洗濯をして、たたみ終わったタオルを片づけようと洗面所に行くと、お風呂のドアを開けたままで、大きな息子が、体を折りたたむようにしてバスタブを洗っていました 数日前、私が教えた通りのやり方で、真面目に洗っているのです。
「あらまあ、ご苦労様 真面目にやってるじゃなーい。ありがとう」と声をかけたら、「いやいや、言われたら、いくらでもするよ。今まで、何も言われなかったからね」そう言って、あとは鼻歌混じりで流していました。思いのほか、何だか楽しそうにやっていた息子を見て、ふっと心が和みました
私は、我が子が小さい頃は、教育的見地からたくさんのバラエティーに富んだお手伝いをさせました。当時は、子供達も私の思惑通りに、その行為に興味を示したり、たずねてきたりして、「お手伝いの成果」はバッチリだな、などと私はご満悦でしたねえ・・・
でも、今思えば、私が彼らに対してしてもらったお手伝いは、あくまで、「教育的行為」であり、「家族の一員としての役割、責任分担」という要素は、意識の中では薄かったかもしれません
私の母はワーキングマザーでした。
朝は5時に起き、お洗濯をして、私のお弁当を作り、掃除をし、朝食の支度をして、そして7時半には父と一緒に出勤する・・・そういう生活でした
付属の高校にいた私は大学受験の必要なく、高校生になっても「家族の中では一番ひま」でしたので、高1からは、私が家族3人の夕食を一手に引き受けることにしました
「食」に強い興味を持っていた私にとって、お買い物を始め、キッチンに立つことは決して苦痛ではなく、むしろ願ってもない楽しいことでした。そういう意味では、ほとんどお手伝いをしている、家族の手助けをしている、という意識はありませんでしたねえ。ひたすら、楽しいことでしたから・・・
しかし、母としては、そういう私をとても不憫に思っていたようです ですから、掃除や洗濯などは、いっさい、私は手伝ったことなく、いつも母は「これはお母さんの仕事やさきにねえ・・・」と話していました・・・
そんな家庭環境で育った私は、やっぱり家事は「母である私の仕事」という意識が強く、自分の仕事が忙しくなればなるほど、家事の助っ人として子供達を使うのはイヤだな、と強く感じていました だから、我が家の子供達は、中高生になってからは、ほとんど何もしていません。
一方、主人は、とてもよく主人の実家の手伝いをしていたようです。当然、そういう主人ですから、家事のお手伝い一つ子供達にさせない私を、「大変な甘やかし状態」だと感じていたようでしたし、非難もされました
息子のお風呂そうじ。
それは、つい4日前、私が実家の引っ越しの段取りで帰省する折、私が彼の分担として決めたことです。私の頭の中では、あくまで私の留守中の分担であって、すでに私が帰ってくれば、その約束はなくなった?ように思っていたのでした。
ところが、彼は真面目に洗いながら、鼻歌を歌い・・・妙にほのぼのとした空気が漂っていました
私はその様子を見ながら、「私は間違っていたかもしれないなあ・・・」そうしみじみと感じました。
家事を手伝うこと・・・それは、確かに「手助け」としての行為ですが、同時に自分が家族の一員であることを再認識することでもあります。その行為のたびに「家族の役に立ってるぞ!」というような満足感や充実感が特別になくても、やはり「家族生活」をどこかで意識する行為でもあるでしょう
何だか、もっともっと早くに、このことを頭ではなく、五感で気づいていたならば、きっと私は、もっともっと子供達にいろんな手伝いをさせただろうな・・・そんな気がしています
「あらまあ、ご苦労様 真面目にやってるじゃなーい。ありがとう」と声をかけたら、「いやいや、言われたら、いくらでもするよ。今まで、何も言われなかったからね」そう言って、あとは鼻歌混じりで流していました。思いのほか、何だか楽しそうにやっていた息子を見て、ふっと心が和みました
私は、我が子が小さい頃は、教育的見地からたくさんのバラエティーに富んだお手伝いをさせました。当時は、子供達も私の思惑通りに、その行為に興味を示したり、たずねてきたりして、「お手伝いの成果」はバッチリだな、などと私はご満悦でしたねえ・・・
でも、今思えば、私が彼らに対してしてもらったお手伝いは、あくまで、「教育的行為」であり、「家族の一員としての役割、責任分担」という要素は、意識の中では薄かったかもしれません
私の母はワーキングマザーでした。
朝は5時に起き、お洗濯をして、私のお弁当を作り、掃除をし、朝食の支度をして、そして7時半には父と一緒に出勤する・・・そういう生活でした
付属の高校にいた私は大学受験の必要なく、高校生になっても「家族の中では一番ひま」でしたので、高1からは、私が家族3人の夕食を一手に引き受けることにしました
「食」に強い興味を持っていた私にとって、お買い物を始め、キッチンに立つことは決して苦痛ではなく、むしろ願ってもない楽しいことでした。そういう意味では、ほとんどお手伝いをしている、家族の手助けをしている、という意識はありませんでしたねえ。ひたすら、楽しいことでしたから・・・
しかし、母としては、そういう私をとても不憫に思っていたようです ですから、掃除や洗濯などは、いっさい、私は手伝ったことなく、いつも母は「これはお母さんの仕事やさきにねえ・・・」と話していました・・・
そんな家庭環境で育った私は、やっぱり家事は「母である私の仕事」という意識が強く、自分の仕事が忙しくなればなるほど、家事の助っ人として子供達を使うのはイヤだな、と強く感じていました だから、我が家の子供達は、中高生になってからは、ほとんど何もしていません。
一方、主人は、とてもよく主人の実家の手伝いをしていたようです。当然、そういう主人ですから、家事のお手伝い一つ子供達にさせない私を、「大変な甘やかし状態」だと感じていたようでしたし、非難もされました
息子のお風呂そうじ。
それは、つい4日前、私が実家の引っ越しの段取りで帰省する折、私が彼の分担として決めたことです。私の頭の中では、あくまで私の留守中の分担であって、すでに私が帰ってくれば、その約束はなくなった?ように思っていたのでした。
ところが、彼は真面目に洗いながら、鼻歌を歌い・・・妙にほのぼのとした空気が漂っていました
私はその様子を見ながら、「私は間違っていたかもしれないなあ・・・」そうしみじみと感じました。
家事を手伝うこと・・・それは、確かに「手助け」としての行為ですが、同時に自分が家族の一員であることを再認識することでもあります。その行為のたびに「家族の役に立ってるぞ!」というような満足感や充実感が特別になくても、やはり「家族生活」をどこかで意識する行為でもあるでしょう
何だか、もっともっと早くに、このことを頭ではなく、五感で気づいていたならば、きっと私は、もっともっと子供達にいろんな手伝いをさせただろうな・・・そんな気がしています