新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月15日 その2 盛り上がる一方のラグビー人気に思う

2019-10-15 09:10:07 | コラム
最早国民的スポーツになり果せたのではないか:

メデイアが言うなれば挙国一致体制で報道して盛り上げ、官民挙ってとも言いたい支援があれば、今日の怒濤の如きマスコミ報道だし、次々と世界の強豪国を圧倒していくラグビーの人気が高まるのは当然であると思って(英語では“green with envy”などと言うが)嫉妬したいような気分で眺めている。サッカー出身者としては羨ましき限りだ。「サッカー協会よ、森保一監督さんよ、何とかしなさいよ」と言いたくもなるが、如何せん森保監督では地味すぎて、リーチ・マイケル君の個性の半分もファンを惹き付けそうな要素がないと思う。

そう言っている当方も、テレビと新聞報道で本15日にW杯予選のタジキスタン戦がアウエーで開催されると知ったほど無関心だったと反省している。報道の量でもサッカーは圧倒されていた。小学校の生徒のお子さんを持つ親御さんに聞けば「今や、子供たちにサッカーと野球の何れを選ぶかと訊けば、圧倒的にサッカーの人気が高い」と言って下さる。有り難いではないか。だが、ラグビーの人気がここまで沸騰すれば、そのうちに「ラグビー」と叫ばれてしまいはしないかと密かに憂いている。

先日も定期的に語り合っている某私立大学のフットボールファンのT教授に質問されて、答えに窮したのだった。それは「我が国のサッカー代表の試合を見ていると、先ず思い切ってシュートをせずと言うか、チャンスと思った瞬間にパスをしてしまうのは何故か。何故もっと積極的にゴールを狙わないのか」という、大袈裟に言えば肺腑を抉られるような質問だった。一つの答えとしては、何度か採り上げた、かの釜本邦茂が怒った「今のサッカーはドリブルで上がるとか抜いて出てシュートに持っていってはいけないと教えているのか」を挙げることが出来ると思う。

私がこれまでに繰り返し指摘してきたことは「ここぞという時に自分でシュートせずに誰か近場にいる味方にパスをして、絶対的にフリーになるまでシュートしないのは何故か」だった。私は彼らが子供の頃から如何なる教え方をされてきたのか知らないが「彼らは自分で敢えてリスクを取ろうとせずに他人に責任逃れのパスを回して、パス回しの為のパスを楽しんでいるのだ」と批判してきた。現在の日本代表のサッカーの技術水準は我々WMフォーメーションで育った者たちの数百倍も上だと思うが、責任逃れの技術もそれ相応に高いとしか思えないのが悲しい。

例えば、先日の対モンゴル戦では格の違いもあって大量!6点も取って勝って見せた。だが、あのような格下を相手にしても我が代表は慎重の上にも慎重な試合運びをして、直ぐに後方に向かってパスしてしまうは、例によって例の如くバックス間の横パスの交換に時間をかけて、誰かが前線でフリーになってくれるのを待つというような消極戦法ばかりだった。時には中盤から一気にGK仁摩戻すという安全運転振りだった。あれでは何らのスリルも積極的な攻撃もなく、つまらないこと夥しかった。あれで「どうだ、勝ったから人気が出るだろう」などと思ったら大間違いだ。

遺憾ながらと敢えて言うが「あのラグビーの積極的に大柄で屈強な身体能力を誇る外国人たちに向かって恐れることなく突っ込んでいくオフェンスを絶え間なく強行し、デイフェンスでも1対1では及ばないと思えば、外国人どもの攻撃にダブるテイームで恐れることなくタックルに行って止めてしまう積極性が十分に発揮されていた。あの積極性と果敢さをイヤと言うほど見せられれば、ラグビーとは何のことか解らない観客でも興奮するし、感動してみて貰えるだろう。それに引き換えバックワードパスばかりのサッカーでは、少なくとも私は感動しないのだ。

マスコミは勝って当たり前の相手に6点取って勝ったくらいで大袈裟に褒めないで欲しい。「何だ、あの出来は。10点は取れただろう」くらいの厳しさを求めたいのが、彼らにそんなことは言えないだろうな。解説者だって同様だ。オベンチャラか松木安太郎のようにアナウンサー紛いの大騒ぎはしないで貰いたい。駄目なものは駄目とハッキリ言うのが本当の解説だろう。

マスコミにサッカーをラグビーと対比して貶してくれと言うのは無理な相談だろうとは解っている。だが、偶にはあの消極的としか見えない責任逃れのパス回しや後方で無難にパス交換を続ける安全運転振りを批判せよとでも言いたくなる。このままでは野球にもラグビーにもバスケットボールにも置いて行かれるかも知れないと、昭和20年に蹴球部に入った高齢者が危惧しているのだ。



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