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気ままに

大船での気ままな生活日誌

ノーベル平和賞 中国民主活動家に

2010-10-08 22:03:21 | Weblog


ノーベル平和賞に、中国で服役中の民主活動家、劉暁波氏が授与されるという。非常に喜ばしいことである。中国は、非常な不快感を示しているようだが、世界の一般常識からいえば、ノーベル賞選考委員会の判断は、しごくまともなものである。

先の、尖閣諸島問題に関して、我が国に対して、理不尽な、やくざまがいの脅迫や人質までとるなど、まともな国家では考えられない行動をとった、そのバチが当たったということだろう。また、聞くところによると、劉暁波氏がノーベル賞候補者になった時点で、平和賞選考委員会のあるノルウェー(他の化学賞等はスウェーデン)に脅しをかけたというのだから、開いた口がふさがらない。

これを機会に、どうぞ、まともな国になってください。


昨日の村上春樹さんのノーベル文学賞は残念でしたが、今日のアルゼンチン戦、歴史的初勝利、良かったですね。ぼくも、キリン一番搾りで乾杯しました。


ではおやすみなさい。
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仙崖/禅とユーモア

2010-10-08 18:40:44 | Weblog

出光美術館で、仙崖さんのユーモアあふれる、うふふのふの絵がいっぱい展示されている。仙崖さんは、現横浜市南区の、お寺の月船和尚の下で修業し、印可を受けたあと、美濃へ。その後、38歳のとき、栄西が開いた、日本最古の禅寺、聖福寺の住職になられた。60歳前後に隠居し、88歳で亡くなる。この博多の聖福寺時代、人に頼まれるまま、非常に多くの書画を描き、現在まで残されているのだ。

”崖画無法”と称し、自分の絵には決まった法などないと、自由気ままな手法で描きつづけた。とくに隠居してからの書画が面白い。ぼくは、第三章の”布袋十二態”が一番気に入った。その中でも、ちらし絵になっている”布袋画賛”は、本当にのびのびと、ずた袋を枕にして横になっている。ほとんど裸で、大事なところまで出している(学芸員さんに確認したわけではないが;爆)おおらかな絵である。”夜もすがら生死涅槃を見し夢は・・・”と難しい言葉が添えられているが、”衆生救済を声高にに唱えなくても、自然体で臨めば良い”ということらしい。


この章に、仙崖さんの代表作といわれている、”指月布袋画賛”がある。ぼくもこれが一番、気に入って、絵ハガキも買ってきた。子供と一緒に、お月さまを指さしている図で、布袋さまも子供のように無心な表情である。書は”を月さま幾つ、十三、七つ”とあった。この作品の隣りに”指月布袋”があり、月が”悟り”、指が”経典”を表しているという説明があり、指(経典)ばかりみつめても何も発見できませんよ、という意味だとあった。遊び回ってても、悟りは得られるのだ、と勝手に解釈し、安心した(汗)。


これは第四章”仙崖と愉快な仲間たち”にあったものだが、”自画像画賛”というのもある。後ろ向きの達磨さんのような図だが、書もとぼけていて”仙崖そちらをむいてなにしやる” この他にも、美人画賛、娘画賛、絶筆碑画賛(あまりに絵の依頼が多いので、一時絶筆宣言をしたが、またすぐ、はじめてしまう)

第五章”画賛にあらわされた仙崖の心”では、”龍虎画賛”とあるが、龍も虎もちっとも怖そうでない。むしろかわいらしくて、みんなで大笑いしたいような図だ。ここには農夫画賛、寒山拾得画賛(これも二人寄り添い、まるで恋人のような描かれている)、吉野花見画賛、さじかげん画賛とみどころが多い。

第二章”画賛と墨跡にみる禅の教え”も禅問答のような、一行詩や絵が多いが、面白い。□はまだ修行前、△は修行中、○は悟りを表しているらしい。

一方では”一円相画賛”があって、”これくうて茶のめ”の書がついている。一時の悟りに慢心せず、次なる修行へ、という意味だそうだ。前進、前進、また前進が禅の精神のようだ。

