まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

季節を感じる

2006年09月10日 | にこにこ
 昼間の蝉の声。強い陽射し 
9月も10日を過ぎようというのに、日中の気温は何ら8月中と変わることはありませんね。私のような汗っかきは、やはり駅から自宅への坂道を登ってくると、未だに顔から汗がポタポタと流れています
 ベランダから見える桜の木にも、何も真夏からの変化はなく、ぎらぎらと照りつける太陽に照らされ、青々と葉を茂らせています

 けれど・・・日が落ちる頃になると、急に様子が一変することに、みなさんは気づいていらっしゃるでしょうか?
 何よりも、日没の時間が、どんどんと早くなってきています ついこの間までは、7時をとっくに過ぎてもあたりは明るく、マンションの中庭ではキャッキャと遊ぶ子供達の声が聞こえていました
 けれど、ここ数日、その時間にはすっかり陽は落ちていますね 
昔から、秋の日はつるべ落とし、と言われる所以です。あれ?もうこんなに暗くなっている・・・
 また、9月に入ってからは、日が暮れると、虫の大合唱が始まります ご存知の通り、我が家のリビングの前には桜の大木。その向こうは灌木が茂っています。耳をすますと、聞き慣れたスズムシ、コオロギの声に交じって、マツムシ、クツワムシの声まで聞こえていますよ・・・まるで童謡の歌詞のようです

 毎年、この時期は「夏と秋が共存する」時期。
店先には、いよいよ秋の味覚が並び始めます つい最近まで、果物売り場で幅をきかせていたスイカに替わって、梨やブドウが並び始めました 入り口に近い果物売り場の主役が替わるだけで、急にスーパーの中が「秋色」に見えてきます。
 今では、年中コンスタントに供給されるキノコも、すっかり「主役」の顔をして、鎮座しています。そのうちに、柿、栗、松茸・・・と登場してくるのでしょう

 陽が高いうちは、まだまだエアコンのお世話になっている今年の暑さですが、朝夕は窓を開け放つと、すっかり涼しい風が家の中を通り抜けます
 空は急に澄み、主役はぎらぎらの太陽から、凛と冴えたお月様へとバトンタッチ・・・

 四季のある日本。季節の移り変わりは、とってもドラマチックです 中でも、「動」の夏から、「静」の秋への変化は、急かされるように移っていきます

 こんな素敵な変化に全く気づかず、夏の疲れを引きずったままで、子供との時間を過ごしていませんか?幼稚園や小学校でも、この時期は運動会の練習に明け暮れることも多いようです

 せっかくの美しい変化の時期。どうぞ聴覚、嗅覚、視覚・・・すべての感覚をもって、季節の変化を楽しみ、行く夏を惜しみ、来る秋を喜び迎える「潤いのあるゆとりの時間」を過ごしてくださいね
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思いが伝わらない・・・

2006年09月06日 | う゛う゛ー
 自分の思いが相手に伝わらない・・・
こういう時は、もどかしいですね、本当に。大人の私達でも、大切に思っている相手が、自分の気持ちや思いを理解してくれないと、とても悲しく感じます ましてや、これが幼い子供であればどうでしょう?

 キレる子供達。
どうしてキレるのでしょうか?衝動的にキレる、ということは、まずないそうです。よほど病的な原因がない限り、人は「理由があってイライラ」したり「理由があって腹を立てる」ものなのだそうです
 そして、キレる場合、その理由というのが、多くの場合、自分と意見が違う、とか、反発をされた、という理由ではなく、「自分の思いや気持ちを、是非伝えたいと思った相手に理解してもらえない」という時、なのだそうです
 
 しかし、よく考えてみてください
果たしてこんな場合、「思いを理解してくれない相手」が悪いのでしょうか?
「理解してくれない人」という表現を使うと、あたかもその相手が、頭が固く、寛容でない人、人の思いを聞き入れない人、というふうに思いがちですが、実際には「伝える側」にも問題があるのではないか?、と考えるほうが妥当でしょう

 つまり、上手に自分の思い、気持ち、考え等を、相手に伝えた時、その相手が「なるほど、そうなんだね、君はそのように思っているんだね。」というふうに、きちんと理解し、受け止めてくれるように話せれば、そのことについて、お互いに話す糸口は見つかり、少なくとも、「伝わらないものかしさ」というものは生まれません
 そこに「賛同、同意」というものが生まれなくとも、相手に自分の気持ちを伝えられたことは実感できるでしょう

 さあ、もうわかっていただけましたね
キレる子供・・・彼らには、話す相手に自分の意志や心を伝えるだけの能力が備わっていない、話す技術がない、話術が稚拙である、と言うことなんですね
 豊かな表現力、適切で緻密な語彙、それらがあれば、自分の思いは、相手には伝わるものなのです。そこに共感が生まれるか否かは、これは先の問題です
 
