おじさん山伏です

修験道の修行から見た心の散歩です。
アイヌのアシリ・レラさんからの命名です。
「キムン・マタギ」になりました。

宮沢賢治 「なめとこ山」その3

2016-01-16 | 童話

宮沢賢治の「なめとこ山」を読んで

3つのことを感じました。

一つ目は、梅原先生が書かれているように

 「このような透明で清潔で、しかも神聖な文章を書く人はいない。

 賢治ほど透明で清潔で、神聖な人格をもつ文学者はいないからである。」の感想に

僕も心から大賛成。

二つ目は、昨日のブログに書いたようにこの世に命を持つすべてのものに対する

感謝の気持ち。母熊は、これから生きて行くための困難を乗り切る知恵を

子ぐまに教えているのを見て胸が熱くなる小十郎。それこそは宮沢賢治さんですね。

そして熊から離れるときに風が熊のほうに行かないように祈る姿は感動的ですね。

三つ目は、世渡りのなかでの素朴さに心打たれます。

熊の毛皮2枚で2円でどんなに安く買いたたかれようとも

自分たち家族が食べて行けるお米の買えるお金さえあればと感ずる気持ち。

接待されることに喜びを見いだす気持ち。

もし、普通の気持ちを持った人間ならお酒を飲まないで帰ってしまうでしょうね。

 

なに何せ小十郎のとこでは、山には栗があったし、うしろのまるで少しの畑からは稗がとれるのではあったが、

米などは少しもできず、味噌もなかったから、九十になるとしよりと子どもばかりの七人家内にもって行く米は、

ごくわずかずつでも要ったのだ。

 

 里のほうのものならあさもつくったけれども、

小十郎のとこでは、わずかふじつるで編むいれものの外に布にするようなものは

なんにもできなかったのだ。

 

小十郎はしばらくたってから、まるでしわがれたような声で言ったもんだ。

 

「だんなさん、お願いだます。どうか何ぼでもいいはんて買ってくない。」

 

小十郎はそう言いながら、あらためておじぎさえしたもんだ。

 

 主人はだまってしばらくけむりをはいてから、顔の少しで、にかにかわらうのを

そっとかくしていったもんだ。

 

「いいます。おいでおでれ。じゃ、平助、小十郎さんさ二円あげろじゃ。」

 

店の平助が大きな銀貨を四枚小十郎の前へすわって出した。

小十郎はそれを押しいただくようにして、にかにかしながら受けとった。

 

それから主人はこんどはだんだんきげんがよくなる。

 

「じゃ、おきの、小十郎さんさ一杯あげろ。」

 

小十郎はこのころはもううれしくてわくわくしている。

 

主人はゆっくりいろいろ話す。

小十郎はかしこまって山のもようや何か申しあげている。

まもなく台所のほうからお膳ができたと知らせる。

 

小十郎は半ぶん辞退するけれどけっきょく台所のとこへ引っぱられて

またていねいな挨拶をしている。

 

まもなく塩引きのさけの刺身やいかの切りこみなどと、酒が1本黒い小さな膳にのってくる。

 

小十郎はちゃんとかしこまってそこへこしかけて、

いかの切りこみを手の甲にのせてべろりとなめたり、

うやうやしく黄いろな酒を小さなちょこにつだりしている。

 

いくら物価の安いときだって、くまの毛皮二枚で二円はあまりやすいとだれでも思う。

 

じつに安いし、あんまり安いことは小才郎でも知っている。

けれどもどうして小十郎は、そんな町の荒物屋なんかでなしに、

ほかの人にどしどし売れないか。

それはなぜかたいていの人にはわからない。

けれども日本では狐けんというものもあって、

きつねは猟師に負け猟師はだんなに負けるときまっている。

ここではくまは小十郎にやられ小十郎がだんなにやられる。

だんなは町のみんなの中にいるから、なかなかくまに食われない。

けれどもこんないやなずるいやつらは、

世界がだんだん進歩すると、ひとりで消えてなくなっていく。

 

ぼくはしばらくのあいだでも、あんなりっぱな小十郎が、

二どとつらも見たくないような、いやなやつにうまくやられることを書いたのが、

じつにしゃくにさわってたまらない。

是非、この本をゆっくり読んでみてください。

東北の田舎の昔話ではありません。

これからの本当の日本人はどうあるべきかを語っています。

円覚寺の横田南嶺管長さんの「いろはにほへと」に通ずるものを感じます。

ありがとうございました。

大学2年のとき岩手県の下閉伊郡の5級僻地に

子供たちと遊びたくて一人で出かけたことがありました。

村の人達は、みんなが歓迎してくださり人の暖かさが

僕の心の糧になりました。

人を信ずることの大切さを教わったのでしょうね。

子供たちは、鍾乳洞につれていってくれました。

その年の秋に、京都大学の探検部が探検し日本一の鍾乳洞でした。

岩泉の小学校の校長先生から先生にならないかと何度かお手紙を頂きました。

人生って不思議ですね。

なめとこ山の熊を読んでいて学生時代を思い出します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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宮沢賢治 「なめとこ山」から

