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気ままに

大船での気ままな生活日誌

天守物語、修善寺物語、悪太郎 歌舞伎座にて

2014-07-18 14:37:26 | Weblog

昨晩、七月大歌舞伎の夜の部を家内と一緒に観てきた。玉三郎と海老蔵の”天守物語”がお目当てだったが、ほかの二つも、面白く、楽しい一夜を過ごさせてもらった。

はじめに、”悪太郎”。長唄の舞踊で、大酒飲みで人に迷惑をかけてばかりの悪太郎が主人公。右近が演じる。先月の鎌倉公演のときは、体調不良で出演できなかったが、この日は元気いっぱい、酔っ払いの姿をみせてもらった。まじめな修行者の智蓮坊(猿也)とのやりとりがおかしくて、つい、くすくす。でも、後半は叔父さん(亀鶴)に懲らしめられる。泥酔中に丸坊主にされ、着替え用に黒衣が置かれる。目を醒ますと、叔父から説教され、名も”南無阿弥陀仏”と改めさせられる。改心し、再びやってきた智蓮坊らと、楽しげに踊りながら舞台を去っていくのであった。

つづいて、岡本綺堂原作の”修善寺物語”。鎌倉公演で駒形茂兵衛を演じた中車が、ここでは面造師の夜叉王を演じる。二人の娘がいる。修善寺に”幽閉”されている源頼家の側女となり、不幸な最後をとげる桂(笑三郎)と、職人の嫁となった楓(春猿)。頼家(月之助)のお面の作成を依頼されているが、なかなか満足のいく面ができない夜叉王。それは、何度作っても、それには死相が現れてきてしまうから。でも、実は、それは、夜叉王の腕が冴えわたっているからこそのものだった。人の運命さえ予見する腕前だった。若い女の断末魔の面をつくる手本にしたいと、娘の死の直前でさえ、その顔を写生する夜叉王の鬼気迫る姿で幕が下りる。一図な職人気質がしんしんと伝わってくる中車の演技だった。

そして、綺堂の一年後に生まれ、同年に亡くなった泉鏡花の名作”天守物語”。本人も一番、気に入った戯曲だったが生前中に上演されることはなかった。鏡花好きの玉三郎にとっても、一番、気に入っている演目がこの”天守物語”。白鷺城の天守閣の最上階は、異界の人々が住んでいる。その頂点に立つのが、この世の者とは思えない(笑)、うつくしい富姫(玉三郎)。そこへやってきたのは、富姫を姉と慕う、猪苗代湖からやってきた亀姫。お土産は男の生首(爆)。道中で血で汚れた首を、舌長姥(門之助)が長いベロを出して洗う。こういった笑いの場を取り入れながら物語は進む。

後半にお待ちかね、海老蔵扮する美貌の若侍、姫川図書之助が登場。播磨守の、逃げた白鷹を探しに、誰も近づかない天守に一人でやってきて、富姫と出会う。”ここは人間の来るところではない”と追い返すものも、富姫の心は揺れる。一旦、帰り始めたが、途中で雪洞の灯りが消え、引き返してくる。自ら灯をつけてやりながら、帰したくないと、恋心を打ち明ける富姫。

最終盤、図書之助を追って、天守にやってきた中車や右近らの侍たち。玉三郎と海老蔵は大獅子の中に入り、激しく戦う。追手は劣勢だったが、獅子の眼を狙えと、中車が叫ぶ。それが功を奏して、獅子が倒れ、そこから目の見えなくなった二人が転がり出る。二人は求め合うが、もう、互いの姿がみえない。そこに突然現れたのが、この獅子頭を彫った老彫師の桃六(我當)。そして、獅子の眼に鑿を当てる。すると、突然、二人の目がみえるようになったのだった。互いに恥ずかしげに顔を見合わせる二人。(三回、アンコールで幕が開いた)

さすが、五度目の名コンビ。これで文句ある奴は表に出てこい!おたんこなす!(爆)と言いたいくらいな、いい芝居であった。

鏡花が、執筆中もおそばに置いていた、摩耶夫人像。歌舞伎座所蔵となり、二階に展示してある。

銀座でみたごろべえ。歌舞伎座の獅子にそっくりだった。

やっぱり、玉三郎!

昼の部も行きたい。もう幕見しかない。

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