2012年12月01日 14時12分29秒
橋本五郎氏は、昨日、11党首を前にして、「こんなに多くの政党が存在したことはなかった」、「その責任は誰にあるのか」と野田首相に詰問したわけだが、それは誰の責任でもく、また、批判の前提としている「政党が多く存在することは悪である」という価値判断も全く個人的・主観的なものであって、総理を詰問する根拠となるものではない。
氏は、政党は3つなり4つなりが良いと意識的にか無意識的にかは別として考えていて、その自分の価値判断と離れた現状を厳しく批判した。
しかし、国民にとって、、選択肢が多様であることは「悪」ではなく、また、百歩譲って、「政党が多く存在することは悪である」とするなら、政党要件を厳しくするとか、小政党が存立し得ない選挙制度を採用すれば良い。
しかし、それが国民にとって望ましい状態か。そこの所をよく考えず、55年体制を前提としたしか思えない発想で記者クラブを代表して発言することは、いかがなものか。
善意に解釈して、氏が、政党が余りに多く存在すると、国民が政党間の政策の違いを把握出来ず、投票に迷いが生じてしまうとの危惧から発言したと考えてみる。
しかし、それも私からすると、国民を愚弄した「上から目線」の発想としか思えない。10程度の政党の政策の違いは判断できるし、国民も、主権者としてその程度の努力はする。(しない、したくない人は元々投票に行かない。)
氏の発言を聞いていると、政党は2つないし3つあればよく、それが小選挙区制を主体とする現行選挙制度の要求する所であると聞こえる。
個人的にそう考えるのは自由だが、それがさも客観的な正義であるかのように発言することは間違っている。
私個人としては、死票が余りに多く出てしまう現行選挙制度は、比例代表を主体とする選挙制度に変えた方がよいと考えている。余りに多くの政党が出てきてしまい政権が安定しないというのであれば、ドイツのように5%阻止条項を盛り込めばよい。(しかし、これとて私の単なる主観である。)
大事なことは、そのことに自覚的であるか否かである。
小選挙区比例代表並立制が「善」だと決まっているわけではない。政党数が多いことが「悪」だと決まっているわけではない。
氏がジャーナリストを自称するのであれば、そのことにもっと自覚的でなくてはならない。ある特定の価値観を「絶対」としてはならない。なぜといって、憲法は価値が相対的なものであることを前提としているからである。
橋本五郎氏は、昨日、11党首を前にして、「こんなに多くの政党が存在したことはなかった」、「その責任は誰にあるのか」と野田首相に詰問したわけだが、それは誰の責任でもく、また、批判の前提としている「政党が多く存在することは悪である」という価値判断も全く個人的・主観的なものであって、総理を詰問する根拠となるものではない。
氏は、政党は3つなり4つなりが良いと意識的にか無意識的にかは別として考えていて、その自分の価値判断と離れた現状を厳しく批判した。
しかし、国民にとって、、選択肢が多様であることは「悪」ではなく、また、百歩譲って、「政党が多く存在することは悪である」とするなら、政党要件を厳しくするとか、小政党が存立し得ない選挙制度を採用すれば良い。
しかし、それが国民にとって望ましい状態か。そこの所をよく考えず、55年体制を前提としたしか思えない発想で記者クラブを代表して発言することは、いかがなものか。
善意に解釈して、氏が、政党が余りに多く存在すると、国民が政党間の政策の違いを把握出来ず、投票に迷いが生じてしまうとの危惧から発言したと考えてみる。
しかし、それも私からすると、国民を愚弄した「上から目線」の発想としか思えない。10程度の政党の政策の違いは判断できるし、国民も、主権者としてその程度の努力はする。(しない、したくない人は元々投票に行かない。)
氏の発言を聞いていると、政党は2つないし3つあればよく、それが小選挙区制を主体とする現行選挙制度の要求する所であると聞こえる。
個人的にそう考えるのは自由だが、それがさも客観的な正義であるかのように発言することは間違っている。
私個人としては、死票が余りに多く出てしまう現行選挙制度は、比例代表を主体とする選挙制度に変えた方がよいと考えている。余りに多くの政党が出てきてしまい政権が安定しないというのであれば、ドイツのように5%阻止条項を盛り込めばよい。(しかし、これとて私の単なる主観である。)
大事なことは、そのことに自覚的であるか否かである。
小選挙区比例代表並立制が「善」だと決まっているわけではない。政党数が多いことが「悪」だと決まっているわけではない。
氏がジャーナリストを自称するのであれば、そのことにもっと自覚的でなくてはならない。ある特定の価値観を「絶対」としてはならない。なぜといって、憲法は価値が相対的なものであることを前提としているからである。