2016-01-15 | 童話

1/10日のブログで梅原猛先生の

「日本の深層」で紹介のあった宮沢賢治を読み直してみました。

絵本で「なめとこやまの熊」(高田 勲絵)と

宮沢賢治名作集(世界文化社)です。

     

解説から

生前数多くの童話を書きましたが、生きている間に世にでたのは

詩集「春と修羅」に「注文の多い料理店」の2冊でした。

賢治は、自分を犠牲にしても、人に尽くす、献身的な生き方をしました。

 

なめとこ山の熊で、僕にとって心か温まる素敵な文章です。

小十郎はもうくまのことばだってわかるような気がした。

ある年の春早く、山の木がまだ1本も青くならないころ、

小十郎は犬をつれて白沢をずうっとのぼった。夕がたになって小十郎は、

ばっかい沢へこえる峰になったところへ、

去年の夏こさえた笹小屋に泊ろと思って、そこにのぼって行った。

 

そしたらどういうかげんか小十郎の柄にもなく、のぼり口をまちかってしまった。

なんべんも谷へおりてまたのぼりなおして、犬もへとへとにつかれ、

小十郎も口を横にまげて息をしながら、半分くずれかかった去年の小屋をみつけた。

小十郎がすぐ下に湧水のあったのを思い出して、

少し山をおりかけたら、おどろいことは母親とやっと一歳になるかならないような子ぐまと二ひき、

ちょうど人がひたいに手をあてて遠くをながめるといったふうに、

淡い六日の月光の中を、むこうの谷をしげしげ見つめているのであった。

小十郎はまるでその二ひきのくまのからだから後光が射すように思えて、まるでくぎづけになったように立ちどまって、

そっちを見つめていた。すると小ぐまがあまえるようにいったのだ。

「どうしても雪だよ、おっかさん、谷のこっちがわだけ白くなっているんだもの。どうしても雪だよ。おっかさん。」

すると母親のくまは、まだしげしげ見つめていたが、やっといった。

「雪でないよ、あすこへだけふるはずがないんだもの。」

子ぐまはまた言った。

「だからとけないで残ったのでしょう。」

「いいえ、おっかさんは、あざみの芽を見にきのうあすこを通ったばかりです。」小十郎もじっとそっちをみた。

月の光が青じろく山の斜面をすべっていた。そこがちょうど銀の鎧のように光っているのだった。しばらくたって子ぐまがいった

「雪でなきや霜だねえ。きっとそうだ。」

ほんとうに今夜は霜がふるぞ、お月さまの近くでこきえもあんなに青くふるえているし、

第一お月さまのいろだってまるで氷のようだ、小十郎がひとりで思った。

「おかあさなはわかったよ、あれねえ、ひきざくらの花。」

「なあんだ、ひきざくらの花だい。ぼく知ってるよ。」

「いいえ、おまえまだ見たことはありません。」

「知ってるよ、ぼくこの前とってきたもの。」

「いいえ、あれひきざくらでありません、おまえのとってきたのきささげの花でしょう。」

「そうだろうか。」子ぐまはとぼけたように答えました。

小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになって、

もう一ぺんむこうの谷の白い雪のような花と余念なく月光をあびて立っている母子のくまをちらっとみて、

それから音をたてないように、こっそりこっそりもどりはじめた。

風があっちへ行くなと行くなと思いながら、そろそろと小十郎はあとじさりした。

くろもじの木のにおいが、月のあかりといっしょにすうとさした。

 

ありがとうございました。

僕たちがどこかに忘れて来たものを思い出させてくれます。

こうして書いていると熊の親子の気持ちと小十郎の胸が熱くなる気持ちが伝わってきます。

梅原猛先生は、最後の文章について

この一節は、素晴らしい文章である。

 

このような透明で清潔で、しかも神聖な文章を書く人はいない。

 

賢治ほど透明で清潔で、神聖な人格をもつ文学者はいないからである。

 

これは、たしかに修羅と菩薩の話である。

 

小十郎は、修羅の世界に生きていたのである。

 

この修羅の世界に彼は絶望していた。

 

修羅の世界をのがれねばならない。

 

どうしてのがれるか。修羅の世界からのがれるのは、彼の命を衆生に捧げねばならぬ。

 

彼が多くの熊を殺したように、今度は彼の命を熊に捧げる。

 

熊に自分の命を捧げることによって、小十郎は菩薩となったのである。」と書かれています。

 

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新年のみんなの庭

2016-01-14 | 日記

新年早々、みなとみらいのMARKISのみんなの庭

町の八百屋さんでは、白菜、大根、かぶが賑やかですが

みんなの庭は一休みのようです。

     

     

     

     

あたらしい知恵の輪?

