新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

国語教育をこそ充実させるべきではないか

2019-12-15 10:30:55 | コラム
中学・高校生の国語の読解力低下に思う:

私が先日採り上げた統計集の中で畏メル友YO氏は「新聞や書籍の発行部数の落ち込みには危機感を感じます。」との指摘をされた。この点について私も同感です。同時に、ここ数日間マスコミがしきりに問題にしている中学・高校生の国語の読解力低下と、この新聞と書籍の低迷が結びついているという危機感も覚えるのです。即ち、私が言いたいことは「スマートフォンの若年齢層への普及とSNSなるものに児童と生徒が現を抜かしている事が問題ではないのか」という点です。

私は既に「スマートフォンは21世紀最悪の開発商品ではないのか」との見方を披瀝してあります。その根拠の一つは何も子供たちに限られた現象ではないのですが、読書をする大人も減っていますし、漫画本を読むことが読書だと思っているような子供も増えていると見ています。私は漫画などを読むこと認めていない時代に育ちましたから、漫画の著しい普及を健全ではないと見る方なのです。と言う私は寄る年波で視力が衰えて、PCに向かうのが背一杯と言うほど、読書に励まなくなりました。反省しております。

私が国語の読解力の低下がもたらすだろう、もう一つの重大というか深刻な問題があると考えています。それは、年来の持論である「国語の理解とその力が定まっていない子供たちに何をとち狂ったのか英語を教えようという愚かな教育です。これまでに再三引用した数十年前に某国立大学出身の秀才が喝破された「国語をろくに操れない者に英語を教えて何になるか。出来るようになる訳がない」との至言があります。それが現実になっているのではありませんか。

その問題なのです。国語が十分に身に付いていない児童や生徒に英語教育を押しつけて英語力が身に付くかどうかなどは、良く考えなくとも解ることではありませんか。この世に「英語が苦手だ」であるとか「英語上手く話せなくて」と嘆く人たちがどれほどいるでしょうか。文科省は明らかに子供たちに教えるべきことの順序を誤っているとも言えるではありませんか。現に、私は旧制中学に入った13歳から英語を学び始めて十分に間に合ってアメリカ人の中で22年半を過ごしてきています。この点については必要とあらば、別途詳細に述べる準備はしてあります。

確認の為に重ねて言えば「国語をしっかりと学ばせることを優先するというか、先に教え込むべきだ」なのです。近頃テレビ中継される20歳台半ばからそれ以下の運動選手たちの名前(名字ではありませんし、ましてや「下の名前」などと言う愚かなものであると言いたくないのです)の乱れ方に国語力の著しい低下が見えとおもっております。当て字、こじつけ、重箱読み、意味不明な命名が横行しているのが「国語力の低下」でなくして何でしょうか。

私が強調したいことは「その国語の教育の不充実の先に我が国における英語力が一向に向上しない」という情けない現実があるという点です。私はそもそもは英語教育改革論者ですが、この読解力の現実を見せられて、あらためて国語の教育の改革と向上を唱えるべきだと思うようになった次第です。添え物的に言わせて貰えば「子供たちに無闇にスマートフォンを持たせるべきではない。制限の手法を考えるべきだ」とも主張したい思いです。



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