気ままに

大船での気ままな生活日誌

建仁寺 海北友松の障壁画群

2013-07-23 12:14:28 | Weblog
昨日は横浜美術館でゆっくりした。二度目のプーシキン美術館展をみて、さらにコレクション展を楽しんで、おわりに付設の図書館にまで入った。そのとき、ある美術書の中に、河合正朝氏解説の”友松と建仁寺”という項目をみつけた。先だって、祇園祭の際、建仁寺に寄って、海北友松の障壁画群をみて、驚いたばかりだから、これはラッキーと思って読んだ。

いきなり本筋から離れるが(汗)、建仁寺は京都五山の第二位か、第三位に列される中核的禅寺で、(ここからが面白い)相国寺の”梵歌づら”、東福寺の”伽藍づら”、大徳寺の”茶づら”、妙心寺の”算盤づら”と言われるに対し、建仁寺の”学問づら”と呼ばれ、学僧、詩僧を輩出したそうだ。

さて、建仁寺は天文21年(1552)に兵火で全山焼失にあった。その後、復旧がすすみ、海北友松(1533~1615)の障壁画群のある方丈は、慶長4年(1599)に再建された。すなわち、友松の作品群は、このときに制作されたもので、67歳頃の作ということだ。

この障壁画群は、友松の画家としての出発点から独自の画風経緯に至る様々な要素が含まれていて、友松研究上、きわめて重要な資料になるらしい。たとえば、”花鳥図”や”雲竜図”は、”琴棋書画図”や”竹林七賢図”よりは、さらに一歩進んだ、彼独自の装飾画風を完成しているとのこと。墨一色の奥に十分な色彩を感じさせるような、さらに言えば、これらの作品は(等伯の松林図屏風と並んで)、13世紀に中国から導入して以来の水墨画の和様化の完成とみていいのではないか、とのこと。

これほどに評価が高いとはつゆ知らず(汗)、でも、おおっ、すげえ、と感動して、観ていたことは事実。ほとんどが、重要文化財で、本物は京都国立博物館の委託されている。だから、ぼくらが観ることのできるのは、キャノン高精細複製品だ。でも、本物そっくりだし、それらが、元の部屋の襖に納まって、部屋付きのトータルで鑑賞できるのだから堪えられない。むしろ、美術館で本物を見るより感動は深いかもしれない。その上、写真がOKというのもうれしい。今、考えると、全作品を撮ってくれば良かったナと思う。次回は全部、撮るゾー。秋には行く!

建仁寺本坊大方丈障壁画の内訳は、依鉢の間「琴棋書画図」10面、檀那の間「山水図」8面、室中「竹林七賢図」16面、書院の間「花鳥図」10面(内2面消失)、礼の間「雲龍図」8面です。そのいくつかを撮ってきましたので、お裾分けしますネ。

雲龍図




竹林七賢図


琴棋書画図


そして、方丈の入口には、宗達の国宝”風神雷神図屏風”が。


さらに、鎌倉にお住まいだった小泉淳作画伯作の、法堂の天井画。双龍図にもびっくり。これは本物。


驚かされるばかりの建仁寺でした。お庭も境内も良かったですが、別の機会に紹介します。
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