蕪画賛、かぶ菜と禅坊主はすわるをよしとする。

坐禅蛙画賛”坐禅して人か佛になるならハ” 形だけの禅では蛙と同じということらしい。


”頭骨画賛”(頭蓋骨の絵)の書の中の、”よしあしは目口鼻から出るものか”も心に残った。
物事の良しあしの判断は、すべて五感を通しての相対的なもので、絶対的なものではない。右往左往せず、正しく物事を判断する力をもつべきである。

天保8年に描かれた”牡丹画賛”が絶筆となった。絵ハガキがなくて載せられないのが残念だ。書画の展示のほか、仙崖さんの遺愛の品々も置かれていた。その中に、唐津の、いいぐい飲みがあった。お酒もいただくらしい。ますます、好きになった。

仙崖禅師に失礼かと思ったが、親しみをこめて、ここでは”仙崖さん”と呼ばせていただいた。
とても、楽しく、いろいろなことを教えられる展覧会だった。11月3日まで開催している。
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東御苑を歩く

2010-10-07 13:40:43 | Weblog
昨日、二人の日本人ノーベル賞受賞者が決まった、おめでたい日に、ぼくは東京方面に出かけていた。有楽町駅から、まず、出光美術館で”仙崖/禅とユーモア”展をみて、お堀端を歩き、東御苑に向かった。御苑内の三の丸尚蔵館で、龍馬の薩長同盟の裏書きが、展示されているというのを知ったからだった。この裏書きはもちろんだが、日本書紀や古今和歌集やらの貴重な写し本がたくさんあり、とても、すばらしい展覧会だった。これらの感想文は、また改めて、記事にしたいと思う。

東御苑は、大手門から入る御苑なので、石垣、天守閣等の、江戸城の遺構が残されているし、四季おりおりの草木の花々も楽しめ、おまけに無料なのがいい(汗)。そのせいか、外人客も多い。その日も、尚蔵館を出たあと、一時間ほど遊んできた。

石垣


天守台:天守閣のあったところで、明歴の振袖火事で焼けてしまった。


ぼくが東御苑の中で一番、好きなところは、昭和天皇の発案でつくられた武蔵野の雑木林である。ぼくは、子供の頃、近くの、”武蔵野の雑木林”の中で遊んでいたから、故郷に来たような感じなのだ。とくに芽吹きの頃がうつくしいが、今も、まだ落葉前の秋の風情を感じさせてくれる。

雑木林の中に、かりがねそう、彼岸花がまだ咲いていた。

かりがねそう

彼岸花

苑内には、キンモクセイの大木や、ようやく穂を出し始めたススキがやさしく迎えてくれた。




仲良しさんもいた。

帰りに、お堀でも、仲良しさんをみた。


晩秋の頃にまた来よう。
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十三人の刺客

2010-10-07 09:24:22 | Weblog

子供時代、ちゃんばらが大好きだった。だから映画といえば、必ず、東映の時代劇。次郎長一家の殴り込みや宮本武蔵等。筋よりも、ただ立ち回りをみているだけで楽しかったものだ。ぼくらの遊びだって、たいていチャンバラごっこで、だれもが、自分の刀(木の枝をけづって)をもっていたものだった。だから、ちょっとした怪我なんかは誰でもしていた。

最近、立ち回りを主体にした時代劇が少なくなって、藤沢周平的な時代劇が多く、それはそれでいいのだけれど、たまには、子供時代にみたチャンバラ映画をみたいと思っていた。最近、封切られた、役所広司主演の”十三人の刺客”が、どうも、その類の時代劇だということを知ったので、茅ヶ崎まで観に行ってきた。藤沢に映画館がなくなってしまったので、もう二駅先に行かねばみらえないのだ。