        

        

         

        

       

       

みかんや果実はあまり見られません。

    

    

    

      

    

みなさんが草花を大事にするような雰囲気が生まれてきていますね。

     

横浜美術館の前庭にもくれんがつぼみを持ち始めました。

今年は、早いですね。

    

ありがとうございました。

やはり僕は野次馬ですね。

早速、宮沢賢治の本を買いました。

なめとこ山の熊を読むと、感じるところが違いますね。

     

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大倉山公園梅林の続きです。(1/11)

2016-01-13 | 日記

昨日の続きです。

帰りはどうしようかなあと考えていましたが、

そうだ!みんなの庭のみなとみらいに行こう。

そう便利になりました。

    

「冬至梅」

梅林の楽しさは、いろいろな種類があります。

自分で新しい品種を作ると命名権がその人にあります。

東京後楽園にも梅林があります。

    

    

「紅千鳥」は丁度公園の真ん中あたりにあり、真っ赤な花を咲かせるの人気ものです。

     

    

    

    

    

    

    

     

    

     

咲きはじめの時もなかなか風流ですね。

満開のころを思い出しながら眺めることは楽しいですね。

僕は、すべてを忘れて梅と一緒になります。

最近「今中」を自分のなかに再現できるようになりました。

どう創造力を湧き立たせるかがポイントだと思います。

横田南稜さんの「いろはにほへと」の写真をイメ-ジして

構図を考えます。

     

     

     

     

     

     

ヒマラヤ杉の葉が黄色くなっているのもいいものですね。

     

          

      

      

     

     

ありがとうございました。

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1/10日大倉山梅林の梅が少し咲き始めました

2016-01-12 | 日記

いよいよ梅の季節になりました。

今年は、開花が早いようです。

蝋梅が、三溪園や明月院や北鎌倉古民家ミュ-ジアムなどで

開花の話がでています。

大倉山梅林には蝋梅は見つかりませんでした。

ミツマタが咲き始めました。

東横線大倉山駅から梅林に行く坂道の

桜の老木が切られていました。

     

唐梅が小さな赤いつぼみを膨らませていました。

この唐梅は、いつも迎えてくれます。

「今年もよろしくね」と声をかけます。

      

花水木は、まだちょっと芽をふいていません。

     

          

          

          

もうひとつの目的は、図書館で縄文土器の本を見たかったけど休刊日でした。

ミツマタの花が咲き始めています。

ミツマタは早くから咲き、遅くまで楽しめます。

      

      

      

       

大倉山公園梅林は、東横線開通直後、旧梅林敷地約3ヘクタ-ルを

乗客の誘致を目的として昭和6年に公開したのが始まりです。

最盛期の昭和12年ごろには、白梅を中心に14種1000本を超えました。

昭和62年横浜市が買収して整備し、約20種150本になりました。

公園について目についたのは右側の斜面に咲く「八重野梅」です。

白い花をつけていました。

満開になると豪華ですよ。

     

白玉梅は、つぼみが膨らんでいました。

      

      

「見驚」も楽しい梅ですね。最初咲いたときの色と

終わりのころの色は違っています。それでこの名前が付きました。

大倉山梅林には5本以上あったと思います。

      

       

      

明日に続きます。

ありがとうございました。

 

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暮れのスカイツリ-に寄りました

2016-01-11 | 日記

昨日の続きですが、友人のせんげん台に途中下車。

今年の飾り付けは昨年ほどではなかった。

エスカレ-タ-で4階まで。

最近は、半蔵門線で押上でおります。

    

    

     

広場では、クリスマスの飾り着け。

赤煉瓦倉庫前の広場の方が豪華でした。

     

     

     

     

     

     

     

お昼は、南国酒家で。

簡単に安く食事が出来ます。

勿論セルフですが。

     

スタ-ウオ-ズ

     

渡り廊下の展示です。

     

     

    

      

このコ-ナ-が替わりました。

北海道の乳製品 MIL LAND

     

     

     

ソフトクリ-ムコ-ナ-

     

        

新しいコ-ザ-?

