新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「誤解を解く6つの真実」

2020-08-25 09:22:34 | コラム
日本製紙連合会が広報用リーフレットを作成:

一寸驚くような時代錯誤というか何というか、興味深い記事を紙業タイムス社発行のFuture誌8月24日号に発見した。それは、日本製紙連合会が「紙は環境に悪い?」との誤解を解く為に掲題のようなリーフレットを10万部も作成して配布したとの記述だった。「何と言うことか」と嘆きたくなった。

思い起こせば今を去ること30数年前だっただろうか「紙は貴重な天然資源である木材を浪費し環境を破壊するから、紙の使用と消費を極力削減して資源を守り環境を保護しよう」という説と運動がまかり通っていた。中には東南アジアの諸国を回って焼き畑農業の土地を視察するとか、痩せ衰えたマングローブの木を見て「これが樹木を乱伐してデパート等の包装紙などになった残骸か」という報告書を書いた人物もいた。アメリカの紙パルプ・林産物の会社員から見れば、怒る前に笑うしかなかった大誤解で誤認識だった。

W社はアメリカ全土に600万エーカー(1エーカー=1,200坪)の森林を所有している企業で、その資源を活かして製材しパルプや紙を生産しているのだった。その資源がどれほどのものかをお見せする為に、お客様をヘリコプターにお乗せして200 kmほど南にある工場にご案内したものだった。その約1時間の飛行中のほとんどが我が社の社有林の上を飛んでいるので「もう分かった。十分に資源があると認識した」と言って頂けたものだった。

我が社を始めとしてアメリカの大手紙パルプ林産物メーカーは大規模な自社林を持って、そこでは一旦伐採した後では整地して肥料を与えて土地を整備した上で苗木を植えて管理して育成しているので、木材資源は無尽蔵とまでは言えないが、計画植林で計画的に伐採されている。だから、環境破壊などあり得ないのだった。そういう実情は産業界を揚げての広報活動の努力があって、「紙は環境を破壊している」という故なき誤解は解消されたのだった。

我が国の製紙会社は原料は国内の自社林等からも調達していたが、アメリカその他からもチップやパルプの形で輸入して国内の資源不足を補っていたし、海外にも自社林を持つなどして決して国内の貴重な天然の木材資源を浪費していることなどなかった。だが、環境保護論者たちは執拗に紙パルプ産業を悪者扱いにして「ペーパーレス社会へ」などと謳い上げてくれた。私もリタイアして26年が過ぎたが、まさか21世紀の今日に至って製紙連がこのようなリーフレットを作成する必要に迫られるとは夢想だにしていなかった。

現にICT化が進んだ現代では、紙の需要は激減し解りやすい例では新聞用紙などはアメリかでは需要が10年ほどの間に60%も減少して大手のメーカーは民事再生法であるChapter 11の保護を請願していたし、我が国では30%ほどの減少なのである。世界で紙類の需要が伸びているのは新興国だけで、アメリカも我が国も需要は減退の一途である。その時代にあって「環境に悪い」という説がまた出てきたとは驚くだけだ。

そこで製紙連のリーフレットの内容を見てみよう。Future誌の記事では「紙に対するネガティブキャンペーンは周期的にやってくるようで、ある世代が環境教育などを通じて、紙リサイクルの意義や森林の更新による温暖化防止効果などを学んでも、世代が変わり社会に影響力を与える新たな世代が育ってくると、再びその世代に向けてネガティブキャンペーンが始まる。キャンペーンの内容は基本的に変化がなく『森林を伐採して紙を作り環境を破壊している』、『紙の大量生産で森林資源が枯渇する』といった主張が繰り返される」とある。「デジャビュ」という言葉を想起させられた。

前置きが長すぎた。リーフレットの内容は①「紙の生産・消費が世界の森林減少の原因というのは事実と異なる」、②「紙1tonが木○○本という表現は実体を表していない」、③「紙は原料である木の成長から廃棄・焼却されるまでCO2を固定する素材である」、④「紙は自然界で分解される地球環境にやさしい素材」、⑤「そもそも古紙以外のものは紙に混ぜてはいけない」、⑥「未来に向けて新たな素材が生まれている」となっている。私には十分な説明だが、一般の方には完全に通じないのではとの懸念は残る気がする。

