新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月2日の出来事

2018-06-02 17:30:59 | コラム
大忙だった:

午前10時過ぎに何とか体調を整えて、中央林間のリハビリ病院で加療中の弟を見舞いに出発。先ずは馴染みの薬局で新製品の体力増強用のドリンクを飲んでから新宿に向かった。折から土曜日とあって駅は大賑わいで、箱根湯本行きのロマンスカーには満席の表示が出ていた。思わず「何だ、一般大衆は景気が良いんじゃないか」と心の中で叫んでいた。でも、結構なことだと思うがね。

中央林間に到着してみれば、東急電鉄の田園都市線の乗換駅だけあって、ここも結構な人出だった。「何だ、ここでも矢張り景気は良いのか」と思って、リハビリテーション病院まで約10分の道を歩き出した。到着して病室に入れば病人も大分顔色も良くご機嫌な様子。偶々居合わせた姪の家族とともに暫く筆談をしたところで「彼らに昼飯をご馳走してやってくれ」という思いがけない要求。まさかこういう事態になるとは予期していなかったので、手持ちの現金は心許なかったが何事もないような顔をして再び中央林間駅に戻った。

そこで東急の駅の2階にあるファミレス風のレストランで大食事会。「叔父さんは辛いよ?」だった。そこで食事をしながら姪とその夫には馴染みが薄いかも知れない我が家の歴史や、当方の母方の家を親戚等の話をしているうちに13時近くとなって解散。勘定は無事にクレデイットカードで決済した。そこで、姪の一家と別れて、今度は町田市内に住むもう60年以上の付き合いとなった昔懐かしき紙流通業界の大御所と町田の駅で待ち合わせて回顧談の会。

彼も私の友人や知り合いに何故か多く発生している奥方の病気等の理由で一人暮らしをしている一人。奥方は特別養護老人ホームに運良く入れられてもう2年も経ったそうで、毎日、掃除・洗濯から食事の酔いをする生活をしているとか。我が方のように何とか二人で杖もつかずに生活できているだけでも幸運なのかも知れない。約1時間半ほど古き良き紙流通業界の回顧談を楽しんだのだが、昭和31年慶応大学卒の彼と昭和30年卒の私などは最早数少ないあの頃の流通業界の生き残りとなってしまったようだ。

楽しい語り合いで中々解散できなかったが、彼も折角繁華街に出てきたことでもあり買い物でもして帰るかというので、再会を約して別れた。それにつけても驚かされたのが町田の驚異的な人出。最初に入ったスターバックスでは男性店員に「ご注文の前に席を確保されたら」と言われたのだが満席で諦めて、タリーズに向かった。ここでは偶々二人分の席が空いたので、座り込むことから始めた。彼に言わせれば日曜日の混雑と比べれば今日は未だ未だお手柔らかな方だそうだ。

それでも、新宿と比べれば外国人が全く少ないのは羨ましいほど。余り大勢の人混みには縁がなくなった今日この頃の私では、こういう賑やかな街に中を移動するのが怖くなってきた。それでも本日はお陰様で良く歩いたので、十分運動になったと思っている。だが、思いがけない一寸した出費もあって大忙しだった。



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