ちょっと恥ずかしくて入れませんでした。

     

     

     

今日の職人さんは、江戸切子です。

      

       

始めて教わりました。

カットする前のグラスは、普通は一色でカットすることで

白い模様が浮かび上がってきます。

      

このグラスは、2色のグラスです。

1個2万円以上します。

でも素敵ですね。

      

      

      

半蔵門線からの地下の入り口で。

      

ありがとうございました。

おばあちゃん日記

2,3日前から朝食事が終わって、

11時ごろに行くと電気を消して戸締まりをして

寝ています。

時間間隔がずれてきているのでしゅうか。

2世帯住宅なので寝る前に必ず自分で戸締まりと

コンセントを抜いています。

ガス台が有りますが、危険ですので止めてあります。

温めは、IFを使用しています。

夕方、お祈りのためにロ-ソクに火を付けますが

両手でやってもなかなか上手く点きません。

 

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宮沢賢治の童話「なめとこ山の熊」の論評を読んで

2016-01-10 | 童話

お正月から感動して涙の出る本を読みました。

 

梅原 猛さんがお書きになった「日本の深層」に

今まで疑問に思っていたことが僕のなかで整理されました。

僕の中に縄文文化が底にながれていることを気づかせて

くれました。

宮沢賢治の童話の話もそうです。

書きながら涙が止まりません。

じっくりと梅原先生の思想を味わって見て下さい。

少し長いのですが。

修羅の世界を超えて

  賢治のつくった数ある童話の中で、『なめとこ山の熊』という童話ほど有名な童話は少ない。

私は何度か、この童話を読んだ。

しかし、この童話をこんど読み返して、いままでの私のこの童話にたいする理解が浅いことに気がついた。

実に深い、なにか日本人という民族の根底にある、隠された心の深層を語っているような童話である。

 淵藻小十郎は、熊狩の名人である。彼は、いつもなめとこ山に熊を捕りにいくのである。

なめとこ山には熊がたくさんいる。その熊の肝はたいへん高額である。

 なめとこ山の熊は、小十郎が好きなのだ。

小十郎が山へやってくると、熊たちは面白そうに小十郎を見ている。

しかし、いくら熊だって、小十郎が目を光らして鉄砲をこちらへ構えることは、好きでない。

ときには烈しい気性の熊が、小十郎のほうへ両手を出してかかってくる。

しかし、小十郎は落ち着いて、熊の月の輪をめがけて、ドスンとやるのである。

小十郎は、熊に「おれは、てめえを憎くて殺しだのではねえんだぞ。

これも商売だから、てめえも撃たなくちゃならねえ。てめえも、熊に生まれたが因果なら、おれもこの商売が因果だ。

やい、この次は熊なんぞに生まれるな」といって、熊を殺すのである。
  青森縄文王国(新潮社編)

それが小十郎の日課であるが、小十郎はだんだん熊の言葉がわかるようになった。

そしてあるとき、花にたわむれる母と子の熊の会話を聞いた。

このなめとこ山では英雄である小十郎も町へくると、さっぱりだめである。

山ではアワやヒエがとれるが、米などはすこしもとれない。

家族七人を養うために熊を米に替えねばならない。

こういう小十郎の弱みにつけこんで荒物屋の旦那はさんざん値切るのである。

熊の毛皮二枚で二円である。

熊の毛皮二枚で二円は、あんまり安いと小十郎は思うが仕方がない。

この荒物屋の旦那以外にはどうして熊の皮が売れないか、その理由はたいていの人にはわからない。

 ある夏のことであった。小十郎がひとつの岩に登ったら、その前の木に大きな熊がよじ登っているのを見た。

その熊を殺そうとすると、熊は両手を挙げて叫んだ。

「おまえは、何がほしくておれを殺すんだ」それにたいして小十郎は、

「ああ、おれはおまえの毛皮と肝のほかには、何もいらない。

それを町に持っていって、ひどく高く売れるというではないし、ほんとうに気の毒だけれど、仕方がない。

けれども、いまごろそんなことをいわれると、おれでもなにか栗かしだのみでも食っていて、

それで死ぬなら、それで死ぬから、おれも死んでもいいような気がするよ」と答える。

その言葉に「もう二年ばかり待ってくれ。おれも少し、し残した仕事があるし、

二年たったら、おまえの家の前で死んでやる」といった。

小十郎は変な気がして、じっと考えて立っていた。熊は、その場から悠々と立ち去った。

ロそれからちょうど二年目、風の激しい日に小十郎は外へ出てみると、あの熊がやってきて、

口からいっぱい血を吐いて倒れていたのである。

青森縄文王国

 