一言追加しておけば「我が国では至る所に多くの木が生えているが、あの樹種は紙の生産には余り適していないので、大手の製紙会社はそれ用に自社林で育成しているし、上記のように海外にも山林を保有している。その意味では我が国は資源小国とも言えるのだ。実は我が国では海外の森林資源を消費しているのだ」となる。だから、往年のクリントン政権は「アメリカから原料ばかりを輸入しないで、世界最高の品質を誇るアメリカ産の紙類(主として印刷用紙等)も輸入せよ」と迫ったのである。でも、実を結ばなかった。それが何故かは既に何度も述べてある。


8月24日 その3 我が国の新型コロナウイルス感染者の統計

2020-08-24 14:43:32 | コラム
8月23日の時点で国全体の0.049%だった:

国全体:人口の125,960,000人に対して62,709人だったので、その比率は0.049%となる。

東京都:人口の13,999,568人中で感染者が19,333人だったので、比率は国全体の0.015%を占めていた。東京都の人口に対する比率は0.138%と国全体よりも高い。「Go to キャンペーン」から外された訳だ。

新宿区:東京都の人口は13,999,568人で感染者は2,421人だったので、東京都全体に占める比率は0.698%とかなり高い。

久しぶりに気楽な野球の話を

2020-08-24 11:01:21 | コラム
23日の夜は広島対読売の野球を観戦:

野球観戦:
昨夜は日曜日で「報道1930」も「Prime News」もないので、安心して読売の目下最下位の広島に三連敗するのを期待して見ていた。尤も、途中でBS朝日に石破茂氏が登場すると知って一部掛け持ちにはなったが。今年の広島は外野手だった三連覇した緒方監督から投手出身の佐々岡に替えた為か、目下の所最下位の沈んでいる。その広島が首位の読売に連勝した後なので、もう一回勝つかと期待していた次第だが、広島には不安材料が多いので当てにはしていなかった。

私は広島の弱体化の最大の責任を追うべき悪者は、金に目が眩んだのか読売に身売りした丸佳浩だと信じて疑わない。丸が脱藩した為に三連覇の頃に「タナ・キク・マル」と言われた1番から3番までの好打順のトップだった田中広輔が、昨年からサッパリ打てなくなって小園という新人にポジションを奪われかけたかと思えば、昨夜などは8番打者だった。

ところで、試合内容である。読売の原監督は余裕を見せたのか使える投手がいなくなったのか、2年目の直江大輔という投手を阿部慎之助二軍だか三軍だかの監督推薦の若手を出してきた。解説者が広島で名を為してから読売に身売りした川口和久だったので、悪くは言うまいと予測したが案の定褒めるだけ褒めた。冷静なる評論家の私の目にも直江は中々優れた球種を持っており、素材としては評価しても良いかと思えた。川口は「監督はこれなら使えると、良い評価をしただろう」と期待通りのベンチャラだったが。

読売の投手コーチは一昨年までテレビタレントだった宮本なのだが、私には彼にどれほどの指導力というか育成の手腕があるかは分からない。だが、私が駄目だと決めつけている澤村拓一を一気に三軍まで落としたのは如何なものかと思う。このスピードだけは出る投手の欠陥は、プロになって10年経っても「自分の組み立てでしか投球が出来ず、相手打者の欠点に自らの最高の球種を投げ込んで討ち取ることが出来ない点にある」と見ている。それは制球力がない所為でもあるが、独り相撲とでも形容したいような組み立てしか出来ないので駄目なのだ。

何故、沢村の例を引いたかと言えば、昨夜の直江の組み立てが、捕手のリードもあったかも知れないが、沢村式で自分の持ち球をこれでもかと投げ込んでいるだけで、相手の打者が好むコースであろうと何だろうと一所懸命に投げ込んでいただけで、到底考え抜いた組み立てだった訳ではなかった。広島の方も初対面の初先発の投手が力一杯に投げ込んでくるので容易にタイミングが取れず、鈴木誠也が不用意に高めに投げた来たのをホームランにした1点しか取れなかった。私は素材としてはある程度評価できるが、精密な制球力を付けないと沢村の二の舞になり兼ねないと思う。

