新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月15日 その2 「レデイーファースト」の考察:

2020-01-15 14:08:46 | コラム
「レディーファースト」とは何だろう:

先ほど、テレ朝の羽鳥慎一のショーで「レディーファースト」を論じていたが、そこにいた誰もが「何故レデイーファーストなる習慣というか作法が出てきたか」をご存じなかったようなので、あらためて14年に採り上げて論じた拙文を加筆訂正した上で抜粋・引用して解説してみようと思い立った次第だ。その前にカタカナ語排斥論者としてその言葉の誤りを指摘することから入って行こう。英語では“Ladies first”であって複数なのだが、カタカナ語製造業者は例によって複数形は排除したのだった。誠に以て不見識である。

私自身の経験を述べておくと、そもそも私の父親は10年以上もヨーロッパに留学したので、妻というか私の母親には厳しく「レイデイースファースト」の礼儀作法を仕込んだようだった。母もまた当然のように子供をそういう文化で育てた。念の為に付記しておけば、私は4歳の1937年に父親を交通事故で亡くしていた。それに加えて、戦後間もなくからGHQの秘書の方に英語だけではなくアメリカ式の女性に接する作法を教え込まれたのだから、ごく自然に西洋風の「レイデイースファースト」が中学生の頃から身に付いていたのだった。

羽鳥慎一のショーではこの「レデイーファースト」功罪というか効用について街頭インタビューをしていたが、中に「それをやるのは良いことだと思うが、往々にして女性に『気があるからそういう振る舞いをするのだ』と解釈されて困った」というのがあった。この点は私の若かりし頃の経験からしても尤もだと思わせられた。そのような礼儀作法を自然に出してしまうと、それに不慣れな我が国の若き女性には、確かにそのように解釈される傾向があった。昭和30年代には「女性の心を弄んでいるのだ」とまで非難されたことすらあって弱ったものだった。

以下にあらためて申し上げて置くが、少なくともアメリかでは女尊男卑などという風習は古くから存在せず、寧ろその性反対だったという方が正確だと思うのだ。その辺りを知らなかった我が国の専門家や偉い方が誤解されたままで、アメリかでは“Ladies first“が当たり前だと思って喧伝したのだと思っている。後難を恐れずに言えば「誤解と誤認識だろう」となる。

アメリカにおける女性の地位の考察:

Ladies first の背景に何があるのか:

私が知る限りのアメリカにおける女性の地位というか、女性たちが歴史的にどのように扱われてきたかについて述べてみます。この件は私の生い立ちとアメリカの企業での大手メーカーでの経験と、1970年代から何人かの国内外の友人・知己から聞かされたことにも基づいています。

1950年代に朝日新聞だったか週刊朝日だったかの何れに連載されて人気が高かった、アメリカの"Blondie"という女性が主役の漫画がありました。作者はChic Youngでした。読まれていた方もおられるかも知れません。Blondieの 亭主がDagwood Bumsteadでした。この中には何度もブロンディーが夫に何か高価なものを買って欲しい時に懸命にお願いする場面がありました。我々の感覚では何の不思議もないのではと思うと同時に、何故そうなるのかなとも感じていました。

当時のアメリカにおける女性の地位は我々には想像出来ないほど低く抑えられていて、女性は(譬え働いていたとしても)銀行に口座を開かせて貰えなかったのだそうです。私も50年代にはアメリカでも男社会だったとは知りませんでした。当時は一家の中でただ1人の働き手である亭主、即ち、ダグウッドが口座を開設している銀行の小切手帳を持っているので、ブロンディーは彼に願って(ねだって)小切手を切って貰うしか、大きな買い物が出来なかったのだそうです。この漫画はこういう筋書きを作って、女性の地位を見せていたという解釈もあります。

それ以前からの欧米の風習には、かの"Ladies first"(「レディ-ファースト」はカタカナ語で、文法的にも誤りがある)がありましたが、これは女性(軽視)を誤魔化すために、他人の目がある所では如何にも丁重に扱っているかのように振る舞っていただけだと言えると、アメリカで女性からも聞かされた経験があります。ウーマン・リブなる運動が出てきたことの背景に、こういう風潮があったと考えるのが正解だったと言う人もいました。

但し、女性に対して椅子を引いて座らせる、コート等を着せて上げる、階段を男性が先に上り後から降りる、エレベーターなどに先に乗せる、自動車には後に乗せる等々のマナーは何も軽視に対する埋め合わせではなく、言うなれば当然の礼儀だという見方があります。私は旧制中学1年の頃からGHQの秘書方と英語で話すことを教えて頂く為に一緒に過ごす時間が毎週ありました。そこでは、かなり厳しくこういう西欧風のマナーを仕込まれていました。

女性(既婚者も)が働くようになったのは、アメリカの経済が発展して生活水準が世界最高となった結果で、家電製品等々のように生活必需品が増えると、亭主だけの収入では賄いきれなくなったと同時に、信用膨張の経済も普及してキャッシュカードとクレディット・カードを女性も所持するようになって使う頻度が上がったのだという解説も聞きました。即ち、女性、特に既婚者も働く所謂ダブル・インカムの家庭が増えてきたという意味でもあります。

また、これは俗説で真偽のほどは保証出来ませんが、「女性が男社会に進出して負けないように仕事をするためには、中途半端な能力と仕事の質では地位も収入も確保することが難しいので、懸命に努力する高学歴の女性が増えていった」との説も聞きました。その結果か、現在のような手厳しく男に対抗する女性が増えてきたのです。実際に私の経験でも「女性と見て迂闊に対応すると手痛い目に遭う」と痛感させられた能力が高い人はいくらでもいました。そこに「男女均一労働・均一賃金」の思想を具体化した雇用機会均等の法律もあるのだと思います。

言葉を換えれば、「アメリカの女性たちは長い年月をかけて戦い、現在の女性の地位を勝ちとった」と見るべきかも知れません。私の経験の範囲内でも非常に挑戦的な人もいれば、男性に対抗意識が顕著な人にも出会いました。そういう場合には外国人である私のような者は対応に苦慮させられたものでした。しかし、中には非常にしっとりとした日本の女性のような控え目の優しい人も勿論います。要するに人を見て扱わないと痛い目に遭わされるのが、女性の力が強くなったアメリカの社会かと思います。

私が1994年1月にリタイヤーしたその頃でも45,000名の社員がいたW社でも、本社の事業本部内に女性のマネージャーはいても、事業部も最高責任者の女性も副社長はいませんでした。しかし、私はこの事実と女性が仕事で発揮する能力と結びついているとは感じていませんでした。特に、秘書の女性たちはその職の範囲内で見れば、素晴らしい人たちが数多くいたと思います。私は仕事には各人の向き不向きがあり、肝心なことは経営者が適材適所で人を使っていくことかと思うのですが。

参考資料: Wikipedia




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