その年の冬の日のことであった。小十郎は、いままでにいったことのない言葉を、ばあさんに残して、山へいった。

山の頂上で休んでいたとき、いきなり犬が火がついたように吠えだした。

小十郎がびっくりして後ろを見ると、大きな熊が両足で立って襲いかかってきたのだ。

小十郎は、鉄砲を構えた。

ぴしゃというように、鉄砲の音が小十郎に聞こえたが、熊は少しも倒れない。

小十郎はガアンと頭が鳴って、周り一面が真っ青になった。

それから遠くで、「おお小十郎、おまえを殺すつもりはなかった」という言葉を聞いた。小十郎は死んだのである。

 

 賢治はこの童話を、次のような言葉で結ぶ。

 「その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに、

黒い大きなものがたくさん環になって集って、各々黒い影を置き、

回々教徒の祈るときのやうに、じっと雪にひれふしたまま、いつまでもいつまでも動かなかった。

そしてその雪と月のあかりで見ると、いちばん高いとこに小十郎の死骸が半分座ったやうになって置かれてゐた。

 思ひなしか、その死んで凍えてしまった小十郎の顔は、まるで生きてるときのやうに、

冴え冴えして何か笑ってゐるやうにさへ見えたのだ。

ほんとうにそれらの大きな黒いものは、参の星が天のまん中に来ても、もっと西へ傾いても、

じっと化石したやうにうごかなかった。」

 

この一節は、素晴らしい文章である。

このような透明で清潔で、しかも神聖な文章を書く人はいない。

賢治ほど透明で清潔で、神聖な人格をもつ文学者はいないからである。

これは、たしかに修羅と菩薩の話である。

小十郎は、修羅の世界に生きていたのである。

この修羅の世界に彼は絶望していた。

修羅の世界をのがれねばならない。

どうしてのがれるか。修羅の世界からのがれるのは、彼の命を衆生に捧げねばならぬ。

彼が多くの熊を殺したように、今度は彼の命を熊に捧げる。

熊に自分の命を捧げることによって、小十郎は菩薩となったのである。

ここにあるものは、たしかに法華仏教思想である。

しかし、仏教思想だけでこの素晴らしい文章は理解できないと、私は思う。

 