 子供は、もちろん個人差はありますが、普通の家庭生活をしていれば、たいていの場合は、2歳弱から、十分に相手に自分の意志を伝えられるだけの話術を、暮らしの中で自然に身につけてきます
 しかし、先ほど書いた「個人差」は、生まれ持った能力の差もないとは言えませんが、もっともっと大きく影響するのは、家庭環境なのですね

 『子供が幼い頃から、しっかりと自分の気持ちを伝えさせる習慣をつけているか?』
 『たとえ我が子は幼くとも、きちんち話させ、決して子供の言葉を奪うことなく、最後まで話しや説明を全うさせているか?』

 私は、機会あるごとに、「日本語を大切にしよう」とか「きちんと言葉を話させよう」ということを伝えていますが、それは甘美なナショナリズムに酔って言っているわけではなく、心身ともに健全な子供を育てるためには、「言葉」という伝達手段が、衣食住と同レベルで大切だから、なのです

 「しっかりと話す」ことにより、相手に自分の意志を伝えられれば、そこで初めて「理解される」という、他との関わりが生まれます。
 自分以外の人間に、自分が理解された、と感じられることは、大きな安心感であり、喜びになるのですね

 言葉は手段です。
人を理解するための手段。人に自分を理解してもらうための手段。
 もちろん、共感する時ばかりではなく、時には反発しあうこともあるでしょう しかし、反発から新たな学習も生まれ、学習からさらなる思考の発展も生まれます

 どんなに小さなことでも、点がつながり線となっていくものです。
「話すこと、伝えること」の重要性を、親こそが理解し、「根気よく言葉の学習を積む」ことの意味を十分に理解してもらいたい そのためには、日頃の家庭生活の中で、自然にその学習が出来るよう、親も言葉を大切にし、子供相手でもしっかりと伝え、また同時に、子供の言葉もしっかりと聞き、理解に努めなくてはならない、私はそう考えています
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その場に相応しい良識を!

2006年09月01日 | プンプン
 「ママー、もう出たい・・・出るよ
そう言って、さっさとお風呂から飛び出していった二人 幼稚園の年長さんと、年少さんくらいに見える兄弟は、身体を拭きもせずに、出て行ってしまいました
 きっとお母さんは「待ちなさい」と追いかけるのかと思いきや・・・  「ママだってゆっくりお風呂に入りたいんだから」とぷっとふくれて叫んだかと思うと、お母様はザブーンと湯船に。まわりにおられた年配の方々も、呆気にとられているようでした

 ちょうど浴室から出るところだった私が脱衣室に出てみると、兄弟二人は、床をしずくでぼとぼとにしながら、あっちこっちに立っては、そこらじゅうの脱衣カゴをくちゃくちゃと探しています。
 そう言えば、お風呂に入ってきた時も、お母さんは二人の息子達に「かかり湯」もさせず、どぼんと浴槽に入る子供達を咎めることもありませんでした・・・
 何だかんだ言いつつも、やっぱり子供好きの私ですが、さすがにこの子供達の様子には閉口し、兄弟に向かって言いました
 「ほらほら、あなた達、見てご覧なさい!きちんとママに拭いてもらってから上がっていらっしゃい あなた達の身体が濡れたままだから、こんなに床が濡れてしまったでしょう?こんなふうになると、みんあ滑って危ないのよ もう一度、ママのいるお風呂に入っていらっしゃい!それに、そのままだと風邪を引いてしまうかもしれないしね
 案の定、子供達は返事もしません 私のほうに顔を向けることもなく、プイと横を向いたまま・・・
 でも、明らかに、上の子の顔には狼狽があります 知らないオバサンに声をかけられ、どうも叱られようだ、ということに対する羞恥と驚き・・・けれど、素直に謝ったり、「うん!じゃあ、ママのところに行って、拭いてもらってくる」と素直に言えるだけの大らかさもない・・・
 典型的な内弁慶タイプ。とてもお利口そうに見える子供達ですから、きっとおうちでは、誉められて育ってきたのでしょう

 その子供達は、その山小屋の中でも、ずっとうるさくしていました
その宿へは、上高地から徒歩で約2時間強。今では「氷壁の宿」として、一般の観光客の方にも人気のある宿となり、山小屋と呼ぶにはお気の毒なほど、洗練された場所になっています
 宿のご主人も、そういう方向転換的な意図もあり、敢えて一般客にも満足してもらえるような設備を整えて、さまざまなお客様を歓迎なさっていますが、やはりそれでもそこは上高地から徒歩でしか行けない山の中の宿であり、家族旅行のメッカである伊豆や箱根のファミリー仕様の観光旅館ではありません 実際には、利用客のほとんどが登山もしくはしっかりハイキングを目的としたお客様なのです。
 そういう状況を思えば、少なくともその場所で、子供がキーキーキャーキャーと騒ぎ、旅行気分に浮かれることは大いに場違いであることは避けられません