一方の広島は3年目の遠藤淳志というのを出してきたが、これも未だ発展途上の投手だった。それでも悪漢の丸から変化球で三振を取って見せた辺りは中々もので、1失点で交替した為でもないが折角好投しても勝敗がつかなかった。広島は高卒等を優れたスカウト網で発掘してきて猛練習で育て上げる点に特徴があるが、ここ2~3年は中途半端な者しか育ってきていないように見える。西川も素質はあるが中粒だし、このままでは丸の穴は埋まらないだろうし、鈴木誠也頼みでは最下位からの浮上も容易ではあるまい。それに投手陣が手薄になっている。読売の論評をする気はない。

石破茂氏:
そこで、石破茂氏だ。安倍首相とその内閣を批判するという定評の如きものがある。だが、テレビに登場してそういうことを言う訳がなく、アナウンサーの誘導にも当然乗せられなかったし、昨夜も無難の語り口だった。だが、対抗と見られている岸田文雄氏よりには明快に物を言うという違いがある。彼には方々の党を渡り歩いたとか、小派閥の長でしかないとか、安倍首相に嫌われているとか、世論調査では上位に来るとか言われている。如何なる組織でもある事だが、その長には部下を見る時に好き嫌いがあるのは当然だ。安倍総理総裁は選択に悩まれるべき問題だろうか。


偏ったマスコミの新型コロナウイルスの報道の仕方

2020-08-24 09:34:18 | コラム
何故「怖い、怖い」と脅すのだろう:

去る22日に32年間もお世話になっているクリニックの先生と、診察が終わってから後続の患者さんがいないのを見て、世間話をする時間が取れた。私はマスコミのおかしな点は「本来は患者さんを診察して治療するのがお仕事のはずのお医者様を方々から集めて、新型コロナウイルス対策等々を語らせている点だと思う。しかも、多くは一種の恐怖感を煽るような『こうしなければならない』とか『これをするのは危険だ』という類いの怖い話をされるのだ。中には「第二波の真っ只中」と断定された偉い先生がおられたが、我々にはそれだからどう対処すべきは教えて頂けなかった。

また、彼らのおかしな点は屡々登場される先生方の中には、どう考えてもご専門ではないはずの統計学のような予測や傾向を語って頂いていることが多いこと。それは如何にもか科学的に恐怖感を煽ってしまう結果になると私は見ているのだ。即ち、建設的なご意見と言うよりも有害にさえ聞こえる時がある」と申し上げた。先生は笑いながら聞いて下さったが、「我々はこうして患者さんを診ているのが仕事であり、テレビを見る暇さえないのが実情だ」と言っておられた。

また、私が永年診て頂いている大病院の先生は「折角偶に出られたテレビなので、多くの人が耳を欹てるようなことを言わねば、また呼んで貰えないとでも考えて、独得な意見を述べる傾向が顕著なようだ」と言っておられる。要するに、お医者様によって見解が微妙に異なる場合が多く、どの先生を信ずべきかの判断が難しくなってしまうのだ。22日の結論は「私のような高齢者が安全第一で、少しでも危険だと思う場所には出向かずに、日頃の行動範囲から逸脱しないこと。マスク着用と手洗い当然守るべき」ということになった。

事、新型コロナウイルス制圧対策としては、世界にはスウエーデンのような対策を採った(何もしなかった)国もあれば、中国のように自作自演というか「マッチポンプ」のようなことをする国もあるという具合。我が国では未だに政府側に責任を持って統一された対策というか指針を打ち出して、その下に指揮を採る閣僚がいないと思えてならない。西村康稔氏は未だに経済再生大臣と言う肩書きが取れていない。加藤勝信厚労相は責任回避の答弁の巧みさが際立っているだけの存在だ。それでも国民の良識でマスクをして手を洗って賢明に対応して自衛している。

