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今日は、少し悲しいお話を正木晃さんの
本からの紹介です。
正木晃さんの本は、何冊か読みました。
特に、密教については造詣の深い方で、
興味のある本が何冊かあります。
チベットは10回以上行って研究されています。
最近読んだ本は、「現代の修験道」です。
先日、築地本願寺にお参りして
晩年の「親鸞」のことをもう一度知りたくて
正木晃さんの「立派な死」を読み直してみました。
その中で次の紹介する文章は、死を考えさせる
すばらしい文です。
是非、この本を読まれることをお勧めします。
空海、法然、親鸞、日蓮、一遍、西行の死について書かれています。
少し悲しい物語ですが、勘弁して下さいね。
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一昨年、私か仕事を通じて知り合った女性が癌で亡くなった。
まだ五〇歳代の後半という若さであった。
いわゆるキャリアウーマンの典型で、
ある新聞社の外郭団体に勤務し、
男性に伍してバリバリ仕事をこなすのが生き甲斐のように私には見えた。
亡くなる数年ほど前、まだ元気だった頃、独身で寂しくないの?
年を取ったらどうするの?
と訊いたことがある。
しかし、彼女は「ふふん」と軽くいなす感じで、質問にはまともに答えて
くれなかった。ただ、あるとき偶然に、
保険に尋常ではない額を支出していることを知って、
彼女が不安に苛まれていると直感した。
月給からだけでは足らず、ボーナス時にはその半分にあたる額を支払っていたほどで、
尋常ではない保険額に、彼女の言いしれぬ不安が込められていた。
年齢を重ねることへの不安、病気に対する不安、
そしてその果てに待っている孤独な死への不安。
これらの不安を、彼女は巨額の保険金であがなおうとした。
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癌にかかっていることが判明したとき、
彼女は最も治療実績かおるという大学病院を選びその病院の中でも最も高名な医師に、
その身をゆだねた。
むろん、金に糸目は付けなかった。
しかし、まだ五〇歳代という若さも災いして癌は急速に進行し、
二度にわたる大手術も空しく、彼女は亡くなった。
彼女の入院中、私大二度しか見舞いにいかなかったので、
こういうことを言う資格はないが、
見舞いに来てくれた人の数は少なかったようである。
万事が仕事、仕事で来ていたから、仕事以外の人付き合いはごく限られていた。
というよりむしろ、仕事に役立たない人付き合いは、
彼女の方が避けていたきらいがあった。
彼女に言わせれば、仕事上の人付き合いでもう十分たいへんなのだから、
これ以上の人付き合いはかなわにということらしかった。(中略)
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共通の知人から、だいぶ悪いようだ、
もし会っておくのなら今のうちだと聞かされて、
春の一日、私は二度目の見舞いに出かけた。
デラックスな個室のベットに横たわった彼女は、
見る影もなく痩せ衰えていた。
かつての豊満すぎるくらいの体躯が、
いまは紙のように薄くなっていた。
病室の中には、末期の癌患者に特有の、
菊の花のようなにおいが漂っていた。
このとき、彼女とどんなことを話したのか、
よく覚えていない。
私も彼女のあまりに変わり果てた姿を目にして、
動転していたのだろう。
ただ、足がとてもだるいというので、
しばらくさすっていたことだけは記憶にある。
そう言われて、最初はシーツの上からさするうかと思ったが、
それでは効かないかもしれないと思い直して、
シーツの下に手を入れ直接、彼女の足を素手でさすった。
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体の方はあれほど痩せ衰えているのに、
足はばんばんに腫れ上がり、足首のくびれがまるでなかった。
それでもしばらくさすっていると、気持ちがよいのか、
彼女はうとうとしはじめた。
たぶん、さすっていたのは二〇分ほどだったであろう。
帰らなければならない時間が来ていた。
気の毒だったが、軽くゆすって、彼女を目覚めさせた。
「ありがとう。とても気持ちよかったわ。
このところ、痛いのと、いろいろ考えることばかりで、
よく眠れなかったの。
寝ても、すぐ目が覚めてしまう。
ほんとうに久しぶりで、気持ちよく眠れたような気がする。
もっと寝ていたかったけど、
あなたにも仕事があるのだし、仕方ないわね」
また来ます、と別れを告げて、ドアの所まで行ったとき、
「今度は、いつ末てくれる?」とう彼女の声がした。
「来週にでも」と答えて振りかえると、
彼女はシーツを頭からかぶってしまった。
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どうやら「さよなら」と言ったらしかったが、
その声はシーツの中にくぐもって消えた。
翌週、見舞いに行こうか行くまいか、散々迷った。
もうこれ以上、彼女の病み衰えた姿を見たくはなかったが、
約束したことでもあるので、
勇を鼓して、私は三度目の見舞いに出かけた。
いずれにしても、これが最後になるだろうという予感があった。
病室にはいると、彼女はベットに横たわったまま、
数校の書類に目を通していた。
仕事上の書類かとおもって、
なにも訊かずにいると、
彼女の方から「これは仕事の書類じゃないの。
笑われるかもしれないけれど、お墓を購入したのよ。
これは、その契約書」と言って、見せてくれた。
契約書を見て驚いた。相当な金額である。
いまだき、交通至便なところの墓地は法外に高いとは聞いていたが、
これほどとは思わなかった。
ワンルームマンションが買えるくらいの値段だった。
「これが、この世での最後の買い物。」でも、高いわね。田舎なら、中古の家が1軒買えるわよね。
まあ、これで死んでからの住処が定まったわけだから、良いとしなくちゃね」と彼女は笑った。
その笑いには皮肉な感じは全然なくて、
けっこう本気で楽しそうだった。
その目は、末期癌のさらに末期とは思えないほど、
彼女は元気だった。ハイすぎるくらいである。
死が至近に迫った人に、一目か二目だけ、
痛みも薄らいで、とても気分の良い日が訪れると聞いていたが、
この目がちょうどそれに当たっていたのかもしれない。(中略)
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そんなぐあいにひとしきり話をしたあと、
しばしの沈黙が訪れた。
そのとき、彼女が私の顔をじっと見ながら、こう言った。
「一つ、お願いがあるの。あなたにはご迷惑かもしれないけれど、
私の最後のお願いと思って、聞いてくれる?」
「なに?」と私は聞き返した。
「お墓のことなんだけれど、私か死んでお墓に入ったら、
一年に一度でいいから、お墓参りに来てくれない?
