票率が政治と行政に規律を与えている。
手厚い福祉は強い経済の下に成り立つ
もちろん、スウェーデン社会も様々な問題を抱えている。
女性の社会進出が進んだ半面、ほとんどの家庭が共稼ぎになった。離婚率も高く、家庭崩壊が加速している。高齢者介護や子育て支援などの様々なセーフティーネットは、見方を変えれば、親に代わって社会が高齢者や子供の面倒を見ているということ。家庭崩壊の結果でもある。
最近では凶悪犯罪の増加、アルコールや薬物乱用も深刻な社会問題となっている。これも社会の歪みがもたらしたものだろう。
手厚い福祉政策もバラ色ではない。確かに、医療費は安いが、病院や医師が足りず、必要な医療が受けられない患者が増えている。財源不足が原因である。既に、スウェーデンの国民負担率は70%にまで達している。増税余地のある日本と違って、その余地はない。
今回の金融危機によって、スウェーデン経済も減速を余儀なくされる。手厚い福祉は強い経済の下でしか成り立たない。経済成長が鈍化した時、現状の路線が続く保証はどこにもない。福祉国家スウェーデンも他の先進国と同様の課題を抱えている。
人口900万人の国と1億3000万人の国を比較することに異論もある。だが、介護や教育などの行政サービスを提供しているのは基礎自治体。日本の市町村と規模はそう変わらない。スウェーデンの高福祉路線を支える地方分権と住民自治は日本でも見習うべきものだ。
何より、「人を切らない」というこの国の思想は普遍性を持つ。「人を切らない」という考え方が弱者を減らし、結果として強い国を作っている。国と国民の信頼、社会の安心感が損なわれている今の日本。この思想こそ、必要なものではないだろうか。
(文中敬称略。スウェーデンモデルの本質について、今後もこのシリーズで詳しくお伝えする予定です。ご期待ください) 」
私についての記述は何によってこのように正確にお知りになったのかと先ず泥きました。この記事の中では東京コロニ-のことだけが書かれていましたが、私は東京コロニ-の発足の原点と考え方を同じくする全国の施設の集まりである社団法人ゼンコロの会長も務めさせていただいており、本年度から成功事例を作るために施設と企業が連携するプロジェクトをいくつか取り組み始めています。また、ゼンコロが加盟する日本障害者協議会では二年前の八月に我が国の障害者に対する雇用施策はILOの定めた障害者の職業リハビリテ-ション等に関する159号条約に違反するとして提訴し、この三月末には日本政府に対して2010年の年次報告で提訴事実の実態について報告を求めるものとして、ILOのホ-ムペ-ジに公用六カ国語でその内容をアップしました。
私の所属は東京コロニ-かもしれませんが、そこを土台として、広く社会に訴えることや他の施設も巻き込んで実践事例に取り組んでいることもご理解いただき、その意味するところを広く社会に伝えていただければ大変ありがたいと思っております。
当ブログは、ブログタイトルのすぐ下に記載してある通り、アメーバブログで掲載している「ガン闘病記~骨肉腫になって~+α」をそのまま転載しているものです。従いまして、同じ記事が「ガン闘病記~骨肉腫になって~+α」の2009年01月21日 06時51分に掲載されています。そしてその記事は(ということは当ブログの記事も)当該記事冒頭のURLにある記事(日経が運営しているサイトになります)を転載したものです。著作者は篠原匡氏です。(本記事では英語で「Author」と記されています)
私自身障害を抱えており、障害者を取り巻く環境が少しでも良くなるよう、有益な記事・情報を紹介させてもらっています。