賢治の霊力

いままで何度か、私はこの童話を読んだが、この最後の十行ほどの文章の意味はよく理解できなかった。

それは雪がまっ白くつもり、スバルやたくさんの星が緑や檀色にキラキラ輝いている、雪の山の夜の風景である。

小十郎の死体が座ったように置かれ、その小十郎の死体を囲んで多くの熊が集まっているのである。

おそらく熊たちは心ならずも殺さざるを得なかった小十郎の霊を供養しているのであろう。

地にひれふしたまま、熊たちは小十郎の霊をなぐさめるために静かに心から祈っているのであろう。

 私はそこに熊のイヨマンテを見るのである。

イヨマンテは、人間が熊の霊を神に送る儀式である。

おそらくそれは狩猟採集生活をしていた人間にとって、生きるためにはどうしても必要な、

動物殺害という行為を合理化するために考え出された荘厳な宗教的儀式であろう。

アイヌは、自らの手で養い、大きくなった熊を、厳密に定められた礼法によって丁重に殺し、そしてその熊の魂を天に送る。

賢治がこの『なめとこ山の熊』の最後の文章で語ろうとしているのは、

人間が熊を送るのではなくて、熊が人間を天に送るイヨマンテなのである。

小十郎は熊に殺されたのである。熊は小十郎を殺すつもりはなかったが、

自らが生きるためには、やはり、小十郎を殺さねばならなかった。

そして、この小十郎の霊を天に送るために、熊たちは集まって、

厳粛な宗教的儀式をしているのである。

星の輝ぐ、雪の冬山で、人間の霊を天に送る宗教的儀式を、熊が行なっているのである。これは世にも、不思議な光景なのである。

 あの有名なシュバイツァーは、動物の中に人間と同じような生命があることを直観し、

黒人の救済に一生を捧げようと決意したという。キリスト教の聖書によれば、植物はもちろん、

すべての動物はもともと人間に奉仕するように神によって創造されているのである。

こういう思想が常識となっている西洋人にとって、あのシュバイツァーの直観は、むしろ反聖書的な思想であり、

そういう思想に基づいて彼は、従来のヨーロッパ人がなしえなかったヒューマニズムの行動を、

あえてすることができたのである。

 ヨーロッパ人にとっては、新しい思想であるシュバイツァーの直観も

日本人にとってまことに常識的な思想である。

動物に人間と同じような生命をみとめるのは日本の思想の常識である。

しかし、賢治の思想は、はるかに先に進んでいるように思われる。

賢治は、熊に宗教的な儀式を行なわさせているのである。

おそらくは人間よりもはるかに丁重に、殺した人間を葬って、その魂を天に送る。

熊は、人間よりもはるかに強い宗教心をもっているのである。

賢治は、死んだ小十郎の顔が、まるで生きている男のように冴え冴えとして、

笑っているようにさえ見えたという。

小十郎は、喜んでいるのである。熊を殺さねば生きていけない修羅の世界を超えて、

熊のために自らを犠牲にしたのを喜んでいるのである。

小十郎は菩薩になったのである。

そして、熊たちは、菩薩となった小十郎に心からの祈りを捧げて、

小十郎の霊を請い清い天に送ろうとしているのである。

小十郎の霊は天にいき、あの雪空に光り輝く星のひとつになるにちがいないのである。

 賢治がそれを意識し得たかどうかはわからない。

しかし、私は優れた詩人は、民族の忘れられた記憶をよびもどす霊力をもっていると思う。

賢治はこのような霊力をもった詩人である。

『なめとこ山の熊』の話は童話である。

しかし、それは子供だけが読む童話ではない。

きわめて深い意味をその中に秘めている童話である。

宮沢賢治は、まだ発見されたばかりの詩人であり、思想家なのである。

青森縄文王国

ありがとうございました。

 

僕は、高校生のころ シュバイツァー博士に憧れて写真を定期入れに入れていました。

博士は、部屋に入ってきた虫や蠅を殺さずに外に出されたと書かれていました。

その時の気持ちは、今でも残っています。

ゴキブリがいても僕から逃げようとしません。

勿論、蚊が腕に止まっても息を吹きかけて逃がします。

梅原先生ではないですが、僕の奥底に縄文人の文化が

横たわっているのではと感じています。

少し長くなってごめんなさい。

学生時代の新潟の友人の年賀状に 「火焔型土器は世界最古の太陽暦」だと。

今度、ゆっくり聞いて見たいですね。

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暮れの一日馬喰町にいました。

2016-01-09 | 日記

暮れの一日、朝は赤坂見附。

午後にせんげん台なので馬喰町とスカイツリ-に寄って見ました。

馬喰町は、静かな佇まい。

    

    

冬なので新しいデザインの服も少なく・・・・

    

    

    

    

マフラ-が古くなったの纏めて買いました。

3枚以上でないと小売りしません。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

ありがとうございました。      

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三嶋大社に元旦に初詣?

2016-01-08 | 神道

元旦に三嶋大社に初詣。

元旦の箱根勤行では、天狗神社、箱根神社、三嶋大社でした。

箱根神社では、人が多くて拝殿まで行けませんでした。

スカイオ-クで写真を撮りすぎて電池が切れそうになり下りの写真はほとんどありません。

いつもの六地蔵さんです。

     

最後にお詣りするお地蔵さん

有名は、新町橋からの富士山です。

その昔、箱根を越えやっと三嶋大社に着いたという

感じで新町橋の浮世絵が描かれたいるのでしょうね。

僕もこの新町橋に来るとやっと三嶋についたと感じられます。

     

三嶋大社の初詣は、大鳥居の所から並んでいます。

     

     

     

     

         

ありがとうございました。 

 

 

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日本一の吊り橋。スカイガ-デンは、お花の曼荼羅?

2016-01-07 | 日記

昨年までは、バイパスの工事中でした。

この横を通って三嶋にくだります。

今日は、バスはスカイウ-クに停まりました。

ひょっと降りてしまいました。

     

スカイガ-デンなるものを野次馬気分で。

下から見ると何も見えません。

エスカレ-タを上るとガラス張りの家?

     

     

吊り橋も畑の中に少し見え、全貌は見えません。

     

入ってびっくり!

今まで植物園のイメ-ジと違っていました。

初めは本物なのかと売り場のお姉さんに聞いてしまいました。

      

天井からお花が下がって満開です。

水は?肥料は?

