まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

装いって大切

2006年12月19日 | にこにこ
 先日、私が教室に行く時間を気にしながら、まるでビデオの早回しのように支度をしていると、主人が洗面所にやってきて私に尋ねました
 「ねえ、今日はこの格好でいいかなあ?
顔を洗おうと、洗顔フォームを手にとって、まさに洗面台に屈んだ時の主人の声。ふっと顔を上げ、鏡に映った主人の姿を見ると・・・う゛―、お世辞にもオシャレな装いとは言えません

 「あれれ?昨夜に選んだもの、どうして着るのやめたの?」
 「むー、あれ、ちょっと寒いんじゃないかって気がするんだよねえ・・・」

 日頃は服装にあまり頓着しない主人が、どうしてその日に限って、着るものを気にしていたかと言うと・・・じつは、その日は久しぶりの高校の同窓会だったのです

 主人は、昭和29年生まれ。彼が高校時代を過ごした昭和40年から50年は、学生運動が日本中を吹き荒れた時代です 彼が通った大阪の住吉高校は、そんな時代の中で、かなり学生運動に燃えていた学校で、未だに「ボクらは住高だけで天王寺までデモをしたんやぞ 高校生でそこまでした学校は、住吉だけや」と胸を反らして話してくれます。そして、今でも「体制に批判・・・」とか「国家権力の横暴・・・」という類の言葉には敏感に反応します
 どうもそれは、私が「ユーミンの卒業写真やコバルトアワー」などと聞いて、胸をキュンとさせる・・・のと同じ感覚、青春の切ないほど懐かしい思い出のようです

 ということで・・・そういう時代の中で、まさに体制を批判していた主人にとっては、「自分の服装にかまう」「装いにこだわる」などと言うことは、意識の低い、おバカなチャラチャラしたノンポリ野郎のすること、という図式が出来上がっているようで・・・ついこの間までは、「まあ、こんなもんでエエやろう、誰も見てないって!主義」だったわけです

 しかし、最近では、遅ればせながらオシャレを学習中 
人間50歳の声を聞くころになれば、男女を問わず、人間的には齢を重ね、円熟味を増しては来るものの、肉体的にはあきらかにオッチャン、オバチャンになって、きたなく、醜くはなっていくものです
 そういう事実を一生懸命に私が力説した結果、最近ではやっと、鏡を見て、一応は自分の姿をチェックするところまでには成長?!してくれました

 さて、その「装い」です。
私は、ソウルでは町の中心部にある明洞(ミョンドン)にあるロッテホテルに滞在しました。そうです、あのロッテ、です。
 ロッテホテルは、高級デパートである「ロッテデパート」に隣接していて、非常に便利なところにありますが、とっても興味深かったのは、デパートの買い物客が「かなりオシャレをして」「気合いを入れた服装で」買い物に来ていることでした
 そうですねえ、日本でも、昭和40年代後半までは、都心のデパートの買い物客は、きちんとお出かけ用のお洋服を着て、パンプスにバッグ、という装いでデパートに来ていたものでした

 いつかブログに書いたことがあったかもしれませんが、私が子供の頃には「よそいきのお洋服」というものがあり、明らかに「普段着」とは区別をして着ていたものでした。
 しかし、いつしか日本では、ジーンズは仕事着から普段着になり、時にはオシャレ着になるようになりました
 お母さんの定番はスカートだった時代は過去のものとなり、社会で活躍する女性達はパンツと呼ばれるようになった「ズボン、スラックス」をはくようになり、それは男勝りの恥ずかしい姿ではなくなっています
 確かに、装いは、時代と共に変化して当然でしょうね。着物から洋装に変わっていったように・・・

 しかし。やはり、少しだけ、考えてみませんか?
いつもパンツスタイルの女性も、着物を着た時には、歩き方、笑い方、立ち居振る舞いは少しは違うものです そう、違って振る舞おう、とするものですね。それは、その装いの機能性に起因しますが、やっぱりそれだけではないはず・・・
 そしてまた、その人がどんな装いをしているか?によって、かなり人の目からは違っても見えるものです。
 
 たとえば・・・我が子に、ちょっとかしこまって、清楚なワンピースや、小さなお襟のブラウスに、刺繍入りのスカートなどをはかせてみたとしましょう どうでしょうか?やはり人の目からは、チャーミングなレディーに見えるでしょうね
 これは男の子にも言えることです。首周りが伸びてしまったようなTシャツに、ウエストがゴムのイージーパンツ、ではなく、白のポロシャツに、チェックのズボンなどをはかせれば・・・小さなジェントルマンに早変わり

 装い・・・これは、やはり決して「何でも良い」というものではないはずです。そこから、その人の、その家庭の雰囲気まで読み取れてもしまいますし、時には生活のレベルまでも想像出来てしまうものです。
 もちろん、いつもいつも昔で言う「よそいき」の格好をする必要などありませんが、けれど、どこに行くのも同じ格好・・・というのでは、子供の社会性も育ちません。機能性ばかりを重視するのではなく、むしろTPOを考えて、変化する装いも大切だと思えてなりません
 なぜなら、子供は「その時」の装いによって、自分の置かれてる立場や状況、というものを多少なりとも肌で感じ、幼いながらも、やはりその装いに見合うべき立ち居振る舞いをしようとするものです(出来るようになるべき、と私は考えています)。

 その日に着た洋服によって、「今日はガンガンと遊んでもいい日だな、どんなに泥んこになっても叱られないな」と思ったり「う゛ー、今日はちょっとお行儀よくしてないとまずいんだな」と思ったり、そのくらいの想像は出来るはず、ですよね
 もちろん、お母さんの装いだって同じです 心ある常識人のお母さんであれば、子供の大切な学校の保護者会に、ジーンズをはいていくような愚行はありませんよね

コメント
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