まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

あきらめたママに、アッパレ!

2011年11月03日 | にこにこ
 少し前になりますが・・・
娘の学校当時のママ友と、行きつけのイタリアンにランチに行きました 娘達が幼稚園受験をしてから、今年で20年になります。ということは、その日、ランチをご一緒したママ友とのお付き合いも「20年」になる、ということです

 私は、中高大と一貫校で過ごし、10年間、ほとんど同じ顔ぶれの友人達と同じ学び舎で過ごしました ただ、残念ながら私は、結婚後は関東暮らしになったため、好むと好まざるとに関わらず、そこでプツリと同級生との縁が切れてしまいました
 当時、友人達はほぼみなあい前後して結婚をし、それぞれが子育てに一生懸命でしたので、なかなか簡単に会うということもなく、月日が流れました・・・

 かなり後になって知ったことですが
そのまま郷里の大阪で暮らしている友人達の多くは、我が子達を母校に通わせ、今度は「ママ友」としての新しいお付き合いを始めていました 「同級生+ママ友」という関係は、何と結束の固いことか
 私が久しぶりに同窓会に顔を出しても、頻繁に「ママ友」として顔を合わせている彼女達の前では、遠来の客として大事にしてもらっても、私はなかなか昔のように同じ話題で盛り上がる・・・ということは難しくなっていました

 と、前置きが長くなりましたが・・・
そんなこともあって、息子や娘の学校での「ママ友」は、私にとって、とてもとても大事なお友達です 同じ環境の中で共に子育てをし、喜びや悲しみを分かち合ってきた仲間であったり・・・中学受験を共に戦ってきた戦友?であったり・・・
 そして、すでに社会人となった我が子達 お互い、私達に残ったのは、曲がりなりにも子どもを育て上げた達成感と、気楽で気ままな「おばさん」の強烈な個性 こうなると、本当の意味で気の合うママ友は、何重にも重なった同じ価値観を持つ大事な存在です

 今、私立小学校や中学、高校に我が子を通わせ、ママ友と仲良くしながらも、ちょっとどこかで気の重いお付き合いをしている・・・というみなさまも、あと数年、親子で共に同じ環境で過ごせば、きっと貴重な存在になりますよ

 またまた脱線。
私は、そんなママ友と3人でランチに出かけました 表参道にある行きつけのお店は人気店で、いつも1時を過ぎても外で待っている人がいます。
 私達がテーブルにつき、ああでもない、こうでもない・・・と、メニューを手に話していると、お隣のテーブルに家族連れが案内されてきました 30過ぎのご夫婦と、まだ3歳にならないお嬢さんでした。パパ、ママはテーブルにつかれましたが、お嬢さんはご機嫌が悪く、ママに促されても座ろうとせず、いろいろと無理難題を言ってはママを困らせています
 お食事のメニューの前にドリンクメニューが渡され、お父様はそれをご覧になりながら、ママのほうに「君はどうする?」と尋ねられましたが、ママのほうはそれどころではありません お嬢さんに「じゃあ、ジュースをもらおうね。何のジュースがいい?リンゴジュースはあるかな?どう?オレンジがいい?」と話しかけても、お嬢さんはグズグズ言うばかり・・・

 正直なところ、私は少々厄介なことになったなあ・・・と思いました そこは、ファミリーレストランでもマクドナルドでもありません。気の合ったお友達と、美味しいものをいただきながら、ゆったりとした贅沢な時間を楽しむつもりで出かけてきたのに・・・食事の間中、このお嬢さんのグズグズの声を聞き、ちっともリラックスできず、想定外のイライラの時間を過ごさないといけないのか・・・とても気分が萎えました

 私達は一つ一つのお料理の話をしながらも、3人とも同じことを思っていたようです
私達も母親です。20数年前、幾度となく同じことを経験してきました。今は、大人だけの時間を当たり前のように過ごしていますが、みな、二人の子どもを育て、たくさんの子育ての泣き笑いを経験してきたのです
 だからこそ、子育て真っ最中の母親には寛容になりたい・・・とは言え、やはり、自分達の時間も大切にしたいとも思います 私達3人は、その二つを天秤にかけながら、メニュー片手に思案をしていたのでした・・・

