新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

世相雑感

2020-02-13 08:46:21 | コラム
世は様々だ:

マスメディアの騒ぎ過ぎは:

彼等は検疫と検体検査の結果で、ダイアモンド・プリンセス号の乗客に感染者が連日のように出ていることを騒ぎ過ぎだと思う。あのように何処のテレビ局でもニュースの冒頭に「またX人出ました」と言えば「これはこのように大変な事態だ。皆恐れおののけ」と言っているのと同じだ。私にはこの姿勢は逆効果などではなく、恐怖心を煽っているとしか思えないのだ。私は既に指摘したが、COVID-19とやらの感染力を見ていると「あのクルーズ船内に閉じ込めておけば、如何なる結果を生じるかの実験をしているのと同じでは」と指摘して、その通りのようになってきたと憂いている。

マスメディアの報道の姿勢はと見ると「大変だ、大変だ」ばかりで、何ら主観的と言うか「何をすればどうなるか」というような見解は一向に出てこないで、ひたすら「何名の感染者が出た」という事実だけを強調している。私はまともな客観的且つ解説的な報道をすべきだと思っている。あのような姿勢だから、専門の医師の方々が「マスクをしてもウイルスは通過してしまうから危険性があるから、防御策としては効果が薄いのでは」と指摘されても、マスクを買い漁る人が増える一方で、医療用までもが不足する事態を引き起こしているとみている。

カタカナ語への疑問:
カーネル・サンダースではなかった、本命ではないと看做されていたバーニー・サンダース氏がニューハンプシャー州の民主党大会で漸く僅差で首位に立った。そのサンダース氏の勝利演説で「この勝利は始まりであって、ドナルド・トランプの終わりでもある」と言って大喝采された。私が言いたいことは、サンダース氏の発音では余程耳を澄ましていないと「ダーヌル・トランプ」のように聞こえる点だ。彼は微かに“Donald”の最後の“d”も発音しているが、アクセントが来ないので聞こえないのだ。

私が言いたいことは「ドナルド」のようなローマ字式のカタカナ表記をしている点が困ったものだという点だ。これまでの大学入試センターの試験問題を見ていると必ず「単語のアクセントの位置を訊く」出題がある。私はこのような出題をする理由は、日常的にローマ字式のカタカナ語に接しているから、何処にアクセントが来るか解らなくなっているのだろうと想定しているのだと疑っている。私流の結論を言ってしまえば、「一刻も早くカタカナ語製造業者に『おかしなローマ字式表記を止めて、少しでも原語に近くせよ』と命令すること」と、英語教師たちに「正確な発音が出来るように勉強せよ」と指令すれば済むことだと思っている。

野村克也氏の急逝に:
私は野村氏の急逝を悲しむ人たちが多いのは、当然のことだろうと思っている。だが、仙台では楽天球団が設けたのだろう献花台の前で涙する野村ファンがおられたのには予想以上の出来事だった。世の中には野球と言うべきかプロ野球とすべきかは知らないが、野球のファンは多いと思っている。かく申す私も野球を好んでいる方だと思う。だが、その監督やコーチや選手たちを仰ぎ見るというか尊敬はしない。寧ろ「冷静な評論家」を自称するくらいで、批評家の目で観戦し、鑑賞し、評論してきた。

私はプロのスポーツ選手も、映画・音楽・演劇・相撲等を職業としておられる人たちは、それぞれの演技や試合振りを見て貰って、娯楽・技術・技能を観客に提供し鑑賞して貰い且つ楽しんで貰って対価を得ているのだと思っている。飽くまでも、仕事乃至はビジネスとして自分たちの技能を披露しているにだという意味だ。私は如何に大監督や名選手や、名演技者、名歌手であっても、我々が尊敬して仰ぎ見る存在だと思ったことはない。勿論、彼等が提供してくれた技能・技術や演技力、歌唱力等は賛美するが、彼等はそれを生業としている点では、我々が会社で働いていることも同様に生業であって、そこから社会に貢献しているのだと思っている。

我がW社は1990年代初期に何年間かアメリカの会社別対日輸出額で、かのボーイング社に次いで第2位の座にあった。だが、今やICT化の進歩と急速な普及に遭って紙パルプ産業界から徹底してしまった。だが、だからと言ってアメリカの何処かで「嘗てはW社が対日輸出に大いなる貢献をしてれた」と惜しむ声が上がってくるとはとても考えられない。W社はずっと以前に「アメリカの対日貿易赤字の削減に貢献した」と、通産省(当時)に表彰されたことがあった。こんなことを覚えている人がどれほどいるだろうか。世間様は産業界の働き振りと貢献にも、少しは目を向けて下さる日が来れば良いなと願っている。


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