「あのー、ここ、自転車が出入りするとこなんですけどー、ちょっと後ろとか前とかに、車、動かしてもらえますー」
道の脇に停車中の車の窓を、コンコンと叩いた自転車の女性は、そうぶっきらぼうに大声で話しました えっ?と思い、助手席に座っていた私は、運転席側の窓を開けました 化粧っけのないその女性は、また同じことを、もっと能面のような顔をして繰り返しました
私が友人の車の助手席に座り、彼女のお嬢さんと一緒に、運転手である友人が戻ってくるのを待っていた時のことです。
「すごーくコワイ顔・・・」小さな小さな声で、後部座席に座るお嬢さんもつぶやきました
そう言われれば、確かに、友人が車を停めた場所は、そのマンションの出入り口のところにあたり、車が自転車の出入りの邪魔をするかたちになっていました
私はすぐに車を飛び出し、詫びてから、運転席のほうに回って車を動かしました
「本当に申し訳ありませんでした車を動かした後、再度その自転車の女性に私は深々と頭をさげて、そう声をかけましたが、彼女はニコリともせず、何も応えることもなく、ギローリと車を睨みtsけ、幼児園児に見える後部の席に座っていた子供に「行くよ」と声をかけて去っていきました
確かに、そういう場所であるということを確認せず、たとえ短時間とはいえ、車を駐車させた私達が悪いのです
しかし、それでもやはり、私は何だか殺伐とした思いで、その自転車が去っていくのを眺め、そして思ったのでした
「大きなお世話だろうけど・・・あの後部席に座った女の子も、あんなふうなコワイ顔をした、大人の女性になるのかなあ・・・」
人には、生まれ持った性格があります
「人柄」という言葉で表現される、一人一人の言動、立ち居振る舞いから自然に醸し出される雰囲気は、なかなか後からコロッと変えることは出来ません とは言え、幸いなことに、人には学習能力があるのですね
自分の中に、さまざまなものに反応するセンサーがあれば、日々生活をしているうちに、自動的にビビビッと反応し、ショックを受けたり、恥ずかしい思いをしたり、にんまりと満足したり・・・
そういうセンサーの精度が高ければ高いほど、マイナスにもプラスにも敏感に振れる・・・そして、人と和して、楽しく有意義に暮らしていこうという心あるピュアな人は、ショックを受けたり、恥ずかしい思いをしたり、という自分にとって「マイナス」の反応を受けた時には、何とかそれを修正し、より「素敵な自分」を目指そう、とするものでしょう
まあ、時には、社会人としての経験を積まれた40代以上の男性で、ご自分の学歴や経歴に大きな自信のある方の中には、そういうセンサーを持っていない、もしくは、そんなセンサーなんて立派な自分には必要なし、と思っているような人もおられます
ただ、百歩譲り、男性の場合には、そういうセンサーがなくとも「自分の力、自分の能力」だけで生きていくことは可能でしょう。仕事というものは、もともと無機質なものであって、そこに気持ちだ、心だというようなものは介在しなくとも、業績、功績は残せるものですから
それに、家庭生活の中では、敏感なセンサーを持った妻が側にいることによって、夫のマイナスを補う、ということも出来るわけですし・・・
しかし、女性の場合は社会人として生きるとしても、たいていの場合は妻となり、母となります
そして、妻としてはどういう人柄であっても、案外問題なく過ごせますが(問題があったとしても、それが困ったこととして返っていく方向は自分であったり、夫であったり、あくまで「大人」に対して、ですから)けれど、母としては
子供は親の、特に子供が幼いうちは、母親を見て育ちます
母親の人柄は、子供に「似る」という以外にも、さまざまな面で子供に大きな影響を与えます
いつもにこやかで、笑顔のすてきなママのもとには、やっぱりよく笑う明るい子供が育ちます たとえ、ママのようにいつもニコニコはしていなくても(大人は、どんな気分であっても、意識してにこやかに振る舞うことができますが、子供はそれができません)、やっぱり心の中はママの笑顔によって常にあたたかく、ポカポカとした子供でしょう
一方、いつも不機嫌でぶつぶつ文句ばかり言い、あまり笑わず潤いのないママのもとには、当然、笑顔の明るい子供は育ちません 日頃、接する「人としてのサンプル」が、そういう人ではないのですからね・・・
じつは、自画自賛で恐縮ですが・・・ 幸いなことに、私はどちらかと言えば「笑顔タイプ」の人間です 18歳の私の娘は、私とはタイプは違い、とてもシャイで常に笑顔、という子ではありませんが、それでも、いつも「心の中は笑顔、ポカポカなのね」と最近は感じています
きっと、彼女はこれから大人になり、自分の気分をコントロールして、意識的に笑顔でいることのできる女性になることでしょう
私は、そういう娘を見ながら、あらためて、気苦労の多かった大家族の中での「私の母の日々の笑顔」に心から感謝をしています
それにしても・・・
あの自転車のママ おうちに鏡はないのでしょうか・・・
あの方もにっこり笑えば、もっともっと素敵な人に見えるでしょうし、きっともっともっと笑顔の似合う、ハッピー気分の毎日がやってくるでしょうに・・・
ひとみんさんがおっしゃっていること、その通りでしょうね 駐車した側は、ほんのちょっとのつもりでも、そのことで多大な迷惑になることもあるでしょうし、駐車する相手は変わっても、違法駐車をされる側は、ずっと迷惑をしている ご指摘、ありがとうございました。
きれいなお母さん 子供にとってはうれしいことです。
もちろん、お化粧が「きれいにする」の象徴ではありません。ただ、笑顔や美しく装うことは、一つの人の潤いとして、感じられることも多いと思います
注意された方はたぶん違法駐車に迷惑を被ったことがあるのではないでしょうか?
それを笑顔がない、能面とは。
数値で表すことが出来るような能力は、努力しだいで「後付け」できますが、生まれながらに持っている子供の人柄は、「天から授かったもの」ですよ そう思われませんか?
どんな人も、目先のことに目を奪われてしまうと、「本当に大事なこと」を些末なもの、として感じてしまったりするものです
カノキックさんの正しい目が、お嬢さんの笑顔を一層ステキなものに磨きをかけているのだと思います
以前、子供が夏期講習で3日間だけお世話になった幼児教室の先生が、最後に「お嬢様は笑顔は最高なのに・・・」と遠まわしにダメ出しをされたのをよく覚えてます。笑顔こそ財産とおっしゃるまどか先生にお世話になれて本当によかったです・・・。
「笑顔は千両」「女は愛嬌」「女の子は賢くなくてもいい 賢い人のお嫁さんにならないといけない」
以上、とんでもない名言?!集は、じつは私の母の口癖でした
きっと多くの女性達からお叱りを受けそうですが、私はこんな環境の中で育ちました そこまで極端ではなくても、やっぱり私も母同様、笑顔や愛嬌は財産だと思います
もちろん、男性にとっても、素敵な笑顔は偏差値以上に魅力的だと思えてならないのですが
いかがでしょう???
娘曰く、その子は「笑わないキャラが固定しちゃったからいまさら無理」と。
笑顔って、自然に生まれようが、作ろうがとても大切ですよね。・・・と普段顔がぷんぷんの私は思いました。{/fine_face/