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気ままに

大船での気ままな生活日誌

吉永小百合の”時雨の記”を観る

2009-01-11 18:19:44 | Weblog
土曜日は、前日の凍てつくような寒さとはうってかわっての穏やかな日和でした。ワイフが山手の洋館通りを歩きたいというので、出かけてきました。石川町駅からすぐの坂道を上がり、イタリヤ山の外交官の家へ。そして、山手公園に寄って、洋館通りを上り、外人墓地前のレストランでランチをとり、港の見える丘公園の県立神奈川近代文学館を見学する、という、いつものコースでした。とても、静かで、それに富士山までみえたし、とても満足した山手散歩でした。

そして予期せぬ、満足感も得られました。それは、近代文学館で、小百合さん主演の映画”時雨の記”(澤井信一郎監督)を観ることができたことです。もちろん、ここに来て、初めてこの上映を知りました。会員制の映画会ですが、まだ席に余裕があるということで、急遽、参加させてもらったわけです。主演、吉永小百合にひかれて入りましたが、映画の内容も、ボクの”好き”が、いっぱい入った、とてもうれしい映画でした。

原作は生誕100年を迎える中里恒子。女性初の芥川賞作家ですが、藤沢生まれ、横浜育ちで、洋館通りの女学校(双葉)を出て、晩年は逗子に住まわれたという方です。いつもボクが散歩するところばかりです。

はじめのシーンが、いきなり北鎌倉駅のホーム。これにまずドキン。小百合さんは北鎌倉に住むお華の先生なのです。途中でも、北鎌倉のお寺が出てきて、あれは浄智寺だな、建長寺だな、と、いつもの散歩コースですのですぐ分かります。そして、小百合さんは藤原定家や西行の和歌集を愛読していて、いつも手元に置いています。その関係で、京都嵯峨野の、定家の時雨亭跡のある常寂光寺のうつくしい紅葉も現れます。そして、小百合さんが、亡き恋人を想いながら佇むラストシーン。その背景は、西行庵のある吉野山の満開の桜です。嵯峨野、吉野山、いずれもボクらが去年、訪ねたばかりの場所でした。

このような、鎌倉、京都、吉野山とボクにもなじみのある、うつくしい景色をバックに、近い将来での自分の死を予感している、家庭をもつ50代の男(渡哲也)と夫と死別した女(吉永小百合)が20年ぶりに偶然出会い、そこから始まった純愛物語が進行してゆきます。

大人の純愛を描いた、とてもいい映画でした。是非、原作も読んでみたいと思います。小百合さんは、この原作の熱烈な愛読者で、積極的に映画化を働きかえたようです。相手役も渡哲也さんを熱望したようです。そういえば、とても息が合っていました。

。。。

エリカの花と外交官の家


水仙と山手公園の洋館


ランチをいただいたレストラン。和風スパゲテェーおいしかった。ワイフはオムライス。


アロエの花とイギリス館


金魚草と大仏次郎記念館


神奈川近代文学館


富嶽36景その4(笑)。横浜山手の夕景富士。
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スタジオパークの中村紘子さん

2009-01-10 10:07:14 | Weblog
昨日の金曜日、NHKの昼過ぎの”スタジオパークからこんにちわ”にゲスト出演されていた中村紘子さんを観ました。いつもはこの時間は、どこかを徘徊しているはずですが、この日は、ことのほか冷たい雨が降っていて散歩する雰囲気ではなく、めずらしく在宅だったのです。

ピアニストの中村紘子さんといえば、映画界でいえば吉永小百合さん的存在で、ボクもむかしからのフアンです。演奏会も昨年の鎌倉芸術館のも含め、何度か足を運んでいます。

今年でデビュー50周年だそうで、演奏会はなんと3500回に及ぶそうです。5歳から始め、天才少女ピアニストといわれ、16歳のときにN響の世界ツアーのソリストに抜擢されました。しかし、18歳のときアメリカ留学し、演奏はエンジョイするものだと教えられ、目が開かれた思いがしたそうです。その後、”進化”をつづけ、60代の今も、今が一番、自分らしく弾けると思っているそうです。まさに今が青春ですね。サムエル・ウルマンの名言、”青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方をいう”を思い出しました。

番組の後半、視聴者からのいろいろな質問に答えるコーナーがあります。ボクも聞きたかったことがはじめに紹介されました。 ”夫婦円満の秘訣を教えてください”。お答えは、”言いたいことを言わない、つまらないことで喧嘩してもしようがないでしょ”なるほど。でもボクは、前々日紹介した白洲次郎さんと同じで、”あまり一緒にいないことです”じゃないかと想像しています(笑)。なにせ、紘子さんは、最大、年100回も演奏会に行っているのですから。