予想通りというか、いや予想以上に立ち回りシーンが多く、満足した。女性の方には、ちょっと残酷だなと思われるシーンもあるが、立ち回りでは当然のことで、映画は映画として割りきってみなければいけないノダ(笑)。

ふと、黒澤明監督の、三船敏郎主演の”七人の侍”を思い出した。あれも、本当に面白かった。村人たちが、七人の侍を雇って、野武士の襲撃から守ってもらうという筋立てだった。多数の野武士軍団を、わずか七人の侍が村を要塞化して、迎え撃つのだが、もちろん立ち回りもふんだんにある。この映画でも、ある宿場町を買い取り、そこを要塞化し、悪徳非道の明石藩主・松平斉韶(稲垣吾郎)が率いる300人以上の武士団を、わずか13人の、役所広司を大将とした刺客が待ち構えるのだ。構想はよく似ている。

残酷な性格で家来や農民を、理不尽に殺害を繰り返す藩主は、将軍の弟で、明年には幕府の老中になることが決まっている。江戸幕府の将来を案じた、幕府老中、平幹次郎が、明石藩御目付け、役所広司に藩主の暗殺を依頼する。役所は、松方弘樹ら13名の剣の達人を集め、参勤交代の道中に襲撃することを決めたのだ。

策を練り、その宿場町を通るように仕向け、大決戦が始まる。多勢に無勢、さまざまな仕掛け、爆薬などを使い、相手方の人数を減らしてから、本格的な斬り合いがはじまる。これがすごい。血まみれ、泥まみれの大乱闘。十三人の刺客もはじめは、優勢だったが、次第に倒れるものも多くなり、味方は少なくなってゆく。それでも、役所ともう一人が残り、藩主と数名の部下と最終対決までもちこむ。さて、どうなるか、その先は映画をみてください。

久しぶりの立ち回りふんだんの時代劇、とても面白かったです。でも、SMAPの稲垣吾郎フアンの方には、ちょっとザンコクな映画だったかもしれないですね。

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ノーベル化学賞 日本人ふたり受賞

2010-10-06 18:45:06 | Weblog

今日、遊びから帰ってきて、いきなり、おめでたいニュースが飛び込んできた。ノーベル化学賞に日本人、二人が受賞したというのだ。鈴木章さんと根岸英一さん。一昨日、有力視されていた山中伸弥さんのノーベル医学生理学賞が残念ながら実現しなかったので、今年は駄目かと思っていたところ、このうれしいニュース。本当におめでとうございます。研究内容はよくわからないけど。

あと可能性があるのは、文学賞で村上春樹さん。”ノルウエイの森”でなくて” スウェーデンの森”を書いてていたら確実だったかも(笑)

このところ、尖閣諸島問題で、日本中カリカリしていたところ、このおめでたいニュースで、だいぶ、気がはれましたね(笑)。これで、平和賞に中国で服役している民主活動家に与えられれば、最高の筋立て。ですね(爆)。いや、まずいかな、八つ当たりで、また八隻ぐらい日本の船に当たってくるかな。こりゃあ管な。こんどは、検察なんかにまかせず、平均年齢30歳の素人審査員にお願いしよう。これが世論だと大新聞が言うのだから、どんな結果が出ても、文句がいえないだろう。

じゃあ、今日は日本中、乾杯(飲めない人のためにコーヒーも用意しました)

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酔芙蓉 花の生涯

2010-10-06 10:01:10 | Weblog
ぼくの家の近くの酔芙蓉の花の数が大分少なくなってきた。この花は一日花で、朝、白い花が開き、次第に、頬を染めて、夕方近くに真っ赤な顔になって、そのまま酔いつぶれて、”花の生涯”を終える。ぼくは、好奇心が旺盛なので(汗)、9月中旬に花の生涯、とくに、開花時間、花の色の推移を時間を追って調べてみた。