テレビの報道を見ていると、相変わらず外食と外飲み業者の苦境ばかりを訴えて見せている。彼等を苦境から救う為に国会を開いて特措法を改正しようというのならば、私は本末転倒だと思う。彼等如きを救いたかったならば、経済を何とかするのが先決問題のはずだ。いや優先されるべきは病院やクリニック等の赤字経営状態から救う方が遙かに重要だと思う。だが、野党とマスコミ連合軍はそういうことは一切言わないのだ。私はこれは「偏向だ」と言いたい。


8月23日 その2 新型コロナウイルスの蔓延が暴き出した事柄

2020-08-23 16:13:43 | コラム
危機管理対応の拙さ:

新型コロナウイルスの何時果てるとも知れない感染が招きだした我が国における混乱というか対応の拙さで、初動を誤ると言うか不適切だったことが、今日の事態になってしまうのかということをあらためて振り返ってみた。

言葉の不統一:
常日頃からカタカナ語を始めとして我が国で日常的に(主としてマスメディアが責を負うべきだが)使われている言葉の不正確さ乃至は出鱈目さが、この「新型コロナウイルス」の名称か呼称にも遺憾なく現れている。私が最も嫌っているのは他でもない「コロナ」である。“corona”には「ウイルス」という意味はないと既に指摘したが、マスメディアはその常套手段である外国語等の頭の部分だけを採ることをせずに「新型」を飛ばして「コロナ」にしてしまった。私は不正確極まりないこの表現を採らずに「新型コロナウイルス」と言わばフルネームにしている。

外国語では「武漢ウイルス」、「チャイナウイルス」、WHO様ご推薦の「COVID-19」等々とあるが、英語の報道等を見るとCOVID-19が最も多く使われているようだ。尤も“China virus”は散見されるが。今からでは遅いだろうが、我が国でも英語になったときのみっともなさ考慮して「コロナ」は止めて、何かキチンとした名称で統一することを内閣の何方かにご提案申し上げたい。言って置くが、この提案は東京都知事の小池百合子さんだけにはする気はない。又ぞろお得意の英語擬きが出てきそうだから。

危機管理の無為無策:
この新型コロナウイルスの感染とその対応策ほど、国会議員というか各県の知事も含めて政治家の無力振りでなければ、無能振りをこれでもかというほど国民の前にさらけ出した事案はこれまでになかったと思う。私の見方では「政治家を志した方々の大半は、実務の世界で責任ある地位に就かれて、組織の長というか指導者として全体を引っ張られた経験がある方が極めて少ないのが、今日までの対応策の至らなさと責任回避をしたがる者たちを産み出した」となる。

私はこれまでに何度かサッカー協会の長としてJリーグを今日の人気ある存在に纏め上げ、混乱の極みにあってオリンピックへの参加さえ危ぶまれたバスケットボール協会を短期間に立て直された川淵三郎氏を例に挙げる。川淵氏は他の混乱ばかりしている競技の上部団体とは違って、名選手の成れの果てが論功行賞で役員になっているのとは異なって、古河電工という上場企業で部長という管理職を務められて、組織の長として如何に動かすかを経験してこられているし、この協会の幹部には大手企業の管理職の経験者が多いのも特徴だ。この辺りが政治家の大きな相違点だ。

言いたくはないが、私もアメリカの大手製造業の日本駐在マネージャーとして(お恥ずかしながら、アメリカの労働力の低い質が産み出す)数え切れないほどの品質による危機的な、我が国の細かく且つアメリかではあり得ない厳しい品質に対する受け入れ基準から生じた補償問題の処理に当たってきた。当初は「補償すれば良いのでしょう」と逃げ腰だったが、場数を踏んで見えてきたことは「絶対に逃げてはならない。逃げれば何処まででも追ってくる。誠心誠意で頭から突っ込んで解決に向けて、如何に辛くとも解決に努力する以外の道はない」だった。本当に辛かった。

だが、何度も何度も指摘してきたが、西村康稔大臣と加藤勝信厚労相は問題に正面から対峙して「頭を下げて突進してタックルしよう」という決意など、一度も示されたことはなかった。何時でも学業成績はさぞかし優秀だっただろうと読める巧みな言辞を弄して、責任回避するだけに終始していた。特に西村氏の場合は「専門家会議」という絶好の盾(=shield)を実に有効に使って言い抜けられていた。思うに難局に実際に当たられた経験がなかった為に「逃げたら追われる」とは知らずに「逃げるにしかず」作戦しか思い当たらなかったのだろう。その点は小池さんも同罪だ。