ご主人は、言わずと知れた、あの”赤頭巾ちゃん気をつけて”の庄司薫さんです。ボクは若いときから、彼のフアンで、著作は筆名が福田章二時代を含め、現在もほとんど全部、もっています。全部といっても、そういくつもありません。題名が四神の色(青竜、白虎、朱雀、玄武)あるいは大相撲の土俵四方の房の色、を含む、四つの作品を書きあげて、予告通り、鮮やかに撤退してしまいました(エッセイはいくつかありますが)。

引退されてから今日まで、どのような生活をされていたのでしょうか。きっと、薫くんシリーズの、”白鳥の歌なんか聞こえない”に出てくる、小沢さんのおじいちゃんのような生活をされているのではと、想像しています。

・・おじいちゃんの家には大きな図書室があり、その蔵書の半分は英独仏伊、ギリシア語等の原書で、それらのすべてに書き込みがあり、また庭には世界中から集めた、珍しい植物が植えてある、加えて、音楽、美術、食べ物、なんでも一流の知識をもっている、本も書かなかったけれど、なによりも彼自身が、かけがえない、ほかならぬ彼自身の作品というような・・

そんな深く広く人生を考えている、哲学者のような生活をされているのではないのでしょうか。

スタジオパークの中村紘子さんの笑顔の向こうに、ふと庄司薫さんの顔が浮かんで、こんな文章を書いてしまいました。

いつの日か、ボクが先日観た”白洲次郎と白洲正子展”のような、”庄司薫と中村紘子夫妻展”が開催されると思いますよ。どちらも、現役を早々に引退、好きなことに後半生をおくる夫、そして現役を続ける妻、どこか似ている、素敵な夫婦です。

。。。

スタジオパーク出演


スタジオで生演奏。仕事の顔に。


夫婦円満の秘訣を聞かれたときの紘子さん。


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東博に初詣

2009-01-09 11:24:18 | Weblog
今朝は初雪の予報でしたが、この辺りは雨になってしまいました。昨日、恒例の”博物館に初もうで”開催中の東博を訪ねました。

りっぱな門松飾り(いけばな)をみるのも楽しみ。




まず、丑年の今年は、牛が描かれた美術品めぐり。

駿牛図巻断簡 (鎌倉時代作、重要文化財)


牧牛図 (渡辺崋山作)


国宝館には、お目当ての”鳥獣人物戯画巻 丁巻”が。カメラを向けようとしましたら、片隅に撮影禁止のマークが。一昨年の12月、サントリー美術館で開催された”鳥獣戯画がやってきた”展でもみているはずです。でも、やっぱり、なじみの甲巻が観たいですね。

常設展にも、正月用に新たな展示品もいろいろ。

野々村仁斎作 (重文)


織部角鉢(美濃、江戸時代)


黒楽茶碗 銘 かのこ斑 (朱班を鹿の子まだらにみたてた)一入作(おぼえておこう)


レストランで天ぷら蕎麦をいただき、平成館の休憩室でいねむりして(汗)、外に出ました。もういちど、本館前のいけばなを鑑賞しました。ロウバイも入っていました。ちょうどお日さまが真正面にあがってきていて、白壁にきれいな影をうつしていました。





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白州次郎と白洲正子展

2009-01-07 16:41:21 | Weblog


川崎の実家で2泊して、その帰りに横浜に寄り、そごう美術館で開催されている、”白洲次郎と白洲正子展/まっ直ぐに生きる、ということ”を観てきました。ボクは以前から白州次郎と白州正子のフアンで、もちろん、鶴川の、おふたりが住まわれていた、無愛想じゃない武相荘も一度訪ねたことがあります。

この展覧会にも、武相荘の一部、応接室だけが再現されていましたが、ボクが一番気に入っていた部屋は、白洲正子の書斎でした。本に囲まれた細長い部屋の一番奥の、机の前は自然庭園の緑です。この書斎で、ボクが愛読する”西行”などが執筆されたのかと思うと、しばし去りがたい思いでした。当時の若きボクは、定年後にはこんな書斎をもちたいものだと思ったものでした。現実は夢破れ、マンションの狭い一室の書斎、本もだいぶ整理してしまったノダ(汗)。