一番、苦労したのは、開花時間だった。はじめ、夜明けと同時くらいかなと、検事さんみたいに筋立てして、午前5時頃、観察に行ったら、もう咲いていた。そして、さらに早起きし、まだ真っ暗な4時に行ったが、そこでも咲いていた。そして、警察官に会ったら職務質問でもされそうな(ぼくは現役時代5時半から散歩する習慣があって、冬では真っ暗で、本当に、警官に声をかけられたことがあるのだ)、午前3時に、決死の覚悟で懐中電灯をもって出掛けた。そしたら、半開きの花を見つけ、この時間帯が開花時間であることを突き止めた。そのときのうれしさは、競馬はやらないけれど(そのうち挑戦しようと思ってるけど;汗)、たぶん万馬券を当てたときのようなうれしさだとおもう。

それらは、1週間ほどにわたっての調査で、ブログにも、それぞれかいているが、いつか、まとめて報告したいと思っていた。それを今日やります。たまたま、今日、ぼくのプログを訪ねてきた人は、万馬券と言わないまでも、500円くらいの当たり券を買ったくらい得したと思います。それでは発表します。
。。。。。

前日午後5時:まだ蕾、少し花びらが覗いている。隣りのいくつかの蕾は、翌日以降の蕾。

前日午後11時:若干、花びらの覗きが大きくなっている。

当日 午前3時:開花途中の半開きの花。開花時間決定

当日 午前4時:8分目まで開花している。隣りのピンク色のは前日の花。

当日 午前7時:完全に開花。色は真っ白。

当日 午前10時:まだしらふ。

当日 午後12時:うっすらとピンク色。ほろ酔い加減。

当日 午後3時:だいぶ酔ってきました。赤ら顔です。

当日 午後5時:すっかり、酩酊状態。個人差があり、まだ、にこにこ飲んでいるものもあれば、眠りはじめたのもいます。

当日 午後8時:酔い潰れ、この状態で翌日までいます。これで花の生涯はおわります。

それ以降はみる影もありません。


以上、酔芙蓉、花の生涯でした。
ぼくは、ほぼ酔い潰れの午後8時です。みなさんはどの辺でしょうか、アラフォーの方は、まだ女盛り、午後12時ころ。アラファイブからアラシックスの方は、午後5時頃でしょうか。若づくりの人は、午後4時くらいにみられるかもしれませんが、身体はぼろぼろです。

”花の命は短くて苦しきことのみ多かりき” ”人の命も・・”だれも皆そうです。多少の苦労、心配することありませんよ。
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隅田川/江戸が愛した風景

2010-10-05 11:26:21 | Weblog

両国の江戸東京博物館で表記の展覧会が開催されている。先日、みて来た。江戸っていいな、こんな時代に住みたかった、と思わせてくれる展示品がずらりと並んでいた。ちらし絵の大版錦絵三枚続”東都両国ばし夏風景”(橋本貞秀)は、まさに、この展覧会を象徴するような絵で、花火見物で、両国橋の立錐の余地もないほどの人々の群れ、隅田川の舟遊びと、江戸の賑わいが伝わってきて、わくわくするような絵だ。この絵は、”龍馬伝”のタイトルバックにも使われているというので、前回、気をつけてみていたら、たしかにあった(汗)。


浮世絵、屏風、絵巻等、159点の作品が展示されているが、その8割は江戸博が蒐集したもだそうだ。隅田川といえば、舟遊び。屋形船や小舟に乗って、花火見物もあれば、きれいなお姉さんと一緒に遊んだり、お酒を飲んだりと、いろいろ楽しんでいる。当時は、日本橋から日本橋川を舟で渡り、隅田川に入り、そこから川上りするのが舟遊びの定番だったらしい。お金持ちは、さらに吉原の遊郭にも足を延ばす。ああ、うらやましい(汗)。そんな舟遊びの絵がいっぱいあって、そうゆう絵が、一番、印象に残っている。

