今までも沢山の仏像を拝んできました。
でもいつも自分と離れた所の仏像としか心の中に取り込めないでいました。
2,3月前に極楽寺でお釈迦様の十弟子の小さなお像を見てから
何かが変わりました。
鎌倉時代に忍性禅師が、マザ-テレサと同じ事を行っていました。
ハンセン氏病で家族にも見放された病の人たちを人として死ぬまで面倒をみました。
極楽寺の釈迦のお弟子さんの像を見たときに、何かを訴えていました。
最初は、皆 怖い顔でしたが最近は微笑んでいるように感じるようになりました。
長谷寺の帰りに江ノ電の駅の側のコ-ヒ屋さんで古本を見つ見つけました。
運慶の気持ちを作者の想像力で素晴らしい作品に仕上げています。
読んでいていつの間にか運慶に取り込まれてしまいます。
一番油の乗った時に病に倒れました。
夢心地で息子との対話が描かれています。
夢想の中の声を思い出した。
わたしは前世も仏師であったか。生涯、像の腕や脚だけ彫らされ、ついに自分の作というものを残せず、無念のうちに死んでいった仏師やかもしれぬ。その恨みがわたしを生き返らせたか。あやめにからだを拭いでもらいながらそんなことをぼんやり考えていると、知らず知らずに涙が湧いてくる。
あやめが柿を剥いて口に入れでくれ、その甘さを舌に感じたとき、不意に、夢の中の熊王丸との会話を思い出した。
母親のいないあの子は、婆やに任せきりにされ、遊び相手もかまってくれる人もおらず、工房の裏庭でひとり遊んでいるのが常たった。五歳か六歳だったか、泥をこねて遊んでいた彼がたまたま通りがかったわたしに、声をかけたのだった。
おとうはどうして、仏さまを彫るの?
工房の誰かになにか言われたのか、それとも、わたしからしょっちゅう、おまえも仏師になるのだと言われて、幼いながらにいろいろ考えあぐねたか、思いつめたような目の色たった。
あらためて考えたこともないことをいきなり訊かれ、わたしは虚を衝かれた。たじろいだというより、何を面倒なことを、という気持だった。だが、息子の孤独な姿が急に哀れになり、その
まま立ち去れなかった。
「熊王丸よ、それはな。木が仏さまになりたがっているからだ」
わたしは子を抱き上げ、日当たりの悪い狭苦しい空き地に一本だけある、ひねこびた柿の木の幹を撫でさせながらこたえた。「この木もそうだ。木の中にはな、誰かの役に立ちたい、誰かのために生きたいと願う気持ちが隠されているのだ。それを仏性といって、仏さまの種みたいなものだよ」
「仏性? 仏さまの種?」
いや、木だけではない。草にも、泥にも、鉛や鉄くずにも、むろん、鳥や獣にも、そういう心があるのだ」
「人間じゃないのに、心があるの?」
「ああ、そうだ。たとえば、この柿の木は毎年秋になると、少しだけだが実をつける。ああ、おまえも去年、食べたな。わしらだけでなく、鳥もやってきてついばむ。狸やイタチも来て食う。
この木はな、それを喜ぶのだ。子孫を残すための大事な果実を盗られたのに、嬉しいのか? そうだ。おかしいか。だけどもな、それで他の生きものの餓えを癒してやれる。命をつないでやれる。木はそう思って喜ぶのだ。それは仏さまとおなじ心なのだ」
「だから、木を彫れば、仏さまが出てくるの? だから、おとうは彫るの?」
「ああ、そのとおりだ。だが、おとうだけではないぞ。たとえば、おまえはいま、泥をこねて山や建物をこしらえていただろう? それをな、仏さまのために、仏さまを讃えるために、心から喜んで塔や仏さまのお姿をこしらえれば、それがもう仏さまに近づける道なのだ。お経を読んだり、花や香を捧げて供養するのとおなじことになるのだよ。いや、木や土だけではない。石に刻んだり、絵に描いたり、銅で鋳造するのでも、布に織ってでもいい。なんでもいいと、『法華経』というありかたいお経に書いてあるのだ。そうやって自分の穢れた心を清め、素直に祈る心を持てということだ。仏さまはそれを喜ばれるのだよ。わしら仏師はそのための手伝いをする」
「仏さまが喜んでくださるの? 誉めてくがさるの? じゃあ、仏師っていいことをしているんだね」
幼子は満面の笑みを浮かべ、父の胸の中でちいさな掌を合わせてみせた。
愛おしさに胸がしめつけられ、わたしも笑いかけながら言葉を継いだ。
「わしらだけではない。わしらに仏さまを造らせる人も功徳を積める。それを拝んで祈る人が救われ、その人が誰か他人や多くの人や世の中のために祈れば、功徳を積むことができるからだ。
自分のためだけでなく、他者のために祈り、人のために善いことをして生きようとする。仏さまにつながるというのは、そういうことなのだ」
「でも、仏さまって、ほんとは見えないんじゃないの? だっておいら、見たことないし、だから、わかんない……」
消え入りそうな声で言うのだ。
「そうだな。仏さまのお姿も、仏さまがおられる世界も、目には見えぬ。誰だってそうだよ。お坊さまの話を聞いても、なかなか想像できやしない。それを信じろというのが無理だよな。だからなのだ。だから、わしらが目に見えるようにする。それが仏師の役目なのだ」
(ああ、そうだった。わたしはそう言ったのだった)
なぜ仏の像を彫るのか。仏の世界をつくるのか。仏師とはどういう存在なのか。
たかが幼児相手だからと、その場しのぎのいいかげんなことを言ったのではない。その頃のわたしが真剣に考えていたことだ。挫折しておのれの進むべき道を見失い、苦しみと絶望にのたうちまわっていたときも、その思いだけはけっして揺らぎはしなかった。
それなのに、いつしか忘れてしまっていた。ずっと考えなかった。自分自身に問いかけることすら忘れていた。なんという愚かさか。
「おや、また泣いてるのかい。なんだか妙に涙もろくなったじゃないか。それともなんかね。いままでの自分を悔いてでもいるんかい?」
あやめの憎まれ□を怒りもせず、あいまいにうなずくわたしを、皆、気味悪かった。
「棟梁は人が変わったようじゃ」
「もう造仏はできぬのかもしれぬな。となれば?」
この話を読んでいて、清水義久さんに先日教わった「樹木」の
話を思い出しました。
運慶が本当にそのように考えたかどうか分かりませんが、
作者の想像力に涙が出てきます。
運慶を支えてくれた東大寺の重源上人座像です。
僕は、博物館で最初に見たときに心の底から震えが止まりませんでした。
2度も3度も手を合わせて拝みました。
そのときには、その歴史も知らずただ運慶とう名前だけでした。
でも極楽寺の仏像や「荒法師運慶」を読み
その深さに感動しました。
この本をまた読み直し始めました。
もう一度、京都と奈良に行きたくなりました。