 もちろん、下田や伊東の旅館やホテルでも、子供が騒ぐことが歓迎されるわけではありませんし、それが正しく許されることでもありません しかし、やっぱり子供は、旅行に来たハッピーな気分で、ウキウキキャッホーですから、他のお客様のご迷惑になったり、不快な思いをさせたりしない程度であれば、大目に見られて良い部分もあるかもしれません

 それにしても・・・その子供達のご両親は、やっぱり、「親としてのわきまえ」を持つべきではなかったか?と思えてなりません。
「10歳以下の子供の宿泊はお断り」などという規制がその宿になかったとしても、社会人として、親として、そこではどのように振る舞うべきか?子供達に、どのようなことを注意し、どのようなことを禁止するか?しっかりと考え、教えるべきだったでしょう

 帰りの上高地では、こんなこともありました
環境保護のため、現在は、自家用車では入っていくことは出来ない上高地。当然、バスターミナルはいつも人でごった返しています 
 大きなザックを背負った登山客もいれば、パンプスを履いた観光客もいます。みんな、それぞれの思いを持って、その美しい景色と空気を楽しんでいるようです

 そんな中、真っ黒に日焼けしたタンクトップ姿のパパと、ショートパンツ姿のママ、おじいちゃん、おばあちゃんの家族連れがいました。上の男の子は4,5歳。下の女の子は2歳くらいでしょうか。
 
 「パパ、おしっこしたい!」
 「ええー?なんでやねん。ご飯食べた時に、行っとけ言うたのに、おまえが行けへんかったからや!パパは一緒に行ってやれへんでー!おまえが一人で行ってこい!」
 「なあ、ママ、おしっこ!」
 「ママも行ったれへん!一人で行っといで!・・・ほら、あそこがトイレやんか。行っておいで!」

 すると、おしっこ君は渋々、一人でお手洗いのほうに走って行きました 4,5分過ぎた頃でしょうか。おしっこ君、家族の待つところまで戻ってきました。でも、少し様子が変です

 「パパ、おしっこ、あそこではでけへんかった!あんな、机みたいなところに、小さい箱があって、100円入れてって書いてあんねん!ぼく、お金持ってへんから、おしっこ、でけへんやんか!」
 「ウソ言うな、おまえは!ウソつきやなあ!なんでお金がいんねん!」
 「やあ、あんた、もうおしっこ、ちびってしもてるやん!スボン、濡れてるやんかあ!おしっこしてしもたから、そんなウソ言うてんやろ!悪い子やなあ!」
 「おまえ、ちゃんとゴメンナサイって謝らんか!ウソつきは泥棒の始まりやって、いつもパパが言うてるやろ!」
 「ウソ言うてへん!ほんまや!100円、いるねんで、あそこのトイレは・・・」

 彼らの会話が、関西弁だったので、妙にほのぼのと、ハッピーなものに聞こえましたが・・・
 でもね、実際に、上高地の公衆トイレは、すべてが有料トイレなのです あの高地で、屎尿処理をするためには、とても高い技術と費用を必要とします。
 私が子供の頃の上高地などは、当然、ポットン便所で、子供の小指ほどの大きさがあろうかと言うほどの大きなハエが飛んでいたものです それに比べて、今はアルプスの中のどのトイレも、飛躍的に衛生的で、きれいになり、トイレットペーパーまで、備え付けは当たり前のようです

 しかし、そのようにするためには、莫大な費用がかかっているのです
そこで、長野県や松本市、上高地の観光施設では、利用者に理解を求め、ほんの申し訳程度ではあっても、その費用の一部負担を呼びかけているのです。
 このことは、いろいろなガイドブックにも記載され、現地でも多くのところに書かれています

 現在は、ほとんどの場所は当然のごとく、子供連れ、家族連れにも門戸が開かれる時代です
 一時代昔は、子供連れでは敷居が高く、なかなかいけなかった場所も、暗黙の了解のうちに、子供同伴は御法度、というようなところも、今では堂々と家族で訪れたり、利用できるようになっています
 確かに、それはとっても素敵なこと、ですね

 しかし、それでもなお、親は「社会人」として、子供を同伴、同行させるだけの知識や意識、良識を持つべきだと思います
 どこでも、「行きたいから行く」「何の規則も規制もないのだから、誰に咎められることがあろうか?」というのでは、あまりにも動物的です。

 その場に行くために相応しいものは何か?と考えた時、それは「服装や持ち物」だけではなく、「良識」というものも必要である、ということを、是非、大人である親は、知っていて欲しい・・・私はそう思いました
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