みんな、楽しそうに絵をながめている。小舟に乗っている人がうらやましそうに、豪華な屋形船の方をみてるな、とか、舟の上に乗っている人は、舟方さんかね、とか、いちゃいちゃしているね、とか、女ばかりの舟遊びもあるんだね、いや、あとから男が来るんだよとか、慶応の池田弥三郎さんが生きていれば、いろいろ解説してもらえるんだがねとか(関係者だろうか)、話声が聞こえてくる。”江戸の人はいいね、遊んでばかりいて、あんたも江戸に生まれたかったでしょう”と奥さんに云われ、旦那がにっこり、こっくりした。ぼくもにっこり、こっくりした(爆)。

両国花火之図(歌川豊国)。両国橋の観客は女性が多い。一人ひとりの表情が楽しそうに描かれている。

回向院を背景に両国橋を渡る力士たち。見物人の好奇心の目や嬉しそうな表情が面白い。この当時、力士は大小の刀を差している。(国貞作)

これも花火見物の図(国貞作)


展示構成は、プロローグ 古典から現世へ、第1章 舟遊びの隅田川、第2章 隅田川を眺める、 第3章 隅田川の風物詩、エピローグ 近代への連続と非連続、となっている。

プロローグでは、隅田川のほとりで亡くなった梅若の悲しい伝説(梅若塚)、浅草寺の本尊聖観音像が三人の漁師に拾われた縁起(三社祭の起源)などを題材とした作品が展示されている。下図は、”宮戸川三社の由来”(国貞作)であるが、漁師を娘に変えて描いている。観音様から光が放たれている。


第1章 では、隅田川舟遊び(鳥文斎栄之)が。きれいに着飾った女性ばかりが乗っている。北斎の”絵本隅田川一覧”、吉原通い図巻(鳥文斎栄之)、六曲一双の隅田川屏風(筆者不詳)等が印象に残った。

第二章では、広やかな景色、隅田川界隈の名所、橋をめぐる光景の三つのグループに分けて展示されている。ここでは広重が多く登場し、名所江戸百景の大はしたけの夕立など、また北斎の富嶽三十六景の内ふたつ、春信の風流江戸八景・両国橋夕照、その他、大相撲風景、料亭風景、中洲風景(当時は、三ツ俣と呼ばれた中洲があった)など楽しめる。

第三章では、春夏秋冬の風物詩ということで、春は花見、夏は花火、秋はなくて(笑)、冬は雪の風景が描かれている。ここの夏景色が、前述のように、一番印象に残ったところだ。今でも両国の花火大会といえば、浅草サンバ(汗)、三社祭と並ぶ、大賑わいのおまつりだ。

そしてエピローグ、 江戸幕府が終りを告げるが、明治、大正、昭和と隅田川は描き続けられる。大正時代には新版画も生まれる。ぼくの好きな、川瀬巴水の清洲橋が最後を飾ってくれた。


江戸がますます好きになった、楽しい展覧会だった。

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金木犀の香り

2010-10-04 20:30:26 | Weblog
散歩の途中、金木犀の香りが、あちらこちらで。花の色も、ここ二、三日で一気に黄金色に。

女子大前のプロムナードで

住宅街の入り口で

常楽寺の門前で




花の香りといえば、小椋佳作詞・作曲、”シクラメンのかほり”を思い出します。でもシクラメンの花には香りはありません、と、いつかフラワーセンター花散歩で園長さんが言ってました。でも、香りのあるシクラメンも最近、育種されたそうです。歌謡曲のヒットが、きっかけになったのでしょう。せっかくですから、”キンモクセイのかほり”の歌をつくってあげました。(汗)

キンモクセイのかほり(作詞作曲 おぐらアイス)

黄金色した キンモクセイほど 華やかなものはない
出逢いの時の 君のようです
ためらいもせず むだ金を使い
驚いたように ふりむくぼくに
季節が頬をそめて 過ぎてゆきました

暮れ惑(まど)う街の 別れ道には
キンモクセイのかほり むなしくゆれて
季節が知らん顔して 過ぎてゆきました
 (キンモクセイの気持ち)