 すると
お父様、お母様が席を立たれたのです。そして、お店の方に「すみません せっかく案内していただいたのですが、今日は諦めます。娘が静かにできない様子なので、出直してきます。この子の機嫌の良い時に、またお邪魔させてください」と告げられました。そして、私達のほうに会釈をして、店を出ていかれました・・・

 いやー・・・・意外でした。予想外の展開でした
私達は3人とも、その家族が外に出て行かれたとたん、「えらい あのママ、ものすごくえらい」と言いました。はからずも、3人同時に出た言葉がそれでした。

 はっきりとお顔も見なかったお母様でしたが、そのママのことが、とても愛しく思えました 思わずお店を飛び出し、そのお母様を追いかけ、「今度、ゆっくりとお食事ができる機会があるといいですね そんな日が少しでも早く訪れるように、私達も祈っていますよ」と声をかけたくなりました。
 私達は、運ばれてきたサングリアで乾杯をしました
 「あのえらいママの子育てが、これからも上手くいきますように
 心から、そう願いました

 なかなかできることではありません。
平日、どういう経緯で、あの親子がイタリアンランチを楽しもうとなさったかはわかりませんが・・・あのような機会が、頻繁にあるとは思えません そんな数少ないチャンスだったにも関わらず、あのママは、潔くご自分のチャンスを諦められました。
 その決断・・・お子様のためであり、また実際には、ご自分のためでもあったことでしょう あの状態のままで、お食事をされたとしても、ちっとも美味しくはなかったかもしれません。娘を騙しだまし座らせ、ご機嫌をとるためにあやし、お店やまわりのテーブルに気を遣い・・・そんな状況で食べる食事は、どんなにおいしいものであっても、食べた心地はしないでしょうね
 思えば、あのママは、あのような状況のもとでは「楽しい気分で食事のできない、まともな神経を持った賢い人」だった、ということですね。

 社会性に欠けるご両親の多くなった現代です
意識は常に「ご自分達が中心」というご家族が増え、公共の場であっても、マナーやエチケットは無視され、自分達が楽しむこと、自分達が満足できるようにする、という家族ばかりが目につくようになりました
 電車やバスの優先座席に平気で親子で座ったり・・・
 2,3歳の子どもに1席を与え、靴も脱がせず窓を向いて座らせたり・・・
 通路に平気でベビーカー2台を起き、気遣うこともせずにおしゃべりに興じたり・・・ etc. etc.
決して嫌味ではなく、「あなた達は、どういう神経でこういうことをしているのですか?」「なぜ、こういうことが平気でできるのですか?」と、真剣に聞いてみたい!とよく思います

 信仰心もない日本人は、何に対しても頭(こうべ)を垂れることなく、畏敬の念もなく、祈りも感謝もなく、その上、父権も地に落ち、祖父母も甘く、学校の先生までが「友達」のようになった今日・・・ただただ欧米の猿まねをするばかりで、日本語を大切にせず、古いものは悪しきものという考え方のもと、伝統ある固有の日本文化をどんどんと捨てて行き・・・
 私は、大真面目に『日本の将来はどうなるのだろう?』と憂いています
そんな中にあって、あの日の「自分の楽しみを諦めたママ」の決断、心意気、道徳心は、本当に尊いものに思えたのでした

 同じ価値観、社会観を持って子育てをしてきた私達3人。そんな私達だからこそ、14年間、同じ学校に娘を通わせることになったのでしょう あの日、私達3人は、何度も何度も、そのママのことを話題にしました。「本当にえらかったねえ・・・」その言葉しか浮かんできませんでした。とても愛情に満ちた、母親の先輩としての言葉でした

 あの日は、わけのわからないことを言い、機嫌の悪かったお嬢さんでしたが、きっとあのお母様に育てられるお嬢さんは、ステキな賢い社会性の備わったお嬢さんに育っていかれるだろう、と確信しています




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする