まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

笑顔はどこから?

2010年04月21日 | う゛う゛ー
 すっかり老眼が酷くなり、メガネなしでは電車の中で本を読むことが出来なくなりました メガネのフレームに凝っている私 その日の装い、TPO、洋服の色合いや気分に合わせて、とっかえひっかえ老眼鏡を持ち歩いていると、老眼鏡は常にバッグの中。
 お買い物中、値札の数字がはっきりと見えず、¥1,000-なのか¥10,000-なのか、間違いそうになるということは数知れず そろそろ遠近両用メガネを常にかける・・・という生活にするほうが、物理的に考えれば、ずっとずっと便利なのでしょう。
 でも、今、手元にある中近両用メガネ(手元とパソコンの画面の距離、両方共に焦点が合うようになったレンズ)を、すべて遠近両用のレンズに入れ替える???ひゃ~~~、それは無理というものです
 結局、電車に乗ると、景色を眺めたり、元々好きだった「人間観察」をしたり・・・それはそれで、とても楽しいです。日頃見慣れた景色でも、季節の移ろいによって発見もありますし、建設中のマンションが建っていったり、天気によって町の色合いが違ったり・・・何でも、意味合いを持って「見て」いると、「ただもの」ではなくなるものですよ
 とは言え、地下鉄では景色が見えない。人間観察をしようにも、空いた電車の中・・・けだるい昼下がりの時間、車両のほぼ全員が居眠りをしている時は、本当につまらない
 つい先日、ちょうどそんな状況で所在なげに地下鉄銀座線に乗っている時、ふと前の窓に映った自分の顔を見て、驚きました!
 「なんて怖い顔をしているんだろう・・・」

 私は、自分で言うのもおこがましいのですが、子どもの頃から「あなたの笑顔がよい、あなたは笑顔が似合う」と言われてきました。52年間の人生を振り返ってみると、確かに、しかめっ面をしている時よりも、ずっと笑顔の時間のほうが長いだろうな・・・そう思います
 この笑顔は・・・私の生来の人柄であり、同時に、幼い頃に培われた処世術でもありました。
 幼い頃の私は、祖母や叔父、叔母達と一緒に暮らす大家族の生活。渡る世間は鬼ばかり、の劇中のえなりがずきのように、子どもの頃から「人の表と裏」を目の当たりにしていると、自然と「平和に暮らす術」は培われていくものです
 まわりの大人のもめごと、ぎくしゃく感に感づいても、決して「子どもらしい気楽さ、屈託のなさ」で思ったことを口にしてしまうと大やけどをしてしまいます。(それを学習していながらも、何とか母の味方になってやりたいとの一心から発言してしまい・・・私は何度も癇癪持ちの父親のバシーンの一発を食らったものです
 少し長じてからは、一人っ子の私の逃げ道は「鏡の中の私とお話しをする」ことでした。家族の悪口、罵詈雑言を鏡の私に吐いても、誰をも傷つけませんからねえ。ふわ~、こんなふうに文字にしてしまうと、えらーく暗い子ども時代のようですが・・・そんなこともありつつ、大家族だったからこその楽しさも、もちろんたくさん経験していましたよ

 そんな私が結婚して親元を遠く離れて気楽な生活を送るようになり、そして母になり・・・私の娘は、核家族の中で育ちました。
 突然、夜中に帰宅した父親が上機嫌で社員を連れて帰ってくることもなく、父親のワンマン振りに怯えることもない穏やかな生活・・・娘は、学校の中の人間関係で悩むことはあっても、家族の中で人の顔色を見て暮らす必要はありませんでした。(もちろん、そういうことを辛いと感じていた私が母親になったのですから、娘には、至極気楽な、平安な家族生活を送らせてやりたい!と切に願っていたのです

 でも、娘が高校1年生の頃だったでしょうか。
多感な時期の真っ只中にいた娘と私は、何となくぎくしゃくする母子関係にあり、その頃の私はよく娘に「あなたは愛想が悪い!ニコリとしない子ねえ・・・」と注意をしたものです
 私の言う愛想とは、表情としての「笑顔」だけではなく、会話中の言葉、表現力、すべてに関係する「人を和ませるような愛らしさ」とでも言うものでしょうか、そういう意味での「愛想」が娘には欠けている、と思っていたのです。
 また、頻繁に「あなたは言葉が足りないわよ。言葉足らずは、心足らずよ」と、娘を諭したのもこの時期だったでしょう。
 
 そんなある日のこと。いつものように、無愛想(だと私が感じた)な娘に注意をしたところ・・・娘は、もう我慢できない、という思いを発散させながら、涙を流して私に訴えました
 「ママ、私はママのようには笑えないの!一生懸命に人に微笑もうと思う!ここで笑顔を作れば、どんなに相手が和むことだろうって・・・でも、そう思えば思うほど、顔はこわばり、笑顔にならない・・・優しい言葉で話そうともしているのよ。でも、どんなにそう思っても、自分の気持ちとは裏腹にうまくいかない!私は、ママのように自然には笑えない・・・笑顔になれないの
 ショックでした・・・ ひたすら、ショックでした・・・私は、娘の真剣な訴え、ぽろぽろと流れる涙に、ただただ驚き、かける言葉が見つかりませんでした。
 
