がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

並立制・併用制・連用制(下) 大屋雄裕

2012年12月10日 | Weblog
2012年12月01日 14時08分38秒

http://synodos.livedoor.biz/archives/1895925.html



「さて、選挙制度に関する知識を確認したところで、それをどう評価すべきかという議論に移ろう。何よりも重要なのは、名前がよく似ていて非常に混同されやすいにもかかわらず、並立制と併用制・連用制のあいだには大きな性質の違いがあるということだ。

■並立制と併用制・連用性のあいだ

まず、小選挙区制であれば二大政党制を基礎として与野党の入れ替わりという政権交代が実現するのに対し、比例代表制では中小政党が数多く分立するので連立政権が原則になり、連立の組み換えという形でゆるやかな政権の移行が基本になることを確認しておこう。並立制は単純に小選挙区制と比例代表制を折衷したものであり、選挙結果も両者の中間になる。


現在の我が国が採用しているのは衆参ともにこの並立制であり、両者を折衷した結果として日本政治の現状が生まれたことになる。つまり、小選挙区部分を基礎として大政党は二つに限られるが、比例代表部分からそれなりの議席を持つ小政党が複数生き残っているし、「大政党」といっても単独で他を圧倒するような議席数は確保できないので連立に依存するしかなく、小政党の意向で政権が揺らぐことになる。要するにそれは、大胆な政権交代と広範な民意の反映という両制度の良いところを兼ね備えたと言ってもいいし、悪いところを合併して政策の方向性が不連続なうえに政権が不安定になっていると評価することもできるようなものである。

これに対し併用制・連用制は実質的な比例代表制であり、結果として実現する政治の性質も比例代表制のもの(小党分立と連立政権)になると予想される。「並立制か、連用制か」というのは、表現から得られる印象のような同じ枠組みのなかの技術的な対立ではなく、小選挙区制を基礎にするか比例代表制に転ずるかという根本的な対立なのだ。

念のために言えば、《どちらをより高く評価するかはここまでとは別の問題である》。私としてはただ、なんにせよ評価を試みるならそれぞれの制度の違いを正確に認識してからにするべきだと主張しているに過ぎない。だが、以下の二点については指摘しておくべきだろう。

■連用制と政治の「巻き戻し」

第一に、連用制を採用することは選挙制度改革以前へと日本政治の基本的な構造を巻き戻すことを意味する。

一選挙区で3~5人の議員を選出する中選挙区制は、有力政党数を5前後に調整する機能を持っていた。そこで実現していた自民党の長期一党支配についても、実際には内部での離合集散が頻繁に起きており、派閥を単位とする連立政権と理解したほうが適切であることについては、すでに井上達夫が指摘している。相対的に少数の政治勢力からも相当数の議員が選出されていたこと、一党支配と言われていたわりには政権が不安定だったことなども含め、比例代表制に近いコンセンサス型政治の特徴を備えていたと理解した方がよい。

これに対し、比例代表制部分を残すことによって中小政党に配慮しつつ、基本的には小選挙区制へと転換することによって二大政党による政権交代を目指そうというのが1994年選挙制度改革の狙いだったとまとめることができる。であるとすれば、連用制の導入によって実質的に比例代表制を基礎とするという提案は、《改革を否定してそれ以前へと戻る狙いを持っている》ということになるだろう。

再度念のために言えば、それが悪いと主張しているわけではない。現在の並立制とそれに基づく政治が成功していると胸を張って言い切る人も多くはないだろうし、連用制に懐疑的な自民党にしても中選挙区制の再導入などに言及しているところを見ればやはり「巻き戻し」に肯定的かとも思われる。だが、現状の日本政治の問題の一部が「決定力不足」にあること、つまり対立する意見のいずれかが採用された結果として採用されなかった側が不満を覚えるという以前に《そもそも特定の意見の採用決定まで話が進まない》(従って懸案の処理は一向に進まないし、与野党いずれの意見が正しかったのかも、そもそもどちらも実現していないので決着がつかない)という点にあることを考えると、現状の憲法体制・議会制度のまま選挙制度を巻き戻せばこの問題がさらに悪化するだろうとは予想される。

