新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

英語教育論

2014-12-21 08:09:54 | コラム
カタカナ語の問題点を探る/我が国の英語教育の負の成果では:

「カタカナ語の99%は英語としては誤りであるし、余程の日本通の外国人以外には通用しないだろう」というのが排斥論者である私の長年の主張だ。さらに私は「カタカナ語の製造業者は英和・和英の辞書すら見たことがないか、あるいは持っていないのか、あるいは単語を覚えることに集中し過ぎた為に品詞の区別すら理解していなかったのだろう」とも言ってきた。

例えばテレビを見て(聞いて?)いても雑誌でも週刊誌でも何時の間にか「対」という言葉が消滅して”VS”になり、その発音を「ブイエス」にしてしまったし、「マジンガーZ」も「ももいろクローバーZ」も”Z”を「ゼット」としてしまった。UKでも「ゼッド」であり、USでは「ズィ-」なのに。学校では何を教え、生徒や学生は何を学んだのかと不思議に思って聞いている。因みに”V”の発音記号は「ヴイ-」だ。

昨日も年末休みに帰郷する際の手段は何かと尋ねられた若者が「車がメイン(main?)になります」と答えた。カタカナ語常用者にとってはごく普通の使い方だろう。だが、排斥論者の私には我が国の英語教育の輝かしくない成果が現れた悲しい一例だと、残念至極に思えてならなかった。「単語」として”main”を「主な」か「主要な」と覚えたのは結構だが、これが形容詞であることを覚え損なっていたのかと思って聞いた。

“main”には確かに名詞として使われる場合があるが、そこには「主要」という意味はなく、ジーニアス英和でもOxfordでも「水道やガスの本管か電気を引き込む幹線」としてしか出てこない。英語教員か製造業者はキチンと英語を勉強しなかったか、あるいは学ばせて貰えなかったらしいのが残念だ。

こういう誤りの他に目立つのが「英語独特の動詞が時制によって変化する」のを全く無視したカタカナ語をテレビ出演者か局が平然として使う現象だ。その手近な例が「~をゲット(”get”?)」だ。これは「手に入れた」後で使われるのだ。揚げ足取りだと承知で言うが、過去形になるべきだから”got”、即ち「ガット」ではないのか。これは文法無視であり、USやUKのある層では「無教養」として非難される誤りだ。「何、通じれば良いのだ」って言ったか。

揚げ足取りを続けよう。これと必ずしも同じ誤りではないが、私は「~をチョイス(”choice?)」と言うのもおかしいと思って不愉快にさせられている。「選んだ」のだったら、”choose”の過去形で”chose”だと思うのだが、その変化を忘れたか無視したか名詞を使ってしまったのだ。「~をチョイスした」と言っている時もあり、この方が罪が深くない。今からでも遅くないから製造業者は電子辞書か、需要促進のために紙の辞書を買って勉強して貰いたい。

誤っているか、おかしなカタカナ語は例を挙げればキリがないだろう。兎に角氾濫している。そんな出鱈目をしながら、許しながら、放置しながら、小学校3年からだったか英語を教えようというのだから、為政者は何を考え、何を見てこのような惚けたことを言うのかと呆れている。アルファベットの読み方一つを採っても”C”や”H”はUK式とUS式では違うのに、何を思ったのか同盟国・US方式を無視したままだ。

以上、揚げ足取りだと採られても仕方がないが、カタカナ語を使えば格好が良くて如何にも英語を良く知っているかのような印象を他人に与えるとでも、戦後直ぐの時期のような錯覚が未だに通用するのが残念だ。更に言えば、本当に国民の英語力を高めようとする気ならば、いっそのこと戦時中に敵性語を排除したように「カタカナ語禁止令」でも発動すればどうだ。恐らく、数多くの国民、特にマスコミ等は話すことも書くことも出来なくなりはしないか。あーあ。


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