秋薫るお茶  どんな香りだろう、どん栗の香りだろうか、飲んでみたいな


ハロウィン薫るタオル屋さん ワイフはかぼちゃが大好きです。ぼくはあまり好みません。今日の夕食のキンモクセイじゃない、金目鯛の煮つけ、おいしかったです。奥さんが、お料理を習いに行くようになってからおいしくなりました。 

11日はわんわんの日だそうです。わんこを飼ってる方は金目鯛の煮つけをごちそうしてあげてください。隣りの横浜市では、わんこが16歳になると、長寿祝いをくれるそうですので、該当者は市役所に届けてください。写真をもっていけばよいそうです。わんこ連れの友達同士が、散歩の途中で話していました。

にゃんこの日はにゃーです(名古屋弁です)。必要ならば、何万名の署名が必要だそうです。

。。。。。

小沢さん、強制起訴だそうですね。素人集団に、不起訴をひっくり返されるとはプロの検察も、いよいよ地に落ちたというとこでしょうかね。オザワさんの与党幹事長の立場での600人訪中団というバカげた行為に対し、ばちがあたったのでしょう。ざまあみろといいたいとこですが、素人による審査制度も非常に疑問のあるところです。

♪暮れ惑う街の 別れ道には キンモクセイのかほり むなしくゆれて 季節が知らん顔して 過ぎてゆきました♪

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鏑木清方一門と近代美人画

2010-10-04 11:36:29 | Weblog
ぼくは和装の美人が好きだから(汗)、当然、美人画も大好きである。昨日も、日曜美術館で”上村松園”をみて、テレビならではの詳細な美の解析を楽しんだ。松園さんが美人画の西の横綱とすれば、東の横綱は、文句なく、鏑木清方である。清方さんの美術館は鎌倉にあるので、よく観ているが、”鏑木清方一門と近代美人画”展となれば、遠くても行かないわけにはいかない。講談社野田記念館で10月24日まで開かれている。

まず一門の親方、清方の作品、2点が第一会場に展示されている。”五月雨”と双幅の”夏の旅”だ。松園の美人画は人物が前面に出る作品が多いが、清方は、風景の中にそそとした美人、といった構図が多い。この二作品もそうだった。着物姿で山路を歩くのも大変だろうなとも、ちょっと思ったけれど、山の木々の景色と美人がそれぞれの画面に描かれ、木々と旅する娘が会話をしているような、いい風情を醸し出していた。

そして、山川秀峰の”蛍”。三人の娘さんが団扇をもって蛍狩りをしている。うっとりするような絵だ。そういえば、三人ともよく似ている美人だ。どれも秀峰の奥さんに似ているそうだ。美人画家の奥さんは、やはり美人でなくては格好がつかないのだろう。モデルにすることもあるし。松園さんの”序の舞”のモデルも息子(上村松篁)のお嫁さんで、美人の誉れが高かった。うちの奥さんは美人画家の奥さんにはなれないだろう、抽象画家ならごまかしてもらえるから、大丈夫だろう。(ワイフの気持ち)

山村耕花の”四季の風俗”も見事だった。春は”八百屋お七恋桜”本をもつ娘、夏は白地に縞の夏衣の娘、秋は竜胆の花篭をもつ娘そして冬は、能の”松風”に因んだ汐汲み女、と艶やかだ。


一門ではないけれど、松園の作もある。”塩汲ノ図”、”惜春之図”、”婦人”。Ⅱ室では、志村立美の作品をみつけた。”花火”という画題で、”少女倶楽部”の口絵である。立美のお師匠さんは山川秀峰だから、清方の孫弟子になる。挿絵画家から晩年、美人画家になった。ぼくは、立美の描くまつ毛の長い美人顔がとても気に入って、彼女に逢うため(汗)二度ほど志村立美展を観に行っている。残念ながら、ここでは、これ一枚しかなかった。

