新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

最後のクラス会か

2019-11-16 09:41:31 | コラム
医師の承認を得て藤沢まで遠征:

15日は「日頃の行動範囲を逸脱しても良し」との2人の主治医の承認を得たので、色々と工夫した上で体調を整えてJR新大久保駅からクラス会出席の為に小田急線藤沢駅に向かった。勿論不安ではあったが、安全を期して無慮¥630を投じて9時40分発のロマンスカーを利用して座席を倒し(リクライニングのこと、念の為)1時間ゆっくりと過ごしていた。この路線でも神奈川県に入って相模大野を過ぎる辺りからメッキリと高層アパートが減っていく傾向が解る。即ち、未だ長閑な田園風景のような感じが多少は残っていると言えるのかも知れない。

藤沢駅に降り立ったのは昨年の4月以来だと思うが、正直に言ってこの永年馴染んだこの街に来ると矢張り違和感を覚えてしまうのだ。それは日本大学のT教授が新宿区百人町を訪れらた何度目かに「もうこの街の異常さにも馴れました。だが、異常と感じなくなった自分が怖いです」と言われたのの反対で、藤沢でも何処でもここ新宿区百人町を離れると、周囲から日本語しか聞こえてこないのが不思議でならないと感じてしまうのだ。それは、中国人もイスラム教徒も見当たらないのには、寧ろ違和感を覚えると同時に何とも言えない爽やかさを感じると言うこと。

そこでクラス会である。我々昭和7年と8年生まれの者たちは昭和20年(1945年)に旧制中学に入ったのだから、何と74年間の付き合いがある仲間なのだ。戦時中は何度か組替えがあったが、昨日集まった9人は新制高校とやらにさせられてからは3年間同じ組だったのだ。欠席した4人を加えて(妙な言い方かも知れないが)生存者は13人なので、36人の同級生の約3割に当たる訳だった。何年前だったか、当時の幹事が「この生存者率は10組みあった中でも最低である」と言っていたのは忘れられない。

幹事からは事前に「全員の高齢化を考える時に今回で最後として、これから先はその時々の状況次第で任意に集まることにでもしようか」との提案があった。だが、結果的には未だ未だ元気な者も多いようなので、来年も開催しようということに全員が合意したのだった。中には「87歳になってしまったということは、こういうものか」という体力と気力の衰えをしみじみと語った慶応のサッカー部のOBもいた。その点では私は全く同感で、遙かなる藤沢まで電車で行くのは一種の賭けのような悲壮感すらあったのだった。

先ほど、私の日頃の体調の衰えというか悪さを承知している幹事から「無事か」と確認の電話を貰ったが、何とかこうしてPCに向かっていられる状態だ。余談だが、芦屋に住んでいる先頃野球の殿堂入りした元高野連会長の脇村春夫君は流石に欠席だったのは残念だった。




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