 何て可哀想なことをしてしまったのだろう・・・確かに、娘が豊かで、誰からも愛される美しい心を持った女性になるために、との思いから、教えるべきことは教え、母親としてのアドバイスを欠かしてはいけません
 でも・・・
そうだったのですねえ。世の中には、自然に微笑んでしまえる人と、なかなか思うように笑顔になれない人がいる・・・私はその時、初めて、そのことを実感した気がしました。
 「私は自然には笑えない!」そう必死に訴え、嗚咽する娘を眺めながら、私は娘が不憫でたまらなくなりました
 そして同時に、「嫁、姑、小姑」等、ドロドロとした複雑な人間関係の中で、幼いながらも常に人の顔色をうかがうように暮らさなければならなかった窮屈な環境にも感謝しました。思えば、ああいう大家族の生活は、人間関係の「修行の場」でもあったのでしょう。

 さて、その我が娘
無愛想だと再三私に注意されていた娘は、すっかり大人になり、今では「Mちゃんはいつも笑顔・・・本当に愛想の良いお嬢さんねえ・・・」と言っていただける娘になっています。いったい娘に何が起こったのか???

 中学、高校の多感な時期、彼女は女子校の生活の中で人間関係で悩み、もまれ、多くを感じ・・・「人とは?人間関係とか?自分とは?自分の表現方法とは?」というような多くのことを学習したでしょう
 そして14年間のカトリック校生活を終え、大学に入ってからは、今までとは180度違う価値観のバンカラな環境の中で、面食らうこと、戸惑うこと、変身を求められることも多かったはず
 3年間のコーヒーショップチェーンでのアルバイトでも、常に「人と接する事」「サービスをする側の人間としての心遣い」等、お客様に満足をしていただけるよう、神経を使っていた、と言います。
 きっとこの数年間で、娘は家庭の中ではなく、彼女の生きる社会の中で「修行」を積んできたのでしょうね。そして、その修行が実を結び、ほぼどんな時でも、パッと笑顔になれる人間性が備わったのだ・・・親バカではありますが、そう思っています

 でもね、母親として・・・最近になって、やっぱり思うことがあります。
確かに、DNAに由来する人懐っこい人間性が、自然な笑顔の源になり・・・生活環境の中で培われる処世術としての笑顔もあり・・・けれど、それでもなお、笑顔とは「心がそのままで反映されるもの、心に由来するもの」ではないだろうか・・・と。
 最近、娘はよくリビングに来て、私を相手に話し込んでいくことがあります。アルバイト先での出来事、自分が感じたこと、誰かが言っていたこと・・・そんなことを、楽しそうに、けれどとても一生懸命に話しています。そんな娘と接していると、痛いほど伝わってくるのです。
 それは・・・彼女が昔、世の中でたった一人の母親から、それも「笑顔が良い」と評判の母親から、「あなたには愛想がない あなたは笑わない」と真剣な顔で注意を受けていた頃・・・彼女はどんな気持ちだっただろうか? たとえそれがとても大切な忠告だったとしても、「なるほど・・・」などと、真摯な気持ちで受け止められただろうか?

 あの頃・・・娘は、安らげるはずの自分の唯一の家庭で、不幸せな気分で暮らしていたのかもしれません 少なくとも、すこぶるハッピーだった、とは言えない・・・
 学校でも人間関係で悩み、何となく気分優れず、家庭でも母親から「あなたには愛想がない」と、ある意味、女性としては致命的に思えるようなマイナスを指摘され 娘は持っていき場のない情けなさを抱えていたに違いない・・・
 今、娘が笑顔で表情豊かに話す様子を見ていて、私はやっとあれから5年以上も経って、「あの頃の娘は、笑顔になれるほど、幸せな気持ちにはなれなかっただろうな・・・」と気付きました。
 今の娘は、多くの人から「あなたの明るさ、いいですねえ!あなたの笑顔は素敵です」と言われ、彼女自身が「幸せな気持ち」で安心して暮らしていること・・・
 母親から、「あなたは愛想が悪い」と指摘されることもなく、平安な心で母親との関係を保てるようになったこと・・・
 このことが家族の一員としての娘を「幸せ」にしたのだと思えてなりません
 言い換えれば、娘は今、母親に「愛されている」実感、母親に「私の娘は素敵だ」と思ってもらっている実感があるでしょう。その大きな安心感が、今の娘の笑顔の源のひとつになっている・・・違うでしょうか。

 地下鉄の窓に映った私の怖い顔・・・やっぱり、それは気にかかることや、心配事が多い時の顔です (超氷河期の中での就職活動・・・やっぱり口に出して聞いたり、話したりできないぶん、とても心配で、不安でなりません。はやく決まればいいなあ・・・)

 人は誰だって、気持ちが満ち足りている時には、自然に笑顔になるものですものね
 我が子が笑わない時・・・我が子の生活から笑顔が消えている時・・・それは、お父さんやお母さんも笑っていないとき、かもしれませんよ

コメント
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