新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカにおける生活とは

2021-10-27 09:02:31 | コラム
アメリカの異文化に馴れていかないと:

言うまでもないが、ここに言う文化とは「ある集団かグループにおける言語・風俗・習慣・宗教・思考体系」を指しているのだ。「ある集団かグループにおける」と言ったように、各国には独自の文化があるのだ。小室圭・真子夫妻はこれから間もなくその我が国とは異なる文化の世界に深く入っていくことになる。経験からも「その文化の違いは心得ているつもりで入って行っても『こんな事があったとは知らなかった』や『こんな事までが違うのか』と困惑させられたり、思ってもいなかった失敗も起こり得るものなのだ」と言える。

何を隠そう、このように言う私も何度もそういう異文化に苛まれる目に遭ってきた。それは「英語が話せるとか上手い」などという次元の問題ではないので困るのだ。三浦瑠麗女史(何と光栄にも私と同じ高校の出身だった)は「真子さまは語学が堪能だから」などと書いておられたが、私が言いたいことは「そういう問題ではないのではないか」という点である。

私は無謀にもアメリカ人の世界に1972年8月から単身で入って行ったのだが、勿論事前の知識で「かの国では何事でも夫婦が単位で進んでいくこと」や、“Ladies first”であるくらいは承知していた。ところが、生まれて初めてアメリカに入って、本部の副社長(単独)とマネージャー夫妻とお嬢さんの夕食会となった。かなりの緊張状態で臨んだのだが、副社長に女性に対応する礼儀作法をその場で指導して貰えたので何とかなったが、知らないことばかりで驚かされていた。問題は先方さまは「これくらいは承知しているだろう」との前提であることだ。

その後でも、日本から来た新任の私の歓迎会等が事務所や工場で催されたが、全て私は単身でも出席者は皆夫婦単位だった。その他の会食でも全て奥方が出てこられた。その席でただ黙って食べている訳にも行かず、話題を選んで会話に参加せねばならないのである。それは「英語が堪能であるかないか」という問題ではないのだ。時にはその席での話題が「西洋文化史」とでも言いたいような事柄に及ぶとか、美術やクラシカル音楽等々にも飛んで行ったりするものなのである。その輪には加われず、我と我が身の教養不足を嘆かせられたのだった。

また、我が国に本社から副社長等々が出張してきた際に開催される、外資系の取引先との夕食会などでも、夫婦単位になってしまうのだった。我々も夫婦で本部に招待されたことがあって、家内を大いに悩ませていたものだった。そういう席上では私が通訳をするので、英語など何も解らない家内もニコニコしているだけで何とか切り抜けていた。

ここまで縷々述べてきたが、小室圭・真子夫妻がこれから直面するだろう「夫婦単位」の一部を取り上げれば、こういう事なのだ。それが「英語力だけの問題ではなかった」とご理解願えれば幸甚である。小室真子さんは最早一介の私人ではあるが、日本国の天皇陛下の姪だった方なのである。小室氏の弁護士としての仕事が順調に進み、取引先やそれ以外との交際範囲が広がった場合には、何かにつけて「夫婦単位」となってくることは容易に想像出来る。こういう生活は楽しくもあるだろうし、また心理的には負担にもなりかねないのだ。

私が既に指摘したことだが、これから先にアメリカはニューヨーク州の弁護士としては、小室氏の能力や英語力がどうのというのではなく、アメリカという国独特の生存競争が待ち構えているのだ。私は製造業の世界のことしか知らないので、法曹界にも生存競争があるのではないのかと想像するだけだ。そこを乗り切っても、恐らく直面するだろうアメリカの支配階層とどのように付き合って行くのかだと思っている。その険しいかも知れない異文化という凸凹道の向こうに、「本当の幸せ」があるのではないのだろうか。



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