そして、青山二郎や小林秀雄との交友の中で磨かれたという、骨董の美を愛する白洲正子。この一面も好きです。ここでも、彼女の愛した、陶磁器などの骨董が展示されていましたが、どれもこれもいい、全部ボク好みです(笑)。日常、使用していたという食器も、どれもこれも、気に入りました。本当は我が家もこうしなければいけないノダと思いました、ぐい飲みだけはたくさんあるけど(汗)。

白州次郎のさわやかな生き方がおみごと。ケンブリッジ仕込みのカントリージェントルマン。戦後の講和条約成立のために最前線にたち、男をあげる。現役は東電会長を50代半ばで引退し、その後は、悠々自適のカントリー生活を楽しむ。

白州次郎の言葉が面白い。”夫婦円満のこつは、あまり一緒にいないことだよ”これは、うちも同じ(汗)。展覧会最後のコーナーに白洲次郎の実物の遺言状が。この有名な遺言状をはじめて目にしました。大きな字でした。”葬式無用 戒名不用”。かっこいいです。ボクにはとても、カントリージェントルマンのマネできませんが、最後のこれだけはマネできるかな。

新春早々、いい展覧会をみました。

。。。

絵葉書から

武相荘 (雑木林の庭園もいいですよ)


白州正子の書斎


カントリージェントルマン


白州正子の愛した織部皿。


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北鎌倉 ロウバイ花盛り

2009-01-05 15:48:28 | Weblog
前日、北鎌倉の浄智寺でロウバイが咲き始めてをいたのを観察しましたので、きっと明月院や東慶寺でも花見ができるだろうと、昨日のぞいてきました。まず明月院のをご覧ください。見事でしょ。





おまけに、マンサクの花まで咲き始めていました。


東慶寺のも見ごろになったいました。




そして、円覚寺には、一番奥の黄梅院に一本ありました。



いつも、ここの坂村真民さんの詩には感動します。



山門は、いつもと変わらず、どっしりと構えていました。


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七福神めぐり もうロウバイの花が

2009-01-04 09:16:22 | Weblog
昨日のつづきです。江ノ島を離れ、福禄寿さま(御霊神社)にお会いし、さらに大黒天さま(長谷寺)まで歩き、長谷駅前のお店で鎌倉丼(えび天を卵とじにしたもの、おいしかった)をいただき、そこから、また江ノ電で、鎌倉駅に。駅近くの本覚寺の夷尊神さまを、そして通りを上り、妙隆寺の寿老人さま、宝戒寺の毘沙門天さまに。そして八幡さまの旗上げ弁財天さまを訪ね、そこからさらに歩き、ゴールは北鎌倉の浄智寺の布袋尊さまでした。


御霊神社のこのお堂の中に福禄寿さまが。毎年9月に行われる奇祭”面掛行列”のひとつのお面が福禄寿さまなのです。あじさいの頃は必ず訪れる神社です。


長谷寺では、大黒堂があり、宝物館には大黒天尊像が安置されています。この道端の大黒さまも人気があります。メタボなお腹におさわりされた形跡がありますね(笑)。

本覚寺の夷尊神さまを素敵ですが、えびす巫女さんももっと素敵です。

寿老人さまは、ここ妙隆寺に。寿老人さまのように、元気で長生きしたいですね。

毘沙門天さまは、宝戒寺の本堂の左側に。本堂前の柏槇の大樹、毘沙門天さまのように力強いです。お守りください。

そして、初詣での鳥居のところまで大行列を抜け出し、源氏池入口の八幡さまの旗上げ弁財天さまを訪ねました。お堂の上に、くつろいだ弁財天さまが。江ノ島の弁財天さま同様、琵琶を弾いています。でも、こちらは胸元をかくしています(笑)。


最後は北鎌倉の浄智寺の、人気者の布袋尊さまです。お腹をさすると幸せになりますとの案内がありますので、みなさん、おさわりします。どういうわけだか、さしている指も、さすられて黒光りしています。行き先を見失っている方が多いのでしょうか。