      

     

     

天井の細いパイプから水と肥料が自動で供給されます。

あちこちと天井を見上げながらうろつきました。

僕の脳が、エネルギ-を発信始めて止まりません。

「凄い! 凄すぎる!」

     

 この企画をされた方と20分近くいろいろとお話しを聞きました。

彼は、弘法大師の東寺の立体曼荼羅をイメ-ジしたそうです。

空海は、仏像を金堂の中に置くことにより視覚的に仏の世界を表現したように

お花の曼荼羅を実現しようしています。

     

東寺の金堂を何回かお詣りしていますが、

仏像が高い位置に置かれていることで身近に感じられません。

それに比べて五重の塔の1階の公開では、

身近に拝めるので仏の世界を感じられます。

このお花の曼荼羅ももっと成長してくると

見る人がどんな反応を示すか楽しみです。

椅子に座ってコ-ヒ-を飲みながらお花に囲まれたらどうなに楽しいことか。

    

    

もう一つ彼の話で、太陽系で太陽の質量は

他の惑星に比べてもの凄く大きい。

太陽があってこそ惑星があるのではないか。

太陽は、曼荼羅の中心の大日如来さまではないかと。

この花の曼荼羅も太陽があってこそでそこを感じて貰えればと話していました。

七沢先生も振動という観点から太陽系を捉えています。

神の世界の表現なのかも知れません。

神は、大宇宙なのですから。

     

ガラスに僕の姿が映っています。

     

     

吊り橋の話。大人が2100人までOK。

     

     

     

     

     

来月の勤行が楽しみです。

ありがとうございました。

様々な所で、理想に燃えて表現して行く世界が広がりつつあります。

七沢先生は、新し世界が広がりつつあると言われています。

伯王家神道を広めるのもその理由だそうです。

でもその世界の始まりに立ち会えたことは実に幸せなことですね。

 

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箱根勤行その4

2016-01-06 | 神道

箱根勤行では、雪だったり急いでいたするときにバスに乗ります。

今日は元旦で箱根神社の初詣で渋滞。

バスも1時間以上の遅れがでています。

この大鳥居に少し先までデッキになっています。

始めて知りました。良く見ると人が居ますね。

     

     

いつもの賽の河原に到着。

お地蔵さん」にお詣り。

     

     

バスの時刻まで20分程ですがどうせ遅れるので元箱根まで歩きました。

    

     

恩賜公園を抜けてバス停に急ぎます。

松を使わない門松を始めて見ました。

年始の挨拶のとき玄関で転んで松の葉で

目を痛めたのでそれ以来樫の木を用いたそうです。

     

    

小さな旅ですがいろいろなことに出会いますね。

    

    

1時間遅れで、10分ほどでバスが来ました。

いつもの笹塚までのつもりでしたが、

スカイウオ-クに停車するので降りてしまいました。

駐車場は満車。12月にオ-プンしたばかりです。

富士山と駿河湾が一望に見えることが売りです。

吊り橋は、往復で約1時間で1000円です。

反対側にはバス停はありませんので戻ってくるしかありません。

    

    

スカイガ-デンに行ってびっくり。

    

    

    

楽しいことがありました。

明日に続きます。

ありがとうございました。

理想を求めて実現させるエネルギ-に感動しました。

僕の憑き神さまがスカイガ-デンに連れて来てくださいました。

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箱根勤行その3

2016-01-05 | 山伏修行

昨日の続きです。

箱根畑宿の一里塚からです。

石畳がしっかりしている場所のひとつです。

      

      

七曲がりの車道を上り最後の急坂「橿の木坂」です。

     

     

     

今日は最後の坂を車道で歩いて見ました。

畑宿の森林がありました。

少し霞んでいますが、湘南の海が見えました。

     

     

     

     

猿滑り坂を登れば甘酒茶屋です。

     

この高さに来ると霜が降りていました。

やはり寒い!

     

     

     

甘酒茶屋のおばあちゃんに横田管長さんの「いろはにほへとⅢ」と

信州で無農薬で栽培している大変美味しいリンゴ。

青森に有名は木村さんのリンゴより美味しいとか。

     

     

     

今日は箱根神社にお詣りなのでお玉が池の方を歩きました。

     

     

      

国道線から結構奥になります。

     

     

     

     

沢山の人で最後の本殿には到達出来ませんでした。

今度ゆっくりお詣りします。

本来は、山伏の修行道場だそうです。

    

    

    

    

     

いつも対岸から見る大鳥居

     

この先に石の上でポ-ズを取って写真を撮っていました。

     

湖畔の遊歩道は、雰囲気がありますね。

    

    

    

    

ありがとうございました。

箱根神社はなかなか良いですね。

今度ゆっくりお詣りします。

 

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箱根勤行その2

2016-01-04 | 山伏修行

昨日の続きです。

葛原坂を登り切ると箱根大天狗神社です。

境内は撮影禁止です。

初めに見たときは絢爛豪華にびっくり。

     

    

     

     

いつものことで皆さんが歓待して頂けます。

勿論、入信の勧めはありませんが、道中の無事を祈って下さいます。

いつもの畑です。

ミカンが大きくなり始めました。

    

冬野菜がこれからですね。

八百屋さんでしか野菜を見ないのでこの畑で季節感を知ります。

    