自民党長期一党支配の時代には、第一に自民党内の各派閥が「党内では争っても野党に対しては団結する」という態度を持っていたことが多く、そのため一応は政権の政策実現に協力して決定力を確保していた。また社会党も国会での抵抗を通じて実質的な妥協を獲得することが目的で、政権獲得への意志をかけらも持たず、多くの分野で最終的には自民党の政策実現を許容していた。

だが、その当時に日本政治の決定力を確保していたこれらの要素は、もはや存在していない。55年体制を支えていた「幸福な偶然」が失われており、そこに戻ることができないとすれば、逆に二大政党制を支える小選挙区制へのシフトをより明確にすることによって決定力を回復すべきではないかとも考えられる(憲法改正などを通じて「ねじれ国会」現象の原因である両院の権限配分などを根本的に見直すことによって決定力を確保し、選挙制度は比例代表制にシフトするという可能性を排除するものではない)。

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■政権交代の終焉?

第二に、比例代表制を基礎としたシステムへの移行によって、政権担当者が完全に入れ替わるという意味での「政権交代」は二度と起きなくなると予想される。もちろん、連立政権を構成する政党は入れ替わるだろうし、それによって政策の方向性が緩やかに変化することもあるだろう。だが、総選挙により信任された政権に数年間の大きなフリーハンドを与え、その結果を次の総選挙で審判し、国民が不適切だと考えれば下野させるという、まさに民主党の鳩山元総理がそうあるべきだと主張したような政権交代のあり方は、失われることになる。

再び、それをどう評価するかは予測自体とは別の、次の段階の問題である。私自身は、たとえば公明党の支持者が連用制を高く評価することは極めて合理的だと考える。仮に小選挙区制に統一するような改革をすれば同党の獲得議席数は大きく落ち込み、政治的なパワーを失うことが予想されるだろう。これに対し、比例代表制では支持者数に応じて相当の議席が得られるし、自民・民主のいずれかと連立することによって政策実現を図ったり、離脱の可能性によって政権の死命を制することができるからである。

他方、民主党の支持者が連用制を高く評価するとすれば、それは一面において不合理であり、一面においては理解できるということになろう。不合理だというのは、小選挙区制ベースなら同党は1/2くらいの確率で強いフリーハンドを持つ政権政党の地位に立てるのに対し、比例代表制ベースだと公明党・社民党などの中小政党に掣肘されることになるだろうからである。

■政権交代の食い逃げ?

だがこのような評価は、民主党が次の選挙でも勝つか、負けたとしても次の次の選挙で復活する可能性がある場合の話だというのもまた事実である。仮に同党が国民からの支持をまったく失っており、次の総選挙で壊滅的な敗北を喫し、その次の総選挙でも立ち直れないような状況が予想されているとすれば、なるほどいまのうちに弱者にも優しい比例代表制ベースの選挙制度に飛びついておこうというのも理解できないことではない。だがこれは、いわば政権交代の食い逃げとでも呼ぶべき事態ではないだろうか。

そのような予想と意図から現在の議論が進んでいるのかどうか、私自身は詳らかにしない。ただここでは、かつて「政権交代のある政治」の実現を呼号した人々が併用制・連用制の導入を支持するとすれば言動の首尾一貫性が破綻しているだろうということと、ここでの選択が《漢字二文字の与える印象よりはかなり大きな意味を持っている》ということを指摘しておきたいだけなのである。

■本日の一冊

比例代表制―国際比較にもとづく提案 (中公新書 615)
著者:西平 重喜
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参議院への比例代表制導入を前にした時期に書かれたものであり、連用制のような新しい制度提案についてはもちろん扱われていない。しかし、比例代表制という選挙制度の性質や具体的なシステム、並立制と併用制という極めて混同されやすい制度間の違いといった基本的なポイントはすべて十分に説明されており、この本をきちんと読んで理解していれば大御所先生も産経新聞も間違いを犯さずに済んだだろうと思われる。その水準が一般的なものにならないまま刊行後20年が経過したということでもあるのだが。

大屋雄裕(おおや・たけひろ)/記事一覧
1974 年生まれ。名古屋大学大学院法学研究科准教授。専門は法哲学。情報化とグローバル化によって 国家・法・政治などのシステムがどう変化するか、またそれが我々の人格や個人といった制度に及ぼす影響を最近のテーマとしている。著書に『法解釈の言語哲 学』(勁草書房)、『自由とは何か:監視社会と「個人」の消滅』(ちくま新書)。」

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