新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

kazk様

2018-02-09 07:40:33 | コラム
>Kazk様

久しぶりです。3連覇の頃のフェニックスは今となっては思い出話の部類ですが、忘れがたいものがあります。幸いにも、当時のフェニックスのガイドブックが未だ保存してありました。

3連覇を達成した頃の日大フェニックスのオフェンスのプレーは矢張りショットガンフォーメーションであった以上、パスプレーが中心であったことは間違いないと思います。そのレシーバー陣の中心にいたのが名手梶山龍成(追手門学院出身)、次いで小林一(日大桜ヶ丘出身)、ランニングバックではあってもレシーバーとして活躍していたのが、小林孝至(佼成学院出身で現佼成学院監督)、山口敏彦(大阪産業大学付属高出身)で固めていました。

なお、レシーバーではありませんが、TEには米倉健博(日大桜ヶ丘出身)や渡辺哲弥(江戸川学園取手出身)がいて、も短いパスを捕っていたことも無視できません。

QBの須永恭通(日大桜ヶ丘出身)が身長もあって強肩だったし、山口以外とは二軍の頃から4年間プレーしてきていましたので、息は絶妙に合っていました。山口は彼らよりも1期下でしたが、上級生に見劣りしない立派なRBでした。春に散々ランプレーを見せてあったので、対戦相手はどうしてもランを警戒せずにはいられなかったのでしょう。

当時は故篠竹監督が春の前哨戦シーズンにはラインメンの押す力の養成の為にショットガンフォーメーションを採用せずに、所謂「ノーマル」即ち、Iフォーメーション」等のみでプレーしたので、フェニックスは「ランプレー」で来るのかと思わせていました。観戦している方としては「このテイ―ムは勝つのが当たり前」と思っていましたので、3連覇目の懐かしき国立競技場で行われた対松下電工インパルス戦などは当然勝つものと思っていました。今は昔の物語です。


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