驚きました。浄智寺で、もう蝋梅の花が咲いていました。狼狽しました(笑)。長谷寺でもみましたが、こちらの方が進んでいるようです。




今日の午後はロウバイめぐりになりそうです。北鎌倉の明月院、東慶寺とか。

あ、そうそう。七福神めぐりの証拠品をのせておきます。


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鎌倉・江ノ島七福神 巡拝

2009-01-03 18:12:02 | Weblog
正月3日もいい天気でしたね。今日は、ボクら夫婦の恒例になった、鎌倉・江ノ島七福神の巡拝をしてきました。

はじめにコースを紹介しましょう。朝9時半、我が家を出発。大船からモノレールで湘南江ノ島駅へ。そこから歩いて、江ノ島の弁財天さま(江ノ島神社)へ。その後、江ノ電で極楽寺駅まで行き、福禄寿さま(御霊神社)にお会いし、さらに大黒天さま(長谷寺)まで歩き、そこから、また江ノ電で、鎌倉駅に。駅近くの本覚寺の夷尊神さまを、そして通りを上り、妙隆寺の寿老人さま、宝戒寺の毘沙門天さまに。そして八幡さまの旗上げ弁財天さまを訪ね、そこからさらに歩き、トリは北鎌倉の浄智寺の布袋尊さまです。ずいぶん歩きました。25000歩はいきました。家にたどり着いた頃は、もう夕焼け空でした。ワイフがよく完歩しました。今年も、なんとか、ふたりとも、健康なスタートをきることができ、喜んでいます。

江ノ島の富士山。これで正月三が日、富士山三連発です。こんなことも珍しいですね。生まれてはじめてかもしれません(笑)。これなら今年、北斎せんせいに対抗して、2009年”富嶽三十六景”をこのブログに出せるかもしれません、そうだ、ひとつの今年の目標としてみましょう(笑)では、今日のは”富嶽三十六景のその3、江ノ島正月富士”としましょう。



さて、江ノ島神社の弁天堂内の、琵琶をかかえた、全裸の、まっ白い素肌のおうつくしい妙音弁財天さま、もちろん、拝んできました。もうひと方の、はっぴ弁財天さまも並んでおられますが、つい、あちらの方に目がいってしまいます(汗)。写真を撮らせてもらえないのが残念です。このお堂にいらっしゃいます。芸能、芸術関係の方、ぜひお参りください。



そして、ボクらは、また、何度みてもあきない、青い空と青い海をつなぐ真白な富士山を横にながめながら、橋を渡り、江ノ電の江ノ島駅に向かったのでした。(つづく)



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正月二日

2009-01-02 18:11:41 | Weblog
正月二日は地元の社寺に初参り。ワイフと一緒に、お昼前に出かけました。

まず、いつも朝散歩に立ち寄らせてもらっている大長寺へ。お正月らしく、みつば葵の御紋つき垂れ幕が。この寺は、はじめ”亀鏡山大頂寺”と称していましたが、家康が亀鏡山ならば僧は大長寿だろうと言われ、”大長寿寺”と変え、さらに”大長寺”になったと伝えられています。それ以来、葵の御紋の将軍家と縁をもつようになったようです。”長寿”をお祈りしました。幸運にも、正装の住職さんにも出会えました。今年も(朝散歩コースに)どうぞよろしくお願いしますと、挨拶しました。



お昼どきでしたので、お寺の近くのお店で長崎ちゃんぽんをいただきました。初外食です(笑)。ボクは、新発売の東京風長崎ちゃんぽんを頼みましたが、やっぱり本場の方がおいしいかな。日よけカーテンに外の植物が墨絵のようにうつっていましたので、ついパチリ。


それから、岩瀬・五社稲荷神社へ。この神社は、鎌倉幕府から、このあたりの土地を拝領していた岩瀬与一太郎が建てたと伝えられています。地名の”岩瀬”もここからきています。この武士は、茨城県の岩瀬の出身なのです。これに関連して、いろいろ面白い話がありますが、それはまたの機会に。


石碑の木の葉影がうつくしいので、ついパチリ。岩瀬家の子孫の方の名前も刻まれています。前述の”面白い話”にもからみます。


そこから10分ほど歩くと、ときどきここで紹介しています青木神社。ここの所在地は、鎌倉市岩瀬ではなくて、横浜市栄区になります。市の堺なのです。ボクは鎌倉側ですが、近所のご縁ということで、お参りさせてもらっています。ここでは、お正月には、5円玉の入った福袋をいただけます。幸せな”ご縁”がありますように。



神社の境内からは、こんなきれいな正月富士が。この写真はこの日の朝散歩で撮ったものです。朝日をあびて、うすいピンク色になっていました。今年の世界がこういう幸せ色に染まってほしいですね。



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あけましておめでとうございます

2009-01-01 18:34:50 | Weblog
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

毎年、初詣は実家近くの、小さな神社で。


梅がもうこんなに。初春。


初富士も。


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