野間コレクションの特徴は、6000枚を越える色紙群である、当時の百数十名の画家に依頼し、主として”十二ヶ月図”の題材で描いてもらっている。もちろん、今回も豪華なメンバーによる”十二ヶ月図”をみることができた。山川秀峰、小早川清、笠松紫浪、山口逢春、伊東深水の作品で、ほとんどの色紙には、それぞれの四季の景色の中に別嬪さんが描きこまれているが、山口逢春のだけは三つほど、花だけというのがあった。

伊東深水は、その他に、たくさんの講談倶楽部の表紙原画が展示されている。ずらりと並んだ、深水美人には、つい鼻の下が長くなってしまう。深水美人も好きである(気が多いノダ;汗)。表紙絵だけあって、目立つように、背景は赤、青、紫、緑等の原色にしている。そのうえ、艶やかな美人が目をこちらに向けているのだから、つい表紙絵をみただけで買いたくなってしまうだろう。きっと古本市場でも相当な高値になっているに違いない。

清方も講談社の少女倶楽部の表紙絵を担当したことがあり、それぞれの月に相応しい、たとえば、七月号は七夕、10月号は秋雨、の絵にしている。また、山川秀峰の”九条武子夫人”の折本も珍しかった。読みやすい字で少し、読んでみた。1ページごと、文と絵が交互に、折り本となっている。才色兼備で、西本願寺で生まれ、九条夫人となる。佐佐木信綱にも師事し、和歌もやる。大正三美人と称されたそうだ。

美女ばかりみて、外に出たら、歩いている女性はみなぶすにみえた。
冗談は抜きにしないで、とても楽しい展覧会だった。



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フラワーセンター 花さんぽ

2010-10-03 16:42:40 | Weblog

10時頃、ワイフと大船フラワーセンターに出かけた。門を入ると、お化けかぼちゃが迎えてくれた。そうか、今月はハロウィン だったっけ。さあ、どちらから廻ろうかと、話していたら、前方に人だかり。あっ、そうだ、今日は毎月、はじめの日曜日、園長さんのガイドによる”花さんぽ”の日だったのだ。しばらく行っていなかったので、今日がその日とは知らずに来たのだった。まだ、始まったばかりのようだった。もちろん、それに参加し、今盛りの、珍しい花や実をみさせてもらった。順不同、独断と偏見で、いくつかの花や実を紹介しようと思う。

秋の花というとまず、こすもす。めずらしい種類のこすもすを。雄蕊が花のようになっている丁字咲き。

そして八重咲き。劣勢遺伝のため、必ずしも八重になるとは限らないそうだ。

ふたえ(二重)桔梗も、めずらしい。

彼岸花。赤と白は普通にみられが、鮮黄色のは、比較的めずらしい。ホントの名前はショーキズイセンだけど、ぼくらが”黄色い彼岸花”と呼んでも、植物分類学者以外、だれも文句はいいいません、名前なんか符号です(笑)。

これは珍しい。”ピンクの彼岸花”。新品種らしい。ぼくが江戸博に行った日、東京タワーはピンク色になっていました。”乳がん”の日だったようです。うちのワイフも先達て、人間ドックで検査を受けました。異常なしで安心していました。

万葉集に”秋さらば写しもせむと我撒きし韓藍(からあい)の花を誰か採みけむ”の韓藍は、ケイトーのことだそうだ。今はいろいろな品種があるが、古来の花なのだ。

。。。

人生いろいろ実もいろいろ。

ふくわばもくげんじ(むくろじ科)。先月紹介したときは黄色い花が盛んだった。風船のような実もうつくしい。


ブラジルヤシ これは食べられます、と言うので、あとでこっそり食べてみた。おいしかったです。サッカー好きな人に合いそうな味でした。


こむらさき。ムラサキシキブと区別がつきませんが、小型のようです。熊本ラーメンに”こむらさき”があります。ぼくは”味千”の方が好きです。


ぼくの好きな、センノウとマリアカラスが咲いていたのもうれしいことでした。


 

一気に秋の花々が咲きはじめ、楽しい花さんぽでした。お弁当は木陰でお稲荷さんをふたりでたべました。

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