私は安倍首相もお眼鏡違いで西村氏の明晰なのだろう頭脳を見込まれて「経済再生」と「新型コロナウイルス制圧対策か、特措法執行」の「二刀流」を一任されたのだろうが、成功だったとは少なくとも私は見ていない。彼と加藤勝信厚労相をこのままその任に当たらせるのならば、今からでは遅いが然るべき大学にでも派遣して「危機処理学」と「危機管理学」でも学ばせて頂きたいものだと願っている。いっその事、川淵氏を招聘して「その心構え」の講義でも聴かせれば良いとすら思う。そこには小池さんと大阪の吉村府知事も入れると良いだろう。要するに「逃げないこと」を学ばせるべしだ。

経済の面:
ここではマスコミが騒ぎ過ぎを問題にしたい。人の動きを封じ込めざるをえない事態が生じた以上、経済活動が停滞し、個人消費が落ち込み、多くの産業界で需要が停滞し操業短縮となり売上高の減少は当然のことだった。それに伴って輸送業も観光業も停滞することくらいは誰でも読めることではなかったか。マスコミはしきりに外食業と外飲み業を労って見せてきたが、私は要らざる騒ぎ方だとの思いで見てきた。彼等を補償することが焦眉の急だという論調は不適切だし、スタンドプレーを得意技とする小池都知事は浅はかにもそれに乗って都民の税金を補償に使って無駄に費やした。

専門家とテレビ業界が呼ぶ方々は経済の面でも色々と罪なき一般人を惑わすような見解を述べておられた。正直なところ、26年前までの営業担当者には遠慮会釈なく容赦なくグローバリゼーションとやらが幅を利かせている現在の世界の経済の動向など読みようがないのだ。だから彼らのご意見とご見解を伺うようにしているが、どうも良く解らない。簡単に言ってしまえば「ウイルスの征圧と経済の活性化の両方を同時に狙えない」と「いや両方を回していける」に分類できるのだ。だが「こうすれば決定的に有効である」という類いのことは誰も言わずに数字の羅列ばかり聞かされる。

つまり、専門家という名の多くのエコノミストや著名な大学教授たちは評論家であっても、実務家ではないのだという冷厳なる事実を遺憾ながらも示しただけに終わっていると思う。ただ、彼等が持つ豊富な統計資料とその分析は素晴らしいので「流石」と思わせられる。だが、「だったら、そうすれば良いの」という問いには答えていないのだ。私は在職中から「業界の評論は実務に携わっている現場にいる者が語るか書いてこそ意義があるのでは」と唱えてきたし、実際に匿名で専門誌のは投稿していた。陳腐なことを敢えて言えば「理論と実際が常に一致するとは限らないのだ」なのだ。

何処かで何方かが「思い切った財政出動を」と言われていた。あれもこれもとやってみるのではなく、政府に現在の経済とウイルス退治の両方を担当するのではなく、何れか片方を担当する実務経験豊富な人を2人任命して「経済活性化とウイルス征圧本部」でも設けて、2人の意思の疎通を常に十分にするような形にでもして、この両輪を確実に回していこうとでもしないと、現在のように良い大学を出て中央官庁で理屈ばかりを覚えてきたお利口さんに任せていても良い状態ではないのは明らかだ。

私はそれに加えて、経営者の質の低下があると見ているので、ここにも改革の必要があると思っている。彼等は取締役会員ではなく執行役というのだそうだが、20年以上も無駄にしてきた時代にノウノウと育ってきたので、危機管理も危機乗り切りの経験もしてこなかったのだから、未曾有のウイルスのよってもたらされた危機などに能動的に有効な対策が打てるとは到底考えがたいのだ。私は先ず賃金を上げるべき努力が肝要だと思っている。

この項の結び;我が国は実質賃金が下がり続けている世界にも数少ない珍しい国だという事を彼等が反省すべきだ。その面では国会議員も別な意味で要反省で、歳費をこれまで以上に下げるべきではないのか。