お線香は要らないから、お花だけ生けてちょうだい」と言う。
そして、枕元からごそごそとなにやら取り出した。
見ると、貯金通帳である。
「これね、交通費とお花代。預かっておいて」と、
私に手渡そうとした。
いかにもドライな彼女らしい遣り方で、
思わず笑ってしまったが、彼女はすこぶる真剣である。
あまりに真剣なので、
「冗談でしょう!」と言い返すタイミングを失ってしまった。
「そんなお金、要りませんよ。これでもいちおう働いているんだし、
そんなに困っていないから」と言っても、彼女は「受けとって」の一点張りである。
「あなたのことだから、私の願いを叶えてくれるとは思う。
でも、それを確かに約束してほしいし、
その約束を保証してくれる何かがほしい。
それが、この貯金通帳ってわけ。だから、受け取って」
そうまで言われては、受けとらざるを得ない。
私は貯金通帳を受けとって、上着の内ポケットに入れ、しっかりボタンをとめた。
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その様子を見て、彼女は安心したらしかった。
安堵の面もちで、こう言った。
私はもうすぐ死ぬ。
私か死んだあとで、すぐに忘れられることだけは、
どうしても嫌。
長い時間たっていないのに、
誰も私のことを思い出してくれないなんて、
耐えられない。それを想像すると、
いても立ってもいられなくなる。
誰か、一人でもいいから、しばらく私のことを覚えてほしい。
お墓参りに来てくれるということは、
私のことを思い出すということでしょう?
ほんとうはお墓なんてなくても、
毎日、私のことを思いだしてくれる人がいればもっと良いのだけれど、
あいにくそういう人はいない。
だから、こんなお願いをしたのよ。
少しは私の気持ちをわかってくれたかしら……。
その日の帰り際、彼女は「今度はいつ来てくれる?」と、尋ねなかった。
いつもと違うので、私はちょっと怪訝な顔をしたらしい。
彼女はそれを敏感に読みとったようだった。
「もし、来られたら、やっぱりお見舞いに来て。
でも、無理はしなくていい。
ドライすぎると思われるに決まっているけれど、
今日、あなたにお墓参りのことをお願いして、
それが叶えられるとわかったら、なにかとても安心したの。
とりあえず、これで片が付いたって感じ。
明日になったら、また気持ちが変わるかもしれないけれど、
今は少し幸せ」
私はもう一度ベットのところに戻り、
彼女の手を握ってから、さようならを言って病室を出た。
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僕は、この年になって苦しい奥駆修行に皆さんに
迷惑を掛けながら修行に励んでします。
なぜ? 聞かれますが、笑ってまともに答えていません。
でも、孫が大きくなって
「うちのおじいちゃんは、その年になってバカね」
と言われることを期待してがんばっています。
親鸞の晩年は、大変だったようです。
84才で息子を義絶。
85才で目はほとんど見えなかった。
最後の最後まで、金の無心に苦労しつづけた。
絶対的な自己否定と阿弥陀如来への信仰が
親鸞が最後に到達した境地だと玉木晃さんは書いています。
僕は、親鸞の年までまだまだですが、
親鸞の話を読むと勇気づけられます。
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帯津良一先生と藤波源信大阿闍梨さんの
対談集 「いのちの力」から
帯津先生
それで患者さんにとって、「虚空への旅」が
死んだ後にあると思うことで、少しは死への
恐れが和らぐことになるらしいんです。
亡くなった患者さんの家族からお礼を言われました。
「先生が死んだら百五十億年の旅に出るっていって
くれたので、死ぬのがあまり怖くなくなったといって
死んでいきました。」と。
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一人で生きることについて大変に示唆する本です。
諸富 祥彦 「孤独であるためのレッスン」NHKブックス
諸富先生は、日本トランスパ-ソナル学会会長です。
プロロ-グのなかで
「本書では、私自身の体験や、カウンセリングの実践事例を踏まえて、
”ひとり”であることを引き受けた人間に、どのような人生が
開かれてくるのか、そのことを示していきたいと思っています。
残念ながら今の日本には、
真の孤独、充実した孤独を生きることができる
人間がきわめて少ないのが、実情です。
雄々しく、やさしく、しなやかに孤独を享受できる日本人。
本書が、そんな日本人が生まれてくるための
小さなきっかけにもなれば、幸いです。」と
正木さんの話を読む中で諸富先生の本を読み直して
見ようと思いました。
今日よりより良い明日を
今日は少し悲しい話で、ごめんなさいね。
ありがとうございました。
今、岸見一郎さんと古賀史健さんの「嫌われる勇気」を読んでいます。アドラ-の心理学で大変面白い本です。