     

霊泉の滝ですが、今日は、水が豊富です。

久しぶりですね。

     

     

     

     

僕は、天狗神社に寄るので車道を行きます。

天狗神社では、元旦に子供たちの御輿担ぎと

太鼓の奉納があります。

    

     

    

    

旧道石畳は、下に降ります。

僕は、車道。もうじき畑宿です。

      

     

先ほどの下りはここに上がってきます。

     

畑宿の町並。

     

      

      

駒形神社によって見ました。

町の人達の新年のお祝いでした。

特別に神主さんはあられなかったようです。

20数人の町の人達でした。

尾頭付き鯛と野菜物。

    

    

    

    

御祭神は、天之御中主大神でした。

     

     

     

畑宿の一里塚です。

     

     

今回、畑宿の駒形神社に始めてのお詣りでした。

いつもはここまで上がって来ません。

何かが呼んだのでしょうね。

今回の箱根勤行では、見られないいろいろなことが起きました。

早雲寺で小鳥が僕の廻りを飛び回ったことと、

畑宿での駒形神社です。

あまり考えないで黙々と歩いているとふと何かが目の前に現れてきます。

法螺の吹きかたも少し違ってきています。

ありがとうございました。

明日は、甘酒茶屋。

何とか腰は持ちそうです。

 

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元旦に箱根勤行その1

2016-01-03 | 山伏修行

2、3日前からぎっくり腰のなりかけで

背中にパテックスを張っていました、

夜、寝る前に愛用の三井温熱で一時間ほど背中や腰を

暖めました。咳も抜けないので胸に三井温熱。

終夜運転の電車の時刻表を眺めて結局はいつもの新横浜6時の新幹線。

弘明寺商店街の弘明寺観音さまの行列は見られませんでした。

    

    

    

    

    

月が綺麗でした。

    

    

最初の上りです。

やはり足の筋肉が少しつるような痛みが少しありました。

今日一日大丈夫かちょっと不安。

    

    

早雲寺で般若心経一巻で今日から

延命十句観音経を唱え始めました。

和讃を読んでいて大慈大悲を感じて涙が出てきました。

    

小鳥が僕の前で踊っていました。

     

今日は寒いので側溝の蓋から湯気が上がっていました。

    

ちょうど山に朝日があたり綺麗でした。

    

お正月ですね。

    

    

    

     

     

     

      

     

     

     

     

     

     

叔父さんが休んでいました。

最初は、軽く会釈。

「明けましておめでとうございます。」と僕。

叔父さんはにこやかに返答してくれました。

日本語は、良いですね。

簡単な挨拶ですべて通ずるのです。

それに叔父さんは朝食中?

    

    

    

明日に続きます。

ありがとうございました。

おばあちゃん日記

元旦は、家族が用意したお正月料理。

出がけに電気釜で栗ご飯。

丁度勤行から帰って来たら、夕食を食べるところ。

おかずを暖め、栗御飯で夕食。

お昼もご飯を食べた様子。

数え年九十九才で元気でお正月を迎えることが出来ました。

最近、僕の調子が元に戻ったので

清水先生の気を頭から入れ、

首筋に手を五分程置き、背中や腕を擦ります。

薬もサプリも飲まないで元気で過ごしています。

神社やお寺にお詣りすると何だか厄年のことが目につきます。

おばあちゃんを見ていてあまり気にしない方が元気で居るみたいです。

おばあちゃんはまさに「中今」に生きて

これから先のことも過去のことを愚痴ることもなくなりました。

「ありがとう」の言葉だけです。

そして毎日、夕方お祈りをしています。

円覚寺居士林の今月の詩からです。

横田南嶺円覚寺管長さんは、詩人坂村眞民さんの詩を紹介されます。

この詩もいいですね。

 

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暮れの鶴ヶ岡八幡宮と小町通りは賑やかです

2016-01-02 | 神道

いつものコ-スで八幡様にお詣り。

ご朱印を頂くのが目的。

    

    

    

    

    

    

お正月の準備で忙しそうです。

    

    

    

    

    

今日の小町通りの散歩はブラブラで目的がありません。

    

    

     

    

    

    

    

    

鎌倉の帆布屋さん。先日の東寺の縁日での帆布と比べて見てしまいます。

僕は、京都のほうが好きですね。

    

    

    

小町通りの喜八郎さんの牛まんを食べたくて聞きました。

「食べる場所はない?」

「本店に椅子があります。」

本店で頂きました。

    

    

小町通りの横路地に楽しいお店が出来ています。

    

    

    

切り山椒と和菓子をお土産に買いました。

    

    

    

ありがとうございました。

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